39.まだ問題が残ってた。
ついに第4章完結です……。
何となく解決したかに見えたが、ルクレツィアにはまだ問題が残っていた。
「いや、まさか異国に来て囲碁が差せるとは」
ぱちっ。
「はあ……」
ぱちっ。
石が盤に置かれていく。ルクレツィアは黒、相手、エンリケは白だ。チェスは白が先番だが、この東洋のゲームは黒が先番になる。つまり、ルクレツィアが先番だ。
チェスでもそうだが、先番を取った方が有利だ。先手必勝とはよく言ったものである。
その結果、ルクレツィアはエンリケに圧勝しそうになっている。ルクレツィアもルールを知っているだけで、それほど囲碁は強くないのだが、エンリケはそれを下回る弱さらしい。
カードゲーム等、運に頼るところのあるゲームをやらせると、ルクレツィアは弱い。あまり運が強くないのだ。しかし、自分で考えて行う頭脳ゲームはそこそこ強い。たぶんこれは、ヴェロニカに鍛えられているから。
ヴェロニカによると、囲碁は地取りゲームらしい。白と黒の石を順番に並べて、自分の領地を広げていく。もしかしたら、空間認識能力の高いルクレツィアにもってこいのゲームなのかもしれない。
結局、ルクレツィアが勝った。慣れているチェスならうまく手加減できるのだが、慣れない囲碁であったため、うまく力量を調整できなかったのだ。まあ、そんなことをしたらしたでエンリケは怒るだろうけど。
「ルクレツィア姫、お強いですね。こういったゲームが得意なんですか?」
「え~っと。こういうのに詳しい友人がおりまして」
もちろん、ヴェロニカのことである。というか、魔法研究家は総じて知力ゲームに詳しい。
「しかし、やはりあなたの才能なのでしょうね」
「はあ……」
そうなのだろうか、と首をかしげていると、小さく「手加減してもらっただけだろう」というつぶやきが聞こえた。もちろん、カスパーの発言である。と言うか、何故彼がここにいるんだ。
それよりも、この大所帯はどういうこと?
アウグストがいるのは理解できる。オルテンシアもいるから、ジョスランがいるのもわかる。しかし、何故他にもカスパーやフランチェスカ、ジェレミアもいるし、その他王族の方もいるのだ。
……どういうことだろう。
みんなそれぞれ話しをしているようだが、別にこの部屋でなくてもよくないだろうか。ルクレツィアがここにいるのは、エンリケに、最後に囲碁を差さないかと誘われたからだ。今夜の舞踏会を最後に、彼らは帰国するのだ。
「次にお会いしたときに勝てるように、研鑽を積んでまいりますね」
「はあ……お会いすることがあればいいのですが」
微笑むエンリケに、ルクレツィアがそう返すと、彼は「そう言っていただけるだけで十分ですよ」と言った。
エンリケが別の国の王子に呼ばれて席を空けると、そこにジョスランがやってきた。
「姫。少しいいか?」
「……ええ」
ぎくり、としながらもそれを見せずにうなずく。タイミング悪く、と言うか、そうなるときを狙っていたのだろうが、彼の婚約者であるオルテンシアはフランチェスカやその他女性たちとお話し中だ。
ただ話すだけではなんだろうと、ジョスランがチェス盤を取り出した。礼儀として、先番である白をルクレツィアに譲ってくれる。
動かす駒を選んでいると、早速ジョスランが話しをふってきた。
「以前、王都であなたに似た人を見た」
「……そうですか」
いきなり核心に踏み込んできたな、と思いつつルクレツィアはポーンを一つ動かした。
「……あれは、あなただったのか?」
「……?」
わからないふりをして首を傾げてくる。駒を進めながら、ジョスランは言った。
「シアに聞いても、『ルクレツィアに似た公爵令嬢がいる』と答えるだけだった」
ルカ・ディ・サンクティスのことだろう。これはルクレツィア自身なのだが、いざと言う時のために作った偽りの身分でもある。いざと言う時とは、こういう時のことだ。
「……お姉様がおっしゃるのでしたら、そうなのでしょう。世界には、自分に似た顔の人が3人いると言いますし」
「面白いことをおっしゃいますね、姫」
「……そうでしょうか」
無表情vs無表情。ルクレツィアはどちらかと言うとポーカーフェイスなのだが、この場合は同じだろう。どちらにも表情がないから。
無言で2人はにらみ合う。見つめ合う、とかそう言ったかわいらしいものではない。見つめ合うにしては、眼力が強すぎる。
「……もしもわたくしが、ジョスラン殿下が目撃したと言う女性だったら、あなたに何か不都合があるのでしょうか?」
はっきりと尋ねると、突然ジョスランがぷっと噴出した。そのまま笑い声を立てるジョスランを、困惑気味にルクレツィアは見つめた。
「殿下? どうしたんですか? 妹が、何か?」
「いや……私の質問に、見事な返しをしてくれたのでな」
ジョスランの笑い声を聞いて駆け寄ってきたオルテンシアが首をかしげる。そして、ルクレツィアが戸惑いの表情を浮かべているのを見て笑った。
「良かったわね、ルーチェ。ほめられたわよ」
「……褒められてるんですか?」
ルクレツィアが首をかしげた。それを見て、オルテンシアも声をあげて笑った。
……とりあえず、けむに巻くことは成功したようなのでよしとしておこう。
△
その晩の舞踏会には、ルクレツィアも参加していた。心情としては仮病でも使って不参加を決め込みたい気分だったが、気になることもあったので、彼女は参加することにしたのだ。
兄アウグストと共に入場したルクレツィアであるが、兄と一曲踊った後はずっと壁際にいる。今回はソファに座るのではなく、立ったまま壁に寄りかかっていた。
シンプルではあるものの、最近の流行を取り込んだネイビーブルーのドレスは悪くない。むしろ、大人びて見えるルクレツィアの印象にそぐっていた。
彼女は目を閉じ、奏でられる音楽を聞く。魔法が織り交ぜられている気配はしない。リナウド公爵邸でのことがあったため、ルクレツィアは何かあった時のために控えているのだ。
「ルクレツィア殿下」
声をかけられたルクレツィアは目を開き、相手を見た。バイラー侯爵子息ハインリヒだ。
「こんばんは、ハインリヒ様」
口元に少しだけ笑みを浮かべて応対すると、ハインリヒはほっとした表情になった。
「明日、国へ帰ることになりましたので、ご挨拶をと思いまして」
「お聞きしました。道中、お気を付け下さい」
お決まりの言葉を言うと、ハインリヒは苦笑を浮かべた。しかし、すぐに表情を引き締める。
「殿下。申し訳ありませんでした」
いきなり謝られ、ルクレツィアは首をかしげた。しばらくそうして、ああ、と納得の声をあげた。
初日の夜会で、ルクレツィアの発作が起きた件か。それならもう解決済みである。ルクレツィアの中では。
しかし、ハインリヒにとっては違うのだろう。あれ以降、彼と話すのは初めてだ。おそらく、帰る前にルクレツィアに謝ろうと思ってきてくれたのだろう。その心意気がうれしい。
「いえ。謝られることではありません。お母様には、わたくしが社交慣れしていないせいだと怒られました」
「そんなことはありません」
「優しいですね。ハインリヒ様は」
目を細めて微笑み、ルクレツィアは言った。
「それでも、わたくしが社交を避けていたのは事実ですから、たぶん、母が正しいんだと思います」
「しかし、私は」
顔をゆがませてハインリヒが言い募る。内心、結構しつこいな、とひどいことを思いつつルクレツィアは言葉を発す。
「わたくしは、ハインリヒ様と踊れて楽しかったんです」
はっと、ハインリヒが息をのむ。その様子を見ながら、ルクレツィアは続ける。
「だから、その楽しかった記憶を、そのまま持っておきたいんです。だから、謝るのはやめてください」
謝られては、思い出してしまう。できれば、楽しかった思い出だけを持って起きたい。そう訴えると、ハインリヒは相好を崩した。
「それも、そうですね。私も、楽しかったですから」
「そうですか」
2人で微笑みあう。
あまり長く一緒にいると、疑われてしまう。何か、は明言を避けるけど。
「では、殿下。あなたにお会いできて、本当によかった」
「わたくしも、あなたに出会えて楽しかったです」
お互いに礼をして、ハインリヒが彼女の側から離れて行った。ルクレツィアはその後ろ姿をしばらく見つめ、それから視線をそらして窓の外を見た。
音楽が流れる。いくつもの音楽が。音楽は最古の魔法。ゆえに、音楽の魔法は強く、きれいな音楽は人々に力を与える。
「……わたしも、もう少し練習しようかしら」
ルクレツィアはぽつりとつぶやいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ルクレツィアは無表情と言うか、ポーカーフェースです。ジョスランは完璧に無表情ですね。鉄面皮です。最後に笑ってたけど。
私の書いている印象としては、こんな感じです。