2-20
東京に到着したカンナを待っていたのは、元夫の更なるスキャンダルだった。
DNA鑑定で、生まれた子が達哉の子供でないとわかり、達也が離婚を切り出すと新妻は行方をくらましたと世間を騒がせていた。
他に大きなニュースもないせいか、達哉たちの話題が毎日のようにテレビを賑わせていた。
もちろんカンナのところにもいろいろなメディアから取材の申し込みがあったが、
他人様の家庭のことには何も言うことなどないと取り合っていなかった。
DNA鑑定のことしか情報が出てなかったが、メディアには出していない達哉が受けた不妊検査の結果をカンナは入手していた。
やっぱり達哉は無精子症だった。
以前、カンナが不妊治療をうけた時、カンナのほうは不規則な生活のために生理周期が乱れることがあっても子宮には異常は見られなかった。
医師は夫である達哉も検査を受けるようにと言ったが、達哉が頑として拒んだのだ。
カンナは心の隅にそのことがずっと引っかかっていた。
達哉とカンナの離婚に際して、達哉の両親からは子供ができなかったカンナに非があり、
他所の女に子供を作った達哉は悪くないと言われたことが思い出された。
カンナを離縁して妊娠した女を嫁に迎えるのは当然のことだと言うことだった。
あの両親は今頃どんな気持ちなのだろうかと考えたが、どうせ自分達の言ったことは忘れているのだろうと思うとカンナはため息が出る。
騒がしい東京を離れたかったが、今は離れる時期ではなく巻き返しの時期だ。
達哉の会社からの営業妨害はほとんど無くなっていた。
スタッフが慌しく動く中、カンナは静かにその時を見ていなくてはならない。
油断のできない時期だった。
毎日のように会議を繰り返しながらも、スポーツ新聞や週刊誌、ワイドショーは欠かさずチェックをしていた。
少しずつ達哉の元社員や友人知人のコメントが掲載されるようになった。
夫婦間のネタに尽きてきたので、次は達哉個人への中傷や疑惑でスキャンダルを膨らませるらしい。
最近はインターネットでの流布も早いので、いたるところにコメントが入り始めているとカンナは報告を受けていた。
そういう時期に、琢磨の兄からプランがいくつか出来たので一度見てもらいたいとメールが届いた。
あと数日で達哉のほうに何か動きがありそうだ。
Xデイには同じ東京に居たくなかった。
ちょうど東京を離れる良い口実になる。
「2~3日、実家に帰って良いかしら?」カンナが秘書にそう聞くと、
「電話とメールさえできる所でしたらよろしいですよ」と言うので、満にアポをとってから出掛けることにした。
着替えも化粧品も実家に置いてある。
ハンドバックとラップトップだけを持って、翌日には東京を離れた。
琢磨の兄、満とのミーティングを前日に控えた夜、田所から電話がかかってきた。
「どうですか?ご実家は。のんびりされてます?」
「おかげさまで。東京のほうをお任せして申し訳ないわね」
「いえいえ、仕事ですから」
そんな他愛の無い挨拶のために電話を寄越すような田所ではない。
カンナがいつ東京に戻るつもりなのか聞きたかったようだ。
「明後日以降でしたら、いつでも必要なときに戻ります」とカンナは答えた。
「そうですか。もしかしたら2~3日で戻っていただくかもしれません。
こちらのほうはたぶん明日になりそうですから」
最後にそう言って田所は電話を切った。
それでカンナにはわかってしまった。
明日は朝からもう一度別れた元夫をテレビで見ることになるだろう。
元夫、達哉は羽振りの良さに任せていくつかの会社を興していた。
カンナには言わないで資本を投じたものもある。
しかし、安直に作ってそう簡単に軌道に乗る会社などありはしない。
健全な経営構造の会社もあったが、非常に不透明な会社もあった。
これだけスキャンダルで有名になった達哉を、税務署がほおっておくはずはない。
査察が入れば、カンナのところにも問い合わせが来るだろう。
この時のためにカンナは準備をしていた。
火の粉を振り払うだけでなく、事態を収める計画はすでに完成され、あとは実行だけなのだ。
カンナはすでに達哉の会社を吸収する計画を立てていた。
カンナは立案だけで個人の資本を使うわけではない。
会社が動くので実際は関連会社の社長と弁護士の仕事になる。
使えない会社は切り捨てて、価値のある会社と人材を取り込んで更に大きな会社にしようとしていた。
今更達哉の会社に係るのはどうかと思ったが、他の誰かがやるなら自分がしてしまおうと思ったのだ。
IT企業の再生である。
最初、腹心の部下達に計画を話したときは皆が驚いた顔をしたものの、さすがに計算の速い人ばかりである。
一瞬あとは空気が熱くなり、皆の気分が高揚するのがわかった。
思考の途中で琢磨から着信があったが、それを確認するだけで電話には出なかった。
着信はやがて留守電に変わった。
琢磨のメッセージは明日の朝聞こう。
その夜は誰にも自分の時間を邪魔されたくはなかった。
翌朝、午前中に予定した打ち合わせにカンナが家を出ようとした時、
テレビニュースで達哉の本社に査察部ご一行様が入っていくシーンが映った。
父がそのニュースを唖然と観ていた。
カンナは出そうになる深いため息を飲み込んで、「また東京に戻るから」と父に声をかけた。
「お前も関係してるのか?」
「いいえ、あれは達哉の会社だもの。うちは関係ないわよ」
父は何も言わない。
「でも、会社を分けたのはほんの数ヶ月前だから問い合わせは来ると思う」
「信用していいんだな?」
カンナが頷くのを見て、父はテレビ画面に顔を向けた。
そんな父の背中にカンナは「パパ、車借りるわね」と声をかけて家を出た。
運転中にも田所と秘書から相次いで電話が入る。
これから始まる1~2年のプロジェクトだと思えば良い。
カンナは報告を聞きながら車を駐車場に停めた。
設計事務所では琢磨の兄、満が3つのプランを作って出迎えてくれた。
満のスタッフも同席してプランの説明を聞く。
インスピレーションというものがある。
カンナは3つのプランのうち1つを直感的に選び、それについてカンナは遠慮せずに質問をぶつけた。
満も満更ではなさそうだったので、きっとそのプランが一番自信があったに違いない。
カンナの質問に澱みなく答え、プレゼンテーションをしていく。
メリハリのある展開はなかなか手馴れているようだが、それ以上に満の熱意というものを感じた。
それにカンナが選んだプランは琢磨もきっと気に入るだろうと思った。
コンクリート打ち放しと無機質な素材をメインに構築していくそのプランは、琢磨の出番が多そうだ。
アクセントに自然素材を使うので、斬新な中にも温かみを感じる住み心地になるに違いない。
朝出掛けに気の重いニュースだった今日のスタートを考えると、カンナの気分が上向いてきた。
打ち合わせがそろそろ終わりに近づいた頃、スタッフが満に伝言を持ってきた。
「小野寺さん、終わったら琢磨が電話欲しいって言ってきてます」と満がカンナに伝えた。
そういえば琢磨の留守電を聞いたのにそのままになっていたことを思い出す。
「はい。あとで連絡しておきます」とカンナが答えると、満は頷いて打ち合わせを続けた。
設計図に入る前に契約をしなくてはならない。
いくつかの条件を話し合ったあと、カンナの弁護士が契約書を作ることになった。
特に条件を出したものがいくつかあるが、満が決断しなくてはならなったのがカンナのプライバシーの問題である。
カンナの家を建築するに当たって、事務所内で記録のための写真保存は良いがそれを公表することは出来ないというものだ。
通常の家ではない。満は久しぶりにやる気が出ていて、良い作品を残す気持ちで挑戦しようとしているのだが、建築雑誌等に掲載できないのは辛い。
カンナのほうは都会の有名建築家に頼みたくなかった理由のひとつが建築後の作品発表だった。
素晴らしいものが出来たらそれを業界に発表したい気持ちはわかる。
だが、どうしてもプライバシーは譲れないところだ。
カンナの決意もわかったのだろう。
満は短時間でそのことは諦めた。
それくらい魅力的なプロジェクトのように思えた。
満からもカンナに提案があった。
琢磨に、施工だけではなく琢磨の作業部分が終わった後も施工管理をさせてはどうかと言うものだ。
よく考えてみるとなるほどと思う。
ほとんどの部分は土木業者の仕事になるかもしれない。
さらにカンナは建築場所には近寄るつもりはなかった。
「施工管理料が通常と同じであれば、そちらで分けていただいて構いませんよ」とカンナが言うと、満は「そう来ましたか」と笑った。
「では主に外側は琢磨に、全体と特に内側は私が管理しましょう」と言った。
「どうですか?正午も過ぎてしまいました。
近所で軽く昼食をいかがですか?
その後で、琢磨が参加できるといえば、午後から3人で話を詰めませんか?」と満が提案する。
「はい。わかりました。お時間は大丈夫なんですか?」とカンナが聞くと、
「他の物件はスタッフがやっていますので、私は小野寺さんのだけに専念してます」と言うことだった。
「では、ちょっと洗面所をお借りできますか?秋吉君にも電話で聞いてみます」とカンナは断って離席した。
素早く身だしなみを整えて、携帯電話を取り出すとひと呼吸してから琢磨に電話をかけた。
 




