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「ところで、そのお兄さんはどんな建物を設計したの?」
「俺達が通っていた中学も兄貴のところだったなぁ。もちろん基礎は俺んところだったけど」
「へぇ」
「あ、市民病院も、消防署もだな」
「そうなんだ。消防署って本部の?」
「あぁ、そうだよ」
「ふ~ん。あの消防署って結構カッコ良いなと思ったんだわ」
なるべく気軽さを装って聞きながらもカンナは、あとで中学校と病院を見にいこうと思っていた。
「あ、それ見ていいか?」とカンナが持っているファイルを指差した。
「ええ、良いけど?言葉で説明し難いから、好きな建物とかインテリアの写真を集めているだけなんだけどね」と言いながらファイルを琢磨から見易いようにして広げた。
アプローチから始まって、玄関ドア、花壇、家の概観やインテリアの参考写真が丁寧に整理されていた。
「ほら、私っていろんなものの固有名詞を知らないから、ビジュアルで説明できるようにと思って」
と恥ずかしそうに頬を赤らめた。
そのファイルは素人の割にはよく出来ていた。
各スタイルが色別になっていて見易い。
さらにファイルの後半は硬質な素材とテキスタイルに別れていた。
日本のものだけに限らず、海外の写真もあった。
「よくまとまっているじゃないか」とざっと見て琢磨が言うと、
「暇だから」とだけ言ってカンナがまた笑った。
琢磨はまた最初の土地の図面に戻り、「それにしても結構広くないか?ここ」と言うと、
「そうでもないよ。まぁ都会に比べたら広いかもしれないけど」とカンナが琢磨から戻された自分のファイルをパラパラと捲りながら答えた。
「家族で住むのか?」
「ん~~、どうなるのかな。親は今の家があるし、いずれは親の面倒見るのかなと思うけど、当分は私一人だと思う」
「そうか」とだけ言って、琢磨は携帯電話を取り上げた。
「兄貴?今良いか?」と琢磨は一級建築士の兄に電話した。
琢磨が電話を終えると、カンナは嬉しそうにニヤっと笑った。
机を回り込んで、名刺を一枚出す。
カンナはその名刺を大事そうに受け取って、「じゃ、家に帰ったら電話してみる」と言った。
「あぁ。今も聞いていたとおり、ほんとにつなぎだけとったから、あとは自分でやってくれ。まぁ、心配してないけどな」
「はい。自力でなんとかしますわ。秋吉君に連絡取るのはかなりあとになると思うけど、気長に待ってて」
いつのまにか秋吉社長から秋吉君に変わっている。
20年少々会ってなかったことを感じさせず、同級生の会話になっていた。
「そうだ、お前の電話番号聞いておこうか」
琢磨がそう言うとカンナは素直に頷いて、電話番号を交換した。
「とりあえず、名刺も渡しておくね」とカンナから差し出された名刺には名前だけが印刷されていた。
裏を返すと、小さく住所と電話番号が書いてある。
「とりあえず連絡先が必要かと思って、急いで作ってきた」とカンナは言った。
「んじゃ、俺の名刺も渡しておくわ」と言って琢磨が名刺を出すと、「サンキュー」と小さく言ってカンナはそれも大事そうにバッグに仕舞った。
「そういえば同窓会とか来てないな。他にも4~5人では集まることあるんだよ。連絡しようか?」と琢磨が言うと、
カンナは少し考えていたが、「一応、まだ当分はそういうのいらないかも・・・。あまり覚えてない人が多いんだよね」とやんわり断ってきた。
「いや、滅多に無いし、そのうちってことで」と琢磨もあまり勧めずにおいた。
正吾が言っていたようにカンナが離婚して戻ってきたのなら、しばらくは誰にも会いたくはないだろう。
カンナが車を運転して出て行くのを見送りながら、お互いに個人的な近況を尋ねなかったことに気がついた。
カンナは設計士を紹介して欲しいと言って、兄貴の名刺を持って帰ったわけだから目的は果たしたことになる。
そんなものかと琢磨は思ったが、そういえば携帯番号を交換したのを思い出した。
ただ、カンナには用がなければ電話をしてはいけないような気がしていた。
上着を取り上げて車の鍵を確かめた。
「現場に行って来る」と事務員に言残して、もうすぐ終了するはずの工事現場に向かった。
現場に到着すると、琢磨の右腕として働いている玉置が寄ってきて状況を説明する。
4月から年度替りになるので、今月中に終わらせないといけない工事だ。
納期に遅れるとつぎの公共工事を取るのは難しかった。
ひとつひとつに頷きながら現場を見渡していると、電話の着信があった。
長兄の満からだった。
玉置に手を上げてから少し離れて電話に出た。
「さっき電話で言っていた女性から電話があったよ。小野寺って言ってたけどその人だろ?」
「あぁ、同級生だったんだ」
「一応、話を聞くことになった。来週、事務所に来ることになったよ」
「そうなんだ。まぁ、適当によろしく」
「わかった。ところで、どのくらいの大きさになりそうなんだ?」
「忙しいの?兄貴は」
「これから着工のを1つ抱えてるくらいさ」
「ん~~。土地の図面を見ただけだけど、あ、写真も見たけど。
楽な形状をしている。ただ、結構広いよ」
「そっか。で、どのくらい?」
「家の大きさはわからんが、土地は、5000㎡は軽くある」
「え?」
「坪だと1500ちょいだ」
「ふ~ん」
満はしばらく考えこんでいた。
「電話をかけてきた女性が施主か?」
「うん。そのようだ」
「大丈夫かな?」
「それは兄貴が調べろよ」
「いいのか?」
「同級生だったんだから、俺は調べたくないよ。財布の中まで見るのは失礼だろう」
「お前が失礼ってのは・・・笑える」と満はほんとうに笑った。
「ただ、今日小野寺に会ったけど、服装は半端じゃなかった」
「ほお」
「兄貴も会えばわかるよ」
「そうか」
「じゃ、現場なんでもう切るよ。調べてヤバそうだったら知らせてくれよ」
「あぁ、わかった」
「じゃぁな」と言って、兄貴からかけてきた電話だったが琢磨のほうから電話を切った。
琢磨は、カンナの華奢な手首にまるで腕の一部のように付いていた腕時計のブランドを知っていた。
最高級車が軽く買える値段のはずだ。
兄貴は念のためにカンナの資金背景を調べるだろう。
それは仕事を引き受ける前に必ずすることだ。
琢磨はただその役を自分がしたくなかった。
現場での確認が終わって帰り道に、携帯にメール受信の知らせがあった。
事務所に車を停めて、携帯を開けるとカンナからのメールだった。
『今日はありがとうございました。さっそく秋吉設計さんに電話して、来週アポがとれました』とだけのメッセージだった。
カンナらしいと思いながら琢磨は車を降りた。
琢磨の会社は、以前は秋吉組と言っていた。
それを父が時代の流れだと言って秋吉土木建築株式会社に変えたのだが、琢磨は近々社名を変更しようと思っている。
兄のところが秋吉設計建築事務所なので紛らわしい。
それに、引退したといってもまだまだ元気で、とんでもないことを言い出す父親への牽制もあった。
いろんなことを考えていると職人たちが帰ってくる時間になったらしい。
事務所がにわかに騒がしくなった。
玉置を呼んで、工事の終了日を言い渡す。
「来週の火曜日にあげてくれ」と琢磨が言うと、「キツイですよ、火曜日は」
「日曜日もやれるだろう?」
「そりゃやれと言われればやりますけど、皆はどうかな・・・」
「3月末が忙しいというのはわかっていることじゃないか」
「はぁ・・・」と即答しない。
「俺から言えばいいか?」
「そうしてもらえると助かります。若の命令だったら皆やりますよ」
「若は止めろって。せめて社長と言え」と笑いながらロッカールームに移動した。
「皆、聞いてくれ!」琢磨が声を出すと、皆一斉に琢磨のほうを見る。
「これから完成までは酒は禁止だ」
「え~~~、そんな~」「横暴ですよ~」「酒抜きとは人生まっくらだ」とか口々に騒ぎ始める。
「いつものことじゃないか」と琢磨が笑いながら、「来週火曜日までに今の現場を終わる」
「ひえ~、マジですか?」「やっぱり・・・」「3月だもんなぁ」といろんな声が上がる。
年度末恒例のことなので、従業員もすでに半分諦めモードだ。
「少々無理してもらわなければならない。そういう時は事故も起き易いので、充分に注意してくれ。詳細は玉置が言うから」
まともな返事をする者は誰もいなかった。
「その代わり、終わった日は食べ放題、飲み放題だ!」
「やった~!」「頼みますよ~!」「抱き放題もつけてくれ~」と勝手なことを言っている。
「工期はずすと、次の仕事が来ないからな。飯のため家族ために頑張るように!」と言い置いて、あとは玉置に任せて琢磨はロッカールームを出た。
翌日からは琢磨も現場に出た。
ほとんどは監督仕事なのだが、手伝えるところは手伝うことにしている。
そして皆が休日出勤している日曜日、琢磨は妻と長女を車に乗せて空港まで送っていった。
東京の大学に入学した長女の住まいや身の回りを整えるため、早めに上京するのだそうだ。
街から電車を乗り継ぐより、車で1時間半ほどの空港まで行ってそこから飛行機を使ったほうが断然早いのだ。
妻は車の中でずっと東京のデパートの話をしていたが、最後に琢磨に長男と次女の世話を頼んだ。
どうやら2人の子供たちのことを忘れていなかったらしい。
「はいはい」と苦笑しながら返事を返した琢磨だ。
長女と妻のチェックインを終え、売店などを見ている二人の後ろをぶらぶらと着いて歩いているときだった。
スレンダーな良い女が居るなと思ったら、カンナが何か品物を手にとって見ていた。
箱をレジに持っていって会計を終えたカンナが振り返った時、琢磨と目があった。
だが、二人とも声をかけなかった。
ほんのかすかに頭を下げたカンナはそのままターミナルの出口に歩き出し、琢磨は長女に「もう行くから」と言われて、妻と長女に向き直った。
二人を見送り、ターミナルの出口を出たところで、カンナがバス乗り場で時間表を見ているのが目に入った。