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第一話

 緑が一面に広がる中にある土の部分を、息を切らせながら心持ち前かがみに歩いていく。丸太が土の中に横に半分埋め込まれ、それが階段のようになっていて長い距離を整備されていた。

 背にはリュック。首にはタオルを巻き、タオルは吹き出る汗を吸い込んでじんわりと湿っている。

 伽耶(かや)は後ろを振り返り、友紀恵(ゆきえ)がちゃんと遅れずに付いてきているのを見て安堵した。

 ふと顔を上げると緑が切れ、岩や石ころがごろごろした風景に変わった。さらにそのはるか前方の目的地点を目がとらえ、伽耶は疲れが吹き飛んだ。

「頑張って、もう少しよ」

「うん」

 少しずつ歩を進め、目的地点に着くと伽耶は目を(きら)めかせた。

「ハァー、やっと着いたわ!」

 眼前には雲のない青空と絶景が広がっている。(ふもと)に楕円形の湖が青く見え、それよりもずっと遠くには町のビルや建物が小さく密集しているのが見えた。

「どう? 山登りの感想は。気持ちいいでしょう?」

「そうね。空気が美味しい」

 そう言い、友紀恵はぐうっと身体を伸ばした。

「でしょう? やっぱり友紀恵も誘ってよかったわ」

 ここ太平山(たいへいざん)は標高一〇二三メートルの活火山であり、七合目までは車でいくことができる。七合目に登山口があり、そこから約一時間かけて登ってきたのだ。

 山登り、と言っても、小学生が遠足でくるような気軽に登れる初心者向けのハイキングコースだ。本格的な登山の装備をしているわけではなく、少しの食べ物とペットボトルの水とタオルをリュックに入れ、手には軍手、フリースのジャケットとジャージにスニーカーという軽いものだった。

「ねぇ、記念に一緒に写真撮ろうよ」

「いいわね」

 二人は太平山山頂と書かれた立て札のところでスマートフォンで写真を撮った。

「ふふ、よく撮れてる。あとで友紀恵のスマホにも送っとくね」

「うん、ありがと」

 伽耶はスマートフォンをリュックにしまった。

 並んで座れるベンチを見つけて、二人はそこでお昼をとることにした。

「結構人がいるのね」

「そうね。夏休みだからかしら」

 周りを見ると家族連れや学生が多く、時おり子供のかん高い声がいくつも聞こえてくる。

 伽耶はおにぎりを食べながらこのあとのことに考えを巡らせた。

「このあとの予定だけど、そこら辺を少し散歩して、あっちのコースから下山しようと思うのよ」

 登ってきた方とは逆方向だ。

「来たコースを戻るんじゃないの?」

「あっちに高山植物が咲いてるところがあるらしいの。二時間くらいかかっちゃうんだけど、そのまま駐車場に戻れるみたいだし、せっかくだからいってみない?」

「うん、いいわよ」

 お弁当を食べて山頂からの絶景を楽しんだ後、二人は下山の途についた。

「わあ、高山植物ってこんなに咲いてるものだったのね」

 登山道の両脇を白やピンクの花が色どりを添えており、かなり広範囲に可憐な花をつけていた。

 登りのコースにはこんなお花畑はなかったため、下りはこっちのコースを選んでやはりよかった、と伽耶は思った。

 お花畑を抜けると、再び登りのコースと同じような岩場や緑が広がる登山道を歩く。途中で休憩を挟みながら歩き、かるく三時間以上たった頃、伽耶は異変に気づいた。

「ねぇ、全然駐車場に出ないんだけど」

「うん、なんか全然着く感じがしないよね。道はこっちでいいのよね?」

「一本道だからね。でも、変なとこ入っちゃったかしら」

「一本道なの? それなら歩いてれば着くわよね。もう少し歩けば着くんじゃない?」

「うん」

 丸太が階段のようになって整備されていた登山道はいつのまにかなくなり、土がむき出しになっている普通の山道といってもいいような道をひたすら歩いた。

「あ、何かある」

「何これ」

 山道の脇に大きな石像がどしんと一体据えられていた。

 ずっと何年もそこにあるらしく、苔が所々にこびりついている。背丈は軽く見上げるほどの高さがあり、みるからにずしりとしていて、簡単に動かせるようなものではない。

「仏像? かしら」

「まだ向こうにもあるわよ」

 さらに歩いていくと、また別の石像が二体目、三体目と現れ、一体目とは手の位置や顔の向きが異なるデザインになっていた。今度は顔がはっきりと見え、こちらを威嚇(いかく)しているような激しい表情に、伽耶はざわりと鳥肌が立つのを感じた。

「なんか、気味悪いわねぇ」

 そう言いつつも、山道を二人で進んでいく。

 友紀恵が気弱そうな声を上げた。

「ねぇ、やっぱりこの道、違うんじゃないかしら。すれ違う人もいないし」

「待って、向こうに何かあるわよ。あの向こうに駐車場があるんじゃない?」

 樹木の葉に隠れて瓦屋根のようなものが見えた。近くまでいってみると、日本建築のお寺や神社にあるような屋根のついた立派な門だった。

 門は開いており、伽耶は中を覗いてみた。正面にはお寺のような壮麗な建造物が見える。

「お寺かしら。ここから駐車場にいけると思う?」

 友紀恵は黙って首を傾げてみせた。

「そうよね。でも道はここで終わってるわ。多分、どこかで間違えたのよ。ここの人に聞いてみようかしら」

「中に入るの? 大丈夫?」

「大丈夫よ。ちょっと道を聞くだけなんだし」

 そう言い、伽耶は門の中に足を踏み入れた。友紀恵もそのあとに続く。

 門の正面に建っている壮麗な建造物は短い階段を上がったところに入口があり、二人はそこを上がった。

 伽耶は戸を二、三度叩き、大きく声を張り上げた。

「すみませーん。ちょっとお尋ねしたいのですが、どなたかいらっしゃいませんかぁー?」

 誰かが出てくるのを待ったが、出てくる気配はない。

「誰もいないのかしら」

「ねぇ、もう五時になるわ。どうする」

 友紀恵に言われて腕時計を見ると、針は午後五時前を指している。今の季節はまだ空は明るいが、なにぶん山の中だ。

 引き返して、きた道を戻ろうか、と言おうとした、ちょうどその時、後ろの方から足音が聞こえてきた。

 草履で歩くような足音だ。二人が振り向くと、修験者(しゅげんじゃ)のような出で立ちの一人の成人男性がこちらに向かってくるところだった。

「何かお困りですか」

 そう声をかけてきた彼は、年は二十代後半から三十代前半といったところだろう。清廉そうな笑みを浮かべて階段の下で立ち止まった。

 二人は慌てて階段を下りた。

「すみません、私たち、道に迷っちゃったみたいなんです。登山口の駐車場に出ると思ってたんですが、こちらは違うんでしょうか」

「なるほど。残念ですが、こちらからはいけません」

「えっ、やっぱりどこかで変な道に入っちゃったのね。気づかなかったわ」

「山道をだいぶ戻ることになりますが、今からでは真っ暗な中を歩くことになりますので危険が伴いましょう。今夜はこちらに泊まって、明日の朝に下山されてはいかがでしょうか」

「そんな、ご迷惑では……」

「いえいえ、これも何かの縁です。どうぞお気になさらず」

「いえ、でも……」

 伽耶は友紀恵に目配せをする。修験者の格好をしているとはいっても、相手は知らない男だ。

 伽耶はそれとなくそのことを口にした。

「中には女性もいます。安心なさい」

「はぁ、それなら……」

 男は建物の横から奥の方へ二人を案内した。奥には別の入口があり、ここの関係者が出入りするのだろうと思われた。

 スニーカーを脱ぎ中に入ると、板張りの廊下が左右に伸びている。

「どうぞ、こちらです」

「あの、こちらはお寺なんですよね」

 伽耶が尋ねた。

「はい。ですが、お泊まりいただくところは別に用意しますので」

「別、と言いますと」

「うちは静養所を併設しているんです。そちらに女性が何人かおられるのでそちらがいいでしょう」

 二人はその言葉に納得すると、案内されるまま歩き出す。

 伽耶は案内された方とは逆方向の廊下を手で示した。

「あちらに本堂があるんですね」

「はい。先ほどあなたたちがいた、あの中が本堂になります」

 廊下の片側は窓になっている。太陽光が差し込んでいて廊下が明るい。その反対側は部屋がいくつも並んでおり、障子(しょうじ)が閉まっていた。

 廊下を進んでいるうちに、障子が全開になっている部屋を一つ見つけ、伽耶は歩きながら思わず中を覗きこむ。

 中は和室で、手のひらに乗りそうな小さな仏像が何十体も棚に綺麗に並べられていた。小さな仏像でも数が集まると壮観だな、と伽耶は思った。

 お寺と繋ぐ渡り廊下を歩いた先に、静養所はあった。その中の一室に案内される。

「どうぞ、こちらの部屋を使ってください」

 二人が寝泊まりするには充分な広さの和室だ。

「すみません、ありがとうございます」

「あとで食事を運ばせます。それまでおくろぎください」

「何から何までお世話になります」

 二人で頭を下げる。部屋の戸が閉まり男の足音が遠ざかると、伽耶はやっと安心したかのように口を開いた。

「この山にこんなとこがあるなんて、知らなかったわ」

「ねぇ伽耶、地図持ってる?」

「あ、うん」

 リュックから地図を引っ張り出し、畳の上に広げる。二人でひたいをつき合わせて地図に視線を滑らせたが、二人とも首を捻るばかりだ。

 伽耶は地図に目を凝らし、もう一度地図に載っている登山道を指でたどる。

「やっぱり、どう見ても一本道よねぇ。どこから入り込んだのかしら」

「しかも、ここの場所も地図に載ってないわよ」

「ほんとだ。……変なの」

 地図を畳んで片づけると、伽耶は壁に疲れた身体を預けた。

「なんか、こんなことになってごめんね」

「ううん。いいのよ」

 友紀恵はにっこりと笑った。

 ふと思い立ち、伽耶はリュックからスマートフォンを取り出した。

「あ、ここは電波がないのかしら。携帯使えないわ」

「え」

「まぁ、今は夏休みだし、一人暮らしだから心配する人はいないからいいけど」

 一時間ほどたった頃、一人の女性が顔を見せた。グレーの作務衣(さむえ)を着ており、伽耶や友紀恵よりも年上の感じのきりりとした顔立ちの女性だ。

「お食事をお持ちしました」

「すみません、ありがとうございます」

 備えつけのテーブルに配膳すると、女性は気さくに話しかけてきた。

「下山途中で道に迷ったって聞いたのだけど、あなたたち学生さん?」

 はい、と二人で答え、伽耶は尋ねる。

「あの、あなたは」

「ここで静養中なの。もう半年くらいここにいるわ」

「え、どこかお悪いんですか」

「私はね、依存症なの。アルコール依存症。他にも、薬物依存とか、ギャンブル依存とか、ここにはいろんな心の病を抱えた人が救いを求めて集まってくるわ」

「さっきの人もですか?」

「さっきの人?」

 伽耶はここまで案内してくれた男のことを話した。

「あの人は違うわ。どういう立場の人か、私もよくわからないのだけど」

 伽耶と友紀恵は、ふぅん、とお互いに顔を見合わせる。

「じゃあ、食べたらお風呂がわいてるから、よかったら登山の疲れを落としていってね」

 大浴場だから気持ちいいわよ、と言い、女性は部屋を出ていった。

 食事をしてありがたくお風呂にも入らせてもらい、あまり長風呂することなく部屋に戻ると、二人分の布団とグレーの作務衣が用意されていた。

 まるで旅館のようなもてなしに恐縮してしまった。

 窓を見ると外は完全に暗くなりかけている。時間はまだかなり早かったが、作務衣に着替えて布団の上に寝転がった。

 明日どうする? と友紀恵が尋ねてきた。

「えーと、現在位置もわからないし、地図を見てもどうやってここに着いたのかわからない以上、明日は一旦山道を戻って山頂までいって、きたコースから下山した方がわかりやすくていいんじゃないかなと思うのよ」

「うん、そうね。……ねぇ、さっきの女の人のことだけど」

「うん」

「アルコール依存症って言ってたけど、もう治ったのかしら」

「うーん、半年くらいいるって言ってたわよね。どうなんだろう」

「見た感じは普通だったけど、お酒を見たらやっぱり我慢できなくなっちゃったりするのかしら」

「さぁ……どうかしら」

 心の病を抱えた人がこの静養所に集まってくると言っていた。たしかに都会から離れた雄大な大自然に囲まれて過ごすと、都会では癒えない病もここでは癒えるのかもしれない。


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