22.虹彩論争
さて。何故自分はこんなところでお茶を飲んでいるのだろうか。そんなことを思っているとはおくびにも出さず、上品なしぐさでルクレツィアはティーカップをソーサーに戻す。
ここはフィオーレ・ガレリアの館長室だ。館長に呼び止められたフェデーレは、相談があると言われてここまで連れてこられたのである。もちろん、ルクレツィアも一緒だ。
「それで、相談とは?」
フェデーレが促すと、館長はちらりとルクレツィアの方を見た。彼女の存在に戸惑っているらしい。すなわち、ルクレツィアに聞かせてもいい話なのか、と。
それに気が付いたフェデーレは愛想よく言った。
「お気になさらず。彼女はサンクティス公爵家の血縁の者で、ルカと言います。『夜明けの騎士団』の魔術師の1人です」
「ああ、そうでしたか」
館長がほっとしたように息を吐いた。ルクレツィアは一応、「ルカです。お見知りおきを」と微笑んだ。
堂々と偽名を名乗ったルクレツィアであるが、彼女が王女であり、15代目アルバ・ローザクローチェだとばれた様子はなかった。変装しているのに、ばれたら泣く。
元は銀髪で、普段はくすんだ茶髪で過ごしているルクレツィアであるが、今は明るい茶髪で、緩く髪をまいていた。それだけでだいぶ印象が違うし、化粧もしている。左目尻に泣きぼくろを入れているので、たいていの人はこちらが印象に残るはず。
それに、はきはきとしたしゃべり方は、男性恐怖症の第2王女とはなかなかつながらないだろう。15代目アルバ・ローザクローチェに至ってはそもそも顔が公開されていない。
と言うわけで、王女が堂々と偽名を名乗っても疑われる様子はなかった。ルカ、と言うのは本名のルクレツィアを省略したもの、サンクティス公爵家は傍流王族で、王妃エミリアーナの生家だ。もし『似ている』と言われても、血がつながっているから、でごまかすことができる。
「ですから、彼女のことは気にしなくても大丈夫ですよ」
相変わらずの外面の良さでフェデーレが微笑んで言った。さりげなくひどいことを言われた気がするが、お互い様なので気にしない。それにしても、フェデーレは本性をうまく隠していると思う。
「実は、特別展示場の方から夜中に笑い声が聞こえるとの訴えがありまして」
館長の話に、フェデーレが「ああ」とうなずいた。
「実は、私たちが今日ここに来たのは、その件について依頼を受けたからなんです。彼女を連れて調べに来ました」
「なんと! 言ってくだされば、入場を制限いたしましたのに」
「いえ。今日は下見のつもりで来ましたから、お気遣いは結構です」
ニコリと人のよさそうな笑みを浮かべるフェデーレ。こういう時、顔がいいと便利だな、と思う。無駄に絵になる。
「そうですか……ええ。それで、特別展示を公開するかはもめたのですが、昼間に笑い声が聞こえたことはなく……」
夜は魔力の世界だ。昼間は生きているものの世界。そのため、昼間には魔法現象が起こりにくいと言われている。だから、昼間に展示を公開しても問題はないはずであるが……。
「なるほど……私も、昼間には何も起こらないとは思いますが、早めに何とかした方がよさそうですね」
なんだか最近、そのセリフばかり聞く気がする。ルクレツィアはフェデーレを見上げる。彼と目が合い、互いに小さくうなずいた。
「館長。夜に、うかがわせていただいてもよろしいですか?」
「! ええ。もちろんです! 何とかしてください!」
すがりつくように言われて、苦笑したフェデーレが「アルバ様も連れてきますよ」と言ったので思わず睨んでしまった。いや、ついて行くけどさ。
話がまとまったところで、ルクレツィアはふと思い出し、館長に尋ねた。
「ひとつ、お聞きしてよろしいかしら」
「ルカ」
フェデーレが顔をしかめた。おそらく、ルクレツィアの正体がばれることを危惧しているのだろうが、そんなことは知らない館長は「なんでしょうか」と言ってくれた。ありがたく尋ねる。
「特別展示場の肖像画の配置。あれに、何か意味はありまして?」
「? ……いえ。特に指示をしておりませんし……。まあ、指示したと言えば奥から順に初代から並べるように、と言うことくらいでして」
だから手前に『15代目アルバ・ローザクローチェ』と父の肖像画が来ていたのか。納得。
「そうですか……変なことを聞いて申し訳ありません」
「いえいえ」
変なことを聞かれたと思っているだろうが、ルクレツィアを公爵家の関係者だと思っている館長は、笑顔で首を振った。こういう時、権力はありがたいなと思う。
△
「お前な! 聞きたいなら俺にまず言えよ!」
「いいじゃない! ちょっとくらい!」
「ちょっとってな! ばれたらどうする気だったんだ!?」
「ばれないわよ! 変装は完璧だわ!」
「目の色が同じだろう! アイスグリーンの眼なんて特徴的なもの、どうして隠さないんだ!」
「緑の眼は珍しくないわ! それに、サンクティス公爵家には緑の眼の人が多いのよ!」
「普通の緑じゃないだろ、お前の眼!」
「誰も私の眼の色なんて覚えていないわよ!」
「俺が覚えてるだろ!」
「あんただけだわ!」
「……久しぶりに盛大に喧嘩してるな」
冷静にツッコミを入れてきたのはヴェロニカである。彼女の隣では、リベラートも苦笑している。フィオーレ・ガレリアからラ・ルーナ城に帰ってきたばかりなので、ルクレツィアはまだ『ルカ』の姿のままだった。
「いや、フェディ。ルーチェが心配なのはわかるが、彼女の変装は完璧だと思うぞ。似ていても、他人の空似で通るレベルだ」
リベラートが喧嘩中の2人を落ち着かせようと穏やかな口調で言った。ヴェロニカも「ふむ」とうなずく。
「確かにアイスグリーンの虹彩は珍しいが、緑の虹彩はさほど珍しくないからな。第2王女ルクレツィアがアイスグリーンの虹彩をしているということを知っているのは、おそらく僕たちだけだ」
「……めんどくさいな、お前。知ってたけど」
「よく言われる」
以上、ヴェロニカとリベラートのやり取りである。ヴェロニカが言いたいのは、『第2王女が緑の眼をしているのは知られているが、アイスグリーンだと気付く者は少ないだろう』と言うことなのだろう。たぶん。リベラートではないが、彼女は言い回しが少々面倒くさい。
ヴェロニカとリベラートにもルクレツィアの肩を持たれたフェデーレは、彼女を見て憮然とした表情で言った。
「まあ、ばれなかったから、いい」
「ええ。そのとおりね」
結果論であるのは認めるが、ばれなかったのだから、これ以上言い合うのは不毛である。そう結論づけ、フェデーレは話を進めた。
「フィオーレ・ガレリアの館長から正式に依頼が来た。夜中にガレリアに行く」
「できれば、空間二重の謎も解明するわよ。と言うわけで、ヴェラ、リベル、今夜は暇?」
一緒に飲みに行きましょう、と言わんばかりに軽い口調でルクレツィアが言った。ヴェロニカはすぐにうなずいたが、リベラートは「すまんな」と謝った。
「今夜はエラルドと一緒に魔術師狩りだ」
「何、その不穏な言葉」
「不正に一般人に魔法を使った魔術師がいるから、取り締まりに行くそうだ」
「ああ……そう言う。なら初めからそう言ってよ」
ヴェロニカの説明でようやく得心のいったルクレツィアはほっとした。まあ、リベラートは魔術師としての戦闘力はあまり高くないから、よく考えたら『魔術師狩り』はおかしいと気付けるはずなんだけど。
「ってことは、エラルドも連れて行けないのね」
「魔法剣士は俺だけか。まあ、何となるだろ」
フェデーレが楽観的に言ったが、彼の剣の腕は確かに頼りになるので、特にツッコミは入れない。少なくとも、ルクレツィアやヴェロニカよりはずっと強い。ルクレツィアとヴェロニカは強力な魔女ではあるが、接近戦は苦手だった。
「私も一応、訓練は受けてるんだけどね」
「ああ。怪しいよな、お前の剣術」
「うるさいわ。私は魔女だからいいのよ」
ルクレツィアは運動神経はいいのだが、フェデーレの言うとおり剣の腕は微妙だった。まあ、中の上くらいかな、と言ったところである。とはいえ、ルクレツィアは魔女なので、剣の腕は必要ない。
しかし、ルクレツィアの剣の師によると、魔法と武術はつながっていて、肉体を鍛えることで魔法力も上がるのだそうだ。魔法を教えてくれた先代アルバ・ローザクローチェもルクレツィアが体を鍛えることには賛同していたので、ルクレツィアはフェデーレと同じ剣の師に弟子入りすることになったのだ。
「なんだかんだで、ルーチェとフェディも仲がいいよな」
「それには同感だ」
リベラートとヴェロニカがそんなようなことを言っているのが聞こえたが、ひとまず無視することにした。
「とりあえず、現状戦力としては私、ヴェラ、フェデーレね。……どう考えても十分ね」
どう考えても戦力過剰だ。ルクレツィアが数え上げると、ヴェロニカとフェデーレが深くうなずいた。2人とも自分の力には絶対の自信があるタイプだ。そう言う意味で、二人は少し似ている。
ルクレツィアとヴェロニカだけでも、一個大隊とやりあえる戦力だ。問題ない。問題は、強大過ぎる魔法でガレリアが崩れないか、と言うことだが、そのあたりは後で考えよう。名目上は、調査に行くのだから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ヴェロニカではありませんが、結構盛大に喧嘩しているルクレツィアとフェデーレです。
ルクレツィアは変装するとき、基本的に髪の色を変えています。
第2王女の時はくすんだ茶髪。
アルバ・ローザクローチェの時は銀髪。これが地毛。
ルカ・ディ・サンクティスの時は明るい茶髪。左目じりに泣きほくろあり。
他はだいたい化粧でごまかしています。泣きほくろも化粧です。




