大公ゲルザントス
先帝アートルザース三世には弟がいる。大公のゲルザントスはその一人で、クルテルン伯の爵位を与えられている。
皇帝の弟というと大層な身分に聞こえるが、現実には諸侯と変わらない。ティーレントゥム家の成員として大公の称号とそれなりの特権は与えられているので、待遇は悪くない。単なる上級貴族として気楽に暮らすなら、なかなかに都合の良い身分だった。
ただ、ゲルザントスは割り切れていなかった。「何かを成したい」という、曖昧な思いを抱えていた。ただし、その「何か」というものには特定の方向性や形があるわけではなく、従ってその「何か」を成すための行動は起こしていない。何をすべきなのか分かっていないのだから当然である。
最近まで、このような思いはなかった。兄がいたからである。先帝アートルザース三世は間違いなく有能だった。ゲルザントスに勝ち目は全くなかった。お気楽な貴族として生きる以外の選択肢はなかった。だから今の生活は当然のこととして受け入れていた。
領地の狩り場で時に狩猟をして、地位と財力にものをいわせて美女を侍らせ、美食と美酒にふけった。悪くない生活だった。
だが偉大な兄が突然消え去り、ふと疑問に思った。他にやるべきことはないのか、と。
若い頃は兄に劣らない切れ者と評判だったが、長い間酒色に溺れてきたためか思考が定まらない。
「何をお考えですの?」
庭を眺めながらぶどう酒を傾けていたゲルザントスに話しかけてきたのは、妻のケレメーレンだった。夫の漁色にも文句一つ言わず、クルテルン伯家の奥向きの一切を取り仕切っている。
彼女は先代ワルヴァソン公インゼルロフト三世の娘、つまり現ワルヴァソン公インゼルロフト四世の妹である。二人はティーレントゥム家とカーンロンド家の紐帯たることを期待されて夫婦となった。絵に描いたような政略結婚で、別段嫌い合うこともなかったが睦まじいというほどでもなかった。
「大したことではない」
本当に大したことは考えていなかったから、嘘ではない。
ケレメーレンはゲルザントスの隣に座り、ゲルザントスの顔をのぞき込んだ。
「実は、あなたにお願いがございます」
「そなたが願いとは珍しい」
インゼルロフト三世の娘として財力もあり、ケレメーレンは欲しいものは自分で手に入れてきた。夫に頼ることはなかったし、頼らねばならぬほど高価な物を欲しなかった。カーンロンド家は「ケチな家系」なのである。
「申してみよ。めったにない妻の願い、かなえてやらねば沽券に関わるというもの」
ケレメーレンはフフッと笑った。
「フェルデゼンのことでございます。あの子に良き妻をめとらせてやりたいと存じます」
「フェルデゼン? ……ああ、ダルンボック伯か」
ヴァル・カーンロンド・フェルデゼン。インゼルロフト三世の五男の息子で、インゼルロフト四世とケレメーレンの甥である。
「ラフェルス伯にカーリルン公を奪われて以来、適当な相手が見つからずいまだに独身。このままでは不憫でございます」
ゲルザントスは興味なさげに頷いた。
そういえば、宮廷でも話題になっていたのを思い出した。帝国唯一の女公爵であるカーリルン公が監察使を夫にするなど前代未聞のことだった。さらに、その監察使が実は兄の庶子であったことが後に分かり、またも宮廷を騒がせた。
兄の視点で見れば、あれはカーリルン公を巡るティーレントゥム家とカーンロンド家の戦いであり、兄がワルヴァソン公を出し抜いたということだ。
「だが、私に妙齢の女子の心当たりなぞないぞ。頼る相手を間違えたのではないか?」
「いいえ、大公たるあなたこそふさわしいのです。叔父のお立場を存分にお貸しくださいまし」
「叔父の? 大公女が望みか」
「叔父」というからには、弟のアウガースの娘ではあるまい。兄アートルザースの娘ということだ。だがアミラミエは幼すぎてダルンボック伯とはつり合いが取れない。つまり……。
「アストライエとめあわせようというのか」
アトラミエと比べるとかなり見劣りするが、アストライエも十分美しい娘だ。ただ、ゲルザントスはアストライエとあまり接点がなく、どんな娘なのかしかとは知らない。
今まで彼女のことなど気に留めていなかったが、改めて考えると兄が縁組もせずに帝都に留め置いていたのは不思議だった。手放したくないほど寵愛していたのか。
まあ、ゲルザントスにとってはどうでもよいことだった。
「我らに続いてティーレントゥム家とカーンロンド家で縁組しようという訳か」
ゲルザントスはケレメーレンの顔を見て、ぎょっとした。妻がこれまで見たこともない表情で笑っている。
「一体何を考えておるのだ」
「ティーレントゥム家とカーンロンド家……。帝国の二大勢力が混じり合うことは決してない。私たちは、両家の道具にはならない。そう、ティーレントゥム家とカーンロンド家の血を持った第三の勢力となるのです」
「何だと?」
「せっかく生まれてきたのです。面白おかしく生きようではありませんか」
朝から摂取し続けていた酒精が身体から抜けていくのを感じた。ゲルザントスの目に、若い頃の精気が戻ってきた。
「面白い。やれるところまでやってみようではないか」
ティーレントゥム=カーンロンド家の当主は、妻の腰に手を回して引き寄せた。




