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藤小宮物語  作者: トウコ
第弐章 重ねた虹の行方
9/42

其ノ参 オカルト研究部、参上

 嫌な予感がした。

 ここのところずっと頭の中が霧がかったようで、重い倦怠感が付きまとっている。

 あの虹の絵を中里に返そうと毎日美術室を訪れるのにそのあとの記憶がいつも曖昧で、我に返ると僕は左手に絵筆を握っている。何かに突き動かされるように僕は絵を修復しているのだ。


――とり憑かれているのだろうか。


 不安は募るが、他の人を巻き込むわけにもいかない。

 僕にできることがあるとすればただ一つ。あの絵をすぐにでも中里に返すことだ。


 絵の修復が完了したら――きっと()()()()()()()()()()




◇  ◇




「――本当にやるのかな、中里」


 試験の全日程が終わり活気を取り戻した廊下を抜け、比較的落ち着いている特別棟に足を踏み入れた時のことだった。通り過ぎようとした階段の上からふと聞き覚えのある名前が降って来て、僕は思わず足を止めた。

 見上げると、階段の踊り場に男子生徒が二人。彼らはこちらには気付いていないようで、声が反響しているのも構わずに話し込んでいる。


「そりゃあやるだろ。そのために嘘まで吐いて絵をなおさせているんだから」


「確かにあれは曰くつきの絵かもしれないけどさ、そう簡単に何か起きたりすると思うか?」


「俺は中里の言うことを信じるよ。あの絵が本当に、『()()()()()()』だってさ」


「まあ、()()()()()がそう言うんだもんなあ……」


――どういうことだろう。


 胸がざわついた。

 階段の影からそろりと二人の様子を窺う。薄っすらその姿に見覚えがあり、僕は記憶を掘り返した。どこかで彼らを見たことがある気がする。それも、割と最近だったはずだ。

 一体どこで――


「こんなところで何やってるんだ、小宮」


 背後から腕を掴まれ、僕は驚いて鞄を取り落とした。

 そこにいたのは、僕がこの数日間最も会いたいと思っていた人物だった。


「中里……」


 彼は長い首を突き出して、踊り場を見上げた。二人の男子生徒の姿を確認するや否や、僕を壁に押し付け低く尋ねた。


「……もしかして、あいつらの話を聞いていたのか?」


 ようやく思い出した。踊り場のあの二人組は、中里の友人だ。

 正確に言うならオカ研――オカルト研究部の一員なのだろう。


「…………」


「盗み聞きとは趣味が悪いぞ」


「……そういう君も、嘘を吐くのは良くないと思うけど」


 きっと彼に、美大生の兄弟はいない。


「やっぱり、聞いていたんじゃないか。それなら仕方がない。小宮、俺たちの活動に協力してくれ」


「活動って、何」


「オカルト研究部の活動だよ」


 知りたいのはその内容なのだが、どうにも話が噛み合わない。


「悪いけど、僕には君たちに協力する理由がない。さっさとあの絵を引き取ってくれないか、……っ!」


 腕を締め上げられ、思わず顔を顰めた。

 体格は僕とさほど変わらないのに、中里の握力は異常に強かった。まるで何か別の力が働いているかのようだ。


「お前に理由がなくても俺たちにはある。絵の修復が終われば解放してやるさ。どうせあと少しで終わるんだろう?」


「……っ、どうしてそれを」


 中里の血走った両目が僕を射るように睨む。

 彼からほんのりと感じる「人ならざるもの」の気配に、鼓動が早まった。

 ついさっきまでは、中里に絵を返せば全てが元通りになると思っていた。だがこの件は既に、僕の手に負えないところまで来ているようだ。こうなったらもう、藤の力を借りるより他にない。

 僕は中里に全体重をかけて体当たりをし、彼がひるんだ隙に腕を振り解いた。来た道を戻るように、外廊下に向かって一目散に走り出す。まずはここから逃げなければ事態の打開はない。


「このっ……! 逃がすかっ!」


 踊り場の二人が騒ぎに気付いたのか、背後から追って来る気配がすぐに三つに増えた。さすがにこれは分が悪かった。

 結局隣の校舎に行き着く直前、僕は呆気なく彼らに捕獲されてしまった。



「いいか、絵を完成させるまでは帰さないからな。変な気は起こすなよ」


 美術室に強制連行された僕は、中里の命令で仕方なく絵の修復準備に取り掛かった。

 教室の入口と出口には部員が一人ずつ配置され、中里は黒板の前に陣取って僕を監視している。

 このまま絵を描かずに抵抗し続けるという考えも過ったが、僕は大人しく中里に従うことにした。彼から微かに「人ならざるもの」の気配がすることが、先ほどから引っ掛かっていたのだ。もし絵の修復を拒んだことで彼に何かあったら、僕では対処のしようがない。


 とにかく時間を引き伸ばそうと、いつもの倍以上に時間を掛けて道具を用意した。それから、イーゼルに立て掛けられた虹の絵をじっくりと検める。幸い中里は何も言わずに僕の様子を眺めていた。

 絵の修復は仕上げの段階に入っていた。虹を横切るようについていた汚れはほとんど目立たなくなっていて、あとは周辺の細かい汚れに色付けしていくだけの状態だった。

 記憶が曖昧だが、これをやったのは紛れもなく僕自身なのだろう。

 虹の上を歩いている小さな足跡は、汚れが消え去るのを今か今かと待っているようだ。

 この不気味な絵に正気のまま筆を入れるのが恐ろしくて、僕は気を紛らわそうと中里に話しかけた。


「一つ訊いてもいいか? どうして最初、兄の絵だなんて嘘をついたんだ?」


「そりゃあ、本当の話をして引き受けてもらえるとは思わなかったからな」


 実際引き受けてもいないし、最終的には強引に押し付けられたのと変わらないが。


「……君たちがこの絵を修復しようとする目的は何なんだ?」


「それは小宮には関係ない」


 お前は黙って絵をなおしてくれればそれでいい。そう言い切られ、僕は持っていたパレットを机に置いた。


「教えてくれないなら、協力はしない。そうなればこの絵が元に戻ることは二度とないけど、それでもいいんだな?」


 中里は苦虫を嚙み潰したような表情で口を結んだ。しばらく思案していたが、やがて渋々と切り出した。


「……その絵は二週間ほど前、部室の大掃除をしていたら忽然と現れたんだ」


「部室って、オカルト研究部の?」


「ああ。最初は誰か部員の持ち物かと思ったんだ。だけどどうやら違うらしい。先輩方の置き土産でもなさそうで、急に現れたこの絵にみんな驚いた」


「でも、大掃除の時に出て来たんだろう? それなら誰のものか分からない荷物なんて一つや二つあったっておかしくないじゃないか」


「いや、驚いたのはそこじゃない。その虹の絵は――噂に聞く『()()()()()()』にそっくりだったんだ」


「――は?」


「だから、『妖怪を呼ぶ絵』」


 そういえば、さっき踊り場で他の二人が話している時もそんな単語を耳にしたような気がする。あの時は嘘を吐かれていたことに動揺して、それどころじゃなかったけれど――


「何だ、それ……」


 非現実的な話に目を白黒させていると、中里は僕の反応に信じられないという表情をした。


「小宮お前、まさか妖怪を知らないのか?」


「いや……」


 肯定も否定も出来ず、曖昧に言葉を濁す。

 彼の言う「妖怪」が具体的にどういうものを指すのか分からないが、首を縦に振るには僕も視えない「何か」の存在を知りすぎている。


「……で、その絵が何でその……妖怪を呼ぶと言われてるんだ?」


「それはな、描かれている虹がこの世界と妖怪の世界を繋いでいるからだ。ほら、虹はよく何かの架け橋に例えられるだろう? この絵の虹はまさしくこちら側と『向こう』を繋ぐ架け橋になっていて、とある特別な儀式を行うことでこの虹を渡って『向こう』から妖怪を呼び寄せることができるんだ」


「……なる、ほど?」


「だけど困ったことに、『妖怪を呼ぶ絵』を手にいれたものの、その真ん中のところについてる汚れがどうしてもとれない。これがあることで今、妖怪たちは橋を往来できなくなってるんだ。これじゃあ、せっかくの絵の効果を発揮できない。だから、絵の修復ができる人を探して虹の架け橋を繋ぎ直してもらおうと思ったんだ」


「……はあ」


 この先関わることもないと思っていたオカルト研究部の活動内容に、予期せぬ形で触れる機会となってしまった。


「それで、誰か絵の修復ができる人がいないか探していたら、ちょうどお前のことを紹介してくれた人がいてな」


「……え?」


 僕は動揺して、イーゼルに足をぶつけた。ガタンと大きな音がしたが、中里は気にすることなく続ける。


「その人が、美術部員の小宮の描く絵には不思議な力があるって教えてくれてさ。それで、お前ならこの絵を元に戻すことができるんじゃないかと思って話を持ちかけたんだ」


「……それ、誰だったんだ?」


 藤や桃花じゃないはずだ。彼女たちはそんなことを言いふらしたりはしない。


――だとしたら一体誰が。


 中里は考え込むように宙を見上げた。


「……うーん、そう言われるとよく覚えていないな。顔も朧げにしか思い出せないし」


 湿度が高く蒸しているはずの室内で寒気を感じた。

 この学校に、僕の特異体質を知る人間がいる。


 つまりその人は――「()()()()()()()()()()()()()()()()


「ああ――でも、確か男子生徒だったはずだ。ちょうどそこの中庭の木の下で声を掛けられて――」


 中里の話は、もう半分以上頭に入って来なかった。

 美術室のそこここに「人ならざるもの」の気配がし始めたのだ。

 まだ完全に修復しきったとは言えなかったが、虹の橋が繋がってしまったことがまずかったらしい。この絵にどんな力があるのかは知らないが、「人ならざるもの」にとっては変わらず御馳走に見えるようだ。

 冷や汗を流しながら立ち尽くしていると、筆を置いたままの僕に気付いた中里がこちらへ歩み寄ってきた。


「それより小宮、絵は完成したのか」


 来るな――そう言いたいのに、身体が硬直して動けない。


「さっきからほとんど筆を動かしてなかったけど」


 中里は僕を押しのけて虹の絵を手にとる。彼には虹の上の足跡は見えていないようだった。


「何だ、ちゃんとできてるじゃないか。これで『向こう』との繋がりが復活したかもしれない――よしお前ら、儀式の準備をして屋上に行くぞ」


「待っ……!」


 絵を抱えて美術室を出ていく中里たちを追い駆けたかったが、僕は金縛りにあったようにその場から動けないでいた。

 机についた両手で、辛うじて全身を支える。気味の悪い気配が次第に彼らに続いて教室を出て行くのを背中に感じながら、目を瞑って気分の悪さに耐えた。


――チリン。


 ポケットの中で、儚い音が響いた。

 それを合図に、僕の身体はフッと自由が効くようになった。反動で膝から力が抜け、ずるずると床にしゃがみこむ。


「……っは、」


 酸素を求めて喘ぎながら、僕は両手で床を押し返して立ち上がった。覚束ない足取りで中里たちを追って美術室を飛び出す。


 虹の上の小さな足跡は、一直線にこちらに向かっていた。


 時間がない。


 虹の「向こう」から()()がやって来る――




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