仮装ジャック 下
ピンポン、と安くてうるさい音が響いた。ユイとあれこれ話をしていたカイは、その音のせいで一気に現実に戻される。
「ユイ――」
「分かってる。誰だろうね」
いつだってユイは冷静だ。カイにだけ聞こえるように小声で呟き、ドアを開けても一目では見つからないように台所へ隠れた。奥の寝室に行かないあたり、しっかり聞き耳を立てるつもりだろう。隠し事などしようとも思わないカイとっては、別に構わないことだが。
ピンポン、と急かすようにチャイムが鳴る。ドアにチェーンと鍵が掛かっていることを確かめて、カイはそっと近付いた。
「カ――カイ君、いるんでしょ?私、知ってるんです」
ドア越しに聞こえてきたのは、ここ一ヶ月で聞きなれた声。今日誕生日を迎える、カイの恋人。
「ああ……どうしたの、アイ」
「どうしたのじゃないです」
「誕生日なら昨日祝っただろ?今日は忙しいんだ。申し訳ないけど帰ってくれ」
背後でユイが身動ぎをする気配がした。
「そうじゃないです。そうじゃなくて」
アイが息を吸う音が微かに聞こえた。悲鳴をあげる寸前のように思えて身構えたが、出てきた声は涙に震え、今にも消えそうなものだった。
「そこに――いるって言うんですか。帰ってきてるんですか、お姉ちゃんが」
違うと言ってくださいと、そう言っているようだった。
でも、カイは嘘をつかない。
「そうだよ、今日はユイが帰ってくる日なんだ。君とは会えない。帰ってくれ」
「嫌です。私にも会わせてください。会ってもいいでしょ?」
駄目だと言いかけ、やめた。そっと後ろを振り向く。ユイは台所に隠れたままなにも言わず、小さくうずくまっていた。
「……駄目だよ、ユイは僕に会いに来たんだ。帰って」
「い……嫌です」
「いいかい、アイ。今日だけは本当に駄目だ。明日からまた君を大切にすることもできる。現に昨日は君のために空けた。でも一年に一度、今日だけは絶対に駄目なんだ。分かったら帰ってくれ」
いつもなら決して出さない強い声で言い切った。泣かれるかと思ったが、流石はユイの妹と言うべきか、ぐっと堪えたらしい。なにも言わずに立ち去る彼女の足音が完全に消えてから、振り向いた。
「他人の妹に酷いこと言うんだねえ、カイ君」
「怒ってる?」
「いいや?いい気味だね、いい気味」
冷たいことを言いながらも、ユイはほんの少し申し訳なさそうな顔をしていた。しかしそれも一瞬のこと。今度は意地の悪そうな顔に早変わりだ。
「ところでカイ、どうして教えてくれなかったのかなあ……アイと付き合ってるだなんて、大切なこと」
「ご、ごめんよ。いや、言おうとしたよ?言おうとしたら君ったら寝転がっちゃって、いかにも言うなと言わんばかりだったじゃないか」
それに、ユイには言うまでもなかったろうに。部屋のなかを歩き回って一つひとつ確認しているときに見つけたはずだ。ユイと二人で撮った写真が飾られる中に紛れて、一枚だけアイとの写真があったことを。
ふらりと立ち上がったユイは、またリビングに戻ってきた。元のように座ってカイを見て、誰もいなくなったドアの向こうを見た。
二人はあまり仲のいい姉妹じゃなかった。喧嘩もしょっちゅうだったし、互いが互いを嫌っているというよりは苦手としているようで、言い争いをしていないときは極力避けていた、とカイは記憶している。だからこそ、アイが姉に会わせろと口にしたことは意外だったのだ。いや、姉に会いたいというよりはカイとユイの間に割って入ろうとしたのだろう。
「カイ、本当にアイが好きなの?とても恋人に対する態度には見えなかったけど?」
「もちろん好きだよ?ユイと比べたら全然だけど」
「じゃあなんでアイと付き合ってるのさ」
「ユイと似ているからかな……押し切られたってのもあるけど、ほら、見た目とか頑固なところがそっくりなんだよ。とはいえユイの方がずっと頑固だけどね」
さいてーだあ、と棒読みで笑った。言われるまでもなく、最低だってことくらい知っていた。カイはアイが好きだ。ユイと似ていて可愛いし、寂しがり屋で卑屈だ。彼女は姉に対して大きなコンプレックスを抱いている。迷うことなく走っていける姉が羨ましくて堪らないし、一生かけても姉を追い越せないと知っているから。
一方ユイはユイで妹が苦手だ。素直で、少なくとも自分よりか弱い彼女を羨んでいるんじゃないかとカイは考えている。
僕はきっとアイと結婚するだろう、と彼は思った。同時に、10月31日だけは彼女を自分の部屋に入れないだろうとも。その日の全てをユイに捧げたい。その日以外はアイに捧げたい。ハロウィンも自分に捧げろと言うのならアイを捨てたって構わない。アイを想う日は圧倒的に多いけど、カイの心を占める人はいつまでたってもユイ以外に有り得ないのだろう。
最低だ。でも、ユイの存在はそれほどまでに大きかった。
「アイは間違ってる。あの子はまだユイが苦手なんだな……いいじゃないか、今日くらい」
「可哀想ではあるけどね。折角姉が遠くに行って愛する人を自分のものに出来るのに、私が帰ってくる一日だけはどうしても取り戻せない。アイはハロウィンが大っ嫌いだろうね」
――いいじゃんね、一日くらい。
そうユイは笑った。そうだ、たった一日だ。あまりに短すぎる24時間。
「ねえ、ユイ……もっと帰ってきなよ。僕はいつでも待ってるんだよ」
そう言っても、ユイはやっぱり首を横に振るのだ。そして、カイに向かって手を伸ばす。その白い指が彼の頬に触れた。
「私ね、しんみりしたのが苦手なの。ハロウィンはいいよね、がちゃがちゃ五月蝿い見た目で、流石外国のお祭り」
いたずらっぽく笑って、ユイは彼を見つめた目をそらさなかった。
「あと、私はキュウリとナスが嫌いなんだよねー、なんか不味いじゃん?」
「――ユイ」
堪えきれなくて泣きかけたのを隠そうとして、失敗した。今年こそ最後まで笑っていようと思ったのにまた駄目だ。毎年毎年、成功した試しがない。
「ユイ――ユイ、いいじゃんか。キュウリとナスが嫌いでも、しんみりしたのが苦手でも、長く一緒にいられるならいいだろ。どうして一日だけなんだよ……どうしてだよ。僕はこんなに悲しいのに。僕は……寂しいのに」
「だって、一日だけ帰ってくる方が辛くて、カイの中にしっかり刻まれるでしょ?なんて……嘘だけど」
ちっとも嘘じゃなさそうな声色で言った。やっぱりユイは意地が悪い。そんな風に言われたら、刻まないわけにはいかないじゃないか。
「それにね――私は可愛いものが大好きだし、独りは嫌なの」
ジャック・ランタンのぬいぐるみを抱きしめて、ユイは笑った。
ジャック・オー・ランタン。
それはランタンを持った男の幽霊。生前ろくでもないことばかりをして、天国はおろかどこにも行けず、ランタン片手にさ迷う男。頼るものもなくして歩き続ける存在。
でも、彼らはそれだけではなかった。
彼らは時に、同じように迷う旅人を正しい道へと導く。
「お盆に帰ってくるなんて嫌だよ。来るときはキュウリの馬で、帰りはナスの牛に乗れって?悪夢もいいとこだよ、勘弁してよ……どうしてわざわざ嫌いなもんに乗って、たった一人でここまで来なきゃいけないの」
でもハロウィンなら、迎えに来てくれるでしょ?
あの世とこの世の境が無くなるこの日に、迷った人を導く迷い人になって。
「もちろんだよ。大丈夫だよ」
「死んで仏になんてならないから。私はいつまでも、私のまま」
お盆になっても、カイはユイのための迎え火や送り火を用意しない。彼女が帰ってこないと知っているからだ。誕生日と命日、ユイが大好きだったクリスマスにはプレゼントを持って墓参りをする。
そうして、ハロウィンが来たら。
ジャックに扮し、迎えに行く。
ハロウィン企画に乗っかりました。如何だったでしょう……??
なんというか、色々解釈があると思います。結局どのような話だったのかは皆さんにお任せします。この話の世界が、幽霊が存在する世界ならそれでもよし。
でももし存在しないなら、カイは誰と話をしているんでしょう。ユイはカイ以外の人の前には現れないし、アイが来たときも声を出しません。
アイは閉じこもって出てこないカイのために必死なだけなのか、弔うカイを邪魔しているのか……
あたしも答えは決めていません。どちらでも構いません。
ただ変わらない、愛の形。




