-11.〔名もなき終焉に、悩む余韻すらなく〕
≪注意書き≫
引き続き、お楽しみいただければ、幸いです。
先ほどの衝撃で鼻先に触れられていた距離は詰め寄られた際の、目の前で覗き込まれている状態にまでひらく。
なのに、熱視線は際限なく凶暴性を増すばかりで、聖女を睨む。
「今、なんて言った? 女」
「……、――私は、私は女なんて名前じゃない。リーゼ・クロエ・“セレスティア”・ルミナスって、名前があるの」
「ッハ、そんなコトは聞いちゃいねェ。今“絶望”が、どうとか言っただろ?」
なるほど。そっちに関心が向いたのか、――なら。
「ええ、そうよ。女神様の護りを一撃で壊すほどの化け物に、人間がどうやって対抗するの? 今この街の空に居るのは文字通り“天災”として現れた闇、人類を絶望させる暗黒の神そのモノじゃない」
「……ハ。面白いことを抜かすな、女」
そう口から漏れた乾いた笑い。だが、その瞳に宿る熱量は、熱線すらも凍りつかせるほどに冷たく、鋭く、なる――。
「――……オレを誰だと思っている?」
赤い魔法使いの纏う空気が一変する。それは殺気というより世界そのものを書き換えてしまうような、暴力的で、静かな魔力の奔流に、感じた。
そんな確かな力を感じながらも、聖女の口は恐れる事無く覚悟を持ち――活きる。
「もし、もし貴方があの暗黒の神を倒せるのなら、私のコトは……、どうとでも。好きにして、かまわないわよ……」
決死の覚悟で放った聖女の言葉。しかし赤い魔法使いは応えない。
が次の瞬間、低く愉悦を孕んだ声を喉の奥で鳴らす。
「クク、ハハハハ! なんだソレはもしかしてオレと交渉しているつもりか? ――女、自惚れるなよ。――アレを倒す価値がオマエにあるのか? みっともなく安い女だ」
その言葉を聞き、途端に聖女の顔が真っ赤に染まる。
「――だが、まァいい」
言うが早いか、魔法使いの身体が重力を嘲笑うように――浮き上がる。
聖女に背を向け、振り返ることもなく、ただ天へと昇っていく。
その姿は聖女を呆れさせていた魔法使いとは、決定的に違っていた。
「勘違いするなよ。オマエのような小娘、本来なら言葉を交わすまでもない、力ずくで跪かせる。が、オレはすべてを蹂躙しなければ気が済まん。それは女を抱く時も同じ。オマエが、自ら『抱いてくれ』と泣いて縋るほどに屈服せねば、オレの達成感が“わずか”に薄れる。――アレを殺るのは、その下準備に過ぎん事を、な」
「……だから、私は女じゃなくて、リーゼよ……!」
精一杯の声を振り絞り聖女は言う。
「知らん」
赤き魔法使いは、心底どうでもよさそうに吐き捨てた。
刹那、赤い影が爆発的な速度で天へと加速する。
絶望そのものとして君臨する暗黒神へ、一筋の赤い閃光が、突っ込んでいく。
今、空に昇るは、果たして人類の希望――ではなく、新たな絶望なのか。
真っ赤な髪が、上空から降り注ぐ闇に照らされて、凶々しく燃え盛る――。
*
それは永劫の時を生きる神にとって未知の感覚だった。
再び喉の奥、体内で練り上げられる漆黒の熱。世界を無に還すための、絶対的な破滅の炎。次の一撃で、例え不快な光の膜が在ろうとも地上を消し飛ばす。
――刹、那。
暗黒の龍の視界に、一筋の“赤”が地上から飛び込んできた。
天を統べる己と同じ高度へ、突き進んでくる、極小の質量。
本来なら、一瞥する価値も見出せない紛い物以下の大きさ。
だが龍の網膜が捉えたその影は、周囲の空間そのものを引き裂き、塗り潰し、神の御前へと――到着する。
暗黒神の思考が、初めて停止する。
赤、それはこの世界に存在してはならない“暴力”の結晶。
これまでに対峙してきた人類の姿は、一切感じられない。
唯一理解できるのは、絶対の意思のみ。
神という座に君臨する龍の芯が――。
あってはならない。
――と。
しかし古の記憶が告げている。
目の前に現れた“赤”は、自分を喰らい、消滅させることのできる“天敵”である。と。
龍に満ちていた漆黒のエネルギーが何処かに逆流する。
圧倒的な質量を持つ巨体が、たった一人の人間を前に、生理的な拒絶反応を引き起こす。
古代の神は、その口を裂かんばかりに開き。
天を震わす咆哮の、――叫びを上げた。
*
初めて純粋な“死”を突きつけられた獣の上げる、断末魔にも似た叫び。
赤い魔法使いはソレを涼しげに眺めた、後。
「オマエがこの時代の絶望とやらか? ……ハ、期待外れも甚だしいな。ただ図体がデカいだけの、センスの欠片もない見た目だ。オレが創造する予定の神秘の欠片すらも感じられぬ、酷く、か弱い姿、――反吐が出る」
赤い瞳が自身よりも巨大な龍の姿を冷淡に走査しつつ、告げる。
動じない。
暗黒の龍は、神を以て動じる事は無い。
ただ目の前に現れた不快な赤を叩き潰そうと、巨体を操ろうとした。その時。
――動かない。
肉体そのモノが強張ったのではない。己を天に保持する魔力の流れ、存在権利が外部の力で固定されたのだ。
暗黒神の瞳が細まる。
赤を中心として発生した、凄まじい密度の魔力、の磁界。
それは巨大な恒星が周囲の惑星を重力圏から逃さないように、あるいは底なしの深淵があらゆる光を呑み込むように。
絶望の神が一つの“個”に、赤い世界の一部として取り込まれ、絶対の権利を奪われる。
龍が放とうとしていた漆黒の熱さえも、魔法使いの引力には――従うしかなかった。
神の視界が歪む。
世界が巨大化したのではない。自分が、この人間の支配する領域で矮小な存在に成り下がったのだ。――が。
不意に龍を縛り付けていた絶対的な支配が、消える。
そして自由を取り戻した神が困惑と、憎悪を混ぜた視線で、尊大に両腕を広げて自身を見せる赤い魔法使いを睨む。
「……たしか、女神の護りだったか? 無知な人間共が神にすがる思いで厚く重ねていた祈りを、砕いたその一撃、冥土に旅立つ前に撃たせてやる。的はこのオレだ。悔いの無いように震えず絞れ、絶望の神とやらよ」
*
聖女の指先はすでに感覚を失っていた。泥と血に汚れ、呼吸するのも痛みを伴う。
それでも彼女は左手の瓶を強く抱きしめて、一歩、また一歩。己の体重を呪いながら、穴を這いあがる。
ついには顔を上げれば、闇に輝く赤い光が暗黒を理不尽に扱っているのが見えた。
「……嘘、でしょ」
言葉とは無力だ。
今、聖女の視界で起きている出来事を形にするのは不可能と、一瞬で心が理解する。
「――なんで」
這い上がった指先に残る、土の冷たさと血。
爪を削り、命を削り、ようやく辿り着いた地上というゴール。
けれど見上げた空で繰り広げられていたのは、彼女が命懸けで守ろうとした理や秩を、笑い飛ばすような暴虐だった。
自分がどれだけ祈っても、命を賭しても、結果が出なかった。理想の結末の前で、あのアホウが欠伸でもするかのように、世界を弄んでいる。
必然的に聖女の瞳から一筋の涙がこぼれ落ち、地下に沈んだ。
彼女の心に湧いたのは“安心”ではなく、焼き付くような“嫉妬”で、喉の奥から乾いた笑いが込み上げてくる。
「――決めたは、アンタを利用して、私はもう一度やり直してみせる……。絶対に、貴方がカッコいいヒーローだなんて認めてあげない……ッ」
貴方がどれだけ神を凌駕しようとも、その“空っぽな中身”を埋める権利を持っているのは、私だけ、なのだから。
*
凄まじい咆哮と共に放たれる、世界を消し去る程の熱線。その漆黒が赤い魔法使いの眼前で不自然に収束していく。
衝突音も爆炎もない。魔法使いが口を開けた瞬間、その闇はまるで排水溝に吸い込まれる水みたいに彼の内側へと、――消えた。
……静寂。
何事もなかったかの様に口角を上げる魔法使いが、不服そうにし小さく声を漏らす。
「……舌打ちすら起きん。熱意の無い一芸だったな。――ほら、くいカス含め返してやる。オレの味付けでな」
瞬間、赤い瞳が爆発的な輝きを放つ。
同時に彼が吐き出したのは、先ほどの漆黒を遥かに上回る密度で練り直された、深紅の業火。龍自身が放った熱が赤い炉心で“真”に昇華されて創造主であるはずの神を容赦なく、――焼き焦がす――。
「……同じ一芸で返された気分は、どうだ?」
天を焦がした深紅の業火が収まり、そこには見る影もなく焼き焦げた神の成れ、果てが浮いていた。
かつて世界を終わらせる筈だった暗黒神。
その巨躯からはもはや威厳など微塵も感じられず、ただ燻り、逃げることさえ出来ずに固まっている。
――其処へ、赤がゆっくりと空を滑るように、近づいていく。
真っ黒に焦げた龍の鼻先で止まる魔法使い。無造作に、汚れた壁の埃を払うかのような手つきで、その暗黒に指先を置く。
神の瞳に初めて、そのモノが映り込む。
「……オレの一撃に名前などない。あったとしても、絶望を感じさせる余韻すら与えぬ死に、名が必要だと思うか?」
刹那――赤い魔法使いの指先から、熱も、衝撃も、音も発せられなかった。
ただ、死という理そのモノが、彼の意志に膝を屈したのだ。




