決裂
ファッテン伯をカルトメイメンに残して出陣したオルドナ方面軍は、ファッテン伯領を通ってオルドナ伯領南部に再侵攻した。そして今、当初の計画通りゲンデの森を押さえて各街道を監視している。
セルケー平原で多くの兵を失い、トローフェイルに籠もっているヌヴァロークノ軍は五〇〇〇程度に減少していると想定される。ここから先は賭けだ。
クーデル三世が今どこにいるのか。
トローフェイルに残留しているのであれば、ここにクーデル三世を封じ込めておかなければならない。
三月中旬に入り、ようやく寒さも和らいできた。ウィンが鼻水を垂らしていることも少なくなってきた。
森の中に設営された本陣でウィンが昼寝から目覚めると、横にフォロブロンが座っていた。彼は、ウィンが目を覚ましたことに気付くと、ウィンの目の前に発酵茶を満たした茶わんを差し出した。
「クーデル王はまだトローフェイルに居ると思うか?」
「んー、五分五分だね。南部に後退する機会はいくらでもあった」
「確かにな……」
「まあクーデル王の居場所がどこであれ、オルドナ伯領での戦争を終わらせるまで数年はかかるだろうね。そんな仕事はグライス軍にさっさとお任せしたいな」
「そのための作戦というわけか」
「副伯!」
フォロブロンの家臣であるヨーレントが天幕に飛び込んできた。彼は今、少数の騎兵を各地に展開して偵察と伝令を担っている。
「ムルラウ大公から、参陣要請です」
「何だと!?」
ムルラウと皇帝軍はナインバッフ公国南部に到達し、ニークリット公国軍に向かって進軍中であるという。アレス副伯には皇帝軍の一角として参陣せよとムルラウが言ってきたのだ。あくまでも要請という形式を取っているが、命令と大差はない。
天幕に居る全員がフォロブロンを見ている。クーデル王を確実に捕捉するには、少しでも兵力が欲しい。ここでフォロブロン麾下の皇帝軍に離脱されるのは痛手だった。
フォロブロンの立場として、皇帝軍司令官であるムルラウの要請に応じるのは当然のことだ。だがオルドナ方面軍の一翼としてここで持ち場を離れることはできない。離れるべきではない。
ヨーレントは、フォロブロンが逡巡しているのを見て「何を迷う必要があるのか」といぶかしんでいる。だが、ウレスペイルにはその理由が分かるような気がした。
フォロブロンは、保有兵力比の均衡が破綻したことによってオルドナ方面軍での存在感の相対的な低下に忸怩たる思いを抱えていた。誰もフォロブロンを蔑ろになどしていないし、彼の価値を高く評価している。それは分かった上で、ウィンに引け目を感じている。そう感じる卑小な自分が許せない。
ウィンは実戦指揮官としての能力は皆無で、この面では役立たずと言える。だが戦略的な判断では常にフォロブロンよりも正しかった。
ナルファスト継承戦争では互いの欠点を補い合う関係だったが、ウィンは自分の家臣を持つに至り、指揮を家臣に委ねることで「ウィン軍」としてはフォロブロンが欠点を補う必要もなくなってしまった。これがフォロブロンの劣等感を刺激した。
監察使とその麾下の軍監という上下関係ながら、ウィンは下級貴族でフォロブロンは爵位を持つ上級貴族という状態も、両者の均衡にとってはうまく作用した。だが今やウィンは爵位の上でもフォロブロンを上回ってしまった。
ウィンが最初から上位者であったなら、フォロブロンは自然に従うことができたというのに。
フォロブロンは嫉妬や妬み、劣等感といった負の感情と向き合い続けた。そしてその根底にある己の醜さを見つけてしまった。
フォロブロンは、どこかでウィンを見下していたのだ。それが全ての元凶だった。フォロブロンは、自分がヘルル貴族を虐げていた醜い連中と同じ穴の狢であったことに気付いたのだ。
ウィンと共にいると、自分の醜さを直視し続けることになる。ムルラウの要請は、ウィンから離れる格好の口実になるだろう。ムルラウという圧倒的上位者の下であれば、劣等感を刺激されることもない。
皇帝軍司令官の命令と劣等感からの解放。どちらの観点でも、ムルラウに従うのが合理的な判断であった。だが、「そのためにオルドナ方面軍を見捨てるのか?」とささやく内なる声が黙らないのである。「難儀な性格だ」とフォロブロンは自嘲した。
フォロブロンの沈黙を苦悩と受け取ったウィンが口を開いた。
「今からではムルラウ大公とニークリット公の会戦には間に合わない。であれば我々に協力してくれると助かるな」
この一言がフォロブロンの感情の均衡を崩した。
「私は皇帝軍の指揮官であり、司令官命令に従う義務がある。間に合う間に合わないの問題ではない。私とラフェルス伯は同格であり、貴公に指図される覚えはない!」
「いや、アレス副伯に指図するつもりは……」
「参陣命令を受けたからには、間に合うべく努力する。それが私の成すべきことである。では失礼する。ウレスペイル、ヨーレント、ナインバッフ公国に移動する!」
フォロブロンは、感情を制御するすべを失っていた。彼はそのまま天幕を出ると、麾下の士爵たちに出陣の準備を命じた。
「こいつは弱ったな」
ウィンは頭をかきながら、弱々しく笑った。




