1-8
「あ、陽菜ちゃん、どうぞ入って」とカンナが言ってスリッパを出してくれた。
「はい」と返事して後をついていくと、リビングに通された。
「朝ご飯は?」
「あ、はい。食べてきました」
「偉いわねぇ。朝ご飯食べるなんて」
「私はお茶だけでいいんだけど、朝のお茶の時間をご一緒してくれるかしら?」
「は、はい」
なぜ妖精さんがこんな家に居るんだろうと陽菜は不思議に思った。
普通の古い小さな家だ。
こういう人はもっと違う、広くて新しいマンションのモデルルームのようなところが似合うはずだ。
新しいマンションのモデルルームというのが実際にどんなところかわからなかったが、イメージとして陽菜はそう思った。
カンナは紅茶を用意しながら、何を話して良いかわからなかった。
そのうち自然に話せるかもと思って、無言で紅茶を淹れる。
「こっち来る?」と陽菜をダイニングテーブルに誘った。
「はい」と言って素直に移動してきた陽菜を見ると、どこからみても田舎の中学生だ。
丸い顔に黒いストレートのせみロングの髪。
ただ、肌がつやつやしているのとこぼれそうな目が可愛さを出していた。
少し手をいれてやれば可愛いお嬢さんになるだろう。
「陽菜ちゃんって呼んでいいかな?」
「はい」
「私は小野寺カンナといいます。聞いたとおりあなたのお父様と同級生だったのよ」
「信じられません」
「あはは、それは私が若く見えるって言ってくれてるのかな?」
「はい。パパはどうみてもオジサンですし・・・」
「ほんとうなのよ。それよりも私のことはカンナって呼んでちょうだいな」
「はい、カンナさん?ですか?」
「うん、それで良いわ」とにっこりカンナが微笑んだ。
陽菜は思わず見とれて、顔が熱くなるのを感じた。
そんな陽菜を小動物みたいで面白いと思いながら、カンナは話を続けた。
「今日はね、宅配を待ってるの」
「そうだったんですか」
「注文してたものが届くのね。で、陽菜ちゃん、嫌じゃなかったら、運んだり組み立てたりするのを手伝ってくれないかな?」
「はい。良いですよ?」
「そう、助かるわ。午前中に届くはずよ」
陽菜はコクリと頷いた。
「この家は私と両親が住んでいるの。
今日は父が母を迎えに出かけていて、午後になれば戻ってくるはず。
帰ってきたら賑やかになるから覚悟しておいてね」
「はい」
「母はね、祖母が病気なので看病に行っているのよ。
今日は久しぶりに家に戻ってくるので、たぶんすごくテンションが高くなるはず。
なので覚悟しておいてね。静かだった生活も今日で終わり・・・」
「はぁ」
「あぁ、テンションって興奮するってことね」
陽菜が頷くと、「陽菜ちゃんのお母様って静かな方なの?」とカンナが聞いた。
「いえ、口うるさいです」
「よかったわ。うちの母親だけが五月蝿いってわけじゃないのね。
でも、たぶん陽菜ちゃんのお母様より10倍くらい五月蝿いから、我慢してね」
と真面目な顔をしてカンナが言うので、陽菜も真面目に頷いた。
「あら、可愛い指ね。ちょっと見せて?」とカンナは手を出した。
おずおずと陽菜が手を差し出すと、その手を取ったカンナが、「これ、マジックで塗ったの?」と聞いた。
「いえ・・」と陽菜が首を横に振ると、「マネキュアなの?」と聞くので、今度はコクリと頷いた。
陽菜は急に自分の爪が恥ずかしくなった。
陽菜が手を引っ込めないようにしっかり握ったカンナの指は、とてもきれいな飾りがついていた。
揃えられ、きれいな色に塗って模様が描かれている。きらきら光る石も乗っていた。
「マネキュアどこで買ったの?」と聞かれたのだが、答えられないでいると、「コンビニ?」と聞かれたので再び頷いた。
カンナは「ちょっと待っててね」とバタバタとどこかに走って行き、すぐに戻ってきた。
「私ね、子供も居ないし妹も居ないので、あまりこういうことはやったことないんだけど・・・」と言いながら、手に持ってきた箱を開けいくつか小さな小瓶を出した。
「これなんかどうかな?」と言って、淡いピンクのマネキュアを差し出す。
「それともこっちも良いかも」と2~3個勧めてくれた。
「この色に塗ってみていいかしら?大丈夫?」と言うので、「はい」と小さな声で返事をすると、
コットンに匂いのする液を染込ませて、陽菜の爪の上をそっと撫でた。
二回目は少し強めに擦っている。
「このくらいじゃないと取れないわね。ほら、きれいに取れた」と言ってカンナは満足そうに笑った。
「じゃ、陽菜ちゃん、自分でやってみる?」とコットンを差し出されたので、陽菜は頷いて受取った。
コットンは好きなだけ使っていいからと言われて、全部の爪を擦り、黒いマネキュアを全部取った。
「じゃ、こっちに来て」と洗面所に案内されて、手を洗い、またリビング戻った。
「今度はこれを使うからね」とヤスリで爪を整えてくれる。
カンナから流れてくる甘い匂いにうっとりとしながら爪を任せてしまった陽菜は、もうどうなっても良いと夢心地だ。
やがて透明感のある薄いピンクに染まった陽菜は自分の爪を見て、「きれい・・」と呟いていた。
「今は春休み中だからいいけど、学校が始まったらこういうのはダメだからね」とカンナから念を押されて頷くしかなかったが、とりあえず今はこれで充分だった。
突然、ドアのチャイムが鳴って二人ともびっくりした。
宅急便をすっかり忘れていたのだ。
荷物の伝票に受取り印を押しながら、カンナは取って置きの笑顔で、「今、他に人が居なくて・・・。できたら二階に置いてもらえないかしら?」と配達員に頼むと、二つ返事で全部の荷物を二階に運んでくれた。
カンナに頼まれると誰も断れない。
陽菜はこの人も一緒だなと荷物を運んでいる配達員を見ながら思った。
「よかった。全部揃ってる」カンナは二階の廊下に置かれた箱を確かめてそう言った。
「一体何なんですか?」と陽菜が聞くと、「ふふふ、私の遊び道具よ」とカンナが言って、「でもこの箱よりも今は陽菜ちゃんのほうだな・・・」と振り向いて頷いた。
陽菜は何のことかわからなかったが、「ダイニングで待っててね。すぐに行くから」というカンナの言葉に促されて階段を下りた。
そう時間を置かずにカンナもダイニングに来たが、手になにかを持っている。
「陽菜ちゃんはまだ若いから、ファンデーションは必要ないのよ。
でも、日焼け止めは塗ったほうが良いわ。ソバカスができると困るからね」
ボトルを何本かと鏡をダイニングテーブルの上に置いてから、カンナは陽菜をキッチンのシンクに誘った。
「顔を洗うときは何を使ってる?」そう言って、石鹸の泡立て方、顔の洗い方を陽菜に教え、やってみろという。
陽菜が教えられたとおりに顔を洗うと、次は化粧水をつけ、日焼け止めクリームを塗ってから透明のリップを差し出す。
少しピンク色がついているので、塗るとプルプル輝いて見えて、それだけで陽菜は幸せな気分になった。
「鏡を持っていてね」とカンナは言って、睫毛をくるんとさせるためのビューラーの使い方を教えてくれた。
最後に「目を閉じてて」と言い、眉を少しだけ整えて陽菜への美容講座は終了した。
「目を開けて良いわよ~」とカンナが言ったので、おそるおそる鏡を見てみると、ほんの少しのことで数段可愛い自分が映っていた。
「うわ~!凄いです、カンナさん!ありがとうございます」
「それはね、陽菜ちゃんが元々可愛いからよ」そう言ってカンナも微笑んだ。
「眉は自分でカットしちゃだめよ。切りすぎると取り返しがつかないから」とカンナは注意を与えた。
「は~い」と陽菜は返事をして、洗顔やビューラーの使い方を忘れないように、家に帰ったら練習しようと思った。
「さて、二階の箱を開ける前に、エネルギーの補給をしましょう。一緒にカレーライス食べない?」とカンナが誘って、一緒にお昼ご飯を食べることになった。
ダイニングテーブルにランチョンマットを置いて、スプーンとフォークが出されたので、陽菜がそれをマットの上に並べた。
「作っておいたから、温めるだけなの」と言って、カンナは白いお皿にカレーライスを盛って、冷蔵庫から小さなサラダを出した。
「美味しいです」と陽菜が言うと、「ありがとう。一緒に食べると美味しいわね」とカンナが微笑んだ。
食べ終わったあとは、二階に上がって二人で箱を開いた。
大きな箱や小さな箱のなかをひとつひとつ確認して、廊下に並べ、箱は必要なもの以外は全部潰して外に出した。
そうしていると、元気な声で「ただいま~」とカンナの母が帰ってきた。