1-13
「今いいか?」と琢磨からの電話だった。
「ん?今メール送ったけど?」
「うん。だから電話した」
「ありがとね。お兄様に親切にしてもらった」
「兄貴のほうは仕事だからいいんだよ」
「そ。で、何か用?」
「うわっ、機嫌悪そうだな」
「いえ、そんなことないけど。横になったところだったから」
「疲れたのか?」
「うん、少々ね」
「そっか。で、今夜飯一緒にどうかな?」
「え~?普通、疲れたって人にご飯誘う?」カンナは笑い出してしまった。
「でも、今日は夜の便で東京へ行こうかと思ってるから・・・」
「え?これから行くのか?」
「うん、その予定」
「6時の高速バスか?」
「あはは、よくわかったね」
「夜の飛行機だったらそのくらいだろ」
「うん」
「帰りはいつ頃?」
「う~ん。決めてないけど、来週の半ばかな」
琢磨が黙ってしまったので、「それじゃぁ」と言って電話を切ろうとすると、
「送っていくよ」と琢磨が言った。
「え?空港までってこと?」
「あぁ」
「1時間半はかかるよ?」
「知ってる」
「帰りは一人で運転?」
「ああ、そうだな」
「私はイヤだな。一人で帰すのは」
「そうか?」
「時間の無駄じゃない?」
「そうともいえない」
「なんで?」
「ちょうど走らせたい車があるからな」
「ふ~~ん」
今度はカンナが黙った。
「じゃ、5時半に迎えに行くわ」
「ちょっと、それは困る」
今度は即答だった。
家にはまずいかと琢磨はとっさに、「じゃ、バスターミナルでどうだ?」と言った。
「本気なの?」
「あぁ。それと荷物は多いのか?」
「ううん、ハンドバッグとコンピューターバッグだけ」
「わかった。じゃ、5時45分にターミナルで」
「いや、そんなことしてもらったら・・・」
「着く前に電話するから携帯気をつけておけよ」
と言って琢磨は一方的に電話を切れた。
すっかり目が覚めてしまったカンナである。
仕方なく起き上がって、部屋を少し片付ける。
PCを立ち上げると、今日秋吉設計で話した資料をまとめ保存しておく。
念のためにサーバーストレージにもアップしておいた。
これでいつでも取り出せる。
メールを確認すると、またいくつか届いていたのでその処理をする。
田所弁護士からはもう一人弁護士を増やすことを提案してきていた。
しばらくは落ち着けそうも無い。
すっかり別れたはずなのにこれ以上何が欲しいのだと憤りも感じるが、
怒ったところで怒りというものは何も良いものを産み出すわけでないことをカンナは知っていた。
今のところ元旦那への今後の対応は決めかねているが、明日弁護士たちから提案があるのはわかっていた。
決めなくてはならない。
何度も決断というものを下してきたが、こんなに気の重いものは久しぶりだった。
PCの電源を落としてバッグに入れる。
柔らかな色のカジュアルなスーツに着替えて、バッグを持ってカンナは一階に下りた。
「お?もうそろそろか?」とリビングでTVを観ていた父がカンナを見て立ち上がろうとした。
「ううん。もう少し時間あるからお茶を飲もうと思って」
「そうか。父さんにも淹れてくれ」
紅茶を淹れて持っていくと、「6時のバスだったよな?」と言うので頷くと、「じゃ、5時半に出るか?」と言う。送るつもりのようだ。
「切符も買わないとだし、お土産もちょこっと見たいから15分ほど早く出てもらってもいい?」
「あぁ、いいぞ」と言って父はお茶を一口啜った。
「車のことだけど・・・」
「欲しい車、決まったか?」
「それがまだ見てないのよ」
「どんなのが良いんだ?」
「ほどほどに小さくて、小回りが利いて、エコのがいいかなって思ってる」
「ほぉ、エコか」
「ハイブリッドっていうの?」
「最近宣伝してるなぁ」
「パパ、時間のあるときに見ておいてよ」
「あぁ、わかった」
「帰ってきたら私も見に行くから」
「あぁ。じゃ、そろそろ行くか?」
そう言って立ち上がると父は母を呼びに行った。
「何かあったら連絡ちょうだい」
「うん。お祖母さんのところへ寄れそうだったら連絡するわ」
「あぁ、そうして」
母はガレージのところまで一緒に来て、「あまり無理しちゃだめだよ」と言って見送ってくれた。
バスターミナルで父の運転する車を降りた後、近くのショップを通り抜けて、本屋まで歩いて行った。
移動中に読む本を1冊だけ購入し、時計を見ると5時40分。
そろそろだなと思っていると、琢磨から電話がかかってきた。
「どこに居る?」
「本屋で本買ったところ」
「じゃ、そのまま本屋を出て右手にコンビニがあるはずだから、そこで待ってて」と言う。
小さな街のよいところは、本屋も少なくコンビニも少ないということだろうか。
店名を言わなくても本屋と言うだけでどこの本屋なのかすぐにわかる。
探さなくても本屋を出て右を向けばコンビニはすぐに見つかった。
低いエンジン音と共に小さな車がカンナの前に止まった。
運転席に居る琢磨が助手席を指差すので、勝手に助手席を開けて乗り込むと、
「びっくりしたよ。どこの女社長かと思った」と琢磨が開口一番に言ったので、
カンナは笑い出しそうになった。
「それよりも早く行きましょう?あまり目立ちたくないわ」と言って琢磨を急がせる。
琢磨は車を発進させると、「目立ってるのは小野寺のほうだよ」と笑いながら言った。
「それにしても地味な車ね」とカンナが言うと、琢磨は嬉しそうに「どこが地味なのか言ってみてくれ」と言い返した。
「小さくて、色はネズミ色だし。まぁちょっとは光ってるけど。
そんな風にハンドル切ったらまるでほんとうのネズミみたいな動きするじゃないの」
「おかしいなぁ、普通は素敵な車ねって言われるんだけど」
「確かに、運転しているオジサンを見ると、車を褒めたくなる気持ちはわかるけどさ」
琢磨とカンナは同時に噴出した。
「笑わせるとは危ないなぁ。運転中だぞ」笑いながら琢磨が言った。
カンナは笑いが収まると、「この車、私も欲しかったのよね」
「マジで?」
「うん。しかもこの色、シルバーメタリック!」
カンナはタコメーターを覗き込んだ。
柔らかな甘い匂いが琢磨の鼻腔をくすぐった。
「最近現場に行ってて、あまりこれに乗ってなかったから、一度エンジン回したいと思ってたんだよ」
「一段落したの?」
「あぁ、昨日で全部終わって、今日が安息日」
「他にも現場持ってるんでしょ?」
「うん。別の部隊が取り掛かってるのがあるので来週からそっちに移行するしね」
「子供たちは?」
「お手伝いが居るから」
「そうなんだ。じゃ、今日だけのんびりなのね」
「陽菜が熱に浮かされたようにカンナさんがね、カンナさんが・・って言ってるよ」と苦笑する。
琢磨の口から「カンナ」という名前が出たので、カンナはどきっとした。
「あ、そのことだけど。陽菜ちゃんにあまり家では私のこと言わないようにとお願いできる?」
「ほお、理由は?」
「奥さんが帰ってきたらあまり気分が良くないと思うから。
居ない間に陽菜ちゃんの入学準備しちゃったわけだからさ」
「あぁ?そんなものか?居なかったのはあいつなんだけどな」
「そんなものだから女って」
「そうか・・・」
「私が言ってたって陽菜ちゃんに伝えてもらえれば助かる」
「わかったよ。悪かったな。気ぃ遣わせて」
「いえいえ、思いがけず楽しかったから私は良いんだけど」
「そっか。まぁ、今日は送るからそれでカンベンして?」
「うん。ありがとね。助かるわ」
琢磨の運転する車は高速に入っていた。
「それにしてもドイツ車好きだね?」
「そうだなぁ。やっぱりドイツ車になってしまうわ」
「アクセル踏んだときの感触が良いよね」
「運転したことあるのか?」
「少しくらいは私だって運転するもの」
以前に空港から街まで乗せてもらったのはベンツだったし、今日の車はBMの2シーターだ。
「よかったわ。バカデカイだけのアメ車なんかで来たらどうしようかと思ってた」
そう言ってカンナはくすくす笑った。
それからしばらく車の話が続けたが、しばらくすると会話が途切れた。
無言でもちっとも苦にならないので、それから空港近くの出口になるまで二人ともスピーカーから流れる音楽を聴いていた。
高速道路を降りて空港の手前にファミリーレストラン等の外食チェーン店が立ち並ぶ通りがある。
カンナはそこで軽くなにか食べたいと言った。
琢磨が何でもいいぞと言うと、最近安くて美味いと評判になってきたうどん屋の看板を指して、うどんが良いと言う。
駐車場に車をつけ、琢磨が助手席のドアを開けるとカンナが手を差し出した。
「この車、座席が低いから降りるのが難しいわ」と言うので、琢磨はカンナの手を取って引っ張りあげた。
小さな声で「サンキュー」と言ったカンナはうどん店のほうを見ながら「前から一度食べてみたかったんだよね」と嬉しそうな顔を琢磨に向けた。
「いくらでも食べて良いぞ!好きなだけ食ってくれ」
「じゃ、お言葉に甘えようかな?」
「お前はもう少し太ったほうがいいぞ。軽すぎだろ」と琢磨が言うと、それには答えずに、
「入ろうよ!セルフのうどん屋って初めてなのよ。ドキドキするわ」とカンナが言った。
カンナはそれほど空腹を感じていなかったが、ずっと運転している琢磨を休憩なしに返すわけには行かない。
適当に理由をつけてうどん屋に入ることにした。
食べてみると意外に美味しかったので全部食べると、琢磨も満足そうだった。
出発カウンターのある建物の前で車を止めると、琢磨はハンドルに手を持たせかけてカンナをじっと見た。
「俺たち・・・」
「ん?」
「俺たち同級生ってだけじゃなくて、友達と思っていいよな?」
カンナは少し考えていた。琢磨は失敗したかなと内心ドキドキしていたが、
「うん、いいよ。秋吉君がそう思うなら、友達ってことで」とカンナが答えた。
ほっとしながら、「じゃ、カンナって呼ぶよ。小野寺は呼び難い」
「じゃ、琢磨って呼ぶとするかな」そう言ってカンナは笑った。
「いきなり呼び捨てかい!」そう言って、琢磨はほっとしながら笑った。