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掌編作品集

詩の彩る世界

作者: 空ノ

 秋の夜長、うたはいつもの場所で幸せを歌う。


 午後六時を一時間ほど回り、空から闇のカーテンが降りきったころ、噴水の前には一台のキーボードとスピーカー、そして自己紹介のためのパネルを準備する詩の姿があった。

 夜の闇に紛れてなお際立つストレートな黒髪が、詩をこの場所に存在させる。白と黒のツートンカラーで紡がれたワンピースが細身の詩を覆い、孤独な闇から身を守る。つばの付いた白いニットキャップは、詩の印象をやわらかくし、その存在を強くアピールしていた。

 詩の周りには、すでに数人の老若男女が彼女を囲むように陣取っている。


「えー、みなさん。本日もお集まりいただきありがとうございます。詩です。こんな時間にもかかわらず集まっていただけたこと、大変嬉しく思います」


 詩はキーボードに備え付けられたマイクを左手で確認しながら顔を近づけて、やわらかい表情で感謝の言葉をつづる。


「みなさんのおかげで、一曲路上ライブはついに百回目を迎えることができました。パネルにも書いているのですが、今日は十九歳になった私のスタートでもあります。高校の卒業や引っ越しなど、色々なことがありましたが、歌い続けてこられたのは、ひとえにみなさんの暖かいご声援があったからです」


 詩の幸せは、歌うこと。そしてそれを聴いてもらうこと。それが、暗闇の中で生きる詩の精一杯の頑張り。

 ――詩は目が見えない。


「それでは聴いてください。今日が初披露となります。『今を生きるんだ』……」


 仕事帰りの会社員がせわしなく詩の前を通り過ぎる。タクシーが代わる代わる噴水の後ろを走り去る。そんな雑音だらけのこの場所で、詩とその周りの空間はスピーカーから奏でられるピアノの音で埋め尽くされる。


 ◆


 詩を見つめる数人の老若男女の中に、十五歳の少女がいた。受験を控えて勉強漬けの毎日だが、詩の路上ライブだけは欠かさない。少女は悩んでいた。終わりのない受験勉強の苦しみ、将来への不安、抱えている目の前の問題に押しつぶされそうになっていた。


(詩さんの曲やっぱりきれい。でも、勉強抜け出してきたからまた怒られちゃうな……)

 しゃがんで聴いている少女は詩から目を離し、冷たいコンクリートに視線を落とす。

(やだなぁ勉強。将来の夢なんてわからないよ先生……。そんなこと聞かないでほしかった……)

 三者面談で聞かれた将来の夢。少女は口を閉ざしたままうつむくだけだった。


 曲は前奏を終えて一番のAメロへ入る。



 ――未来を照らす光 僕だけが創りだせるその光

   でも僕にはわからない 光の為に失う時間

   誘惑に負ける僕に 言葉の刃が降り注ぐ

   存在しない未来に 命を削る意味はあるのだろうか――



(……私のことみたい。全部当てはまっちゃうよ詩さん)

 少女は、自分のことを歌われているような錯覚と多少の驚きから、心の中で苦笑する。



 ――でもやるんだ 僕は未来を信じて 今を生きるんだ――



(未来を信じて……今を生きる……)

 少女はいつの間にか詩の瞳を見つめていた。声とリンクするような詩の澄みきった瞳に吸い込まれるように、少女の思考は消え、歌に聴き惚れていく。


 ◆


(やっぱいい曲作るなぁ詩さん。俺のすさんだ心の薬になってくれるといいんだけど……)

 詩を囲む老若男女の中の一人、二十六歳の男の心には覇気がない。なんとなく大学へ進学し、世の中の流れからなんとなくシステムエンジニアという職業を選んだ若い男は、後悔の念と退屈な日々に、生きる意味を見失っていた。

(会社員四年目か……。まさか大人の世界がこんなにつまらないものだとは思わなかったな。高校の時の夢、なんで貫かなかったんだろうな。美術関係の専門学校にでも行けばよかったろうに……なにやってんだろ、俺……)


 若い男がうなだれる中、詩の新曲は一番を終えていた。サビへ向かわず短い間奏を挟み、二番のAメロに入る。



 ――僕の選んだ道は 間違っていたのだろうか

   溢れかえる夢追い人 必死に未来を模索する

   あん蜜のように甘い 可能性に満ちた都会だけれど

   そこは冷たい風しか吹かない 操り人形の街――



(そうそう、都会って本当に冷たいんだよな。一人ひとりが刺々しいって言うかなんていうか……。詩さんいい歌詞作るよ。でもさ、今の俺に当てはまり過ぎて辛いなぁ……)

 若い男は詩を見つめながら軽く溜息を洩らす。



 ――でもやるんだ 僕は夢を追い続けて 今を生きるんだ――



(夢を追い続ける……ね。今からでも夢に向かって頑張れって言ってるのか? 詩さん……)

 若い男の意識は、心のオアシスさながらの詩にわしづかみにされる。徐々に思考は消えていき、詩の声に酔いしれる。


 ◆


 詩を一番遠くから見つめる男は、一ヶ月後に結婚式を控えていた。

(詩さん。あなたと同い年の娘が早くも嫁に行ってしまうよ。見ず知らずの男に、私の一番大切な宝物を奪われる……こんなに辛い事だとは思わなかった……)

 四十七歳の男には、十九歳になる娘がいた。一人っ子である娘は、十九年の間、家族という小宇宙のムードメーカーだった。寡黙な両親との会話の起点は、いつも明るく元気な娘の声。早すぎる別れに、男は現実を受け入れられないでいる。

(結婚式が近づくにつれて娘と会話ができなくなっていく……。私はこれから何を糧に生きていけばいいのか……)


 魂が抜けたかのように立ちすくむ男の耳に入るのは、詩の奏でるピアノの音と、詩の歌う三番のAメロだけだった。



 ――同じことの繰り返しで 過ぎていく泡沫の日々

   僕の癒しはたった一つの宝物 生きる目的にすらなる

   待っていたのは必然の別れ 僕は目的を見失う

   言葉にできない虚無感 抱えて今立ち止まる――



(はは……詩さん。それは私に向けて歌ってくれているのかい? あつらえたように私の今を明示しているよ。私も立ち止まってしまった……)

 男は目を閉じ、何もかもが停止したような、そんな世界を感じ取る。



 ――でもやるんだ 大切な人を支えながら 今を生きるんだ――



(大切な人……。そうだな、まだ私を必要としてくれているかもしれない伴侶がいたっけな)

 男は目を開き、やわらかな表情を崩さずにメロディを奏で続ける詩を見つめる。時間とともに思考は溶けていく。


 ◆


 詩の視線は定まらない。どこを見ていても映るものは暗闇の世界。しかし、詩は自分に視線を送ってくれる暖かな存在を確かに感じ取ることができた。


 詩に思考を奪われた三人は、詩の作り上げたサビをただ待っていた。

 三番を終えて、サビへ向かう長めの間奏を紡いでいく詩。

 そしてトーンが落ち切った時、詩の声は静かにCメロを歌う。



 ――何度もつまずきながら歩く 僕だけに見える道

   答えは毎回違うけど いつだって未来は待っている――



 詩の指先は、サビへ繋ぐために今日一番の力強さで鍵盤を叩く。



 ――序盤に訪れる 未来へ募る不安と疑念

   前半に湧きだす 積み重なる辛さと後悔

   中盤に必要な 一歩踏み出すその勇気

   僕は一人だけれど いつだって何かに支えられている

   未来は焦らず待っているから

   みんなで今を生きるんだ――



(わたしはまだ序盤なんだ。そうだよね、まだ十五年しか生きてないもんね。みんなで生きる……詩さん、やっぱりわたし詩さんの歌う歌が好きだよ)


(前半か。だよな、人生八十年っていうし。確かに後悔ばかりだけど、今でも帰るべきところ……家族の支えだってあるしな。みんなで生きるって意味、なんとなくわかるよ詩さん)


(人生としては中盤を越えているかもしれないな。でも、そこから一歩踏み出せば未来は待ってくれている。詩さん、今日の歌は今までで一番心に響いたよ。ありがとう)


 詩は存分に余韻をもたせつつ、一つの世界に幕を閉じる。

 音が完全に止まった瞬間、辺りの雑踏や喧騒がなだれ込んでくる。同時に、歌い始めのゆうに五倍に膨れた人々から、詩に称賛の拍手が送られた。


「ご清聴ありがとうございます。この曲は、人生の中で立ちはだかる様々な壁と、それをなんとか乗り越えていこうとする、一人だけどみんなで頑張って今を生きていこう、そんな想いを込めて作りました。私は、みなさんの暖かいご声援に支えられて今を生きています。歌い終わった後に感じる幸せは、みなさんがくれるのです。今日も暖かく、また、私のために時間を割いていただき、本当にありがとうございました。詩でした」


 キーボードの前で深々と頭を下げる詩に、ひときわ大きな拍手が送られた。


 詩が機器の片付けを始めると、詩を囲む老若男女は散々と帰路へ着く。

 詩は手を止めて、特定の三人の後ろ姿に視線を移す。一人ひとり、しっかりと観察する。

 十五歳の少女。

 二十六歳の男。

 四十七歳の男。

 三人の後ろ姿に、暖炉のある部屋のような、橙の雰囲気が帯びていることを確認し、ほっとする。


 詩は目が見えない代わりに、人それぞれが持つ雰囲気を色で感じ取ることができた。そして、抱えている問題、悩み、不安など、詩の目には、そのすべての心情が流れ込んでくる。

 集まってくれる人々の中に、冷たい光……青白い雰囲気を持った人がいれば、歌でそれを払拭する。

 詩は、与えられた使命にも似た感覚で、次々に新しい歌を作り出してきた。

 今までも。そしてこれからも。


 片付けを終えた詩の目には、いつものように涙があふれる。

 それは詩が一番の幸せを感じている時だった。


 数分後に詩は歩き出す。立ち止まってくれた人々の中に、青白い雰囲気を纏った人が二人いたことを思い出し、抱えている悩みを頭の中で再構築する。


(次も来てくれるかな。ただの自己満足かもしれないけど、必ず橙色に変えてみせるから、また来てほしいな)


 小さめのタンカーを引く詩の後ろ姿が、通算百回目となる一曲路上ライブの終わりを告げる。

なんとなく気に入っている作品です。

今は詩なんてまったく思い浮かびません。

当時(二年半前)の思考が知りたいです(汗

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― 新着の感想 ―
[一言] こんばんは。汁茶です。 読ませていただきました。 とても雰囲気の綺麗な作品だと思いました。 ホントに詩的な作品です。 注文をつけるとするならば、(おそらく某所でも指摘されたかもしれませ…
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