調香師は愛を知る
「調香師は時を売る」の完結一周年を記念した特別編です。
※本編未読の方にも楽しんでいただけるよう書いたつもりですが、本編を読まれてからお手に取っていただけますと、より楽しめる内容となっております。
開花祭。
それは一年に一度、愛を伝える大切な日である。
だが、マリアにとって恋人であるケイとの二度目の開花祭は、朝からパルフ・メリエの再開初日ということもあって、予想以上に慌ただしい一日となってしまった。
店の再開を聞きつけた多くの人が訪れてくれたことは嬉しい。
だが、酒を入れたのがまずかった。
何も知らずに店へやってきた客まで巻き込んだ宴会はパルフ・メリエが閉店してからも続き、噂を聞いた近隣の村の人までやってきて、収集がつかなくなったのだ。
さすがに見兼ねた騎士団団長シャルルが騎士団の面々を呼び、なんとか解散させるという異様な事態に陥って、ようやく先ほど宴会は幕を閉じた。
これには、さすがのマリアといえど思わずぐったりとしてしまう。
本来であれば、夕方には店を閉め、ケイと一緒に開花祭の夜をゆっくりと楽しむはずだったのに。
色恋には疎いマリアとて、開花祭は彼との記念日でもあるし、旅を終えたばかりで久しぶりの再会ということもあって、恋人らしい時間を過ごしたかった。
明日も一緒に過ごす予定ではある。だが、それはそれ、これはこれ、だ。
パルフ・メリエの二階。
リビングで小さく息を吐くと、ちょうど下の騒ぎの片づけを終えたケイが上がってきた。
「大丈夫か?」
皆が解散した後、一人パルフ・メリエに残ってくれたらしい。
マリアはゆっくりと顔を上げる。曖昧ながらも、出来る限りの笑みを浮かべて。
「はい……。皆さんがお祝いに来てくださったことは嬉しかったのですが、久しぶりのお店でお客さまも多かったですし、少し疲れてしまったみたいです」
今まで旅に出ていたから、仕事をするのも久しぶり。苦手な金勘定に、いつもより多い接客、それに加えて外の宴会への対応。とてもではないが、およそ一年ぶりに店を開けた人間のする仕事量ではない。
「ケイさんもお疲れでしょう? 今、お茶を」
だが、ケイにまで心配をかけるわけにはいかない。マリアが立ち上がると、ケイが「いや」とマリアを制した。
「俺がやろう。旅の疲れもまだあるだろう」
「ですが……」
「茶くらい淹れられるさ。それに、その……俺たちは、恋人、だろう。もっと甘えてくれ」
それは油断していると聞き逃してしまいそうな小さな声。
マリアの視界に、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていくケイの姿が映る。
言いなれていないことが明白な態度だが、そんなことは全く気にならない。
恋人。
その実感がわく前に、旅に出てしまったから。普段、あまりそういうことを口にしないケイが、きちんと言葉にしてくれたから。
ずっと、会いたいと思っていた彼が、目の前にいるから。
思わず、抱きしめてほしいと。
マリアは柄にもなくそんなことを思ってしまった。
「その……これからはもっと、頼ってほしい。俺だって、一年何もしていなかったわけじゃないからな」
くしゃりと笑う顔は、確かに一年見ない間に少し柔らかくなったような気がする。
初めて出会ったときなんて、それこそとんでもない仏頂面だったというのに。
マリアはそんなケイの姿が愛おしくてたまらず、自らがパルフ・メリエに、帰るべき場所に帰ってきたのだと改めて実感した。
「ありがとうございます、ケイさん」
マリアが微笑むと、ケイはウロウロと視線をさまよわせ――ゆっくりと、マリアの方へ近づいた。
ふわりとカモミールの香りがして、次の瞬間、マリアは体格の良いケイの影に覆われる。
おずおずと、まるで壊れ物を扱うみたいに、優しく、丁寧に。
抱きしめられたのだと分かったのは、数瞬の後。
ケイの大きな手が背中に回り、じんわりと感じるあたたかさで胸がいっぱいになる。
バクバクとうるさい心臓の音を意識しないように、マリアもそっと彼の背に手を回してみた……ら、ケイのけたたましい鼓動が聞こえたような気がした。
「会いたかった。ずっと、マリアからもらった時間を、何度も思い出していたんだ」
調香師は香りを通じて記憶を、時を、売る仕事。
マリアの作ったカモミールの香水が、現実の空白を埋めるだけの思い出をケイに残してくれていた。
その証拠にほら、今日だってケイからはカモミールの香りがする。
それだけで、マリアの疲れも吹き飛んでしまうような気がした。
「私もです、ケイさん」
「マリア」
穏やかな声で名を呼ばれたかと思うと、ケイの腕がほどける。
離れた体温が名残惜しい。
かわりに、かち合ったケイの視線が熱を帯びていて、マリアはごくんと唾を飲んだ。
「これからは……マリアのその人生の時間を、俺に半分分けてほしい」
まるで、プロポーズのような。
ちょうど一年前。開花祭の日にケイから告白された言葉を思い出して、マリアは思わず微笑んだ。
「もちろんです。調香師は時を売る仕事ですから」
ケイには、売る、というよりも――分け合う、という表現の方が正しいのかもしれないけれど。あいにくとこれは常套句だ。譲れない。
「商売っ気がないと聞いていたんだがな」
ケイに痛いところをつかれ、マリアが「う」と顔をしかめると、彼は珍しく声を上げて笑った。
つられてマリアが笑うと、ケイは再び彼女を抱きしめる。
先ほどよりも力強く、決して離さないように。
マリアはその腕のぬくもりに、カモミールの香りに包まれて、そっと目を閉じた。
「調香師は時を売る」の完結一周年記念特別編をお手に取ってくださり、本当にありがとうございます!
本編完結から一年。初めて連載した作品だったこともあって、今でも私にとっては大変思いれ深い作品です。
調香師という珍しい職業を扱った作品で、中々マイナーなジャンルであることも自覚しつつ……今でもたくさんの方に愛されていることが誇らしくもあります。
中々の長編ですが、いまだにお手に取ってくださったり、話題に上げてくださる方がいらっしゃったり、と本当に嬉しい限りです。
そんな皆さまに支えられております……!
本当に、いつもありがとうございます。
これからも、作品ともども、何卒よろしくお願いいたします*