序章 謎の金貨
古代エジプトも中東も腕の長さで距離を計測し、度量衡の標準はあるものの、呼び方と計量の単位に違いが多いため、この作品では日本にも親しみのある尺貫法で統一します。(本作品の歴史背景は紀元前5,6世紀ですが、尺貫法が日本に伝来するまで少なくとも1200年差があります。ヤードポンド法の先祖たる古代ローマの度量衡よりも数世紀早い)
古代中東の測量単位について興味のある人は「古代文明とその計量体系」(https://shosocial.org/arts/history/shosocial/si-units-measurements-cultural-ancient/ja)を読んでみてください。割と面白いので。
パカラ、パカラ、パカラ……
………ッパカラ、パカラ、パカラパカラッ、パカラッッ
遠い丘の向こうから伝わってきたのは、馬蹄の音。
しかも一匹ではない。複数の馬が同時に疾駆している。
大地の震動に伴ってきたのは剣戟が掠り、打ち付ける金属音、それと人の雄叫び。
まるでそれを養分にして花が咲き誇ったみたいに、見えない大地から景色を覆うような土煙が壮観に巻き起こる。
暫くして、向こう側から馬に乗ってる一人の姿が飛び出し、丘を降りていく。
それは一人の女性だ。首の根元まで切った赤い髪が陽の光に照らされて、空中で波を打つ。
その女性に続いて一人、また一人。巻き上がる土煙から続々と騎馬してる人影が現れた。
それらは殺気立って咆えながら、先頭に走ってる赤髪の女性との差を縮めつつある。
すると突如、その傍から一人の男がさっと近づき、手に持つ曲刀でそれら次々と切り伏せ、追ってきた奴らの攻撃も弾きながら、もう一人長髪の女と一緒に駆けていく。
その男、頭巾を被った顔より先に目に映るのは口髭。
そのスジ、得物の二本の曲刀を横にして飾ってるような綺麗な湾曲、そして先端は更に上方へ向かって渦を巻き、円を描くように旋回。顎にも趣向を凝らす山羊のような髭が一叢。
その特徴的な髭、その手にしてる刀、その雄姿。
その男は…そう!彼こそが国々を跨いで名を挙げた大盗賊「ブラヴァーセ」である!
ブラヴァーセと二人の妻が、開幕にして野盗団と大乱戦中!
先頭を走りながら後ろから襲ってくる敵を巧妙にかわす赤髪の女性は二番目の妻イシティーシア、雪の肌に焔の髪。聞くとハッティ人の後胤らしい。彼の有名なハッティ帝国は初めて鉄の製錬法を発見した国と伝承されているが、何故か彼女は武器を持たず、刺のある鉄片を仕込んだ革紐籠手のみで戦う。騎馬戦では劣勢に置かれる一方、ただただ絶好な的になってしまう。
後ろでブラヴァーセと交互に蛇行の軌跡を描きながら鉄製の鎌剣で野盗の脳天をカチ割るのに忙しいのは一番目の妻、上エジプト出身自称〈ハピの娘〉のハヌセト。褐色の肌にあの長い黒髪、もちろん移動や戦闘中は結っている。ちなみに彼女の名前、ギリシャ語での発音は『ハヌシス』。本人も故郷を離れて随分長く、後者の方が逆に慣れている。夫もイシテも普段からそっちで呼んでいる。
紹介はここまでにして、話を戻そう。
次の滞在地へ向かう途中、足休めの場所を探そうとするブラヴァーセに野盗たちが襲い掛かった。
恐らくその顔を知った上での襲撃ではないだろう。
すると三人はお約束みたいないつもの作戦で打って出る。手ぶらのイシティーシアを先頭に、二人は両翼の三角形。
砂埃で敵の視線をくらましながら影や死角の多い場所まで誘い込み、囮であるイシティーシアが注意を引き付けている間に二人は両側から逐一撃破。身の程知らずのヤジ相手だとまず失敗した試しがない。
現にこう説明している間、その野盗団は既に壊滅状態に陥った。
逃走者と落馬者と死人を続出させている中、三人はそろそろ引き返して死体を漁ろうとする。
馬を減速させていた時に、後ろから執拗に伝わってくる一匹の足音に気付く。
ハヌシスは後方からの全力一薙ぎを躰をずらして避け、鎌剣で反撃するが向こうの直剣で防ぎきられた。
あの鬼の形相、格別な武器、体格の良さからすると、一党の親玉はこいつのようだ。手に持つ直剣は2尺余り、剣身の幅は1寸以上。ハヌシスと渡り合えてどうやら腕もそこそこある。
怒り心頭の親玉は再び距離を迫ろうとするが、横槍を入れてきたブラヴァーセによりその勢いは削がれた。
そして今度はブラヴァーセに向かって、血眼になってその剣を幾度も叩き付ける。
手下がほぼ全滅したことがどうしても許せなかったのだろう。後先構わずとにかく目の前にいる敵を斬ろうとしてる。
ブラヴァーセは避けるなり弾くなり、妻たちに目配せをしながら親玉を引き離した。
速度を落とす二人を確認したら、軽薄な攻撃で挑発しつつ馬をさらに飛ばした。
これで一対一だ。
本来両刀使いにとって、馬上での戦闘は手一本しか動かせないため不利になりやすいが、なにぶん大盗賊ブラヴァーセは馬上での生活が長く、此れしきでは負かされることはそうそうない。
一振りまた一薙ぎ、ブラヴァーセは敢えて馬を寄せて足並みを合わせ、この擦れ擦れの応酬を楽しめたいのだ。
カシャンカシャン、金属が掠りながらぶつかる音は続く。土煙の尾を引いて、二人の馬は並んで丘陵を抜け、荒野を駆ける。
だけど先程とは少々違いがあった。親玉の呼吸は荒く、服もはだけて所々赤く染まっている。
早くカタをつけたい一心で、また無暗に剣を振り下ろす。
その焦りがもたらした隙、ブラヴァーセは機会を逃さなかった。
「プシャー」という粘っこい噴出音の後、敵だった男は手で喉元を抑えながら剣と共に落馬した。
その周りは赤が滲み、血はまるで大地に吸い尽くされるように水気を迅速に失っていく。
それでもドプドプと、新しい血が同じ軌跡を辿りその渇きを潤おうとする。それと引き換えに男の目から生気が薄れていく。
…………………………
ブラヴァーセが戻った時、妻の二人は既に一通り戦利品を漁り終えた。
動揺して逃げずにとどまってた数匹の馬までうまく落ち着かせて手綱を引っ張ってる。
「ペッ!しけてやがる。こっちはどんだけ砂埃喰ったと思ってんだ!強盗やっといてこんな貧相なの恥ずかしくないのか!」
と成果を聞くまでもなく、ハヌシスは死体に向かって暴言を吐いてる
「あれだけ移動中は頭巾被れって言ったのに」
やれやれって顔しながらブラヴァーセが野盗たちの馬に歩み寄る。状態を確認するためだ。
「うっせぇ!なんならてめぇの頭巾寄越しやがれってんだ!」
「いや…なんかごめん、僕が忘れてなければ…」と、イシティーシアは申し訳なさそうな顔を見せた。
「いいのよイシテ、守衛に追っかけられたのだから誰でも慌てるわ!顔でバレたこいつが悪いのよ!」
と、ハヌシスは苦笑してるブラヴァーセを責め立てる。
「馬の荷物に酒と胡椒は少しあるが、それ以外何も持ってなかった。こいつら本当に強盗かよ!」
「巣まで行ったらもっといい物あるかもしれないが、死体に案内はお願いできないしね」
「そっちは?親玉だからちゃんといいのを身に持ってんじゃないの?」
ブラヴァーセは振り向いて、腰の小物入れから一つ取り出した。
「硬貨?」
「金のだ。」
よく見ると歯形までついてある。
「この上の模様はなんだ?」
イシティーシアも珍しげに寄ってきた。
「歯形だな。俺のじゃないけど」
その返事を聞いてハヌシスは「こいつ正気か」って顔でブラヴァーセを睨んだ。
「…何よ。もうついてんだから絶対金だよ。恐らくあの親玉が噛んだのだろ。嫌だからなもう一度噛むの、あいつ口臭そうだし。」
「…蜥蜴か?」
イシティーシアはその頓智を無視して思考を深める。
「あ、この極印のことか…蛇かサラマンダーだろう。確かに普段見ない模様だが、問題はそこじゃない。ここら辺でこれ使えるかどうかだ。」
そう、ブラヴァーセの言う通り。この時代の中東ではまだ物々交換が主流である。
だから欲を言えば、この野盗たちには宝石でも身につけて欲しかった。
「それに…」
それに一つ、気がかりなことがある。別にこの時代に硬貨がないわけでもない。
「こういうのを鋳るのは……リュディアの技術かも」
「じゃ使えないじゃん!これからどうするの?随分予定から逸れたが、元の道に戻る?」
ハヌシスの一言がブラヴァーセの思考を引き戻した。
「いや」彼は喋りながら硬貨を収納し、親玉と戦ってた方向へ指をさした。
「さっきあそこの丘の上から見えたんだが、向こうにデカい街と水源がある。」
「じゃ馬は連れてくね?」
「ああ、ちょうどいい。商人を装い街に入れてもらおう。疑われたら強盗に遭ったって言えばいい」
その特徴的な髭を抑えて隠すようにブラヴァーセは頭巾を整えた。
一行は売れそうなものをまとめて、あの大きな街へ向かって発進した。馬たちの手綱を引きながら。
この時点で彼らはまだ知らない。
その街の名は『バビロン』だと言う。
「中東で初めて硬貨を鋳造し始めた国はちょうどこの時代にあった」と一言入れようと思ったが、説明としてはメタな部分もあるので後書きに書くとしましょう。
まさか三連休全部使ってこの1章しか書けてないのも驚いた。ちょっと調べものに割いた時間が多かった。
次章はもうちょっとかかるかも。




