1-3
事務所の入り口がざわついたかと思ったら、ドアがノックされた。
「はい、どうぞ」と声をかけると、ドアが静かに開けられて、スレンダーな女が顔を覗かせた。
入っては来ずにドアのところに立ったまま、「秋吉社長さん?」と聞いた。
低めにゆっくりな電話で聞いた声だ。
「小野寺か?」
「はい。事務員さんに友達だからって案内を断ってしまいました」と笑った。
「びっくりしたよ。まぁ、入ってくれ」と言って琢磨は立ち上がり、ソファを勧めた。
カンナは、「差し支えなかったらこっちのほうが・・・」と言って、ミーティングテーブルを指差した。
「あぁ、どこでもお好きなほうに」と笑って琢磨もミーティングテーブルに近づいた。
カンナが座ってから琢磨も椅子を引いて座る。
「オバサンになったでしょ?」
「いやいや、変わってないのでビックリしたんだ」
「そんなことないわよ。やっぱりお肌は歳相応だわ」と言って、自分の頬に手を当てたカンナはどう見ても40歳を過ぎているようには見えなかった。
「俺もオジサンだよ」と琢磨が言うと、カンナは琢磨をじっと観察してから「良い感じじゃないの」と言った。
何故か琢磨はほっとした。
「もっとオジサン臭い人も居るもの」
「まぁ、仕方ないな。オジサンなんだから」
「オジサンとオバサンで仲良くしてね!」
「ああ。何年くらいになるんだ?」
「中学一年と三年のとき同じクラスだったから、、、かれこれ、何年かしら?」
「22年か、そのくらいだなぁ」
「じゃ、私は12年前くらいかな」と言って済ました顔をしている。
「おいおい、同級生なのにそれはないだろう」と呆れて笑ってしまった。
二人で笑っているところに、事務員がお茶を運んできた。
「先ほど、こちらのお客さんからお菓子をいただきました」と事務員が琢磨に報告した。
「気ぃ遣わなくていいのに」と琢磨が言うと、
「ちょうど東京から取り寄せたのがあったのよ。お口に合えば良いんだけど?」とカンナは事務員にニッコリ微笑んで声を掛ける。
「どうせ男性は甘いものをあまり食べないだろうから、貴女専用にと思ったんだけど・・・」とカンナが言うと、事務員は嬉しそうに「ありがとうございます」と言ってペコリとお辞儀をして部屋を出て行った。
「悪いな」
「いえいえ、今日も電話で気持ちよく取り次いでもらったし、これからも度々電話するかもしれないから」
よく見るとカンナには子供の頃の面影が残っていた。
年齢を言わなければ30歳後半くらい、よく見たところで40歳は超えてないと思わせる。
その若さが昔に近いような印象を受けたが、雰囲気は全然違った。
街で遠目に見かけたら、いや、つい先ほど部屋の入り口に立ったときでさえ、来ることを知らなければ初対面の女性だと思っただろう。
「ついでにこれを先に渡しておきます」と言って、カンナは紙袋を差し出した。
「何?これ」
「お酒は飲むんでしょ?」
「あぁ、飲むけど・・・」
「珍しい焼酎ってのがあったから持ってきたのよ」
「いいよ、そんなの」
「まぁ、そんなこと言わずに。私は焼酎を飲まないから、貰ってよ」
袋の中を見ると、カンナが言うようにほんとうに珍しい焼酎だった。
「これ、どうしたの?」と琢磨が聞くと、「友達が手に入るっていうので1本だけ買っておいたものなの」
「すごいな、これ」
「焼酎飲めるのだったら、遠慮なく納めてよ」と言う。
「でも、貰えないよ、こんなの」
「一口飲んでくれれば良いから。そうしたらこっちの思う壺なので」と言ってカンナはニヤニヤ笑っている。
「えっ?」
「あのね、こういうのでも貰ってくれないと頼み難いのよ」
「ほぉ?」
「そのうち、その焼酎だけじゃ割りにあわないって思うかもしれないんだし」
「ややこしいことなのか?」
「ん~~、全然ややこしくはないんだけど、今回の件は私がかなり我侭言いたいので。
先に賄賂を渡しておきたいのよ」と言ってカンナは苦笑した。
「そうなんだ」
「うん。そうなのよ。
こっちに家を建てるのを迷ってんだけど、時間もあるし、やってみようかなと思って。
でね、なんかもうあまり妥協したくないなぁって思ってて」
「ふむ」
「電話でも言ったように、こちらにはあまり知り合いが居ないというのと、
私が建築に関して素人だということ。
なのに思い通りのものを作りたいと思っている。
私と現場の間にプロが入る必要があると思うんだ」
「なるほど。充分にややこしそうだな」
「でしょ?だから、それは話を聞いてくれるだけでも貰っていただきたいの」
カンナは琢磨の顔をじっと見て返事を待った。
「わかったよ」と、ようやく琢磨が承知した。
お茶を一口飲んで、その湯飲みを横に置き、カンナは「じゃ、簡単に説明して良いかしら?」と言いながら鞄のなかから紙を取り出した。
琢磨も椅子に座りなおした。
まず、カンナは図面を一枚琢磨に渡した。
「これは土地の・・・見取り図っていうの?よくわからないけど。
そこに住所が書いてあるわ。広さもそこに書いてある
建物と造園も含めて考えているから、それぞれの設計図が出来上がってから基礎にとりかかるので、実際の着工はまだまだ先の話になります」
「うん」と相槌を打ちながら琢磨は図面を見た。
「これって、隣街だよな?」
「そうそう、高速に案外近いところよ」
「インターの手前を回り込んでちょっと行ったところだろ?」
「わかる?」
「あぁ、あの近所の道路作ったから」
「高速道路も関わってたんでしょ?」
「あぁ」と琢磨が認めると、「やっぱりね」カンナは頷いた。
「まぁ、時間のあるときに一度見ておいてよ。ついでがあったらだけど」
「わかった」
「私がどうしてここに電話したかと言うと、公共工事もたくさん経験があって
しかも信用できる仕事をするからなの」
「ほぉ。なぜわかる?」
「中学の同級生だもの」と言ってカンナが笑った。
「例えば、工事中に起こりうるいろんなことを考えるとね・・・」とカンナは一息ついた。
「基礎の鉄筋、っていうのかな、鉄のワイヤーを組んでコンクリートを流すでしょ?
そのときに、ゴミとかも混ぜちゃう人がいるんだってね。
タバコの吸殻とかコーラの空き缶とか・・・いろんなものが落ちちゃうらしいんだけど」
カンナはニヤニヤしながら話している。
「貴方ならそういうところにまでちゃんと気を配ってくれるような気がする」
「それは当然だろ」と言って琢磨は、「同級生なんだから。特別サービスで空き缶が落ちないようにすればいいんだろ?」とニヤリと笑った。
「ありがと。じゃ、これで土木関係の業者は決まったわね」と言いながら、カンナは椅子に座りなおした。
「さて、肝心の建物なんだけど、設計だけ東京の建築家に作らせてもいいかしら?」
「あぁ」
「その場合、いわゆる普通じゃ考えられないような図面が来ても大丈夫?」
「ちゃんとした設計図さえあれば、その通りに作ればいいんだから楽だよ」
「ひとつ私が躊躇しているのは、有名な建築家の先生って施主の言うことを聞いてくれないのよ・・・ね」
「あぁ、そうだな」
「自分が建てたいものを作るから、私の意向は・・・まぁ、聞いてもらえないことが多い」
「そんなものじゃないか?」
「そうなのよ。そんなものなのよね」
カンナは言葉を選んでいるようだった。
「私にもプランっていうものがあるんだから、この田舎でも、比較的しっかりした建築の経験者で、ある程度施主の意向にも耳を貸してもらえるような設計してくれる人は居ないかしら?」
「う~~ん」
「ついでに造園家とも連携してる人が居ればいいんだけど」
「連携してなくても、ちゃんとやる人は居るよ」
「まぁ、それはそうなんだけど。私としては自分で切ったり叩いたりできないから、工事が始まる前に打ち合わせを充分にしておいて、実際に始まったらあとは待ってるだけってのが望ましいんだけど・・・」
琢磨は黙ったまま考え込んでいる。
もちろん琢磨には建築家でも設計者でも、何人も知ってはいたが、果たして最後までこの施主を扱いきれるのかどうか、相性が良くないと最悪の事態も予想できる。
「できれば、役所とか学校とか、ある程度大きな建物を作った経験がある人がのぞましいわ」
「う~~ん」
「お茶のおかわりをいただいていいかしら?」とカンナは首をすこし傾けてニッコリと微笑んだ。
入れ替えてもらったお茶を飲みながら、カンナは思い出したように言った。
「この会社、貴方が継いだのね。お兄さんが居たと思ったけれど」
「あぁ、兄貴は土木は嫌だって設計のほうやってる」
「家の設計?」
「あぁ、一級建築士だ」
「兄弟で組んでやることも多いの?」
「土木は入札の仕事が多いからな。でもたまに同じものを手がける時もあるよ」
「そうなんだ。お兄さんって学校とか建てたことある?」
「あぁ、結構やってる」
「そっか」とカンナも考え込んでいるようだったが、
「お兄さんの会社に打診してもらえないかな?」と言った。
もしかしてコイツは初めから兄貴を紹介してほしかったのかな、と琢磨は一瞬勘ぐった。
「打診じゃなくても、紹介だけしれくれたら後は私から電話するけど?」とカンナが言った。
それにはすぐに答えずに、図面を見て、「これって結構広いな」と言った。
「ま、現地を見に行けばわかるけど、写真もあります」と言って、カンナは一冊になったファイルを取り出した。
数枚の写真を見せながら土地の説明が続く。
「このように一部は宅地になっていて古い家が建ってるから、この場所をメインにできるけど、他には一応同じ宅地で登記されていても畑になっている部分があるの」
角度を変えた写真を見せながら、「全体の傾斜はこちらに流れてて・・・、6mの道路に面したほぼ平坦な土地だから工事は簡単よ」と人差し指で写真の上をなぞりながら説明していく。
細くてしなやかな指だ。爪は適度な長さで綺麗な色に塗られていた。