32.アウローラ
――アウローラって、誰かわかる?
ルクレツィアのこの質問に、まず答えたのはヴェロニカだった。
「ガレリアに行った時も言っていたからな。一応調べたぞ。『アウローラ』。女性の名前としては一般的だ」
曙の女神の名と言われ、デアンジェリスでは割と一般的な名前でもある。『アルバ』と同じような意味なので、魔術師の親が娘に付けることが多いだろうか。
「『夜明けの騎士団』の名簿をさかのぼって行ったところ、アウローラという名の女性魔術師が何人か所属していたようだ。しかし、その半数が謎の死を遂げている」
「謎の死?」
「ああ。殺されたことは確実なのに、外傷がない。おそらく、精神魔法を食らったんだろうが、その魔法も特定できなかったらしい。まあ、当時の調査不足の可能性もあるが」
それは否定できないかもしれない。何しろ、『夜明けの騎士団』には数多くの依頼が入ってくるので、団員のことは後回しにされることがある。それは今も昔も変わらないようだ。
「もしかしたら、ファウストが『アウローラ』の魂を入れようとして、儀式を行ったが、適合しなくて死んだのかもな」
「ちょ、ヴェロニカ、怖いこと言わないで!」
エラルドが腕を抱いてさすった。精神と魂はほぼ同じものを指すと考えられている。そのため、魔術師にとって幽霊とは精神であり、魂なのだ。
その『アウローラ』の魂を入れられそうになっているはずのルクレツィアは冷静だった。しかし、深刻そうな表情で彼女は言った。
「ファウストによると、『アウローラ』の依り代にするには、『アウローラの杖』を私の物にする必要があったらしいわ」
「『アウローラの杖』? ああ……そうか。そう言うことか」
ヴェロニカが納得したように強くうなずく。リベラートも理解したようで、ちらりとルクレツィアを心配そうに見た。フェデーレとエラルドが首をかしげている。
「……どういう意味だ?」
「『アウローラの杖』は初代アルバ・ローザクローチェの杖だ」
ヴェロニカがフェデーレの問いに簡潔に答えた。エラルドが青くなる。
「つまり……『アウローラ』は、初代アルバ・ローザクローチェ?」
「そう言うことになるな」
沈黙が降りた。周囲の喧騒の音だけがしばらく響いた。ややあってから、ふう、とヴェロニカがため息をつく。
「おそらく、初代アルバ・ローザクローチェの魔力が強大過ぎるため、『杖』に選ばれるような強い魔法使いでないと、彼女の魂を受け付けないのだろうな。先代は男性だったし、早めに代替わりさせるために、先代を殺したのか……」
「見下げた野郎だな。しかも、初代とのつながりである『杖』を持っていれば、魂のつながりも強くなるってところか」
補足するようにリベラートも言った。さらに、フェデーレもつぶやくように言った。
「しかも、同じ銀髪か……」
「外見も似ていたのかもね」
エラルドも便乗して言った。まあ、血のつながりはあるはずだから、似ていても不思議ではないが、500年近く前の人だ。遠すぎる。どんな先祖がえりだ。
というツッコミは置いておき。
「そう言えば、『アウローラ』は国に殺された王女だってファウストが言っていたわ」
「国に殺された? そりゃ、どういう意味だ?」
「知らないわよ……」
リベラートに尋ねられたが、ルクレツィアも当然、そんなことはわからなかった。むしろ、教えてほしい。
「だが、『アウローラ』の正体がわかっただけでも収穫だ。僕はラ・ルーナ城の書庫で初代アルバ・ローザクローチェのことについてあたってみよう。ルーチェはイル・ソーレ宮殿の書庫を頼む」
ヴェロニカにさりげなく指示され、ルクレツィアは「わかったわ」とうなずいた。しかし、現在ではそんなことはないのだが、建国のころ、『夜明けの騎士団』に所属した王族の名は抹消されることがほとんどだった。そのため、『アウローラ』と言う名が残っているかわからない。
大体の話が終わり、何気なく時計を見ると、昼が迫っていた。ルクレツィアはあわてて立ち上がる。
「私、宮殿の方に戻るわ。フランの様子を見に行かないと」
「送って行こう」
「いいわよ、そんなの……」
フェデーレが立ち上がって申し出たが、ルクレツィアはすぐに断る。おなじみの光景であるが、今回は口を挟まれた。
「いや、ルーチェ、フェディに送ってもらえ。お前、しばらく1人で外出禁止」
「ええ~」
リベラートに命じられ、ルクレツィアは不満げな声を上げる。ヴェロニカが無表情に「心配してるんだ。我慢しろ」と言ってくる。ルクレツィアは不満げながらも「わかった」とうなずいた。
その様子を見ていたエラルドが、少し首をかしげる。
「……前から思っていましたけど、家族みたいですよね。リベラートが母親、ヴェロニカが父親、姫様は子供って感じで」
「……どうでもいいけど、リベルは母親なのね」
「母親でしょう」
苦笑したルクレツィアに、エラルドは深くうなずいて答えた。ヴェロニカが父親なのと、ルクレツィアが子供なのは何となくわかる気がした。
△
リベラートにもヴェロニカにも言われたので、ルクレツィアはフェデーレと共にラ・ルーナ城を出た。面倒なのは、フェデーレを連れていると抜け道を通れないことだ。別に通ってもいいのだが、フェデーレはただの貴族なので、勝手に宮殿に入ればその入出記録がつかない。そうなると不法侵入になってしまうので、非常時ではない今は正面から入ることにした。
そこで、ルクレツィアはサンクティス公爵家の遠縁の姫に成りすますことになる。こうするとルクレツィアが『ルカ』として入城した記録がついてしまうが、不法侵入よりはましだ。それに、その記録は後で、『気分が悪くなったので、裏から出た』とでも言えばいい。
そんなわけで、ルクレツィアは髪を明るい茶髪に変え、目深につばの広い帽子をかぶり、五分丈の青のドレスを着ていた。隣にはフェデーレがいる。着飾っても彼のキラキラしい雰囲気に負けている気がしたが、それはもう気にしないことにした。
そう言えば、フェデーレと2人っきりで目抜き通りを歩くのは初めてだ。彼はルクレツィアに歩調を合わせてくれているが、それでもはぐれそうになってしまう。
「強盗だーっ!」
平和な午前中の目抜き通りに、そんな声が響いた。反射的にフェデーレとルクレツィアが振り返る。しかし、ルクレツィアはすぐに違う方に目を向けた。視線の先の人物が脇の通りに入るのを見て、ルクレツィアは帽子を取ると、フェデーレに押し付けた。
「持ってて!」
「は? ちょ、おいっ!」
帽子を持ったフェデーレが、走り出したルクレツィアを追ってきた。ドレス姿であるルクレツィアであるが、足元はヒールの低いブーツだ。背が高いので、多少かかとが低くても問題ない。むしろ、走りやすくてよい。
ついでに、いざという時のためにドレスでの戦闘方法も学んでいるルクレツィアだ。ドレス姿でもかなり足は速かった。
「ひぃぃぃいいっ!」
しかし、ドレス姿の女に追われている方は恐怖である。悲鳴を上げながら水路の方に向かって走る。ルクレツィアはスカートの下に隠してあった小型の銃を取り出した。
ばあんっ!
発砲したのは、空に向かって、である。しかし、前を走っていた男はびくっとして足をゆるめた。そこに突撃をかける。ドレス姿で足払いをかけ、顔の側面に手刀を叩き込んだ。
「まったく。便乗して盗んでるんじゃないわよ!」
そう言ってルクレツィアは男から女性用のハンドバックを取り上げた。強盗騒ぎでそちらに意識を取られていた女性から、この男がこっそりと奪い取ったのである。
ふと視線を感じて、ルクレツィアは左の方を見た。ちょうどゴンドラの発着場所で、男はゴンドラに乗って逃げようとしたのだろう……って、そうではなく。
「……」
「……」
ルクレツィアは無言でその男と見つめ合った。赤褐色の髪に琥珀色の瞳。高い背丈に精悍な顔立ち。
ルクレツィアの記憶違いでなければ。姉オルテンシアの婚約者、ブルダリアス王国王太ジョスランだった。
「ルー……ルカ!」
おそらく、ルーチェと呼びそうになったのだろうが、途中で方向修正したフェデーレに感謝しておく。ルクレツィアは足元で倒れている男を無理やり立たせると、フェデーレの方に走って行った。ジョスランらしき人は無視。見なかったことにしよう。
「フェデーレ。いた」
「俺はここにいるが。何言ってるんだ、お前。落ち着け」
「ブルダリアスの王太子らしき人がいた……」
「って、ジョスラン殿下か? あー、ばれなかったか?」
「逃げてきたからわかんない」
ルクレツィアは首を左右に振った。フェデーレも少し考えたが、ルクレツィアと同じく聞かなかったことにしたらしい。
「で、こいつは?」
「ご婦人のハンドバッグを奪ったところを目撃したから、つい追っちゃって……」
「単独行動するなと言われたばかりだろうが。馬鹿か、お前は」
「むう」
おなじみの憎まれ口であるが、本当のことなので反論できない……。なので、ルクレツィアはむくれた。
「……とりあえず、この男本人に返しに行かせよう」
フェデーレの案で、盗んだ男本人にハンドバッグを返しに行かせることにした。ルクレツィアは渡された帽子をかぶり直しながら、そうね、とうなずいて同意を示した。もちろん、物陰から男がちゃんと持ち主に返却するかを確認した。
ハンドバッグの持ち主のご婦人は、心の広いお方らしい。騎士団沙汰にはならなかったようだ。ルクレツィアたちもほっとしながら宮殿への道を歩き出した。
「……考えてみれば、辻馬車でも拾えばよかったな」
「そうねぇ。でも、馬車で行くには馬鹿らしい距離でもあるわよね」
「確かに」
ルクレツィアの意見に、フェデーレも同意した。ラ・ルーナ城とイル・ソーレ宮殿は徒歩で20分くらいの距離の所にある。それなりに鍛えているルクレツィアにとっては、馬車を使うには中途半端だと思ってしまう距離だ。
半歩先を歩くフェデーレを見上げ、ルクレツィアはふと思った。
「フェデーレ、手、つなごう」
「!? おまっ、突然何言いだすんだ!」
「なんでそんなに驚くのよ……いや、ずっと男性恐怖症のままでいるわけにもいかないじゃない。フェデーレなら私も慣れてるし、練習にいいかなって」
「……」
フェデーレが微妙な表情になったのを見て、ルクレツィアはむっとする。
「何よぉ。夜会ではいろんなお嬢さんと踊ってたじゃない。手くらいいいじゃん」
お前がそれを言うか、というセリフであるが、何故かフェデーレはショックを受けたような表情になった。
なんだろう。最近、フェデーレがよくわからない気がする。
ルクレツィアはすっとフェデーレの手に触れた。手をつかむようにすると、ちゃんと手を握ってくれた。
……うん。大丈夫だ。ルクレツィアはそう思って微笑んだ。
フィオーレ・ガレリアに行ったときは、手をつなぐのは難易度が高い気がしたが、意外と大丈夫だったようだ。よく考えれば、社交ダンスの方がより体が密着する。
そのまま手をつないで宮殿に行った2人であるが、満足そうなルクレツィアに対し、その道中、フェデーレの顔はずっと真っ赤だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ルクレツィアは家族になら男性に触れられても平気です。だんだん、フェデーレが彼女の家族だと認識されつつある。