-9.〔死に際の懊悩、零れ落ちる本音〕
人の心には蓋がある。
溢れ出るモノを抑える為、本当を見せぬ為、穴の奥で大切に隠し持つ――。
――自分を、管理するコトに長けている。
感情を燃やし精神を冷やす温度管理システムは計測できる限り自動で続き、直感的に働く。心の手綱。
但し欠点がない訳ではなく、繰り返し行った熱処理は目的に応じた加工を反芻する度に僅かな蒸気を発生させ蓋の裏に水滴となって付着する。
いつしか鍾乳石の様に垂れ下がった自覚無き地下水は蓋を開ける際に思わぬ感情を横滑りに、――零れ落とす。
涙は、聖女の本心ではない感情の裏側をつたい、流れ出たモノだった。
そして意外な人物を動揺させる。
「……何で泣くのじゃ?」
返答なく。仰向けに空を見つめていた少女の瞳だけが、閉ざされる。
それが現状で出来る数少ない心の距離を置く仕草であるコトを露も知らず。
肉体ではなく精神の方が老いた魔法使いは、遠慮なし――思うがままの言葉を発する。
「諦めたのであろう? ならば認識は間違っておらん。寛容に受け入れるのが、欠点を正すというコトじゃ、たとえ己自身であったとしても、やりようは何も変わらん。次に生かすしかないのゥ。――ワシとて、昔はそうじゃった。失敗を重ねては涙し、一層の――」
「本当に、口の減らないやつね……」
「――なんじゃ、ちゃんと聞いておるではないか」
「……煩いからよ。なんだか雰囲気も、台無しじゃない」
「雰囲気?」
「そうよ。最期くらいは静かにして、死にたいでしょ……」
「死ぬじゃと、勝手な事を申すな。その前に伝えるべき事が、ワシとの約束が残されておる。よもや違える気であるのならば、現にその頭ん中を覗くしか」
「好きにしなさいよ。もう、どうでもいいわよ……」
何をされたところで、もう結末は変わらない。
どれだけ努力した結果でも失う時は一瞬、手の平の隙間から徐々に流れ落ちるなんて生易しく思わないでほしい。
人生は容易く、終わってしまうのだから。
▽
二度目となる神の問い掛けでも、気持ちは変わらなかった。
大した苦労ではなかったかもしれない。
力を尽くして戦ったとも思えない。
――私の短い生前。
振り返れば楽しい時もあったけれど、辛い事の方が増えていた。
得た物で新しい事をはじめ、失った事で新しい物を得る。
毎日は、地獄の様に平和な日々。
足並みを揃えて誰の足取りかも分からない歩幅で進む。
――平和は、肩を並べて見る先にしか存在しない。
立ち止まり。
たった一言、余計な事を言っただけで失った。
私の人生は、他者に踏みにじられて――終わったのだ。
『悔しいとは、思わないのですか?』
――ェ。
△
たとえ神様でも、言って良い事と悪い事がある。
そんなのは、――悔しいに決まっている。
「……、――ふん。小娘の頭なんぞ覗いたとて、面白くもなんともないわ。第一やり方も忘れたしのゥ」
「……それは自業自得ね」
「どんな状況でも口だけは達者じゃの。なのに、悔しくはないのか?」
「――……悔しい? そんなの、悔しいに決まってるでしょ……ッ」
「ではナゼ諦める? 死んでもおらん内から、成し遂げたいコトを放棄する理由は何なんじゃ?」
「……本当に、呆れて物も言えないって、このコトね。けど、どうせ最後なんだし、ブッチャケて言うわ。――私はね、ひとりじゃ何もできない人間なの……この世界に生まれ変わる前だってそう、誰かに嫌な事は押し付けて、甘えて、頼らないと生きていけない見栄えばかりのガラクタ――、それが私の正体よ。ね、取るに足らない小娘だったでしょ?」
「――、……くだらんの」
吐き捨てる物言い。
既に止まっていた、聖女の目尻から、一筋の涙が頬を流れて落ちる。
終わったのだ。
本当の意味で人生の終わりを迎える。
心から情けない惨めな最期だけど、本音を曝け出した分は少しだけ気分は良い。
「何が何やらさっぱり分からん」
――?
「ながらくこもりっきりじゃったからの、大抵の事は忘れてしもうた」
「何、なんの話よ……?」
「じゃから覚えてないんじゃ。ワシが何故ドラゴンと呼べる存在に成りたかったのかを、完全に忘れてしもうた……」
「――、……で?」
今はそんな与太話を聞く気分ではない。これから、数分――数秒後には街共々灰燼に帰すであろう残りの人生を、あてがう価値は――。
「ちょっと聞いてみてくれんか? このワシに」
「――は?」
到頭。思い当たる節は、落下の衝撃。
しかし折が悪い。
せめて最期くらい。――神様は本当に意地が悪い。
「代わりと言ってはなんじゃが。あの高慢ちきなミミズをなんとかして、くれるやもしれぬぞ?」
「……――何が言いたいのか、さっぱり分からないわよ……」
というか最初から、何一つちゃんと分かり合えたコトはなかった。とも思う。
「じゃから、このワシが手を貸してくれるやもしれんぞ。と言っておるのだ……」
「じゃあ何で他人事みたいに言ってんのよ?」
「正味他人じゃからのー」
「はぁ? ……もうヤメてよ、本当に。見て分からないのなら具体的に言うわ。不老不死には縁のない話だろうけど。私は人間なの、ちゃんと生きてる人間なのよ。だから死ぬ前から時を選びたいの、振り返る人生がみじめだから、そうじゃない時を思い出して、死にたいのよ……!」
「不死に対する差別が甚だしいのゥ」
「べつに理解してもらおうなんて、思ってないわよ。だいたい気が乗らないって言ってたじゃない。今さら何のつもりよ」
「……まぁの。ぬか喜びになるやもしれんなァ。じゃが小娘次第と言ったところかのー」
「? ――どういうコト」
「まぁ待て。ワシがこれから言うコトを、確と聞くのじゃ。よいな?」
見た目は十代の青年もしくは少年と言い切ってしまえる程の、美男子。
実に姿かたちは若年層で他ならない見た目の不老にて、服装は絵に描いたような魔法使い。――今時は古参でも嫌厭する、薄汚れた緑色のフード付きマント。
当の本人が、どの様に認識しているのかはさておき。
世間一般の反応として、同業者であったとしても、その在り方は極めて古くさい。
童話に出てくる様なとんがり帽子。長いローブをマントと重ね着するスタイル。極め付けは太鼓判の如く持っている長物の杖。
誰がどう見ても、一発で何者か見定められる折り紙付き魔法使いの装い。
それでヒゲをたくわえていれば待ったなし、皆が認める歴史上最も偉大な存在として肖像画にも残せる――人物像。
しかしそうはならない。
言動はともかく、見掛けの若さは深刻な問題点だ。
如何に賢者を自称したところで、名声無き時代に真っ当な付加価値はつかない。
可視化されるのは文字通りに不名誉。
戯けた若者が夢を見ている、最悪はほざく程に関心すら持ってもらえない……。
――その位にまで、彼の魔法使いが成した偉業は、過ぎ去った時の彼方で埋没している。
「……ちょっと、何をするつもりか、――説明しなさいよ」
仰向けに横たわったまま、痛みに耐えて動かす頭を問い掛ける相手の方へと向ける。
されどもまるで知らんぷり。
手を袖口から深く入れて、あさる様にし何かを探している。
そして見てわかりやすいくらい、魔法使いの手に当たった。
「あったあった、これじゃこれじゃ」
言って、取り出したのは小さな瓶。
ただ――。
「――何よ、その空っぽの瓶は……? てか、確と聞けって、何を聞けばいいのよ……」
思わせぶりに耳を傾ける素振りを見せた直後から、肝心の言葉は一言も出てこなかった。
いくらなんでもと、不信感を募らせる内に出てきたのは、ただの空き瓶。
見た目は底に向かって緩やかに広がる、細く少し長めの円錐形ガラスの瓶。
しかもオリーブオイルでも入っていたのかと思えるオシャレな形状の上部を指で掴み持ち、何も言わぬまま、未だ空っぽの中身を眺めている。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ……ッ」
「……ほへ? 何がじゃ?」
ぁ、駄目だ。
やっぱりこの銀髪の美少年の皮を被った爺に、期待できるコトなんて、何も。
「嫌じゃのー、本当に嫌じゃ」
「……、何が嫌なのよ……?」
「記憶を消すのがじゃ」
「――は? ……記憶を、消す?」
「そうじゃ。一時的にじゃが、ワシの記憶を消すのじゃ」
「……何で、そんなコトするのよ……」
というか記憶を“消す”とは。――どうやって。
「この瓶の中にワシの記憶を封ずる。まぁ千年位が丁度良いじゃろうな」
「だから消して、どうするのよ……」
まさか現実逃避をする気じゃ。
「言ったじゃろ。あと、千年若ければ、と」
いや若ければって、不老だから肉体的には――。
――忽ち聖女は思い当たる。もしかして。
「記憶を消して若返るのは、気持ちの方じゃ」




