2-17
シャワーを浴びた田所の髪はまだ乾いていなかった。
すぐに乾くといって、ワインをグラスに注ぎ、カンナに渡してくれる。
整えてない髪を手で梳く仕草は、普段より田所を若く見せていた。
「GPSはオフにした?」
「あぁ、事務所を出るときに止めたよ」
「流石ね!」
「気休めかもしれないが、まぁつけてるよりはマシかなと思って・・・」
「完璧には無理よ」
「あなたの会社の仕事もするようになって、これでも知識は増えたからね」
「何事も完全というのは無いとわかればいいのよ」
「そのとおりだ」
二人は黙ってワインをもう一口飲んだ。
「東京のことが気になるかい?」
「ある意味ではね。タイミングを間違えないようにしないといけないから」
「うん。個人的な感情はどう?」
「不思議とあまり気にならないわ」
「元旦那やそれをネコババした女が憎いのかと思ってた」
「あら、憎んでるって思わせたことはあったかな?」
「いや、無かったから気になるんだよ」
「心の隅でせいせいしてたことは知ってるくせに」
そういうと田所は少し笑った。
「今回は火の粉を払うだけよ。
大人しく私のことなんか忘れてくれれば、日本全国に知られなくて済んだのに・・・」
「ヨーロッパも面白く話題にとりあげてるよ」
「そうなの?」
「だって、君たち夫婦はヨーロッパも長かったじゃないか」
「確かに・・・」
ヨーロッパへの進出も華々しかったからなぁとカンナは当時のことを思い出していた。
週末はずっとパーティで、他の日は同じような企業の奥様方と華やかなランチの日々。
ヨット遊びもお酒も覚えた。
「・・・カンナ」
田所が呼んでいた。
「こっち、戻って来~い」
笑うと童顔に見える顔がグラスの向こうで微笑んでいた。
「今夜は名前呼ぶよ?ここは安全だろ?」
カンナはこくりと頷いた。
セキュリティチェックはしてある。
外からも見えないようにガラスには特殊な細工を施してあった。
田所はもう一杯、ワインをグラスに注いだ。
「そうそう、先日、お見合いしたらしいね」とカンナが言った。
「どうして知ってるの?」と田所は慌てている。
「ふふふ、事務所にお邪魔したときにちらっとね」
「あちゃ・・・情報漏えいだな・・・」
「で?どうだったの?」
「可愛いお嬢さんだったよ」
「ほぉ、いいじゃない」
「可愛い過ぎるよ。まだ20歳だって」
「うわ~~~、それって、20歳の年の差じゃん」
「困ったよ、話題なんかないしさ」
「犯罪かも・・・」
「いや、笑い事じゃないって」
真面目に焦っている田所を見るのは楽しかった。
「でも、そろそろ焦ったほうがよいお年頃だよ?」
「ん~、ピンと来る女性が居ないんだよね」田所はため息をついている。
「まぁそのうちきっとぴったりの人が現れるよ」とカンナが慰めると、
「優しいお言葉、アリガトウ」と田所は言って笑っている。
「いいなぁ、いつでも自然体で」とカンナは心底そう思って言った。
「あなたは肩張りすぎだよ?」
「そう?」
「うん、僕からはそう見える」
「ふんっ、年下のクセに生意気ね」
「そんなの関係ないよ?」
「だってさ、私なんかほんと気持ちをしっかり持ってないと何もできないんだよ?」
「あなたは自分がわかってないよ」
「そう?わかってるから人に頼ってるんじゃない?」
「いや、違う。自分の魅力がわかってない」
「うぅぅ~~」
「ほら、もっと飲んで」
田所はワインをそれぞれのグラスに注ぐと、もうボトルは空っぽになった。
「ウイスキーはある?」と聞くので、
「どんな銘柄でもよければ少しあったはず」
「じゃ、これ飲み干したらウイスキーにするか?」
「そだね」
田所は凄くお酒が強い。
泥酔したのを見たことがなかった。ザルなのかもしれない。
カンナはというと、まぁ普通には飲めるが赤くなる体質なので外ではあまり飲まない。
今夜は久しぶりのアルコールだった。
田所は学生時代に飲んだ安物のウイスキーの話をいくつかカンナに聞かせて笑わせた。
くだらないバカ話が今のカンナには心地よかった。
ワインも全部飲み干したので、カンナは田所と一緒にウイスキーを探して氷とグラスを用意した。
ウイスキーのボトルをカンナに持たせ、田所はアイスペールとグラスを持って、
「そろそろ新しい情報が届いているはずだ。メールチェックするから、一緒に読もう」と言って、客室に足を向けた。
客室は広めに作ってあり、仕事ができるようにデスクと、それとは別にソファーセットも置いてある。
田所がデスクにノートブックPCを取り出して立ち上げている間に、カンナはソファーに座ってブラスに氷を入れた。
「水割り?ロック?」
「そうだな。今夜はロックにするかな」
じゃ、私もとどちらにもウイスキーを注いで一つを田所に手渡した。
何通かメールが届いていたが、その中で楊氏に関する中間報告とタイトルがあったので、田所の肩越しに一緒に読んだ。
「明日、本人に会うまでには追加情報が届くはずだから、これは保留だな」と言って、次のメールを開く。
「ミネラルウォーター取ってくれる?」と田所が言うので、部屋にある小さな冷蔵庫からボトルに入ったものを持っていくと、「ありがとう」と言って受取った。
田所はどんなことにもありがとうを忘れない。
別れた夫はあまりありがとうとは言ってくれなかったなとふと思い出す。
最初からに感謝の気持ちの薄い人だった。
思えば、一番最初はカンナが遊び心で始めたことだったのだ。
まだ今ほどインターネットが普及していなくて、手探りの状態だった。
たまたま英語が少し読めたので、まだ日本にはないプログラムやサイトを次々に調べて情報を得、小さなコミュニティサイトを立ち上げた。
その時に元旦那と知り合った。
その後しばらくして、カンナのなけなしの貯金を資本にして小さな会社を興し、今に至るってところなんだよ、とカンナはアルコールでぼんやりした頭で思い出に浸っていたようだ。
「眠い?」そう田所が聞いた。
「ん?ちょっと昔のことを思い出してた」
「そっか。大丈夫か?」
「うん。それよりも大事なメールはあった?」
「いや、取り立てて緊急会議をするほどのものは何も・・・」
「じゃ、平和な一日の終りね」
「そうだな」
田所はノートブックPCを閉じようとしていた。
「音楽変えようか?」
返事を聞かずにカンナはCDを入れ替えた。
こんな夜はバラードだろう。
低く掠れた男性ボーカルが部屋の空気を振るわせた。
田所がウイスキーを一口飲んだ。
ごくりと上下する喉をカンナが見ていると、それに気づいた田所が口を開いた。
「こっちに」と田所に呼ばれてカンナが近づくと、デスクに置いてあったノートブックを端にずらせて、カンナの手を取った。
もう一方の手を腰に添えるとあっという間にカンナをデスクに座らせてしまった。
「飲んで」とカンナにウイスキーを勧めるので、カンナは手に持っていたグラスから一口飲んだ。
田所は椅子の背にかけてあったネクタイを手に取り、「僕がなにを考えているかわかる?」と聞いた。
カンナは首を横に振った。
「ほんとうに?」もう一度田所が聞くので、今度も首を振ると、「どっち?」と聞いた。
「わかる」とカンナが言うと、田所は嬉しそうに、「いいかな?」と聞いた。
カンナはゆっくりと田所の目を見て頷いた。
ネクタイでカンナの目を覆って後ろで結ぶ。
「電気は消さないよ」と言う田所の声がカンナの耳をかすめた。
カンナは嫌々と言うようにふるふると首を横に振る。
「だめだ」と田所が言った。
「今夜は何も考えないで」と言いながら、ワンピースのフロントボタンをゆっくりはずしていく。
途中まではずしておいて、今度はカンナの足首を持って踵をデスクに持ち上げた。
「この体制、動かないようにね。今夜は全部見るから・・・」
どんな状態になっているのか考えると恥ずかしさが湧き上がってくる。
「見えないのに、何をそんなに赤くなってるの?」田所はいじわるくそうカンナに囁いた。
「お酒を飲めばいい。少しは恥ずかしさも薄らぐだろうから」
そう言って、カンナの顎を持ち上げ口移しでウイスキーがカンナの口に注がれた。
数ヶ月前、カンナの離婚が成立した日の夜、お祝いだと言って田所と食事に行った。
その後で、今夜はつらいだろうからそれを乗り越えるにはセックスが一番!
気にすることは無い。僕を利用すればいいんだと、田所はカンナを抱いた。
確かに田所とのセックスはしてよかったと思う。
田所の肌は手触りがよく、触れ合うのが嫌ではなかった。
しかもなかなかのテクニシャンでカンナを楽しませてくれた。
カンナは自分が魅力の無い女だとは思わずに済んだし、その後何日かは肌の張りが良いなと感じたくらいだ。
しかし、後にも先にも個人的に二人で食事をしたり一夜を過ごすのはその時以来だ。
離婚前の相談や打ち合わせも、その後も、たいていは田所の事務所だったり、カンナの会社で絶えずスタッフが居た。
二人きりになる状況はあえて作っていない。
デートするわけでもないから恋人の関係とはいえないだろう。
今流行のセフレという関係に近いのかもしれない。
そうは思ったものの、単にセックスだけが二人の間に存在しているというわけではないので、
実に奇妙な関係だった。
「余裕だね。何考えてる?」
前回のことを思い出してたとはとうてい言えなかった。
「前回のことは覚えているかい?それとももう忘れた?」
田所は冷たい指でカンナの首をなぞった。
首から徐々に指は下りて、みぞおちを過ぎ、おへそを過ぎ、わき腹を通って背中をゆっくりと上がってくる。
「前回なんて序の口だよ。今夜はそれ以上の夜にするから・・・」
そういうとカンナの口を塞いで舌を差し込んできた。