-6.〔積薪の嘆きは翁の耳には念仏にもならない〕
自由気ままに空を飛ぶ、一匹の竜。
暗黒神の周囲を小躍りするかの如く、はしゃぐ様は昆虫の飛び跳ねる姿にも見える。
斯くして自身の周りを好き勝手に動く存在を感知していない訳ではなく。
ただ静かに、暗い息を吐く龍は考えていた。
目の前を行き交う過去の類似した記憶、よりも新鮮な現下の気配について――。
▽
悠久の時を経て再び地上を見渡す暗黒の神。
優雅に天を舞うその行動は復活した喜びなどではなく永い眠りの中で失いかけた感覚を呼び覚ます、いわばウォーミングアップ。
一度確かめれば躊躇する事無く人類を滅ぼす灼熱の業火を最大限にして放つ。
――其処に匙加減は無い。
一撃をもって確絶するのが施しとすら思われる最凶最厄の化身、暗黒神と名高い龍の業。
腹の奥底から高まる閃光と化す、熱エネルギー。
最大にすれば街を覆う護りを融かし人間は疎か根付いた文明すらをも塵に葬り去る、威力を持って放つ。
無論選定の眼中に無い人類の存亡、そうしない理由は選択肢に不在。上がり続ける黒煙の濃度が増える度、平和ボケした人々の最期は――間も無く遣って来る。
刹那、暗黒龍は己の記憶の中にさえ無い。――何かを感じ取る。
判別できない未知の感覚。
確固としていた動機が揺らぎ、膨れ上がる破壊衝動を促進する。――と。
放つ。
大気を構成する幾重もの層が強く閃く光の線で無に帰する、絶対の真空すら熔かし除き消し去る破壊の軌跡は空を割く一筋の光となり女神の功績を突いて、互いに消滅する事となり。
――天に座する龍の思考に、宙に浮いた感覚で、留めるに至ったのだ。
△
暗黒神と呼ばれる龍が人語を介す事は無い。
そもそも理解すらしていない。
しかし知性の有無に起因する理由ならば本質的に人類を凌駕している存在。では何故、話す必要が無いのか?
単純な事である。
これから絶滅する種の言語を理解するなど、言うに及ばず。ただソレだけ。
ところが一つの謎が浮上したコトによって内情では表に現れない戸惑いが表情を見せていた……。
でなければ今頃、眼下の街は未来永劫その歴史を塵と化し。消滅を免れる事は無かった。
――静かに、暗い息を窄め。龍は考えを改める。
よもやこの蠅とも言える現実に即さぬ紛い物が、不可解の正体である筈も無い。
得たいの知れなさでいえば正体は不明でも先刻感じた鮮烈な衝撃とは天と地ほどの差がある。そう、暗黒神にとって得たいが知れないだけの紛い物は相手にするまでもない。
雑魚同然での無視。
あるいは記憶の中でのみ脅威とする種族の随伴が再現されれば、神の眼を遮る障壁となり得るか、は――依然として未確認のまま。
聖女は声を上げる。
「ちょっと、全然相手にされてない感じよッ? 大丈夫なのっ」
「何がじゃ?」
「だから、私達が囮になって街から遠ざけるんでしょ!」
「何の話じゃ? ワシはそんなの快諾した覚えもないぞ」
「なっ」
事実囮役を担うとは一言も、明言はしていない。
基づく、あくまでも――。
「――ワシがやりたいようにやる、それだけじゃ」
「でも、約束はしたでしょっ?」
「……分かっておる。要は肥えたミミズの興味を、ワシに向かせればよいのじゃろゥ?」
「まぁ、そうよ……。できるの?」
「フン、高が土壌改良に優れただけの下等動物にそっぽを向く肝っ玉がある訳なかろう」
「……――じゃあ出来なかったら、どうするのよ?」
「その時は煮るなり焼くなり、どうとでもじゃァ」
「……、分かった。じゃぁ頼んだわよ。私が“仕込む”時間位は、絶対に稼いでよね」
「ほ? なんじゃ、あのミミズに芸でも覚えさせるのか? 変わった悪趣味じゃのー」
「――女神よ、」
「ファッっ?」
…
そう時は経たずして再び、聖女が声を荒げ言う。
「ちょっとッ相手にされてないどころか無視じゃないッッ、てか街の方へ行っちゃったわよっ! どうすんのよっッ?」
と。突如動き出し、波打つ様に下界へと降りて行く暗黒神を空で佇むドラゴンの背上で見送りながらも表皮を叩き。――聖女は返答次第を待つ。
すると。
「――……許せぬ」
唸りを交えて竜は口を開く。
「ワシが千年の時を費やし造形した究極の幻想をなおざりにしおって……っ!」
次いでゾクリと聖女の背筋が脈を打つ。
「小娘っ確りと掴まっておらねば知らぬからなっ!」
「――急に、何するつもりよっ?」
「ひとこと言わねば気も収まらんじゃろ……! フンッ」
「――キャ」
厳密に言えば飛んでいる訳ではない。
四肢は短く細長い胴体には、根っから主翼となる部分が存在すらしていないのだ。
主流となるのは磁場、それも大気に含まれる魔力の磁気を利用し、進む。
しかも神とも呼ばれる龍は自ら磁界を発生させ自由な流れをも作り出す。
まさしく空を支配する神。天を意のままに操る事すらも可能な存在、――がやにわに振り返り、動きを止める。
今来たばかりの空路を鋭い眼が食い入るように、見る。
直後に龍は視線を送ったものの正体を捉えて困惑した。
そしてソレは凄まじい勢いで自身の目前まで迫ると急停止し、怒り狂う様を見せつける様にしてから類似する側面で伸びた先の口角を大きく開けるに至る。
「コラァ! キサマっワシを無視するとはイイ度胸じゃのッ! いったい何様じゃッ?」
――?
龍は人語を理解していない。故に相手が主張する内容を知る術、知ろうとする由も持ち合わせては無い。が、その形相を見て察し、意図を汲み取る力は――有してはいる。
が理の無い時点で由は存在せず。
目の前で騒ぎ立てる羽虫の如く模倣の種――モドキに意を用いるなど決してない。
無い、あろう筈が無い。にもかかわらず、龍は目が離せないでいた。
事実としてソレは取るに足らない不十分な存在である事を直感的理解で、疾うに。
度外におくことで別格で在るのを示していたが、どうもキナ臭いのだ。
一度は復活まぎわ、感覚が整わない内の迷いであったと割り切ってみせたが二度は無い。
神に対峙する自身の傲りは伊達ではなく、真の頂点でなければならない。
故、理が生まれた。
続く由は容赦なく振るわれる尾の部分にて解釈へと。
回避するモドキに合わせ、すかさず爆炎の光が街の上空で――迸る。
聖女が命綱さながらにピタリと片方の手を表皮に押し当てたまま、逆の手を前方に翳して息を呑む。
周囲は黒煙に包まれ、まだ視界は晴れていない。
茫然となる一方で体は一切緊張を和らげようともせず、額からは追加の汗が伝い落ちる。
と、不愉快にも感じる。あっけらかんとした声、その表情すらも彷彿とさせて耳に届く。
「なんじゃ……? 今の」
「――火でしょ、火を吐かれたのよっ、分かんなかったのッ?」
「……何で、火なんぞ吐くんじゃ?」
「リュ、――ドラゴンなんだから火、吐くでしょ!」
「……、――誰が決めたんじゃ?」
「は?」
「ワシは定めておらんぞ、火を吐くなどと」
「……べつにアンタが決めれるモノでもないでしょ……」
「馬鹿を言うでない。唯一無二、ワシだけがドラゴンの基準を定める権利があるんじゃ」
「な、なに言ってんの……?」
「よいか? 小娘。己が導き出した夢の架け橋を渡る権利を有しているのは己のみじゃ。他の何者でも無く、己のみ、なんじゃぞ?」
「……だから、何が言いたいのよ……?」
「単純な話じゃ。ドラゴンと呼べるのはワシのみ、他は偽物なんじゃ。じゃから火を吐くか如何かはワシが定める」
いささかも冗談めかす感じはしない。
この爺、本気でそう思っている。
と聖女は思わず空いている片方の手で顔の半分を残念そうにし覆う。
「ところで小娘よ、今のは何じゃ?」
「――今の? 何のことよ……」
「じゃから今、ビカッとなってボワッっときたのがバシュンっと、なったじゃろ?」
「……、――たぶんソレ、ただの防御魔法よ。やったのは私」
「ほう。ただの小便臭い子供かと思っておったが意外と……――ワッチッッ!」
「要点だけ言わないと“昇天”させるわよ」
「――……じゃからワシは不老不死の、ジャっ、分かったから――止めーィ」
「……で、何?」
「まったく……小娘のせいで背中がずっとこそばゆいわィ。まぁとにかくじゃ。その防御なんとかで自身を護っておれ」
「いちお賢者名乗ってるんだからソッチを忘れちゃダメでしょ……」
「よいな? ワシはちゃんと言ったからのゥ」
「――ェ」




