-5.〔悩ましい、憎まれっ子世に憚れ〕
度重なる使用でジンジンとする拳を撫でながらも、改めて目的を定める為に聖女は変わらず意思の疎通を図るくだりを繰り返す。
「とにかく、暗黒神をなんとかして街を救うの。手伝ってくれるわよね?」
「世界ではなく世俗とは、なんとも自己中心的な話に貶めたのゥ」
キッと聖女の瞳が空気を読めない魔法使いを睨み付ける。
「……よかろう。じゃが先の話は真実であろうな? 場繋ぎの話であれば、さすがに容赦せんぞ」
「勿論、私が知ってる限りで全て話すわよ」
ならば。と暗雲が覆う街の上空に、魔法使いが向き直る。
次いで傍らに立つ聖女ですらも刹那臆する程の鋭い眼が、放たれた。
――ゴクリ。
無意識に唾を呑む事を強いる。
が、次の瞬間。
周囲の空気が一変する、美少年の雰囲気が身窄らしくして瓦解する。
「……駄目じゃ」
「ェ。何が……?」
「やる気が全く起きんのじゃ……」
「は?」
「永く生きておるとの、気持ちが老いるんじゃよ……。興味の無い事には全くと言っていい程にやる気が出ん……」
「ちょ、っと、それじゃァ話が違うでしょッ?」
「……分かっておるわい。じゃが、やる気が出ん内は、どうしようもなかろう……?」
「それをなんとかするのが努力でしょう!」
「……――あと、千年若ければのゥ」
「不老でしょっ!」
「分かっておらんのゥ。老いるというのは、気持ちの在り方なんじゃよ。ただ単に老けた自身を見て気持ちが引っ張られる、それだけのコトなんじゃ」
「だったら何処に老化の要因があるって言うのよッ超絶若い見た目してっ!」
「ワシは例外じゃろ? ――まぁ、ワシが興に入る内容であれば、動く気にもなるんじゃがのー」
「そんなの……急に、興に入る内容って言われても……」
いや待てよ。と聖女はある事を思い出し、思い付いた内容を――口にする。
「だったら、こういうのは如何」
「ほェ?」
※
太古の時代。
神話と呼ばれる程に遠い遠い昔の記録。
世界を創造せし女神と暗黒神が争い、のちに女神が残した功績の一つに数えられる封印は当時巫女として仕えた一人の少女が死力を尽くした末に達せられた。
彼の者は空を行く鱗に覆われた巨大なトカゲの上で戦い、暗黒神を足留めし女神の術が完成する時を稼ぐ事に成功した、ものの命を落とす。
その偉業は残る功績と共に刻まれ、時代を越えて語り継がれはしたが壁画に描かれた姿形は一部損傷にて今や誰も知る由が無い。
時が経ち、再び地上の空を暗雲に染める暗黒の龍神。
知る人のない空へと飛び立つは神話の争いにて対敵と類似した姿で現界した、巫女と共に戦った生物と同様の、形様。
現在、聖女は心の老いた魔法使いが変身する伝説上の生物に乗り、上空高くへと向かって、――気持ちを整える。
寄る辺ない孤独な戦い。
唯一の相棒はやる気の出ない老け込んだ自称賢者のみ。
しかもドラゴンの姿であればまだ飛ぶ事は遂行が出来ると約束を取り付けただけ。
イツその気持ちが削がれるやもしれない不安定な足場で、たった独り暗黒神へと立ち向かう決意を固めた少女。その聖なる瞳に映る閃光は、今まさに熱を帯び高鳴る心の支えをへし折るかの如く、灼熱の炎を見せつけて眼下の街へ――発射された。
※
説得の末にドラゴンの姿でなら接敵しても構わないと承諾した魔法使いに乗り。
暗黒神が居る街の上空へと羽ばたく事となった聖女。
人の目など気にしてはいられない状況故に、民衆はその姿を必然的に目撃する。
そして現実を受け入れる事が出来ず幾人もの大人が言葉を失う中、母親に手を引かれていた幼い子供の口だけが目の前で起きている出来事を恐怖ではない希望に満ちた伝承の物語から引用し、声に出す。
「――ママ、ミコさまだ。ミコさまがいるよ?」
…
徐々に近づく暗黒神の姿。
魔法使いが言った様に、地上から見ると手足の短さからクネリ進む動きがミミズと表現されたのには的を射た感想だったなとひそかに和合する。
しかし、近づくにつれてその全貌は紐状と言い難い、著大な存在で。
天に君臨する支配者の様相に雄々しい迫力と絶望を聖女の心的部分に打ち付ける。
儚くも死を覚悟した決意は百mを超える胴体の長さとソレを保持する腹囲の反映を目前にして屈し。折れ曲がった決心は強く閃く光の線を目撃した事で、完全に消沈する。
泡を吹く様にガチガチと歯を鳴らす少女は先ほどまで居た眼下の街を覗き、ただ震える。
幸いなのは姿勢を安定させる為に両方の手足を飛行するドラゴンの表皮につけた状態で居たコト。
小刻みに振動する全身の筋肉は、もし関節を立たせたままで居たならば自分での制御を失い最悪落下していた可能性すら想定できる。――だから。
もう引き返そう。
最初から、どうにか出来る話ではなかった。
神が地上に存在した時代、世界を亡ぼす敵として封じられた邪悪な神。そもそも人の身で挑める相手ではなかった。
天災、厄災――名目は何であれ、運命から逃れる事は出来ない。
コレはそういう現象によって起こる自然災害と同様の“定め”でしかない。と。
聖女の瞳が閉じられて、自ら背く、現実を受け入れて。
「――なんじゃ、この時代の連中、意外になかなかやるのゥー」
エっと見開く少女の瞳が再び上空高くから現代を牽引する文明の築きを恐る恐るに覗き込み、状況を直視する。
灰色の煙、街全体を覆っていた煙霧が風に流されて晴れていく。
徐々に全体像が明るみとなり、大方の無事を確認したところで思わず胸を押えて出る聖女の吐息。次いで、何故と思考を巡らせるより早く答えは足もとのドラゴンの口から発せられた。
「防護結界じゃな。古くさいやり方じゃのゥ」
――女神の功績、王城だけでなく街全体をも囲む防護結界。
やはり気が動転していたのか、完全に失念していた。
故に事態が急を要する事にも、気づく。
「……マズいわ」
今し方放たれた一撃は控えめに言っても一国を滅するに十分な破壊力を有した異次元の光線。物理的な防壁等何枚隔てたところで熱した鉄棒を使いバターを穿つよりも早く蒸発する人知及ばぬ砲熱の劫火であったと、観念すらした。
言い換えれば、街を守る防護結界は超常的破壊力を有す暗黒神の初弾を防いだ事となる。
如何に女神が成し遂げた歴史の実績や秘奥の術が今尚人類とその文明を支えているのかが窺い知れる、程の極めて危うい場面だった。と、一部の関係者だけが正確に状況を把握する。
その一人である聖女もまた危機を脱した安堵を浮かべるより寧ろ反対に絶望に似た心持ちの苦しげな表情で、進む前方へと顔を向けて事実を述べるしかなかった。
「――今ので結界が無くなったわ。直ぐには元に戻らないわよ……」
もとより返答を期待した発言ではなく、ぼやく様に呟いただけ。
あるいは女神の功績が焼き尽くされたのを目の当たりにし、過去の自分へと遡る切っ掛けが熱を帯び始めた、か。
いずれにしても老いた心が僅かながら、意欲を示す。
「ほっ。なんじゃか、やる気が出てきた気がするのゥ」
「なによそれ、……どっちなのよ?」
「両方じゃわィ」
「ちょっ、――キャ」
「落ちても知らんからの、しがみついておれ!」
表皮硬い鱗に覆われたドラゴンの背上、おあつらえ向きに取っ付く個所は見当たらない。
「待っ、待ちなさいよっ、――キャァァァ」
「ヒャッハーッじゃ!」
体格は比較して数倍、全長であれば更に上の龍。
眼光鋭く、暗雲のもととなる暗い息を呼吸と交えて吐き出す様は雰囲気でも抜群。
すらりと伸びた二本の口髭、と雄鹿みたいな角は威厳の象徴。
正しく威風堂々を体現した見た目に、舌もとぐろを巻きそうな存在感。
――対して。
ドラゴンとしての要件は満たしているものの生物としては現実に存在していない範疇の模造竜。
とりわけ尾の先端にはチャームポイントもある。
その他は一見してドラゴンたらしめる要素が充実し、知る者が見れば疑いようのない竜。
但し、その中身である人格を除けば、の紛い物のドラゴン。
「なんじゃ此奴、図体どおりのトロくさい奴じゃのーっ!」
静止する暗黒神の周囲を無作為に飛ぶ、一匹の竜。
そして背には辛うじて食らい付く、聖女の姿。
「――ところで小娘、さっきから何をやっておるんじゃ? ちいと背中がチクチクとするんじゃがな?」
「……べつに気にする事ないわよ。必死にしがみ付いてるだけだから」
「にしては気持ちムズムズするがのゥー?」
「……いいから。さっきのが街に放たれないように、暗黒神の気でも引いててよ。それくらいは出来るでしょ?」
「他者をおちょくるのはワシの専売特許じゃからの、やりがいあるわい」
初耳である。とはいえ、現状――。
「――それでいいわ」
ちなみにだが、飛行するドラゴンの背で両手を突く聖女は術式の副次的作用で位置固定され落下を免れている。
寄り掛かる術は、女神の賛美歌序章“浄化の炎”を直接相手に触れて行う応用の技。その効果はアンデッド系に残された僅かな生命力を吸い取り、己が魔力に変換する。
「ほっほー、なんじゃかウズウズもしてきたわい!」
内心でひっそりと聖女は願う。
どうか事が済むまで、迎えが来ませんように。――と。
「テンション爆上げじゃーッ!」




