31.5年前の『彼』
2月も今日で最後ですね……。
ルクレツィアが眠っている間に、『夜明けの騎士団』の魔術師が、ルクレツィアがぶっ飛ばした窓枠のある部屋を調査しに来たらしい。その魔術師がヴェロニカだった。朝になって様子を見に行ったら、壊れた窓枠を直していた。
「おはよう、ヴェラ。お疲れ様」
「ああ、ルーチェか。おはよう」
そう言って、徹夜なのだろう彼女はあくびをした。今日も白衣の上にマントを着ている。ちなみに、スカートが部屋の中で動き回るのに不便だと言って、彼女はスラックスを履いていることが多い。そのため、背の高さと相まって男に見えてしまうのだ。彼女の背丈に合う女性服は既製品にはないというのもある。
あくびをしたヴェロニカは、ルクレツィアの恰好を見て遠慮なく言ってのけた。ちなみに、フィオーレ・ガレリアの事件で紛失した眼鏡は復活しており、今回はフレームレスの眼鏡だ。
「さすがに、その格好はどうにかした方がいいと思う」
「うるさいわ」
今日もオリーブグリーンの冴えないワンピース姿であるルクレツィアは不満げに言った。いいじゃないか。別に汚れているわけでも裾がほつれているわけでもないのだから。というかそもそも、男装している女に言われたくない。こちらは似合っているけど。
「そう言えば、ヴェラは初めて宮殿に上がったんじゃない? どう?」
「ラ・ルーナ城とそんなに変わらないな。ただ、高価そうな装飾が多い」
「ま、ラ・ルーナ城は機能的だもんね」
ルクレツィアはそう言って魔法で窓枠にガラスをはめ直すのを手伝った。
「というか、魔術師はあなた1人?」
「いや。他にも2人来たが、先に帰った。僕は壊れたところを直しておこうと思って」
「すみませんね、力の加減ができなくて」
ルクレツィアが嫌味っぽく言うと、ヴェロニカに頭をなでられた。ルクレツィアはおとなしくなでられている。
「ああ、私もなでていいかい?」
開けっ放しの扉から入ってきたのはアウグストだった。この辺りは立ち入り禁止になっているため、警備兵すらいない。
ルクレツィアは兄を見て、スカートをつまんで膝を折った。
「おはようございます、お兄様」
「おはよう、ルーチェ。今日もかわいいね。でも、今度、もっとかわいらしいワンピースを贈ろうか」
どうやら、シスコンな兄にも、このワンピースはないように見えるらしい。ヴェロニカが「いいんじゃないか? もらっておけ」などと言ってくる。何気にヴェロニカとアウグスト、話が合いそう。
「かわいいのは遠慮します。贈って下さるなら、シンプルな方がいいです」
「そう? もったいない」
「かわいいのはフランにでも着せてください」
ルクレツィアの妹フランチェスカは本気で可憐なのだ。
「フランと言えば、君に『ごめんなさい』だって」
「なんですか、その、なんかの企画みたいな言い方」
アウグストは時々言葉の選び方がおかしい。
「いや、君、昨日発作を起こしただろう? 自分が無理に踊ってくるように勧めたからだってフランが」
「あー……」
その後のファウスト・ショック(仮)によって忘れていたが、ルクレツィアが個室に移動したのは、ハインリヒに突然告白をされたからだった。確かに、フランチェスカが勧めたのもあるが、ルクレツィアが彼と踊りに行ったのは、自分でも大丈夫そうだと思ったからだ。同時に、いつまでもこの状態ではいられないと思い、状態改善を試みたからでもある。
「別にフランのせいじゃないのに……」
「発作を起こしたにしては元気そうだな」
「その後のショックの方が大きかったわ」
ヴェロニカにもツッコミを入れられ、ルクレツィアはすぐさま返答した。アウグストが優しく微笑んで「そうだね」といい、後でフランチェスカの元へ行ってあげるように、と言われた。
「あーっと。午後でもいいですかね? 私、これからラ・ルーナ城に行こうかと思って」
「ああ、調査結果を聞きに行くんだ? 後で私にも教えてね」
「わかりました」
あっさりとアウグストから許可が下り、ルクレツィアは今日は正面から宮殿を出ることにした。ヴェロニカと共に黒マントを羽織って出れば、『夜明けの騎士団』の魔術師だと思われる。
「あ、ちょっと待ってくれ」
「うん?」
ヴェロニカが通りに並んでいる屋台に向かう。ルクレツィアはフードの下から、ヴェロニカがワッフルを買うところを眺めていた。
「食べるか?」
戻ってきたヴェロニカに差し出されたワッフルを受け取る。
「もらうわ……っていうか、朝食食べなかったの?」
「食べるの忘れた」
「どうせ調査に夢中になってて、いらない、とか言ったんでしょ」
ルクレツィアが苦笑気味に言うと、「そうかもな」とヴェロニカは相変わらずの無表情で言った。ルクレツィアは微笑んでワッフルを食べ始めた。ルクレツィアは王女であるが、『夜明けの騎士団』として過ごすことも多いので、食べ歩きなどにはあまり抵抗を感じないのである。
ワッフルをぱくつきながらラ・ルーナ城への橋を渡った。包み紙をエントランスにあるごみ箱に捨て(景観を崩しているが、魔法研究家たちが所構わずに書き損じ紙を投げ捨てるので設置されたのだ)、ルクレツィアはヴェロニカに続いてオープン会議室の方に向かった。
「お。お帰り、ヴェラ。ルーチェも一緒だな」
初めにルクレツィアたちに気が付いたのはマグカップ片手にテーブルに広げた資料を立ったまま見ていたリベラートだった。彼も昨夜の調査に参加したらしい。
「窓枠は直ったか?」
「無事に復元してきた。問題ない」
彼女はさらりとそう言って近くの椅子を引いて座った。窓枠を破壊した張本人であるルクレツィアも、苦笑しつつその隣に座る。たまたま、向かい側はフェデーレだった。
「おはよう、フェデーレ、エラルド」
「おはよう」
「おはようございます、姫様」
フェデーレとエラルドが微笑んで挨拶を返してくれた。フェデーレはルクレツィアに対してぞんざいな言葉遣いだが、エラルドは敬語である。この違いはやはり性格なのだろうか。まあ、フェデーレが公爵家の人間で、エラルドが伯爵家の人間だからというのもあるかもしれないが。
「で。ヴェラとルーチェが来るまでの間に、昨夜の調査結果をまとめておいた。それがこれだ」
とリベラートは立ったままテーブル中に散らばった書類をとんとん、と指でたたいた。ルクレツィアは何気なくそれに視線を落とす。
「はっきり言うと、ルーチェの魔力痕跡が大きすぎてよくわからなかった」
「……それは悪うございました」
ルクレツィアは思わず半眼になってそう返した。ルクレツィアの魔法は、宮殿のホールを中心に半径約2kmにわたって展開されていたため、彼女の魔力痕跡が大きすぎた、というリベラートの主張は正当なものである。
「一応、宮廷中を調べてきたが、誰かがどこかに潜んでいる様子もなかった。ちなみに、死体もなかったぞ」
つまり、ルクレツィアの渾身の一撃は届かなかったということだ。
「お前、確か、『姿が変わっている』って言っていたよな」
フェデーレがルクレツィアに尋ねたところで、飲み物を取りに行っていたフェデーレが帰ってきた。ポットの中には紅茶が入っており、彼はそれをティーカップに注いで渡してくれた。
「ありがとう……ええ。フィオーレ・ガレリアで会ったときは20代半ばくらいに見えたし、もっと濃い色の髪だったと思うわ。でも、昨日会ったときは金髪だったし……」
彼女はそこで一度目を閉じる。あの姿は、5年前、ルクレツィアを殺そうとした『彼』に重なる。当時10代半ばだった彼も、今頃20代前半に張っているはずなので、外見年齢的にも合う。
「……ファウストって名乗ってたわ」
「ふざけているな」
「ああ。ふざけてるな」
ヴェロニカとリベラートが言った。エラルドが苦笑する。
「ファウストは古代の偉大な魔術師の名前ですからね」
もちろん、今も名前として使用することができるが、『ファウスト』と子に名づける親はいないだろう。『アルバ』と名付ける親がいないのと同じだ。ゆえに、偽名である可能性が高い。
「でも、体は別の人の物ね。名前、なんて言ったっけ?」
「……マルツィオだ。マルツィオ・デ・セッティ。まあ、旧姓になるけど」
フェデーレがはばかるようにルクレツィアを見た。彼もルクレツィアが殺されかけた件を知っているから、彼の名を出すのは少しはばかられたらしい。ルクレツィアが大丈夫よ、とばかりに微笑むと、顔をそらされた。何故。
「マルツィオか……よりによって、という感じだな」
ヴェロニカも『夜明けの騎士団』で過ごした時間が長いので(もう9年になる)、彼のことは知っている。魔力のあったマルツィオはラ・ルーナ城に出入りすることもあった。
「だれ、それ」
普通に魔法学術院を卒業し、普通に『夜明けの騎士団』に入団したリベラートは、ぎりぎりこの事件を知らないようだ。ヴェロニカが「後で説明する」と彼に言った。
「でも、中身は別。中身というか、精神と言うべき?」
ルクレツィアが困ってヴェロニカとリベラートを見ると、ヴェロニカが腕を組んで言った。
「そう言う魔法が、ないわけではない。多くの魔法研究家にとって、不老不死は夢の研究だ。その方法の一つとして、年を取った肉体を捨て、新しい若い肉体に精神を移す、というやり方がある」
「あー、だが、あれは禁忌だろう? 命や金を作り出すことと同じで」
リベラートが思わず意見するが、ヴェロニカは「犯罪者がそんなことを気にするわけがないだろう」と言う。確かにその通りだ。
「ルーチェの証言を聞く限り、そのファウストという男は、それを繰り返して生き続けているんだ。そして、ルクレツィアの体にも『誰か』の精神を植え付けようとしている……」
「あの、2・3個質問していいかしら」
「どうぞ」
ルクレツィアが手を上げると、ヴェロニカがうなずいて先を促した。遠慮なく、彼女はヴェロニカたちに尋ねる。
「ファウストの肉体が変わっていたことについては納得したわ。でも、それは自分の元の肉体が生きていること前提でしょう? だって、元の肉体を離れても人の命は元の体に依存しているのだから」
こんな話がある。人に憑依する魔法を持つ魔法使いがいた。彼はいつも敵の中の一人に憑依し、内側から敵を壊滅させていった。しかし、その間、抜け殻となっている元の肉体は無防備だ。そのため、自衛できずに元の体が殺されてしまった。
すると、憑依していた魔法使いの精神も元の体に引き戻され、そのまま死んでしまった。確か、魔法学術院でも教えられる内容であるはずだ。
「……確かに、その通りだ」
ヴェロニカが、うなずく。椅子の背もたれに寄りかかり、彼女は眼鏡のブリッジを押し上げながら言った。
「ひとつ、仮説があるのを知っているか? 力の強い魔法使い、ないし魔術師は、死後も現世にその痕跡を残す。その痕跡こそが幽霊であるという仮説だ」
「……ええ。聞いたことあるわね」
ルクレツィアがうなずいた。フェデーレとエラルドもうなずいていたので、結構一般的な仮説なのだと思う。
「すでにゴーストである存在が生者に取りつく場合。その場合は、取りついている側の肉体はすでに死んでいるが、精神のみが生きているということになる。そのため、すでに死んでいる場合は肉体に生き死には関係ない、と考える仮説が存在する」
「……初めて聞いたわ」
「これは割と最近出てきた仮説だからな」
ヴェロニカがさらりとそう言った。そうなんだ、とルクレツィアは苦笑する。力が強い、と言う前提が必要なので、あまり例がないのだろう。
「まだあるわ。前から思っていたのだけど、五感を乗っ取る魔法ってあるじゃない。テレパシー能力者が持っていることが多いけれど」
「ああ、別の人の視界を借りたりするやつな」
リベラートが確認するように言った言葉にうなずく。
「あれと、精神が乗っ取られるのって、どう違うの?」
「……確かに」
つぶやいたのはエラルドだった。五感の乗っ取りと精神の乗っ取りの違いはなんなのだろう。体を動かせるかどうかの違いだろうか。
「本人に意識があるか、ないか。体を自由に動かせるか、動かせないかの違いかな」
この疑問に答えたのはリベラートだった。ヴェロニカには知覚魔法はあるが、テレパシー系能力がないのでわからないだろう。種類は違うが、リベラートはテレパシーに近い弱めの透視能力を持っている。
「ふぅん。一応納得しておく……で、最後の質問」
ヴェロニカたちが身を乗り出したところで、ルクレツィアは尋ねた。
「アウローラって、誰かわかる?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『夜明けの騎士団』への入団時期としては、
ルクレツィア、フェデーレ…10年前。それぞれ8歳、9歳ですね。(出入りしていただけともいう)
ヴェロニカ…9年前。14歳の時。
リベラート…4年前。18歳の時。
エラルド…2年前。18歳の時。
でしょうか。
どうでもいいですが、第4章、ちょっと長いです。




