43.心地よい声
水使いを拘束し、ほっとしたルクレツィア、フェデーレ、エラルド、リベラートの4人である。少し離れていたリベラートが歩み寄ってきた。
「何とかなったな。あとはこの雨と風がやめばいいんだが……」
「余り続くと、魔力のバランスが」
悪くなる、と言おうとしたとき、ひときわ強い風が吹いた。ルクレツィアのまとめていた髪がほどけ、三つ編みがフェデーレの顔面を直撃した。
「痛っ!」
「ごめん! って、わわっ!」
髪の毛どころか自分が風にあおられそうになり、ルクレツィアは足を踏ん張る。だが。
「飛ぶ飛ぶ飛ぶーっ!」
「飛ばないから、落ち着け! 髪の毛どうにかしろ!」
ルクレツィアの三つ編みを引っ掴み、とばされそうになる彼女の腰を後ろから抱えながらフェデーレが叫んだ。いつもなら男性恐怖症による発作が起こるところであるが、それより風にとばされるかもしれないと言う恐怖の方が大きかった。不覚にも、フェデーレに支えられてほっとしたルクレツィアである。
強く編まれていることと強風により凶器と化した三つ編みをつかみ、ルクレツィアは服の中に髪を押し込んだ。少し風が弱くなったところでフェデーレがルクレツィアを解放した。彼女はフェデーレを見上げて微笑む。
「ありがとう。助かったわ」
「……いや」
顔をそらされた。最近、こういうのが多い気がする。いい機会だし問いただしてやろう、と思って口を開きかけると、「おい!」というリベラートの声が耳に入った。
「晴れてきたぞ」
そう言われて彼と同じ方向を見ると、雲の隙間から太陽の光が見えた。雨はやみそうだ。そのことにほっとする。風はまだ強いのだが。
「とりあえず、そいつを連れてラ・ルーナ城に行きましょう。濡れたままだと本当に風邪をひいてしまうわ」
ルクレツィアのその一言で、一行はラ・ルーナ城に向かうことになった。
△
「お帰りなさいませ、姫様」
「あら、ジョエレ様。久しぶりね」
ラ・ルーナ城で待っていた人物に、ルクレツィアは思わず笑みを浮かべた。そして、尋ねる。
「ぎっくり腰は大丈夫なの?」
そう尋ねると、ジョエレは息子であるフェデーレを笑ったまま睨んだ。しかし、慣れているのかフェデーレも泰然としたものである。
「そこの馬鹿息子が何を吹き込んだのかわかりませんが、大丈夫ですよ」
「それならよかったわ」
彼はフェデーレとは違い、ラ・ルーナ城にはあまり来てくれないので、本当に会うのは久しぶりだ。そもそも、フェデーレが留学を斬りあげて帰ってきたのは、彼が倒れたからで、そのころからルクレツィアはジョエレに会っていない。
ジョエレ・メリディアーニ公爵は40代前半と見える男性だ。金髪碧眼なのは、息子のフェデーレに受け継がれたらしい。だが、顔立ちはあまり似ていない。フェデーレがきれい系の顔立ちなのに対し、ジョエレは文官のようなまじめそうな顔立ちだ。それでも、並べば何となく似ている、と思う。
そのジョエレは息子の顔を見て、少し顔をしかめた。ラ・ルーナ城に戻ることを優先したので、フェデーレの頬の傷はそのままになっているのだ。
明らかなひっかき傷を見たジョエレは、ルクレツィアに尋ねた。
「姫様。不肖の息子が何かなさいましたか?」
「あー……」
ルクレツィアはちらっとフェデーレを見た。おそらく、ジョエレも先ほどのルクレツィアと同じことを考えた。女性に引っかかれたと考えたのだろう。
父親にまで疑われて、フェデーレがちょっとかわいそうな気がしたので、ルクレツィアは苦笑した。
「暴れていた魔術師を取り押さえてくれただけよ。その魔術師、部屋に閉じ込めておいてね」
「わかりました」
振り返って命じると、エラルドがうなずいた。そのまま、彼は魔術師を連れて行く。ラ・ルーナ城に牢獄はないが、監禁部屋はある。こちらの方がたちが悪いと、ひそかに思うルクレツィアである。
「……そう言えば、地震がありましたね」
ジョエレの静かな言葉に、ルクレツィアはびくっとした。思わず視線をそらしてしまった。ジョエレがため息をつく。
「とりあえず、体を温めてきてください。説教はそれからです」
「や、説教はいらないかな」
「いいえ。マエストロがいない以上、あなたに説教するのは私の役目です」
「……」
ルクレツィアは不満げにジョエレを見たが、ジョエレが折れることはなかった。
まあとにかく、今はジョエレの言うとおり、体を温めることを優先しよう。夏であるが雨にさらされて体が冷えていることを自覚したルクレツィアはそう思った。
△
薔薇の香りの香油をたらした湯で暖まったルクレツィアは、青いワンピースにショールを羽織った状態で、ジョエレにこんこんと説教をされていた。
いわく、暴風雨でみんな怖がっているのに、さらに怖がらせるようなことをするな、とのこと。確かにその通りだ。一応、かなり場所を限定して地揺れを起こしたので、被害はないとのこと。暴風雨の被害はあるけど。
その雨だが、だいぶ止んできているらしい。だが、風がおさまるまでにはまだ時間がかかるだろうと思われた。
一通り説教されたルクレツィアは、ふと思って言った。
「そう言えば、どうして私が地震を起こしたと思ったの?」
その問いに、ジョエレは苦笑した。
「この国で、大地を揺らせるほどの魔力を持ち、さらにそれを実行するような魔術師は、あなたかヴェロニカくらいです」
なるほど。納得。他にも何人か力の強い魔術師は知っているが、迷わずに大地を文字通り震撼させるのはルクレツィアと、今病で倒れているヴェロニカくらいだろう。
「ああ、それと、もうすぐマエストロが帰ってくるようですよ」
その瞬間、ルクレツィアは顔を輝かせた。『夜明けの騎士団』のグランデ・マエストロはルクレツィアの剣の師であり、彼女が敬愛する人物だ。
「良かったわ。半年もいなかったんだもの。いつも出て行ったら行方不明になるけど、今回は長かったわね」
独り言のようにルクレツィアは言った。その声音はうれしげである。グランデ・マエストロは本来なら魔術師たちの指揮官的立場にあるはずなのだが、現在のグランデ・マエストロはその役目をルクレツィアに丸投げし、全国を飛び回っているのだ。
それでもルクレツィアが彼を嫌わないのは、彼が師であることと、彼の性格が大いに関係しているだろう。それに、ルクレツィア自身が王都から動けないので、代わりに様々な場所を見てきてくれているのだと言う認識もあるのだろうと思う。
「お土産、何かしら」
「そっちですか」
思わずジョエレがツッコミを入れた。もちろん、本人が帰ってくるのも楽しみだが、彼が買ってくるお土産も楽しみなのもまた事実であった。
△
ジョエレの説教が終わり、談話室で暖炉の火を眺めていると、目の前にマグカップが差し出された。
「何?」
視線を上げると、同じくマグカップを持ったフェデーレだった。この談話室には、今、彼とルクレツィアだけ。
それを不快にも感じず、また、不自然にも思わずにルクレツィアはマグカップを受け取る。そんな彼女を見ながら、フェデーレが先ほどの問いの答えをくれた。
「ショコラ・ショーだな」
「そうなんだ。ありがとう」
ルクレツィアは甘党と言うわけではないが、それなりに甘いものは好きだ。それに、ショコラ・ショーは温かいのでほっとする。
ルクレツィアが腰かけている暖炉前の椅子から少し離れたところにあるソファに、フェデーレが腰かけた。しばらく、沈黙が続く。
「……父に説教されたらしいな」
不意に、フェデーレが口を開いた。ルクレツィアは黙然とうなずく。
「まあ、冷静に考えたら『やっちゃったなぁ』って感じだし……そう言うフェデーレも、説教されたって聞いたけど」
「……まあな」
フェデーレがため息をついた。ルクレツィアはくすくすと笑い、ふう、と息をついた。
「ジョエレ様の説教はこんこんと諭してくるみたいだから、堪えるのよねぇ」
「ああ、わかる。マエストロみたいな、笑いながら拳骨を落としてくるのもどうかと思うが……」
「マエストロは行動込みで説教だからね」
ちなみに、ルクレツィアはグランデ・マエストロの拳骨を受けたことはない。別に男女で差別しているわけではないので、その理由はよくわからない。だって、ヴェロニカは思いっきり頭をはたかれていたのを覚えている。
それと、グランデ・マエストロで思い出した。
「そう言えば、マエストロがそろそろ帰ってくるって聞いた?」
「聞いてない……。やっと帰ってくるのか。今回は長かったな」
「ねぇ」
どうやら、フェデーレは父親からグランデ・マエストロの帰還を聞いていなかったようだ。
グランデ・マエストロはルクレツィアに代わるように外にいることが多いが、たいてい、2・3か月に一度は王都に戻ってくる。なのに、今回は半年近くも留守にしていた。もしかして、何かあったのだろうか。
「ま、あの人に関しては心配するだけ無駄だな」
「それもそうね」
ルクレツィアもすぐさま同意を示した。何しろ、グランデ・マエストロはデアンジェリス王国最強の魔法剣士なのだから。
「そう言えば……」
温かさで意識がぼんやりしてきたのを感じながら、ルクレツィアはフェデーレに声をかける。彼が視線をあげてルクレツィアの方を見たのがわかった。
「あなたは、私が地震を起こしたことについて、何も言わないのね」
これに関しては、ジョエレだけではなくリベラートとエラルドからも苦情が来たのだ。やるなら、一言言ってからやってくれ、と。怒る方向が若干違う気もしたが。
ちなみに、リベラートはヴェロニカに関する情報もくれた。どうやら、回復してきたようで、様子を見に行ったら寝転んだまま本読んでた、と言っていた。
「もう、父に説教されたんだろう。それに、反省しているようだし、結果的に魔術師を捕らえられたからな」
「結果論ってやつね」
そう言って、ルクレツィアは微笑んだ。
いつも、嫌味ばかり言ってくるくせに、こういう時、フェデーレは優しい。本当に必要なとき、彼は必ず力を貸してくれる。
不思議と心地よい彼の低い声を聞きながら、ルクレツィアは夢の世界へと旅立った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちゃんと、ルクレツィアはフェデーレを信頼しています。本人は認めないかもしれないけど。




