25.現実空間にて
ルクレツィア視点に戻ります。
「おかしいわね。肉体がないわ」
ルクレツィアは青年がいたはずの場所を杖の先でつついていた。床と壁にはルクレツィアの攻撃の痕が生々しく残っているが、あるはずの青年の遺体がなく、彼が身に着けていた衣服だけが残っていた。
「意味が分からないわ……」
つぶやいていると、重なっていた空間の一つが崩壊し始めた。もちろん、異空間の方であるが。
「ルーチェ!」
「お兄様。ふきゃっ!」
駆け寄ってきたアウグストに正面から抱きしめられ、ルクレツィアは思わず悲鳴をあげた。
「良かった。無事みたいだね」
ぎゅっと抱きしめてから、アウグストはルクレツィアから少し離れて微笑んだ。ルクレツィアは兄を見上げて言う。
「と言うか、それはこちらのセリフですけど」
ちらっとアウグストの後ろにいるヴェロニカたちを見る。全員異空間から無事に帰ってきたようである。
「それより、ルーチェ、左腕は大丈夫か?」
「え?」
ルクレツィアが落とした仮面を拾い上げ、ヴェロニカが近づいてきた。肩にアウグストの手が置かれたまま、ルクレツィアはヴェロニカを見上げた。と言うか、気づいたらルクレツィアはこの中で一番背が低い。女性にしてはかなり背が高いはずなのに。
「いや、折れているのではないかと思ってな」
「あ~、そう言えば折れてる」
青年の肉体が無くなった謎に気を取られて忘れていた。思い出したら痛みが出てきた。ヴェロニカから仮面を受け取り、ルクレツィアは左腕の二の腕あたりを強く握りしめた。
「大丈夫かい?」
「まっすぐ折れてるので大丈夫です」
「うん。意味が分からないね」
アウグストに笑顔で言われ、ルクレツィアは肩をすくめた。まっすぐ折れているのであれば、治癒魔法を使えば割と簡単に骨折は治る。痛いけど。
「ということは、あのコピーのルーチェと、本物のルーチェはなんというか……対応していた、と言うことか?」
フェデーレがルクレツィアをちらちら見ながら考えるように言った。ルクレツィアは顔をしかめた。
「話が見えなくてとても気になるけど、そろそろ折れた腕が痛い」
「ああ、そうだな。見せてみろ」
ヴェロニカに左腕を取られて袖をめくりあげられる。乱暴にされたので痛かった。
「痛いんだけど」
「我慢しろ」
「そう言えば、眼鏡は?」
いつもの見慣れたヴェロニカの姿ではないことに気が付き、ルクレツィアは首をかしげた。ドレスを着ていても眼鏡をかけている残念なヴェロニカなのに、今は眼鏡をかけていない。
「溶けた」
「……どれだけ強力な火炎魔法を使ったのよ」
ヴェロニカがそれだけ強力な魔法を使ったということは、異空間の方でも何かあったのだろう。先ほどフェデーレが『コピーのルーチェ』と言っていたのを考えると、ルクレツィアの偽物でも現れたのだろうか。
「大丈夫か? と言うか、白兵戦でもしたのか?」
フェデーレがヴェロニカに治療されているルクレツィアの腕を覗き込みながら、言った。まあ当然の疑問である。
「いや、重力魔法の加減を誤っちゃって。勢いでぼきっと」
「何してるんだ、お前……」
「フェデーレ」
呆れた様子でフェデーレがつぶやいた時、アウグストの声が飛んできた。兄の声は笑っているのに、フェデーレがびくっとした。
「あの、そろそろ質問していいですか?」
控えめに発言したのは今の今まで忘れていたが、アウグストの護衛としてついてきたブルーノだった。彼はただの騎士であるから、魔法剣士であるアウグストの方が、魔法事件では役に立ったのではないかとひそかに思っている。
彼はそれなりに整っている顔をしかめ、尋ねた。
「アルバ・ローザクローチェは、どちらに?」
「ここー」
ルクレツィアは空いている右手を、杖ごと持ち上げた。いつもの仮面をしていないので、ブルーノが戸惑うのは当然である。とりあえず骨をくっつけたヴェロニカは、包帯代わりにハンカチで患部をきつく縛り上げた。
「痛いわ」
「くっつけただけだからな。後で魔法医に診てもらえ……というか、開き直ったな」
「もしも彼が言いふらすようなら、遠慮なく記憶を封じさせていただくわ」
そう言うと、ブルーノがびくっとした。ヴェロニカが眼鏡のブリッジを押し上げるようなしぐさをし、眼鏡をかけていないことを思い出して手を降ろした。
「そこの王族兄妹。フェデーレとブルーノがビビっているが」
「と言うか、もしかして第2王女!?」
ヴェロニカのツッコミに反応したのはブルーノの方だった。ルクレツィアを見て驚きの表情を浮かべている。ルクレツィアはつかつかと彼に近寄ると、ぐっと杖の先を彼の方に向けた。
「このことは他言無用よ。言いふらせば、遠慮なくあなたの頭の中をいじらせていただくわ」
「お前にそんなことはできないだろう」
「黙って、ヴェラ」
「はいはい」
「ルーチェも。私の護衛をあまりいじめないであげてくれないかい?」
アウグストにも言われ、ルクレツィアは杖を引いた。ヴェロニカと共に情報交換と展示場の修復に移ろうとしたが、その前にブルーノの声が飛んできた。
「だが、髪の色が違うだろう!?」
「本来の色はこちらよ。お兄様と似てるでしょ。っていうか、敬語使いなさいよ、敬語。不敬罪で訴えるわよ」
「っ! 失礼しました」
「……冗談だったんだけど」
やはり近衛騎士だと言うことだろうか。ブルーノは生真面目だった。ついついフェデーレと言いあうように返したら、謝られてしまった。
何この人。やりにくいんだけど。
そう思ったのが通じたのかわからないが、アウグストのため息が聞こえた。
「ルーチェ。今のは君が悪いよ」
「むう」
ちょっと言い過ぎたかな、とは思った。
「おい、ルーチェ」
展示場を見回っていたフェデーレが、ルクレツィアを呼んだ。ルクレツィアはこれ幸いとばかりに彼の方に向かっていく。
「どうしたの?」
「これを見ろ」
そう言って彼が示したのは、『15代目アルバ・ローザクローチェ』の全身画があるはずのキャンバスだった。ルクレツィアもそれを見上げ、「あら」と驚く。
「いない……わね」
「俺が斬ったからかな……」
「え、あなた斬ったの?」
「襲われたからな」
「へえ~。まあ、気にすることないわよ。斬られたのは私じゃないし」
「寛容だな、お前」
フェデーレが苦笑した。ルクレツィアもフェデーレの偽物が襲ってきたら、遠慮なく魔法をぶち込むと思ったから、言葉が寛容な感じになっただけである。
「これだけ絵がないと言うのはね~。あなたが言っていたように、私とリンクしていたのかしら」
「お前の魔力を奪ったから、お前の姿に近いこの絵画から人が抜け出たと? 確かに、あの『コピー』も左腕が折れたが、別に平べったくなかったぞ」
「そりゃあ、あなたたちがいた異空間は二次元だったからでしょうよ」
「? どういう意味だ?」
「現実空間は三次元だけど、異空間は二次元、つまり、絵画の向こうの世界だったんじゃないかしら。おそらく、この特別展示用の絵画はすべて『同じ』なのだわ」
三次元にいたフェデーレたちも、無理やり二次元に連れて行かれ、二次元化していたのではないか、とルクレツィアは考える。そのため、相手が二次元でも自分も二次元だから気づかなかったのではないだろうか。
しかし、フェデーレは首をかしげた。
「……すまん。わからん」
「つまり、描かれた年代も、人も違うけれど、全ての絵の背景は同じで、これらの絵は異空間でつながっているということよ」
「よくわからないが、魔法なんだな」
「ええ。魔法よ」
フェデーレがとりあえずの理解を示したところで、長い会話を終え、ルクレツィアは一歩さがって右手に持った杖を空になったキャンバスに向けた。眼を閉じてイメージを浮かべる。
「お、見事だな」
フェデーレの声が聞こえ、ルクレツィアは目を開けた。ルクレツィアの復元念写魔法で元と同じ構図の絵がキャンバスに現れていた。
「だますみたいでちょっと複雑だけど、仕方がないわね」
説明して理解を示されるとは思えないので、これが最善の方法だと思った。一方、ルクレツィアが壊した壁を修復していたヴェロニカからも呼び出しがかかる。
「ルーチェ。この服、何だ? 追剥いだのか?」
「ヴェラ。あなた、さっきからちょっと失礼だわ」
そう言いながら駆け寄ると、すっかりきれいに戻った壁の前に、ヴェロニカが立っていた。アウグストも興味深そうにこちらを見ている。
「あー! そうなのよ。なんだかよくわからない男に『依り代が~』とか言われて、怖かっ……びっくりしたの」
「大丈夫? 何もされなかったかい?」
妹の男性恐怖症を知っているアウグストが心配そうに尋ねてきた。少し思い出してみるが、
「違う意味で怖かったです」
と答えた。ヴェロニカが腕を組み、冷静に言う。
「依り代と言うことは、何かをルーチェに入れたかったんだろうな」
「死者の魂とか?」
小首を傾げてルクレツィアが問うが、さすがにそんなことまではわからないだろう。ルクレツィアはうーん、とうなりながら思い出す。
「アウローラがどうの、とか言っていたわ」
「アウローラ……曙の女神の名だね?」
「『夜明けの騎士団』の関係者でしょうか」
アウローラの意味をつぶやいたのがアウグスト、ルクレツィアと同じ考えに行きついたのがフェデーレである。
「それはともかく、こちらだ。どうして衣服だけ……」
そう言ってヴェロニカが眉間にしわを寄せた。美人なのにこういう顔をするところが少し残念なヴェロニカである。
「それがわからなくて。渾身の攻撃魔法を叩き込んだと思ったし、手ごたえもあったと思うのだけど、気づいたら肉体だけ無くて」
「転移魔法か? それとも、もともとルーチェが攻撃したのは本体でなかった可能性もあるな……」
「……後で詳しいことは説明するけど、その人、先代のアルバ・ローザクローチェを殺した人かもしれない」
ルクレツィアは杖をぎゅっと握りしめて言った。
笑って「行ってくる」と言って出かけ、帰ってきたときには物言わぬ人となっていた先代。そのあとすぐ、ルクレツィアは『アルバ・ローザクローチェ』の名を継いだ。
「ほう。それはぜひともしょっ引かねばな」
ヴェロニカも冷たい声で言った。彼女にとって先代アルバ・ローザクローチェはいわば恩人。彼女が怒るのも無理ない話だ。
とりあえず大体の状況を把握できて一息ついたルクレツィアたちであるが、アウグストの一言で忘れていたことを思い出した。
「そう言えば、笑う肖像画と言うのはどうなったんだい?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
あと1話でこの章も終わり。だけど、次の章が出来上がっていない……orz