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藤小宮物語  作者: トウコ
最終章 結んだ縁と切れた糸(後編)
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其ノ陸 動き出した歯車

 夜空に大きな月が浮かんでいた。


――そういえば、今日は満月か。 


 僕はそんなことを思いながら、その丸くて黄色い物体をぼんやりと眺めた。

 頭の中には濃い霧が満ちていて、ほんの数秒前のことすら思い出せないでいた。


――ああ、綺麗な月だなあ。


 そういえば、僕は何だかあれによく似たものを持っていたはずだ。

 小さくて、丸くて、黄色い、何か。

 ふと気付くと、指先は無意識にポケットの中を探っていた。


 あれは、そうだ――鈴だ。


 藤がくれたお守りの鈴。

 その鈴は確か――


「――――っ!」


 一気に目が冴えた。

 忘れかけていた全ての記憶が、波のように押し寄せる。


 ここが神社の境内だということ、

 お守りの鈴を桔梗に破壊されたこと、

 桔梗と藤の結婚式が始まってしまったこと、

 春奈と再会したこと、

 虹の世界で藤のご先祖様と出会ったこと――


 背中を伝う汗も、早鐘を打つ鼓動も無視して飛び起きる。全身を苛む痛みと疲労感が待っていたとばかりに舞い戻り、再び意識が遠のきそうになった。

 地面に手を付いて眩暈を振り払う。冷たい石畳の上には、変わらず僕を繋ぎ止める赤い紋様があった。顔を上げると、紋様の外側に膝を付いた春奈が、顔面を蒼白にして目線だけで何かを訴えていた。


「――貴様、人目を盗んで何をやっている?」


 低く地を這うような声が、春奈の背後から響いた。

 音も立てずに暗闇から姿を現した桔梗が、心底忌まわしそうに僕を見下ろしている。


「一度ならず二度までも婚儀の邪魔立てをするとは――貴様は余程、私の幸福(しあわせ)を阻害したいらしい」


 桔梗は春奈を一瞥すると「しかも此度は共謀者までいるとは」と鼻を鳴らした。


「地獄の窯に茹でられる覚悟はできているということだろうな」


「……先、輩」


 零れた小さな呟きを耳が拾う。春奈は背後に立つ桔梗に身を縮めながら、その透けた肩を震わせていた。


 僕は奥歯を強く噛みしめた。

 状況は何一つ変わっていないどころか、悪化の一途を辿っていた。

 このままでは、僕だけでなく春奈までもが桔梗に殺されてしまう。


 

 どうすればいい。

 どうすれば――



◇  ◇




 桃花たちが森に入って一時間ほどが経過した頃だった。

 突如、周囲の空気が変わった。

 緊張感のある神聖な雰囲気を肌で感じ、桃花は無意識に背筋を伸ばす。

 多分ここから先は「人ならざるもの」の領域だ。警戒心を抱きながらも、目的地が近くなってきたことに桃花の歩調は自然と早まった。


 きっと、この先に例の祠があるに違いない。


 桃花の直感が、そう告げていた。

 どうして何の力も持たない自分たちがここに踏み込めたのかは分からなかった。前回は「人ならざるもの」にとり憑かれていたからこそ辿り着けたが、今回は通行手形の一つも持っていないのだ。

 だが、どういうわけか、この空間に桃花たちを追い返そうという気は感じられなかった。むしろ、自分たちを受け入れてくれているような、何か期待をしているような、そんな気さえした。

 飽きるほど目にした鬱蒼と生い茂る木々が途切れ、急に視界が開けた。


「あっ……!」


 桃花は歩き続けて痛む足にも構わず、一目散にそれに駆け寄った。


「あったわ! これよ!」


「ちょっと、待ってくださいよ……!」


 息を弾ませながら追い駆けて来る中里に目もくれず、桃花はようやく見つけた祠の前に立って注意深くそれを観察した。

 桔梗を封印していた祠は、あの時と全く同じままだった。

 苔むした石祠(せきし)は屋根の部分が倒れ、社殿の一部が崩れている。まるで()()()()()()()()()()()()()()かのような壊れ具合だ。


「これを元に戻せば……」


 二人を救えるかもしれない。

 ごくりと唾を飲んで、桃花は辺りに散らばった欠片を見やった。

 幸いにもここは「人ならざるもの」の世界。人や動物に荒らされたり、風雨に晒されることもなく、多くの欠片がそのまま草の上に転がっている。二人がかりなら、倒れた石の屋根も元に戻せるだろう。


 何も起こらないかもしれないし、もう手遅れかもしれない。

 葵はそう言っていたが、桃花は信じていた。


 絶対に間に合う。

 間に合わせてみせる。


「よし、やるわよ……って、あんたそんなところで座り込んでないでさっさと手を貸しなさいよ!」


 桃花は大荷物を抱えて地面にへたり込んでいる中里に容赦なく喝を入れた。




◇  ◇



――ポタリ。


 額から流れ落ちる汗が、石畳の表面に染み込む。

 シンと静まり返った空間に響くのは、自分の心臓の音。

 これだけたくさんの人の形をしたものがいるのに、息遣い一つ感じない。皆一様に、桔梗が動き出すのを待っていた。

 桔梗は春奈の真後ろに立っている。その気になれば、桔梗は彼女をどうにだってできるのだ。一瞬が命取りになる。瞬きすらできなかった。


「――この期に及んでまだ何か画策しているのか? 懲りない奴め」


 桔梗が僕を見透かすように言う。

 図星を突かれたが、僕は出来る限り表情を取り繕った。


「……もうそんな気はない……ただ、最期に、あなたに訊きたい」


 慎重に間を置いて、僕はそう言った。

 少しでも、時間を稼がなければ。

 少しでも、桔梗の興味を春奈から逸らさなければ。

 その一心で、僕は気力を振り絞って桔梗と向き合った。


「あなたは……こんな形だけの結婚式を挙げて、それで満足なのか? それがあなたの言う幸福なのか?」


 桔梗がピクリと片眉を上げた。

 頼む。頼むから、乗って来てくれ。


「自分の望むように相手を従えて、大勢を巻き込んで、世界まで変えようとして……多くの人を傷つけて得た幸せで、あなたは本当に満たされるのか? こんな虚しい茶番劇で? この場であなたを心から祝福している者は、誰ひとりいな……」「黙れ。貴様に何が分かる」


 桔梗が僕の戯言を遮った。

 春奈を押しのけ、彼は僕の真正面に立ちはだかる。全身から迸る怒りが、暗がりの中でもはっきりと感じられた。桔梗の感情に同調するように、左手の呪いが疼いて堪らない。


「駄目です、先輩……!」


 僕がしようとしていることを察したのか、春奈が叫んだ。だが、僕は敢えてそれを無視した。

 藤が戻って来るまで、僕は時間を稼がないといけない。

 何があっても僕は、ここに桔梗を足止めしなければならない。


「僕には……あなたの本当の気持ちを、理解することはできない……でも、あなたに寄り添うことはできる。あなたの苦しみや、悲しみを、想像することはできる……元はと言えばあなたも人だ。僕と同じ、ひとりの人を好きになった、ただの人間だ。その人は、今のこの状況を本当に望んでいたのだろうか? 無理矢理好きな人を娶ることに、幸せを感じるのだろうか?」


 血走った目で睨む桔梗を、僕は怯まずに見返す。

 怨念となってまで復讐を遂げようとするその強い意志に、こんな空疎な説教など何の意味も無いことぐらい、僕自身承知の上だった。

 だけど、万に一つでも心を動かしてくれることがあるのなら。

 一縷の望みを託して、僕は必死に続けた。


「もしあなたにまだ、人の心が少しでも残っているなら、もうこんなことはやめてくれ。強引な結婚式も、身勝手な世界の改変も、誰も幸せにならない。僕らも、許嫁の彼女も……それに、あなた自身も」


 桔梗は何かに耐えるように一度天を仰いだ。

 雲一つない夜空に浮かぶ月に目を細めると、長く息を吐き出した。


「……無駄な時間稼ぎご苦労」


 再び僕に焦点を合わせた桔梗は、もう何の感情も浮かべてはいなかった。


「言いたいことはそれだけか? ならば――ここで、死ね」


 その一言で、僕の体内に巣食う呪いが一斉に動き出した。


「うあ、ああああっ……!」


「先輩……!」


 呪いは勢いよく首筋を這い上がり、また心臓に向けて手を伸ばし、暴れ回る。激しい痛みに耐えかねて地面を転がる僕を、分厚い手が掴んで引き摺り起こした。


「五月蠅い」


 冷酷な宣言だった。

 首にかけられた手は、一切の手加減もなく喉を引き絞る。呪いの痛みに苦しさが加わり、口から悲鳴が飛び出た。だがそれも、ほとんど声にならなかった。


「あ……あ……」


 妙にざらついた桔梗の手の感触だけが、僕を現実に繋ぎ止めていた。その手は明確に僕の息の根を止める意志を持っている。

 桔梗の背後で春奈が何か叫んでいるが、何を言っているのかよく聞き取れない。


 全てが急速に遠ざかる。

 夜空で満月が歪んだ。




◇ ◇




「――本当に効くんすか? これ」


 二人で汗を流すこと数十分。

 何とか元の形に近づいた祠の前、風呂敷の上に並べられた怪しげな道具たちに中里は疑問符を浮かべた。


「あんたが疑ってどうすんのよ、仮にもオカルト研究部の部長でしょう? ていうか、これ全部、あんたが持って来たものでしょうが」


「いや、まあ、そうなんすけど……こうも手あたり次第だと逆にご利益なさそうっていうか……」


「よく下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって言うじゃない。とにかくどれか一つでも効き目があれば良いのよ」


 二人の足元には、中里がオカルト研究部の部室から掻き集めてきたありとあらゆるまじない道具が広げられていた。桃花はその中から擦り切れそうな古いしめ縄を手に取り、祠に巻き付けていった。


「何だか罰があたりそうだな……」


「ほら、あんたも手伝いなさいよ」


 桃花に命令され、中里はしぶしぶ黄ばんだお札を選んだ。何が書かれているか不明な、虫食いだらけのお札だ。果たしてこれに意味があるのか問いたかったが、真剣に作業する桃花の手前、余計な発言は憚られた。

 持って来た全ての道具を無理やり使い切った桃花は、様々な呪具に囲まれて禍々しい雰囲気を放つ祠の前に膝を付いた。


「――お願いだから、二人を返して」


 そう呟いて、祈るように手を合わせた。






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