修道院は問題児収容施設ではありません!
※頭を空っぽにして読んでください
此処は修道院です。厳しい戒律の下、日々清貧な生活を送ります。
このような生活を好んで送りたい者など、一般的には少数派でしょう。しかし、私を含めて百人ほどの女性で共同生活を営んています。
夫の暴力や家族からの虐待から逃れる為など、様々な理由で身を寄せています。追い詰められた女性にとって、最後の砦としても機能しているのです。
「どうして私がこんな所に来なくちゃいけないの!? 次期公爵さまと結婚してズルいお姉さまが入るべきよ!」
断じて、問題児収容施設ではありません!
以前から、問題児を修道院に入れて厄介払いする人たちがいましたが、ここ最近は特に酷いです。数もですが、問題行動の度合いが。
一年前には、魅了の術を使って学園で婚約者のいる貴族令息を誘惑しようとした男爵令嬢が来ました。
魅了の術は異性にのみ効きます。当然同性しかいないので自分の思い通りにならないことに腹を立て、その度に声を荒げ、注意しても聞く耳を持たず。
此処の修道院では、戒律により体罰などの厳しい処罰を与えられないので、行動が更にエスカレート。備品を壊したり、止めようとした者たちに手をあげたり。
半年前には、聖女を騙ろうとした侯爵令嬢が来ました。
自分こそが本物の聖女であり侯爵令嬢なのだからと、シスターたちを勝手に使用人扱いしようとしたり。
それだけでは飽き足らず、最高責任者である修道院長すら顎で使おうとしたり。
自室に引きこもって平和になったかと思えば、部屋が狭いと壁を壊して広げようとしたり。
三か月前からは、なんでも「ズルい」を連呼して我が儘を通そうとする伯爵令嬢が来ています。
清貧な生活がとにかく合わないようで、食事量が足りず、隣に座る者の方が量が多いと難癖を付けて奪ったり。
数少なく許されている私物を盗み、それが明るみになれば泣き叫んで返却を拒んだり。
勿論、この三人が割り振られた掃除当番などを行っている所など、誰も見たことがありません。注意しても、開き直るばかり。
あまりの酷さに懲罰房――といっても体罰は禁止されているので部屋に閉じ込めるだけですが、反省するどころか怒るだけ。
自分の主張はしても、他人の意見には一切耳を傾けようとしません。
勿論、彼女たちの家に苦情の旨を伝えましたが、返ってきたのは「そちらの指導の仕方が悪いだけ。むしろ、大事な娘に不快な思いをさせるとは何事だ、無能共!」と罵声を浴びせられました。
子供は親の背中を見て育つと言いますよね。大事な娘さんなら、一早く無能集団から救い上げてください。
あまりの横暴さに誰もが辟易し、退院してほしいと願っています。
そんなに此処が嫌なら、逃げ出してくれたなら――、と。
女性のみの共同生活なので当然警備を敷いていますが、小規模の修道院では予算の都合から、一分の隙も無く完璧とは言えず、外部からの侵入に重点を置いた警備体制になっています。
つまり、内部から逃げ出すことは、そう難しくないのです。
ですが、これだけは絶対に許してはなりません。
あのマナーもモラルも常識も、人が社会で生きる上で必要不可欠のものを身に着けるつもりのない問題児が、此処を抜けた市井で、誰にも何の迷惑もかけずに実家に辿り着くことなどありえるでしょうか?
その問題児を生み出した家族は、「修道院が娘を追い詰め、今回のような凶行を起こさせた」などと虚言を吹聴して被害者気取りする姿が、容易に思い浮かびます。
被害者からの非難も、修道院に殺到するでしょう。
問題を起こした本人は、警備隊の管理下に置かれて接触できない。その家族は、貴族だから抗議なんてできない。これらの鬱憤が怒りを加速させ、嫌がらせにまで発展する能性は十分あります。
勿論、管理責任があるので真摯に対応します。幸い、背後に教会が付いているので苛烈な事態になることはありません。しばらくすれば、ほとぼりも冷めるでしょう。
ですが、無関係な方々に迷惑を掛けること以外は、大した問題ではありません。
私たちにとっての死活問題は、ここからです。
脱走を許した上に被害を出したとなれば、警備体制の見直しが急務となります。
突然予算が増える訳もないので、お金をかけず、且つ早急に警備体制を強化するには、戒律を厳しくするしかありません。
例えば、消灯時間になったら部屋の前で点呼を取る。原則二人で行動し、特別な場合や許可無しでは離れることを許さない相互監視など。
耐えられません、そんな状況!
この修道院は戒律が比較的緩く、皆が和気あいあいと過ごしています。
割り振られた仕事と一日数回の祈りをこなしていれば、残りの時間を好きに過ごすことができるのです。
緩い戒律が許されているのは、それで何の問題も起きていないから。
戒律が厳しいのは聖書の解釈違いもありますが、一番の理由は、そうしなければ共同生活に支障が出る為です。
ごく普通にマナーやモラルや常識に加え、修道女としての規範を皆が守っていれば、厳しい戒律が無くても平穏で快適な生活が送れるのです。
此処にいる者たちは、問題児を除いてそのことを理解しています。
まぁ、戒律が緩いからこそ、問題児を甘やかすだけの家族は此処に入れたのでしょうが。
本当に愛して娘の為を想うのであれば、人格矯正の為に北の修道院に迷いなく入れますし。
北の修道院は、一年の半分以上を雪で覆われた極寒の地にあり、国一番と言われる厳しい戒律が敷かれています。
そこには、強制人格矯正コースと密かに言われているものがありまして。厳格なことで有名な家庭教師や、軍を退役した者達による一切容赦の無い矯正指導が行われています。
指導者に逆らったり脱走しようとすれば、間髪入れずに折檻を受けたり、場合によっては懲罰房に入れられます。此処とは聖書の解釈が違うので、認められているのですよね、苛烈な体罰が。
身体を痛めることなく、ただ純粋に痛みのみを与える関節技というものを使うそうです。傷跡が残ると困る貴族令嬢もいますからね。
それでも効果が無い場合には真冬のサバイバル訓練などもあるそうで、どんなやんちゃな問題児でも必ず改心すると専らの評判です。
最近ですと、武術だけは優れたとある騎士団長子息が、木の棒一本で冬眠前の熊と強制一騎打ちをしたそうで。武人なので死なないように、でも決して逃げることを許さず、心を粉砕レベルで折られたそうです。
軍の退役者であるその目付け役は、木の棒一本で熊を瞬殺したというのですから、この国は本当に安泰です。
一流の人材が雇われているだけあって、当然寄付金は高くなります。治安維持を目的とした国策でもあるので、収入によってその金額は異なりますが。
……単に出し惜しんだだけかもしれませんね、此処に入れたのは。
いえ、無い物ねだりをしても仕方がありません。
問題児が私たちと同じ修道院に居る事は、紛れもない事実であり変えようがありません。――何もしない限りは。
彼女たちは家族から甘やかされ、――優しい虐待を受けていたのです。当然同情の余地はあります。
間違えた道を正す為に出来る限り心に寄り添い、粘り強く道理を説いてきたつもりです。
三か月間に渡り心を砕いてきましたが、一向に改善する気配はありませんでした。おそらく、私たちがどれだけ尽くしても、これ以上の改善の余地はありません。
私たちでは力になれないのであれば、これ以上此処に居ることは彼女にとっても為にはなりません。
あら、ちょうど良い所に三か月前に来たズルいを連呼する問題児がいますね。
その位置であれば、聞き耳を立てるまでもなく、こちらの会話がよく聞こえるでしょう。
近くにいるシスターたちに視線を送れば、こちらの意図に気付いてくれました。
「みなさん、明後日が楽しみですね。」
「えぇ、明後日のミサは特別ですもの。
繊細で美しい装飾が施されたロウソクは、何度見ても神秘的で心を奪われてしまうわ。」
「本当に。お供え物を盛るお皿の意匠も素敵ですよね。」
「あら、その下に敷くレースの敷物も忘れてはならないわ。あの有名なお方の作品を目に出来るなんて、私たちは幸せ者ね。」
狙い通り、後ろから熱い視線を感じます。
「でも、このような貴重な品をいつもの準備室で保管しているなんて、少し心配になりますね。」
「鍵をかけているとはいえ、いつもの鍵置き場にあるものね。」
「用が無ければ、誰も通りませんし。」
「大丈夫ですよ。こんな小さな修道院にそんな貴重な物があるなんて、誰も思わないでしょう?」
「そうよ。そもそも、そんな罰当たりな真似をする人なんて居ないわ。」
「それもそうですね。」
消えてもらいましょう、あの二人(魅了の術が使える問題児と自称聖女の問題児)のように。
「平和ですね。」
「えぇ、本当に。」
昨日まであった騒音がなくなったことに思わず呟けば、一緒に廊下の掃除をしているシスターたちもしみじみと頷いてくれました。
今日のお昼頃から、ずっとこんなやり取りばかりしながら、戻ってきた平穏を私たちは噛みしめています。
なんと、あの「ズルい」と難癖を付ける問題児が、ミサで使用する備品を昨夜盗んだことが今朝発覚し、今日のお昼前に実家へ帰ったのです!
盗まれたのは、特別なミサで使うロウソクとお供えを盛るお皿とレースの敷物。
どれも貴重品――といっても、勿論全てレプリカですけどね。小規模でお金の無い此処に、本物なんてあるわけがありません。
問題なのは、これらの備品自体の価値ではなく、ミサに必要な物であるということです。
これは、れっきとしたミサへの妨害行為。つまり、教会への敵対行動だと取れます。
教会はこの国は勿論、周辺国でも信仰されており、その勢力は決して無視できるものではありません。
当然、問題児の家族が貴族と言えど、教会に睨まれたら無傷ではいられません。
急な呼び出しにも関わらずすぐさま応じ、今まで渋っていたのが嘘のようにあっさりと問題児を連れ帰ってくれました。
これまでにかけられた分の迷惑料も貰えることになったので、ようやく裏の物置が直せますね。
ここまで早く慰謝料が決定したのは、教会の方の気が立ってたい為でしょう。明日は特別なミサがありますから。
……えぇ、流石に驚きました。まさか、昨日の今日で実行するとは。手に入れるとしても、普通はミサが終わってからですよね? すぐに発覚してしまうのですから。
あまりに驚き過ぎて、どう言い訳するのか気になりこっそり耳を立ててみれば、
「あんなに綺麗な物を仕舞っておくなんて勿体ないから、私が代わりに使ってあげるの! 明日のミサには、いつものを使えば問題無いでしょ?」
「私は初めて見るのに、みんなは今まで何度も見てきてズルいんだから、私がゆっくり自分の部屋で見ても良いでしょ!」
……と。
問題児たちによって何度も絶句してきましたが、最後の最後で記録更新しましたね。
今回の件で相当教会を怒らせたのです、問題児を別の修道院に入れることは無理でしょう。強制人格矯正といわれる北の修道院を除いて。
別の修道院に迷惑をかけることなく、お引き取り願えて何よりです。
とにもかくにも、問題児が去ったことで無事に平穏が戻ってきました。皆が喜んでいます。
えぇ、彼らも喜んでいることでしょう。
修道院に問題児を押し付けた、真の元凶も。
そもそも可笑しいのです。あれだけ問題児を可愛がっておきながら、何故戒律が緩いといえど生活が不便な修道院に入れたのでしょうか?
何か問題を起こした罰であるなら、単に領内や別荘など田舎での謹慎という名の避難をさせる筈です。
なのに、わざわざ修道院に入れた。――いいえ、入れなければならなかった。あの厚顔無恥な貴族である問題児の家族が、です。
つまり、問題児の家族よりも上の爵位の者や権力のある者を納得させる処分を下さなければならなかったということです。
大方、問題児の家族はこう言って説得したのでしょう、「改心させるために北の修道院へ入れる」と。
省略せずに正しく言うと、「改心させるために北の(方にある)修道院へ入れる」です。
実際、此処の修道院は北にありますからね。戒律が国で一番厳しい北の修道院よりは南にありますが。
ですが、嘘は言ってませんね。えぇ、言葉足らずなだけです。
その程度で、自分たちが敵わない相手を騙せると本気で思っているところが、問題児の親らしいとしか言えませんが。
騙された振りをした側の狙いは、「自分たちの手を煩わせることなく、教会に喧嘩を売って勝手に自滅してくれる」こと。
貴族は面子が命。世間的には、修道院送りで許した慈悲を問題児の家族が蔑ろにした愚か者にしか見えません。
問題児の追い出し実績を把握した上で、此処に入れることを容認したことは、既に裏付けが取れています。
このお礼、きっちりしなければなりませんよね。
私たちには、外出を禁止された修道院にしか居場所がありません。ですが、外に頼れる人たちはいます。
家族は勿論、此処に来る前からいた友人。バザーや祈りに来られる方々。
幼い子供たちに文字の読み書きや簡単な計算を教えているので、そのご両親やご家族とも縁があります。
巡礼者をはじめ多くの方が利用する宿としても機能しているので、様々な職業の方々とも出会いますね。行商人や画家、吟遊詩人の方もよく利用されます。
勿論、国内外を問わず別の修道院にいる同志たちも心強い味方です。
外に出ることが出来なくとも、外と連絡を取ることは出来るんですよね。
娯楽が少ないからこそ、文通は修道女にとって貴重な楽しみになっており、頻繁にやりとりをしています。
「そういえば、今度子供たちに読む物語はどんなものが良いでしょうか?」
一緒に廊下を掃除しているシスターたちに尋ねてみれば、弾んだ声が返ってきました。
「恋愛物はどうかしら?
我が儘な妹に、ドレスも侍女も婚約者すら奪われた姉が、公爵子息に見初められて幸せになるの。」
「まぁ、素敵ね! でも、我が儘な妹に悔い改める機会を与えるべきだと思うわ。
愛する姉を傷付けられた事に怒った公爵子息が、それでも両親に甘やかされたことが原因だからと、慈悲として妹を修道院に送り改心させるのよ。」
「ただ優しいだけが愛情ではない。加害者にも考慮すべき事情がある。
子供たちへの教育にもピッタリですね。」
「でしたら、物事には裏があるということも伝えませんか?
実は公爵子息は、愛する姉を傷付けた妹を憎み一切許していなかった。愛する姉と世間に、慈悲深く優しい事をアピールする為だけで、我が儘な妹を押し付ける修道院への迷惑など何も考えていなかった。
恋愛物だと男の子は退屈になるでしょう? 女の子にも、男はオオカミである事を教えれますし。」
「もう少し大人の汚さも教えた方が良いのではないかしら?
戒律が厳しい分、改心に力を入れた修道院に入れることも出来たのに、高い寄付金を渋ったりとか。」
……やはり高収入に見合った高い寄付金を出し惜しんでいましたか。
既にこの情報を得ていたシスターは他にもいるようで、笑みを深めています。
「それは幼い子供たちに教えるには早すぎませんか?
その公爵子息が、捨てられた大型犬を見て『最後まで責任を持って飼えないとは、最低の人間だ』と怒りながら、自宅に連れて帰ったという心温まるエピソードにしましょう。」
……え?
私を含め、他のシスターたちも一斉にその提案者の顔を見つめます。
「いくらなんでも、公爵子息への印象が悪すぎます。フォローが必要でしょう?」
にこりと綺麗に微笑む姿――ただし目は笑っていないのを見て、瞬時に理解しました。
何故か周囲の気温が下がった気がしますが、全員、煮えたぎるように熱くなっているので問題ありませんね。はらわたが。
犬の面倒は見れるのに、義妹の面倒は放棄ですか。
人々のお手本たる高位貴族のあるべき姿とは言えませんね。
「えぇ、そうですね、フォローが必要不可欠です。」
名案だとばかりに、全員で微笑みながら頷き合います。
フォローして差し上げなければなりませんよね、己の矛盾した言動を。
神に仕える者として、誤った道を歩む姿を見過ごすことなど出来ません。ですが貴族は面子が命。さりげなく教えて差し上げなければなりません。
「そうだわ! こんな素敵な物語を思い付いたんですもの、他の方々にも教えて構わないかしら?
今、西の国の修道院と文通をしているところなの。」
「私もそう思っていたところで、この前泊まられた吟遊詩人の方に手紙を出したいです。」
「私は、お世話になっている行商人の方と南の修道院にいる友人へ送るわ。」
「皆さん、少し落ち着きましょう。
他のシスターたちにも尋ねてからにしませんか? より良い物語になるかもしれないのですから。
私は、東の国の修道院に送りたいですね。」
「えぇ、そうね。急ぐ必要はないわ、じっくり煮詰めましょう。」
「子供たちが興味を持てるよう、よく泊まられている画家の方に挿し絵を描いていただきたいですしね。」
内容が内容なだけに、身に覚えるのある問題児の姉の婚約者である公爵家はすぐに気付くでしょう。公爵家の人脈・権力・金を使えば、こんな小規模の修道院など一溜まりもありません。
発信源が此処だと突き止めた上で、火消しが間に合えば、ですが。
国外で広まった人気の物語が、吟遊詩人や行商人を通じてこの国でも広がることは自然の理。公爵家といえど、無かったことにできるでしょうか?
一つ一つ根気よく情報を精査すれば、此処が発信源だと判るかもしれません。ですが、国内外を問わず、多くの人を経由した場合はどうでしょうか?
どこの修道院も、最近は問題児を押し付けられて困っています。神に仕える者として嘘は吐くことなどありえませんが、私たちは修行中の身。忘れてしまったり、勘違いすることがあっても仕方が無いですよね。
人って共通の敵がいると一致団結出来ますよね。困った時はお互い様とも言いますし。
公爵子息様が愛の為に犠牲を払った(修道院に厄介事を押し付けた)ように、私たちも平穏の為に犠牲を払う(公爵子息の企みを明るみにする)だけです。
お互い様ですよね。なにせ、公爵家公認の強かさを持った修道院ですので。
これで修道院に問題児を押し付ける者達も減るでしょう。
明るい未来を想像していると、つい笑みがこぼれてしまいますね。
あら、外の方から騒がしい声が聞こえます。
「なんでヒロインの私が修道院に入らないといけないの!? 本来は悪役令嬢が来るべきなのに!」
修道院は問題児収容施設ではありません!