2-15
午後になって、隣の別荘の持ち主、楊が友達を伴ってカンナを訪れた。
中国元の高騰で羽振りがいいのかそれともビジネスが好調なのか、
血色の良いその人は盛んに楊に話しかけてニコニコしている。
隅々まで見るようなことはせず、ざっと見て気に入ったらしい。
ほんの少しだけ中国語が解るのをカンナは楊には言ってなかった。
黙って二人の会話を聞いていると、特にリビングからの景色が気に入ったようだ。
楊の友達はすごく買いたがっているようだった。
「楊さん、お友達はワインがお好きですか?」カンナは日本語で聞いてみた。
「はい、私の友達は皆ワインが好きだよ」と言うので、ワインセラーに案内した。
ここにはあまり来ることがないのでワインはあまり数は入ってないが、
カンナの思ったとおり、近代的な流行のワインセラーに目を輝かせている。
気がつくと楊がカンナをじっと見ていた。
「気に入ってくれたのでしょうか?」とカンナが問うと、楊は「間違いなくね」と答えた。
「幾らだったら売りますか?」
「それは、楊さんのほうから言ってください。その価格を聞いてから売るかどうか決めます」
楊はふっと笑った。
「決断は早いほうですか?」
「はい」とカンナは返事をして微笑んだ。
「では、後で連絡します」と楊が言うので、携帯の番号を書いて渡した。
楊のほうは名刺を取り出し、さっと手書きで番号を書いて、
「これが私の携帯です。弁護士さんにはこの番号に連絡してもらってください」と印刷している番号を指で示す。
次は手書きの番号を指さして、「カンナとお隣さんじゃなくなると寂しいです。
この番号を持っていてください。カンナはいつでも電話してください」
「はい。ありがとうございます」
「お隣さんじゃなくなっても、24時間オープンですからね」と念をおして帰っていった。
カンナは早速、東京の田所に電話をかけた。
「東京は大変な騒ぎになっていますよ」と田所は開口一番そう報告した。
「DNAだけではなく、本人も検査するらしいです」
「やはりね」
それ以上は二人ともその話題には触れなかった。
携帯電話では話せないことがある。
「ところで、お昼頃メールをお送りした件なんだけど、先ほど先方が見に来ました。
良い感触です。今日中にもオファーが入りそうです」
「そうですか。メールは読みました。一度そちらに伺ったほうがよろしいのでは?」
「そうなんです。来て頂けたら助かります」
「遅い時間になりますけど、宜しいでしょうか?」
「はい、助かります」
「では、私はこれから発ちましょう。中国語のできる弁護士は明日合流できます」
「それはよかった。あの方たちはいつもほんの2~3日しか滞在されないので、明日がリミットでしょうね」
「仮にでも合意さえしておけば、あとは中国に帰ってからで問題ないですよ」
田所は移動しながら電話をしているようだ。
「では、千歳でレンタカーを借りたら電話します」と、言って慌しく電話を切った。
しばらくすると楊から電話があった。
思ったとおり、お友達は買いたいと言っている。
提示された価格はカンナが思っていたよりかなり良い値段だった。
売りますという言葉をカンナは飲み込んだ。即答は避けるべきだ。
「少し考えさせてくださいね」とカンナは言った。
「良いお返事を待ってますよ。何時ごろ連絡いただけますか?」
「弁護士と話すのが8時ごろになると思いますので、その後で・・・」
「じゃ、連絡待ってます」
カンナは電話を終えると、客室に向かった。
田所の到着は8時ごろになるだろう。
急な出張なので他の仕事を抱えてくるに違いない。
仮の契約書も作るはずなので、並みのホテルより事務機能の備わったここに滞在したほうが快適なはずだ。
窓を開け空気を入れ替えながら、シーツを換える。
タオル類も用意してカンナは自分で部屋を整えた。
リビングに戻ると、キッチンに管理人夫婦が食材を運んで来ていた。
「お世話かけるわね」と言いながらカンナもキッチンに足を運ぶ。
「今日はいろいろ新鮮なものを調達してきました」と嬉しそうにカンナに見せる。
「卵や牛乳も牧場からわけてもらったので、味が濃厚ですよ」と言いながらも手を休めずに冷蔵庫に入れていく。
「今日のスペシャルはアスパラガスです」といって凄く新鮮な野菜を自慢げに言った。
「それは楽しみね。明日は人が来るからタイミングよかった」とカンナが言うと、
「大勢いらっしゃるのですか?」と質問してきた。
「ううん。2~3人だけよ」
「じゃ、これで足りますね」とほっとしているようだ。
肉も魚も買ってきたようだ。久しぶりに料理でもするかなとカンナは頭のなかで献立を考え始めた。
そのとき、手の中の携帯電話が震えて着信を知らせた。
画面を見ると琢磨の名前が表示されている。
「じゃ、適当に帰ってね。それから明日はお掃除をお願いできるかしら?」と管理人夫婦に言うと、「わかりました。それ以外でも必要なときは電話ください」と話している間に電話が切れた。
キッチンを管理人夫婦に任せて、カンナはゆっくりと自室まで歩いた。
ソファーに座って、琢磨に電話をかける。
数回のコールで琢磨は電話に出た。
「タイミング悪かったか?」カンナが口を開く前に琢磨はそう言った。
「電話に出られなくてごめんなさい。今、大丈夫なところに移動したから」
「悪かったな」
「いえ、ほんとに大丈夫よ」
琢磨は少し言葉を切って、「ワイドショー観てるよ」と言った。
「テレビだけ?」カンナは笑いながら聞くと、「いや、週刊誌も見た」
「スポーツ新聞は?」
「あぁ、あの写真は結構大きかったから、カンナとすぐにわかったよ」
「驚いた?」
「びっくりして言葉もでない」
カンナが笑うと、「たいへんだろうな」と声を落として琢磨が聞く。
「ん~、覚悟はしてたからそうでもないけど、恥ずかしくてさ」と自嘲するカンナに、
「東京にいるのか?」と更に琢磨の質問だ。
「いいえ。東京から離れたの」
「隠れてるわけ?」
「そうでもないけど、人の居ないところにね・・・」
「そうか。寒いところか?」
「ううん、暖かいところよ」
「南の島でビキニでも着て日光浴してるのか?」
「あははは、よくわかったね」
なぜか正直には言えなかった。
「ほんとうに大丈夫なのか?」と探るように琢磨が聞く。
「ええ。ほんとうに大丈夫。私は主役じゃないから。
でも、これから暫くの間は私の名前も出てくるかも」
「そっか。こっちにはいつごろ帰ってくる?」
「ん~、設計のことであなたの兄上から連絡があったら一度帰るつもりだけど?」
「そっか。じゃ、その時は来る前に連絡くれるか?」
「はい。それから・・、あなたのお兄様に何か言われたら、
家に関しては問題ないって言っておいてくれる?」
「あぁ、わかった。実は兄貴に呼ばてるので今から行って来る」
「そうなんだ」
「カンナのことがテレビに出てるのでびっくりしてたぞ」
「スキャンダルだからなぁ。今度会うときどんな顔して会えば良いのか・・・」
「普通で良いのと違うか?」
「あははは、そのまんましかしようがないけどね」
「そうそう、陽菜ちゃんはどうしてる?」
「高校へ通ってる」
「それはおめでとう」
「あいつ、いろんな写真が出てお前だとわかって、泣いてた」
「え?泣いたの?」
「うん、妖精さん可哀想って・・・」
「何、それ?」
「いや、家ではカンナの名前を出さないことにしたんだよ。
あいつはそう言うことはちゃんとわかってるんだけど、
俺と話すときはカンナのこと妖精さんって言うんだ」
「なんだかだね・・。妖精って、もっと子供みたいに若い子でないとイメージじゃないような・・・」
「まぁ、何でもいいじゃないか。あいつは熱烈なファン1号として頑張ってるからさ」
カンナが黙りこんでしまったので、「そうそう、神戸にさ、新しい店がまた出来たんだよ」と琢磨は話を変えた。
「へぇ、どんなお店?」
「ステーキなんだけど、結構美味いんだ」
「もう行ったの?」
「あぁ、基礎をうちでやったビルだったから、気になって行ってみた」
「そっか」
「今度連れて行ってやるよ」
「あ、ありがとう」
「肉食いたくなったら帰って来いよ」と言って琢磨は笑っている。
「うん、そうするわ。いつか連れてって」
いつかと言う言い方は、琢磨は気に入らなかった。
「いつか、かぁ。それって一生行かないって聞こえるなぁ」
「あはは、そういうわけじゃないんだけど。ほとぼりが冷めないとね」
「そんなものか?」
「うん。そんなものよ。今行くと餌食にされるから、スキャンダルのね」
「じゃ、そろそろ切るわ」琢磨が黙ってしまったので、カンナがそう言うと、
「あ、俺も行かないと、兄貴は時間厳守だからな」
「そう、よろしくお伝えしてね。電話くれてありがとう」
「あぁ、またな」
「うん、またね」と長い電話を終わった。
琢磨は用もないのに心配して電話をくれたのだろう。
そういう友達甲斐のある人だとカンナは思った。
琢磨兄弟がどんな話をするのか、想像できるので苦笑するしかない。
とりあえずは現実逃避で夕食でも作ってみようと、カンナはキッチンに下りていった。




