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藤小宮物語  作者: トウコ
第壱章 幽霊部員と春の風
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其ノ伍 二人の春奈

 不意に意識が浮上した。

 ぼんやりと周囲を見渡すと、そこは広大な草原のようだった。藤の声がした気がしたが、人影は見当たらない。青々と茂った踝丈の草が一面を覆っている。が、それを揺らす風がない。

 とても静かだ。

 虫の声も、太陽の日差しもない。

 まるで時間の流れを感じない、夢の中のような場所だ。


「気がつきましたか?」


 どこからともなく現れたのは、春奈だった。

 見慣れた制服姿ではなく、白いワンピースを着ている。


「……君は」


 チクリと針で刺されたような違和感に、僕は首を傾げる。


「君は――()()()()?」


 春奈――いや、目の前の少女は、その言葉を待っていたようだった。


「すごい、やっぱり貴方には分かるんですね」


 身を起こした僕と向き合い、少女ははっきりとした口調で言った。


「わたしは春奈です。正確に言えば――わたしが()()()()()です」


「本物の……」


「はい。貴方が――先輩が出会った春奈は、わたしの姿を写し取った――『人ならざるもの』です」


「――――」


 息を呑んだ。

 頭の中が混乱して、どう反応を示せば良いのかさえ分からず固まる。


「――順を追って説明しましょうか」


 春奈はそんな僕に優しく微笑んだ。


「まず、今わたしたちがいるのは、人の世から外れた世界。あの子――つまりわたしの姿をした『人ならざるもの』が、先輩をここに招いたんです」


 徐々に思い出してきた。

 意識が途切れる寸前、あの「人ならざるもの」は確かこう言っていた。


――あの子をどうか、救ってあげてください。


 あの時言っていた「あの子」とは――この目の前の少女のことなのだろうか。


「それと同時に、ここはわたしの夢の中でもあります。今頃身体は病院のベッドの上で寝ているはずです」


「病院……?」


「はい。わたし、病気持ちなんです。ここではこうして自由に振舞えますけど、現実では走ることもままなりません。学校にも通えず、友達もいないわたしの唯一の心の拠り所が、あの子――あの『人ならざるもの』でした」


「君には『人ならざるもの』が視えるのか……?」


 僕は藤以外に「人ならざるもの」が視える人を知らない。つい前のめりになった僕に、春奈は静かに首を横に振った。


「いいえ、残念ながらわたしは声を聞くことしかできません。そして、わたしに聞こえるのはあの子の声だけです。あの子以外の人ならざる存在を認識できたことはありません」


「そうなのか……」


 つまり、彼らの気配を感じるだけの僕と同じ。

 どことなく僕は安堵しながら、春奈の語りを聴いた。


「あの子は数年前にふらりと現れてから、わたしに外の世界のことを色々と教えてくれるようになりました。大人たちはいつもわたしの顔色を窺ってばかりで、何も教えてはくれないんです。良いことも、悪いことも。余計なことを考えるのは身体に障るからと、思考すら病院から出ることを許さない。その代わりにあの子が学校に通う他の子たちの様子、町なかであった面白い出来事、移ろいゆく季節の美しさ――何でも聞かせてくれました。あの子は外の世界とわたしが繋がる架け橋となってくれたのです。本当に優しくて、大好きな友達でした」


「……友達」


「ええ、おかしいでしょうか。人ではない存在を、目に視えない存在を友達と言うのは」


「……いや、そんなことはないよ」


 そんなことはないけれど。

 彼らの姿を視ることも、声を聞くこともできない僕にとって、「人ならざるもの」はいまだに未知の存在だ。つい一年前までは、彼らによってもたらされる現象は恐怖でしかなかった。そんな存在を、純粋に「友達」と断言できる春奈に僕は圧倒された。


「それで、その――君の友達はどうして僕と君を引き合わせたかったんだろう」


「それは、先輩があの()()()の作者だからです」


 春奈の口から飛び出た言葉に、僕は衝撃を受けた。


「どうして君がその絵のことを……?」


 あの絵はもう、この世のどこにもないはずだ。


「――去年の秋のことです。進学について悩んでいたわたしのために、あの子は近くの高校の様子を見に行ってくれたのです。ちょうど文化祭の頃でした。そしてあの子はしばらく帰って来なかった。わたしはとうとう愛想をつかされたのだと思いました。もう二度と戻って来ないかもしれないと。でもあの子は戻って来ました。そしてあの花の絵を、わたしに贈ってくれたのです」


――わたしのためにこの絵を描いたのだと言って。


「……じゃあ、まさか」


 ここ最近ずっと僕の隣で真剣に絵を見ていた彼女は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのか!


「あの子があの花の絵を先輩に描かせたのは、わたしの病気を治すためだったのです。これがあればきっとわたしも元気になるだろうと、あの子はそう言ってわたしにあの絵をくれました。それはとても綺麗で、生命力に溢れている絵でした」


 春奈は一旦言葉を区切り、僕を見つめた。色素の薄い瞳が僕を映す。


「――先輩の絵はとても不思議な力を持っているんですね」


 風も吹かない、他の生き物の息遣いもない空間では、囁くような彼女の声もよく耳に届いた。


「『人ならざるもの』にとって、先輩の絵はとても価値があると聞きました。彼らは先輩の絵を()()()()()。その理由を先輩は知っているのですか?」


「……いいや、知らない」


 緩く首を振った。

 本当に僕は知らないのだ。何故「人ならざるもの」が僕の絵を食べるのか。

 ただ以前、藤は僕にこう言った。


――どうやら君の絵は「人ならざるもの」にとって()()()のようだね。君が絵を描くたびに彼らが集まって来るのは、他の者に絵を奪われたくないからだろう。用心した方が良い。彼らは君の絵にかなりご執心のようだ。君が美しい絵を描けば描くほど、彼らの舌が肥えていくことになる――


 僕の絵はこれまで誰にも評価されたことはない。だが、どういうわけか、「人ならざるもの」にとっては価値があるらしい。その不思議な巡り合わせに、これまでただ漠然と感じていた彼らに対する恐怖や嫌悪感が、ほんの少しだけ和らいだような気がした。


「――先輩自身も、その理由をまだ知らないのですね。けれど、先輩の噂は彼らの間で少しずつ広まっているようです。あの子はその噂をどこかで聞きつけて、先輩の描いた絵を食べれば病に侵されたわたしの身体もきっと癒えるに違いないと、そう思ったようです」


 春奈は何かを思い返すようにひとり笑った。その笑い方はあの「人ならざるもの」とよく似ていた。


「可笑しいですよね。あの子はわたしのことを同族だと思っていたんですから。何度説明しても分かってくれないんですよ。わたしは人間だからこの絵によって病気を治すことはできないと言っても、何故食べないのだ、絵の内容がいけないのか、これではまだ不足なのかと、そればっかり。わたしだって、先輩の絵を食べるだけで身体が良くなるなら、いくらでも食べるのに」


 わたしも「人ならざるもの」だったら良かったのになあ、と春奈は膝を抱えた。

 風は吹いていないはずなのに、白いワンピースが揺れたように錯覚した。


「もちろんわたしは絵を食べることはできませんでしたが、あの絵を眺めているだけで不思議と前向きな気持ちが湧いて来たのです。今年の受験は駄目でも、来年までには――いや、再来年になっても良いから学校に行けるようになりたい、そのためにはちゃんと手術とも向き合わなきゃいけない。その思いは日に日に強くなっていったのです」


「でも、あの絵は……」


 行方不明になったと思っていた絵は、後日学校のゴミ捨て場で見つかった。

 発見された時既に、その絵は()()()()()()()()()()()()


「ええ、そうです。わたしは観賞用としてあの花の絵をとても気に入りました。でも、あの子にとってそれでは不十分だったのです。しばらくしてから、あの子は自分であの絵を食べてしまいました。そして、わたしの知らないどこか遠くへ旅立って行ったのです。きっとお前の病を治す方法を見つけて来るからと、そう言い残して」


 春奈の病気を治すには手術を受けるのが一番だ。その方法は、彼女の目の前にずっとあった。だけどきっと「人ならざるもの」にはそれが分からなかったのだろう。

 人と「人ならざるもの」は(ことわり)の違う世界を生きている。

 だから春奈の友達もまた、自分なりのやり方で春奈を救おうとした。


「それからはあの子の声が聞こえなくなりました。とても心細かったですが、わたしにはわたしのできることをやろうと、心に決めました。体力をつけたり、遅れていた勉強をやり直したり、人と積極的に関わったり。一歩ずつですが、前に進めるように努力を重ねて半年が経ち――そう、それは先月のことです。あの子が、わたしの元に帰って来たのです。そして驚いたことに、あの子は――」


()()()()()()()()()()()()()?」


「はい。しかもそれはわたしとそっくりの姿だったのです。あの子は言いました。わたしの病を治す方法を探し歩いている道中、『人ならざるもの』を人の目に映せる者がいるという風の噂を聞き、会いに行ったのだと。そして、全ての力と引き換えにわたしの姿を写し取って帰って来たのです」


「『人ならざるもの』を人の目に映す……?」


「ええ。それはとても大きな力を持っていて、どこかの山だか森だかの奥深くに棲み、望む者にはその姿をかたどる力を与え、その代償として寿命を貰い受ける……そういう存在だとあの子は言っていました」


「……そんな奴が……」


 どうりでおかしいわけだ。

 春奈が――あの「人ならざるもの」が僕や桃花にも視えるという事態が起きたのは、そういう()()()()があったのだ。


「人ならざるもの」を人の目に映す者。


 もしそんな力を持つ者が本当にいるのなら――いや、本当に存在するのだ。現に僕は、その事実を目の当たりにしてしまっている。自分の目で視たものが、これ以上ない証拠だ。

 そうなると僕はこれから、自分の目に映るもの全てを疑ってしまわないだろうか。

 周りの人間が実は「人ならざるもの」であるという可能性を、否定できるだろうか。


 そう、例えば――例えば?


 無意識な思考の流れに、僕ははたと気付く。


――僕は今、()()()()()()()()()()()()


「あの子には――」


 春奈の声に、僕は慌てて頭に浮かびかけたものを打ち消した。


「人にとり憑くだけの力がもう残っていなかったんです。だから寿命と引き換えにして人の目に――いいえ、先輩の目に映りたかった。あの子はもう一度先輩に絵を描いて欲しかったんです。今度は絶対にわたしの病気に効くはずだから、もう一度、と」


――わたしのために、一枚絵を描いてもらえませんか?


――お願いです、一枚でいいんです。わたしの、()()のために、絵を――


――お花が良いです! 去年と同じ、色とりどりのたくさんの花。そういう絵を、もう一度見たいです。


――最期に先輩の力を貸してください。それで、()()()、あの子を――


――どうか、救ってあげてください。


 この目の前の少女を元気にしてあげたいという、ただ一つの純粋な願い。

 あの「人ならざるもの」は、そのためだけに自らの寿命すら削って僕のところへやって来たのか。

 こんなことならもっと早く、その願いを聞いてあげれば良かった。

 今にして思えば、あの子が人か「人ならざるもの」かなんてことは、それほど重要なことではなかったのに。

 どうして僕はいつも、後戻りできないところまで来てからようやく道を間違えたことに気付くのだろう。


「あの子は最期の力を振り絞って、こうしてわたしと先輩を引き合わせてくれたんだと思います。あの子の声を聞くことは――多分、もうないでしょう。正直に言えば、こんな無茶をしなくても、ずっと隣にいてくれるだけで良かった……それだけで、わたしは生きていられたのに、どうして……」


 とうとう春奈は両手で顔を覆ってしまった。

 沈黙が訪れる。

 かける言葉も思いつかなかった。


 吹き抜ける風の一つもない。

 静寂を守る草原の中、僕はただその場に佇んだ。



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