ムルラウ出陣
二月二五日、大公のムルラウは皇帝宮殿の謁見の間に参上した。左右に整列した群臣が見守る中、玉座へ通じるきざはしの前まで進んで跪いた。
静まり返った空間に、六〇ほど数えるほどの時間が流れ、皇帝ロレンフスが入室すると玉座におもむろに腰を下ろした。
「カルカタール伯ムルラウ大公、面を上げよ」
ロレンフスに命じられて、ムルラウは静かに顔を上げた。
「カルカタール伯をナインバッフ方面軍司令官に任ずる。直ちに出陣して逆賊ソルドマイエを討ち滅ぼせ」
「御意」
式部官の宮内伯が、左肩に装着する黄金の徽章を銀製の盆に載せて歩み出て、ムルラウに捧げた。ムルラウは徽章を取ると自分の左肩に取り付けた。
「必ずやソルドマイエを討ち滅ぼし、宸襟を安んじ奉ります」
ロレンフスは無言で頷くと、ほほ笑んだ。
「ムルラウ、頼んだぞ」
「お任せください、兄上」
ムルラウはここ二カ月ほど兄の様子に心を痛めていたが、久しぶりに兄の柔らかい表情を見て安堵した。どうやら、兄上は迷路を抜けられたらしい。これで安心して出陣できると思えた。
ムルラウは皇帝宮殿を出ると、皇帝や群臣らの見送りを背に五〇〇騎を従えて帝都の中を行進し、城壁外に待機していた五〇〇〇騎と共に出陣した。皇帝軍司令官としての出陣の儀はこれで終了である。
帝国都市カルテマイセーに派遣されているテルメソーンとフィーンゾルが編成中の兵力や各地から集まってくる部隊と合流して、正式にナインバッフ方面軍となる。総兵力は三万二〇〇〇に達する。皇帝軍としては、二五年前のポルトヴィク王国侵攻時の二万一〇〇〇を大幅に上回る大兵力だった。
騎兵二〇〇、歩兵八〇〇を率いて合流したレミターロック伯は、当時はまだ大公だった先帝アートルザース三世に従ってポルトヴィク王国に侵攻し、ロメルト・クリズルの異称を持つ名将ダウチャヌイ・ピルアーストと戦った経験を持っている。堅実で粘り強い用兵をする男として、先帝も一目置いていた。
「大公殿下、お久しぶりですな」
「レミターロック伯、参陣ご苦労。頼りにしているぞ」
帝都に上ることも多かったレミターロック伯は、ムルラウのことも幼少期から知っていた。剣の指南をしたこともある。
幼い頃のムルラウは中性的な容姿であることもあって少女のようだったが、すっかり頼もしい若武者に成長していた。
「こたびの戦、どう見る?」
「そうですな……」
現時点でソルドマイエ二世は何ら声明を出しておらず、最終目的が何であるか全く分からない。ケルヴァーロに対して何か含むところがあったのか、他に目的があったのか。いずれにせよのぞき見ることが不可能な心中などを想像したところで意味はない。
考えるべきは、彼の行動によって何が生じるかだ。ソルドマイエ二世はナインバッフ公国の街を攻め落としているという。その延長線上にあるのはナインバッフ公国の支配だ。二つの公国の支配とヌヴァロークノ王国との同盟。これによって手にする経済力と軍事力はティーレントゥム家にとって脅威となる。
だが、それでも帝位の簒奪にはまだ足りない。ならば二つの公国を持つ大諸侯という地位を皇帝に認めさせることが狙いか。現実味はあるが、それで何をしたいのか。権力欲が薄いレミターロック伯には分からないだけで、枢機侯の二つの椅子というものはこの上なく魅力的なのだろうか。
それはそうだろう。皇帝選挙において二票持っていることになるのだから。だが、ナインバッフ公を不意討ちして得たサインザイツ家を他の枢機侯が支持するとは思えない。
独自に情報収集に努めてきたレミターロック伯には、既にソルドマイエ二世のほころびも見えていた。彼の帝国への反逆とも言える軍事行動に、ニークリット公国の在地貴族たちは恐れをなしているらしい。彼らの多くは参陣を拒んで領地から動いていないという。そのため、ソルドマイエ二世が率いている軍の大半は傭兵であると思われる。数も二万五〇〇〇程度。兵力で勝るナインバッフ方面軍は有利な状態で戦える。
「さらに余剰戦力があれば、ニークリット公国に別動隊を投入するところなのですが」
「ニークリット公国に?」
「左様。自身の本拠地を衝かれれば、ニークリット公もナインバッフ公国にちょっかいを出している場合ではなくなりましょう」
「確かに伯爵の言う通りなのだがな……」
ムルラウは苦笑した。そうしたいのは山々だが、おいそれと別動隊を編成できるほど皇帝の財源は豊かではない。勝つために最善を尽くすべきではあるのだが、皇帝ともなると「勝ちさえすればいい」という問題ではないのだ。
当然、レミターロック伯もそこはわきまえている。
「言うてもせんないことでしたな」
と言って呵々と笑った。




