表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

喪失の初恋

作者: 音多まご
掲載日:2026/02/11

 好きな人が石になった。十四の夏の出来事である。

 薄幸そうで、いつもどこか焦点の合わない笑みを浮かべた、線の細い少女だった。気づけばぼくは彼女に惹かれていて、一人でいるところをじっと見つめては、えもいわれぬ優越感に浸っていた。彼女の魅力をわかっているのはぼくだけだ、なんて。他の皆が好きになるような異性は、どれも同じようなのばかりで、ぼくははっきり言って辟易していた。彼女こそが、ぼくを救ってくれる神の使いだったのだ。

 石になった彼女は、音楽室の隅で発見された。人間が石化するのは特段珍しいことではないのだが、この中学校では初めてだったらしく、騒然とした空気が流れていた。ぼくはといえば、彼女の最期の姿を見られないことが残念でならなかった。

 先生たちは言っていた、『なにか悩みがあるのなら、遠慮なく相談しなさい。手遅れになる前に』。

 彼らはきっと、ぼくたち子どもを心配してくれていたのだろう。だけどぼくの心は、とあるものに支配されていた。優越感、……親族以外の大切な人をなくすという経験を、ぼくはずっと待ち望んでいた。周りの人たちよりもひと足早く、大人に近づけたような気がした。ぼくにとっては、人生経験が豊富だということを意味していたから。

 

 そこから半年が経った今、ぼくは石になった彼女に会いに行こうとしている。

 そもそもの話、石化した人間は元に戻ることはないとされているので、死と同じ扱いだ。けれど、死体とは決定的に違う点がある。……処理ができないのだ。さまざまな研究者が石の材質を調べたり、処分に関する実験をしたりしているが、びくともしないらしい。石化現象は、本当になにもかもが解明されていない。

 基本的には遺族の家に引き取られるが、行き場をなくした石化体も一定数存在している。それらを管理しているのが、自治体ごとに設置された、石化体仮置場という施設だ。

 ぼくは先日、学校で、彼女がそこにいるという噂を聞いた。それなら一目見てみたいと思い、今に至る。


 寒さに身を縮こませてようやく着いた施設は、想像していたよりも大きくて、人が多かった。もちろん賑わっているわけではないのだが、昔の石化体を見ようと足を運ぶ人は少なからずいる。その歴史的価値は、決して軽んじてはならない。夜間でなければほとんどの時間開放されているので、ハードルは低いのだろう。呑気なものだな、と思う。

 中に入ると、気持ち悪いほどに生ぬるい空気が待ち受けていた。ああ、こんな場所に幽閉されているとは、彼女はなんて可哀想なんだろう。

 なにもわからずここまで来てしまったが、彼女がいる場所については入口付近の紙に詳しく書かれていた。どうやら、石化したのがいつなのか、という基準で場所を分けているらしい。彼女は一番新しいところにいる。

 階が違うようなので、ぼくはエレベーターに乗った。案の定、そこも生ぬるくて、なぜだか鳥肌が立ってしまう。寒いよりはましだと自分に言い聞かせて、エレベーターから出る。

 改めてぼくは、周囲を見渡した。石になった人間が所狭しと並べられているその光景は、なかなかお目にかかれないものだ。背中合わせのようになった石化体が横に並び、通路を挟んで一列、また一列と設置されている。図書館の本棚と言えば分かりやすいかもしれない。

 仮置場、なんて名前だから、もっと無秩序に置かれているものと思っていたが、きちんと管理されているのがわかった。どうせ粗暴に扱ったところで壊れやしないのだから、馬鹿らしくも思えてくる。

 案内に関しても行き届いており、彼女がいるであろう具体的な場所はすぐに分かった。窮屈な通路を進んでいく。さまざまな石化体が目に入ってきた。辛酸をなめるように苦しそうな表情もあれば、驚くほどに虚無らしいものもある。ポーズもまさしく十人十色で、率直に言えば不気味だった。中ほどまで来たところで、左側を見やり──息を呑んだ。


 彼女は、笑っていた。大きな目を細めて。でも、あのとき焦がれた儚くて弱々しい笑みではない。──心の底から、幸せそうだったのだ。

 ぼくは悔しくなった。狼狽した。首筋から汗がだらだら出てきた。

 心の中で、届くはずもないというのに彼女に畳み掛ける。どうしてきみは、そんなに安らいだ表情をしているんだ。どうして──可哀想な姿で、いてくれないんだ。ぼくは、こんなきみを見るために来たんじゃない。

 確かなこととしては、ぼくが恋をした彼女は、もうそこにはいなかった。まったく別の少女にすら見えてきて、恐ろしさに戦慄する。膝から崩れ落ち、床を凝視した。それは不気味なまでに白く、しっかり清掃されているのが分かった。生前の彼女はこんなふうに白い肌をしていたなあ、と懐古する。石になった今も、病的な色白さは失われていないように思えた。

 震える足をゆっくりと伸ばし、なんとか立ち上がる。おそるおそる彼女の顔に焦点を合わせるも、やはりその笑顔に変化はなかった。今度は憤りが募ってくる。

 きみも、ぼくと同じなのだと思っていた。でも、それは間違いだったらしい。ぼくとは違って、きみはこんなふうに笑うことができた。いつも見ていたきみは、きみのすべてではなかった。受け入れ難いこの事実を、ぼくはきっと未来永劫、消化することはできないだろう。

 僕を裏切った彼女の髪の部分に手を伸ばす。生きていたときは、やわらかそうにも硬そうにも、乾いていそうにも湿っていそうにも見えたその髪は、いまはただの石へと変質してしまった。ずっと触っていると気持ち悪くなってくる。

 じっくり、その感触を味わうように、肩先の無造作に切られた毛先まで手を滑らせる。──そのときである。


 ほろり、ほろり。

 ほろり、ほろり。


 彼女の一部だった欠片が、ぼくの指に触れた部分から崩れていった。

 驚きは、もちろんあった。石化体はなにをしても壊れないはずなのに、軽く触れただけで簡単に崩れてしまったのだから。だが、ぼくはそのことを気にする以上に、興奮していたのだ。原型をとどめなくすることができれば、ぼくは彼女への苛立ちを忘れてこれからを生きていくことができる。このまま、崩していけば。

 貪るように、ぼくは彼女の身体に手を這わせた。まずは頭部。あの頃、ついぞ触ることができなかった髪の毛を崩し終えるが、まだ顔が残っていた。こんな笑顔を残しておく必要などない。両手をめいっぱいに広げて顔を覆い、これでもかと力を込めると、あっという間に頭部が消えてなくなった。


 ぼろり、ぼろり。


 細かく砕かれた石が、地面へと落ちていく音がした。


 ぼろり、ぼろり。


 ぼくの瞳から溢れ出た雫も、地面へと落ちていった。

 ぼくは、泣いているみたいだった。なにも悲しくはないというのに、弔う気なんてさらさらないのに、なぜか涙は一定の間隔で溢れてくる。意味がわからなかった。

 滲んで見えづらくなった彼女の首から下が目に入り、虚しい気分に陥る。ぼくは、なにをしているんだろう。でも、その虚しさを紛らわす方法というのは彼女を壊す以外にないように思えて、結局ぼくはその細い身体を撫で回すしかなかった。ただの石だというのに、女性的なやわらかさを勝手に想像してしまって、ぼくは少しいやらしい気持ちになる。最初に腕が崩れて、次に胴が崩れて、最後に脚が崩れた。

 一体どのくらいの時間がかかっただろうか。もしかしたら周りに人がいたのかもしれないが、ぼくに気にしている余裕などなかった。呼吸も忘れて彼女をまさぐり、ぼくは完全に彼女を喪失した。目の前にあるのは、山のように積まれた石の欠片だけだった。

 これがもしも犯罪になってしまうというのなら、ぼくはこれからどうなってしまうのだろう。けれども、こんな事例は聞いたことがない。罪になるとして、きっと、ぼくが最初で最後だ。この最悪で最高の体験は、ぼくだけのものなのだ。


 達成感と後ろめたさが同時にやってきて、背筋に寒気が走ったような気がした。このまま放置しておいたら、いつか必ずややこしい事態になる。防犯カメラにでも写っていればすでにアウトだが、そんな嫌なことは考えないようにしよう。

 ぼくは積み上がった欠片たちをかき集めて、リュックの中に入れていった。かつて彼女だったそれらを、一粒たりとも残すまいと血眼になって集める。人の気配は驚くほどにせず、なんとなくではあるがこの空間にいるのはぼくだけだと確信したので、焦らずに行うことができた。

 すべて集め終えたとき、今度こそぼくは晴れやかな達成感を覚えた。この行為がばれるとかそういうことは、ぼくの中ではもう些事にすぎなかった。どうにでもなってしまえ。悪いのはぼくでも彼女でもなく、ぼくを苦しめているなにかと彼女のあの笑顔を引き出したなにかだ。どちらかがなければ、ぼくはきっと、納得しておとなしく帰宅していただろうから。


 ぼくは歩き出した。背負っているのは、あのとき好きだった彼女。恋なんてきれいなものとは到底言えないが、確かにぼくは彼女を愛していた。

 そうだ。この石たちで、理想の彼女をまた作り直そう。ぼくが愛していた、薄幸でかわいそうな彼女を。出来上がった暁にはきっと宝物になっているだろう。そんな、くだらないことを考えた。

ナチュラルに意味がわからん主人公を書きたかった。昔の純文学って、こういう男が主人公になりがちですよね。金閣寺とか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ