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夜明けを告げる魔法使い  作者: 雲居瑞香
第4章 魔の楽譜
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28.恐怖症












 ルクレツィアの体は、思ったよりもワルツの動きを覚えていたらしい。社交シーズンが来る前に、母に一連のマナーの確認と一緒に叩き込み直されたのが聞いているのかもしれない。心の中で母に感謝しておくことにした。ハインリヒにも「お上手ですね」と言われ、お世辞かもしれないがほっとした。踊れているのは事実だからだ。


 社交ダンスと言うものは異性と体を近づけなければならない。踊れる、と思ったが、もしかしたらだめかも、とも思っていた男性恐怖症気味のルクレツィアは、気合を入れてワルツに臨んでいた。幸い、今のところ拒否反応等は出ていない。

 ルクレツィアは、社交界にデビューするころにはすでに男性恐怖症だった。そのため、家族以外の男性と踊った記憶がほとんどない。ルクレツィアの社交ダンスの練習相手は、いつも父か、兄か、それかグランデ・マエストロだった。生前は先代アルバ・ローザクローチェに相手をしてもらったこともある。


 家族以外の人と踊るのはとても久しぶりだ。おそらく、ハインリヒを含めて片手で足りるくらい。昔は、家族以外の男性と踊るなんて考えられなかった。自分も成長しているのだな、と感慨深く思った。


 ステップを踏み間違えずにワルツを踊りきったルクレツィアはほっとした。ハインリヒがもう一曲どうか、と誘ってくるかと思ったが、彼は本当に一曲踊っただけで「休みましょうか」とルクレツィアを気遣ってくれた。

 めったに踊らない第2王女がダンスフロアに出てきたことで、珍しく思って声をかけてくる人間が多かった。踊らないか、とも誘われたが、体調がすぐれない、と言ってごまかす。その間にハインリヒがさりげなく彼女を誘導し、バルコニーに連れ出してくれた。


「ありがとうございます」


 礼を言うと、ハインリヒは「こちらこそ、ありがとうございました」と優しげな笑みを浮かべた。


「実は、殿下のその、性分をうかがっていましたので、踊っていただけるとは思いませんでした」


 どうやら、ルクレツィアの男性恐怖症のことは知っていたらしい。知っているのに誘った彼は、かなりの猛者である。だいぶ軟化してきて軽度な恐怖症とはいえ、拒否反応はでるのに。

 だが、久しぶりに踊れて楽しかったのも事実だ。おそらく、ハインリヒとフランチェスカがやや無理やり誘い出してくれなければ、こんなに楽しい気持ちになれなかった。ちなみに、フランチェスカは先ほど見たとき、自国の貴族と踊っていた。


「いえ……誘っていただいて、ありがとうございます。楽しかったですわ」

「そう言っていただけると幸いです」


 ハインリヒがほっとしたように微笑む。ルクレツィアもつられて微笑んだ。

「実は、初めて拝見したときから、美しい人だと思ていました」

「……はあ」

 何となく話が変な方向に言った気がして、ルクレツィアは首をかしげた。切れ長気味の眼をしばたたかせる。

「お会いしたのは今日が初めてだと思うのですが」

 首をかしげたまま尋ねると、ハインリヒは苦笑いを浮かべた。


「実は、私は、以前にもあなたを拝見したことがあるんです。6月の建国祭のときに」

「ああ。いらっしゃっていたのですね」


 ルクレツィアは納得してうなずいた。建国祭には他国から客人を迎えることもある。ハインリヒはその時も皇太子の側近としてついてきたのだそうだ。


「一目見た時からきれいな方だと思っていたのですが」

「……」

「笑ったお顔がとてもかわいらしく思えて」

「……」


 これには記憶があった。ヴェロニカとリベラートを観覧席で発見し、笑顔で手を振ったことを覚えている。みんな大司教の方を見ていたし、自分の方を見ている人はいないと思ったのだが、見ている人はいるものらしい。

 変なところを見られたな、と思っていたルクレツィアにハインリヒは覚悟を決めたように言った。


「ルクレツィア殿下、お慕いしております」

「はっ!?」


 おっと、驚きすぎて素が出た。ルクレツィアは一歩後ろにさがる。すると、バルコニーの柵に背中がぶつかった。

「私ごときでは分不相応なのは承知しています。殿下が男嫌いなのもわかっております」

 いや、嫌いなわけではないけど。かといって好きなわけでもないが。ちょっと怖いだけだ。

「しかし、一度だけ、あなたに思いを伝える機会をいただけませんか?」

「……っ」

 慕っている、だけでは言葉が足りなかったということだろうか。冷静に頭の片隅が考えたが、ルクレツィアの体には異変が起きていた。


 心拍数が上がり、息が苦しくなってくる。外に出ているとはいえ夏なのに、悪寒がした。


 以前、似たような言葉をルクレツィアに言った人がいた。彼女が男性恐怖症になった原因の人物だ。


 もちろん、彼とハインリヒは違う。彼はルクレツィアの意志を無視したが、ハインリヒはそんなことはしないだろう。言葉の端々から、彼の誠実さが読み取れている。

 そうわかっているのに、体は脳の言うことを聞いてくれなかった。ルクレツィアはめまいを覚え、ついにその場にくずおれた。


「!? 殿下! 大丈夫ですか!?」

「っ! いやぁっ!」


 伸ばされた手をルクレツィアは反射的に振り払った。ルクレツィアが動揺したためか、魔法式が編みあげられる。理性は止めろ! と命じているのに、魔法式は編み上げられ、魔法陣となった。



 キィィィィィィン。



 高い澄んだ音がして、魔法陣が壊れた。魔法破壊だ。

「ルーチェ、大丈夫? 何かされたの?」

 姉のオルテンシアの声だ。ルクレツィアはほっとしてオルテンシアに抱き着く。彼女はそっとルクレツィアの頭をなでてくれた。だんだん落ち着いてきて、呼吸が安定してくる。

「大丈夫? 立てる?」

「は、はい」

 オルテンシアに手を取られ、ルクレツィアはゆっくりと立ち上がった。そこで思いだし、ルクレツィアはハインリヒの方を向いた。


「……ハインリヒ様、申し訳ありません」

「いえ……私の方こそ、驚かせてしまいました」


 彼は弱弱しく微笑んだ。ルクレツィアが取り乱したのを見て、この対応は正直すごいと思う。普通、戸惑うものだ。

 ホールに戻ると、会場はルクレツィアたちの騒ぎに気付かなかったのか、人々は楽しげに踊ったり、しゃべったりしていた。もしかしたら、国王たちが気を利かせてそう言う風に取り計らってくれただけかもしれないけど。


 ルクレツィアはオルテンシアに連れられてホールから出たところにある個室に入った。

「大丈夫? 水飲む?」

「だ、大丈夫です」

 一緒にソファに座って気遣ってくれるオルテンシアに、ルクレツィアはつっかえながらも答えた。だいぶ落ち着いてきたが、しばらく会場には戻りたくない。

「何があったの? 無理やり迫られた?」

「あ、そうじゃなくて」

「そうよね。あなたがついて行ったくらいだし」


 ルクレツィアは肩をすくめた。男性恐怖症気味であるルクレツィアは、身の危険を感じたら絶対に2人きりにはならない。ハインリヒは優しそうだったので、大丈夫だと思ったのだ。

 そう言うと、オルテンシアにため息をつかれた。


「あなた、もう少し社交界に慣れたほうがいいわ。見た目が優しければ全員誠実なわけじゃないのよ」

「……それはわかってますけど」


 ルクレツィアは首をかしげる。実例として、見た目は貴公子のようだが口の悪い男を1人知っている。

 そう言えば、ルクレツィアがうっかり展開してしまった魔法陣を破壊した者がいたが、あれはもしかしなくともフェデーレだったのだろう。ルクレツィアの知る限り、魔法破壊を行える人間はフェデーレを含め2人しかいない。もう1人は現在王都にいないので、間違いなくフェデーレだ。後で礼を言っておこう……。


「そう言えばお姉様。婚約者がお待ちなのでは?」


 オルテンシアは再びため息をついた。これ見よがしにため息をつくのはちょっとやめてほしいです、お姉様。

「そこまで気が回るのなら、もう大丈夫そうね。過呼吸は収まった?」

「慣れてるので大丈夫です」

「それ、聞いてて悲しくなるわ」

 しかし、ルクレツィアが過呼吸を起こすのは珍しいことではない。ひと月ほど前にも起こしたばかりだ。気を付ければすぐに収まるが、これはもう精神的な作用と言うよりは体質なのではないかと思う。

「じゃあ、ルーチェ。あんたの言うとおり、婚約者を待たせてるから、わたくしはもう行くわ。あなたの侍女を呼んだから、しばらく待っていなさい」

「はい。ありがとうございました」

「これに懲りたら、よく知らない相手にはついて行かないのよ」

 はーい、と返事をしたルクレツィアを見てオルテンシアは苦笑した後、会場に戻って行った。婚約者であるブルダリアスの王太子を待たせているので仕方がない。ルクレツィアは侍女(たぶんカルメンが来る)を待つことにした。






 もう5年も前になるだろうか。ルクレツィアが13歳のころだ。彼女に「好きだ」と告げた少年がいた。年はルクレツィアより2・3歳年上だったと思う。この相手がいろんな意味でやばかった。

 ルクレツィアに(一方的に)思いを告げた彼は、ルクレツィアの返答を待った。当時は男性恐怖症ではなかった彼女は笑って「冗談でしょ」的なことを言ったのを覚えている。

 そこから言い合いになったのを覚えている。ルクレツィアもそれなりに気が強いので、相手が主張を曲げないと言い争いになることはある。そして、それは起こった。



 彼は、ルクレツィアを殺そうとしたのだ。



 後で「自分の者にならないのなら殺してしまえ」的な心理が働いたのだと聞いたが、その時のルクレツィアは怖くてたまらなかった。当時も今も死ぬのを怖いと思ったことはないが、本当に殺されると思ったら怖かった。当時は魔法が未完成だったため、動揺で魔力の衝撃波は生まれたが魔法を使って逃げることはできなかった。衝撃波も当たらなかった。

 首を絞められ、死ぬかもしれない寸前のところで兄のアウグストが助けに来てくれたのだ。兄が来てくれなければ、ルクレツィアは今頃ここにいなかった。そして、これがイル・ソーレ宮殿内で起こったことなのだからより恐ろしい。


 以来、ルクレツィアは男性恐怖症なのだ。当初よりは軽くなってきているものの、突然触れられれば驚くし、ハインリヒのように『彼』を思い出させるような行動をする男性は怖い。


「……大丈夫だと思ったのになぁ……」


 実際に、ダンスを踊るところまでは大丈夫だった。やはり、心の持ちようなのだろうか。

 自分から触る分には大丈夫だし、事前に一言言ってもらえれば相手からでも大丈夫な場合もある。とにかく、突然触られるのと『彼』を思い出させる行動がダメなのだ。

 そう言えば、『彼』はなんという名前だっただろうか。王女を殺そうとしたと言うことで、彼は家名を剥奪されて市井に降りたはずだ。


 ふわっと風が吹き込んできた。見ると、窓が開いている。首をかしげつつ窓を閉めようと立ち上がると、声がかかった。

「迎えに来た。夜明けの姫君」

「!」

 聞き覚えのない声だったので、とっさに魔法を展開する。ルクレツィアの背後に三つの魔法陣が浮かび上がった。そして、声をかけてきた相手を見てルクレツィアは驚愕する。

「あなたは――!」













ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今日は国公立大学二次試験前期日程の日ですね!

受験生でこれを見ている方はいないと思いますが、受験生の皆さん、頑張ってくださいね!

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