VOL 10.冒険家植村直己さんとの北極点での交信
世界初の5大陸最高峰(モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグア、エベレスト、マッキンレー)登頂者であり、南米アマゾン河約6000キロのイカダ下りや、北極圏12000キロを単独で犬ゾリで踏破し、北極点への犬ゾリ単独行などの偉業を成し遂げた、植村直己さんは日本を代表(国民栄誉賞をもらった)する、また世界的にも有名な冒険家です。
彼は1970年、日本人で初めてエベレストに登頂しました。
丁度私が入社した年で、訓練部で、そのニュースを知り、仲間達と歓喜したものです。
それから8年後の1978年4月29日に北極圏犬ゾリ単独行程に挑戦して、北極点到達の偉業を成し遂げたのです。
私は、翌日の4月30日、アラスカのアンカレッジ空港を出発して旧西ドイツのフランクフルトに向かう便に乗務していました。
アラスカを出発する前のブリーフィング(運航乗務員と客室乗務員と合同の事前打ち合わせ)で、現地のデイスパッチ(運航統制担当者)からこのビッグニュースを聞き、皆で拍手しました。
当日の機長が「極点近くで無線で彼と交信してみる、交信できたら皆で祝福してやろう」と言ったので、我々は客室でもこの世界初の偉業達成を機内放送でお客に知らせることにしました。
アンカレッジ空港を離陸して間もなく、右手に白銀に輝く北米大陸最高峰(6194m)であるマッキンレー山が見えました。
眼下は見事な白銀一色の世界、地上温度は零下20度、高度1万メートル上空を飛行している外気温度は零下65度。
約4時間半で北極点に最も近い上空にさしかかり、そこで機長は無線で植村直己さんに交信を試みたのです。
しばらくして、機長から私に「植村さんとの交信に成功した」との連絡があり、私とスチュワーデスの数名が操縦室に入って、交代で彼と交信したのです。
客室のお客にも実況放送することを機長に提案したのですが、規則違反になるのでダメだと言う事で、この提案は実現しませんでした。
交信状態はとても良くて、操縦室のスピーカーを通して彼の肉声が鮮明に聞こえてきました。
その時の植村さんと我々との交信内容は次のようなものでした。
「植村さん北極点到達おめでとうございます」
「有難うございます」
「そちらの気温は何度位ですか?」
「多分、マイナス50度位でしょうか」
「体調は如何ですか?」
「はい、大丈夫、元気です」
「今、貴方の近くを飛んでいるのですが、そこから、我々の飛行機が見えますか?」
「はい、ハッキリと見えます。飛行機雲も見えます」
この間、犬ぞりは何匹いるのか?食事はどうしてるのか?何時間睡眠を取ってるのか?
予備の無線機はあるのか?
等について交信しました。
最後に、彼は「スチュワーデスの方と話せて感激です。元気をもらいました」と言っていたのが、明るい素朴な彼の声と共に印象的でした。
機長をはじめ我々の彼に対する印象は、とても純粋な人間だということでした。
わずか10分間程の交信でしたが、我々はお客に彼との交信内容を話して、とても喜ばれたことを鮮明に憶えています。
彼は1984年2月12日、43歳の誕生日に世界で初めて北米大陸最高峰、米国大統領の名前をつけたマッキンレー山の冬季単独登頂に成功しました。
翌2月13日、下山途中に麓で彼と合流する予定でチャーターしていた小型機との
「現在地はどこですか?」の呼びかけに、「私がいるのは・・・サウスピークから・・・
ずっとトラバースした・・・標高・・・私もよく分かりませんが・・・よく・・・
えーっと・・約20000フィート・・・」
の交信を最後に、未だ消息不明となっています。
兵庫県出身の世界的な冒険家である「植村直己さん」のことは、アラスカ経由の欧州便で、あのマッキンレー山を機内から遠望する度に思い出して、私は「日本が世界に誇れる、とても素敵な大冒険家だ」と、お客に機内放送で案内していました。
次回 VOL11.中東のお金持ちから時価300万のダイヤをもらった新米スッチー




