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藤小宮物語  作者: トウコ
最終章 結んだ縁と切れた糸(後編)
39/42

其ノ伍 虹の向こう

 瞼の裏に、うっすら光を感じた。


 目を開くと、先程までの絶望的な暗闇とは打って変わって、まばゆい光が視界いっぱいに飛び込んでくる。

 明るさに目が慣れると、今度は虹が見えた。

 僕は虹の上に立っていた。

 とても大きな虹だ。

 その下には何も見えない。何もない。


 僕は虹のこちら側にいた。

 そして、僕の足元から遠く先に見えるのは「向こう」側。


――そうか、ここは。


 ずっと忘れていた。

 ここは、いつか夢の中で見たことがある光景だ。

 ここで僕は、数えきれないぐらいの流れる雲を見送りながら、こちらにやって来る誰かを待ち続ける。

 僕は立ち上がって、手を振る。

 遠く、遠くに見える影は、僕に気付いて手を振り返す。

 僕は待ちきれずに、走り出そうとする。


 そうだ、それで――


 僕は、()()()()に出会うんだ。


 ひとりは虹の「向こう」からやって来る。

 そしてもうひとりは、こちら側にいる。


 どちらも同じ顔をしていた。

 だが、本当は違ったのだ。

 多分それは――



『――誰だ?』


 不意に背後から声が響いた。

 驚いて振り返ると、そこにいたのは白無垢姿の美しい少女だった。


「藤……」


――じゃない。


 切れ長の瞳も、スッと伸びる背筋も、凛とした雰囲気も、全てが藤とよく似ていた。

 よく似ているけれど、藤じゃない。

 僕の姿を認めると、肩の力を抜いて優しい笑みを零すあの藤とは違う。目の前の少女は、やや硬い目線で僕の頭からつま先までを見下ろした。それから思い至ったように形の良い唇を開いた。


『ああ――お前は、あの娘の友人じゃないか。何故こんなところにいる? ここはお前のような者が来るべきところではないぞ』


 藤によく似た少女は、藤とは違う表情で僕を諭した。


「ええと……藤を、連れ戻しに来たんです」


『あの娘を?』


「はい。あの、あなたは藤がどこにいるか、知っていますか?」


 僕は彼女の方へ歩み寄る。ここでは呪いの影響もないのか、あれほど満身創痍だった僕の身体はどこも痛むことなくすんなりと動いた。


『残念だが、あの娘はもうここにはいない。お前にできることは何一つない。分かったらさっさとここを立ち去れ』


 その言葉の端々には、僕を一刻も早くこの場から遠ざけたい気持ちが滲んでいた。


「それはできません。僕は藤を連れて帰らなきゃいけないんです」


『聞こえなかったのか? あの娘はもうここにはいないと言ったのだ』


「そんなはずがない。藤は絶対に生きている。だって――あなたが彼女のことを見捨てるはずないじゃないか!」


 少女は驚いたように目を見張った。

 それから、綺麗に紅が引かれた唇を震わせて掠れた声を絞り出した。


『――違う。お前は何一つ分かっていない。私はもとより、災厄を――桔梗様を止めるためにあの娘と一体になったのだ。己の犯した罪はどんな姿形になってでも己の手で(あがな)う、それが我が一族の掟だ。掟に反することはできない。私には、あの娘を救うことなどできないのだ』


「でも、今ならまだ間に合うはずです。藤を連れ戻せば儀式を止めることができる。そうすればきっと……」


 災厄を阻止するためには藤を元の世界に連れ戻す必要があると、春奈は確かにそう言っていた。だが少女は、綿帽子を乗せた頭を緩く振った。その口から出たのは、予想だにしていない言葉だった。


『式を中断してはならぬ。災厄を阻止するためには、婚儀を()()()()()()()()()()()()()()()のだ』


「え……? だ、だけど、契りを交わしてしまったら、それこそ世界が終わってしまうんじゃ……?」


『桔梗様の目的は私との婚姻を結び、過去と未来を幸福な姿に変えること。桔梗様に気取られないようそれを阻止するためには、あのお方の押し進める婚儀を逆手に取る必要がある。予定通り夫婦の契を交わすことで私との間に切り離せない強固な絆を作り、私もろとも桔梗様を封じるのだ。だから、今ここで式を中断してはならない』


「それって、つまり……」


 桔梗を封印するためには、藤もご先祖様も犠牲になるということに他ならない。

 やはり藤の家は、災厄を止めるために初めから藤たちのことを見捨てるつもりだったのだ。彼女に「人ならざるもの」となった先祖をとり憑かせ、時が来たらその身を捧げて怨念を鎮めさせる。まるで人身御供だ。


『幸い式は順調に進んでいる。今はまだ、あの娘の身体は空っぽの器にすぎないが、徐々に私の魂があの中に呼び込まれている。そして、盃を交わした時点であの器は完全に私のものとなる。肉体さえ得られれば、私の生来の神通力も元に戻るはずだ。そうなれば、あとは我が身とともに桔梗様を封じるのみ。これで世の平穏が守られるのだ。皆それを望んでいる』


「でも、そうなれば、あなたも藤もこの世から消えてしまう……」


 大義名分のもと、世界を救った代償として。

 少女は浮かない表情を更に曇らせた。


『私自身は既に一度死んだ身である以上、この世に未練はない。だが……あの娘には、すまないと思っている。元はと言えば私の未熟さが招いた事態。それに何の罪もない娘を巻き込んでしまったのだ。何も知らないまま逝かせてしまうことを心苦しく思う。それから――』


 彼女はすり足で僕の方に近寄り、その白磁のような手を僕の片方の頬に添えた。


『お前にも、詫びなければならない。桔梗様は怨念となって久しく、既に我を忘れておられる。その憎しみと妬みは、本来向けられるべき相手が死して尚、行き場を求めて彷徨い――お前に行き着いてしまった。辛い思いをさせた。苦しい思いをさせた。全ては私のせいだ』


 きっともう何度もそうやって悔んできたのだろう。その言葉には、染み付いた後悔の念が感じられた。

 確かに元を辿れば、彼女にも責任があるのかもしれない。桔梗という許嫁がいながら他の男と駆け落ちしたことは、結果、桔梗を怨念へと堕とし、家柄にも泥を塗った。

 けれど、それほどまでに許されないことなのだろうか。


 ひとりの少女が、自分の本当に愛する人とともに生きる道を選ぶことは。


 僕には、目の前の少女を責めることはできなかった。


『――あの春の日』


 フッと表情を緩めたその人は、もう片方の手も伸ばして僕の両頬を包み込んだ。


『お前と初めて出会った時、私は懐かしい匂いに打ち震えた。酷く朧げで、それでいて心の中をどうしようもなく掻き乱すような匂いだった。生前の記憶をほとんど失くした私には、その気持ちがどこから生じるものなのか分からなかった。ただ、お前が絵を描く姿を見ていると、心が安らいだ。まるで暖かい陽だまりに包まれているような、穏やかな気持ちになった』


「……藤に聞きました。あなたはずっと僕の絵を、僕のことを、他の『人ならざるもの』たちから守ってくれていたと」


 去年の文化祭で、「人ならざるもの」にとり憑かれた僕を救うために力を貸してくれたのも彼女だ。そのせいで彼女は力の大半を失った。


『どうして私はお前の絵に魅かれるのか、どうして私はお前が絵を描いている時間が好きなのか……その訳も分からぬまま、私はお前の絵を求めた。それは決して糧とするためではなく、自分の中に湧き出でる感情の源を探すためだった。邪魔をする者、害をなす者は、無意識のうちに排除しようとした……だが、記憶が徐々に呼び戻されている今、私はその答えにようやく辿り着いた』


 白無垢姿の少女は、慈しむように細い指先で僕の目元をなぞった。彼女の浮かべた柔らかい微笑みに、一瞬藤が重なって、胸の内に得も言われぬ感情が溢れた。


『お前は、生前私が愛した人の血を引いているのだな。間違いない……こうして見ると、とてもよく似ている。その顔も、上手に絵を描くところも、他人を思いやる優しさも』


 懐かしさに目を細めながら、少女は僕の髪を撫でた。その慈愛に満ちた手つきに、僕は目の奥がツンと痛んだ。

 これまでずっと藤を通して僕を見守ってくれていた彼女。例え彼女自身がその理由を見失っていても、心はずっと覚えていたのだ。愛する人とのかけがえのない時間を。絵を描く彼のそばで過ごした穏やかな時間を。


『死後、人ならざる存在としてあの娘にとり憑いた私は、記憶がないのを良いことに己の罪を忘れ去り、仮初の幸福に浸っていた。私のせいで桔梗様が苦しみや悲しみを背負わされたことから目を背けていた。結果として、それが災厄を招くことになってしまったのだ』


 少女は僕から手を離すと、段々とその表情を硬くした。


『私はここでけじめをつけなければならない。私は何としてでも桔梗様を止めなければならない。これ以上、あのお方の尊厳を貶めるようなことがあってはならない。だから――』


 一歩、僕から遠ざかる。

 全身を白で包んだ少女は、足元で輝く虹の光を受けながら、その顔に決意を灯した。


『お前には悪いが、あの娘のことは諦めてくれ。災厄を未然に防ぐには、どうしてもあの器が必要なのだ』


「それは――できません」


 考えるまでもないことだった。即座に否定した僕に、その人は顔を歪ませた。


『言っただろう? 災厄を止めるには他に手立てがないと。それともお前は、この世が改変されても良いというのか? 長い時を経て人々が紡いできた歴史を、一夜にして全て壊されても良いというのか?』


「それは困ります。僕は僕が生きた証をきちんとこの世界にのこしたい。家族や友人も守りたい。だから……僕が僕であった世界が無くなってしまうのは駄目なんです」


『ならば……』


「でも、もし災厄を止めることができたとしても、救われた世界に藤がいないのなら意味が無い。藤がいない世界なんて、僕にとっては生きる意味が無いんです」


 藤の犠牲によって救われた世界で、これまでと同じように生きられるはずもない。

 同じように笑って、泣いて、絵を描いていられるはずがない。

 僕は、藤とともに生きる世界を、藤のいる未来を――絶対に諦めたりはしない。


「あなたがここにいるということは、藤はまだ完全に消えてしまったわけじゃない。まだ生きているはずだ。あなたは知っているんですよね? 教えてください、藤はどこにいるんですか?」


『……あの娘はもう、この虹の反対側まで行ってしまっている。お前がそこに辿り着くことはできない。万が一行けたとしても、二度とこちら側に戻って来ることはできない』


「構いません。それでも僕は、絶対に藤を連れ戻す。そうしなきゃならないんです」


 僕は爪が食い込むほど強く拳を握った。自分に言い聞かせるように、大きく、はっきりと声に出す。少女は柳眉を寄せて、頑なに首を横に振った。


『今あの娘を呼び戻せば、確実に災厄が起こる。それだけは絶対にいけない。これ以上無関係な者たちを巻き込んでは……』


「だからといって、そのために藤が消えてしまっても仕方ないだなんて思えない! そんなの間違ってる!」


 七色の光が滲む。

 感情的に叫ぶ僕に、その人はただやるせない目をするばかりだった。


 残された時間は、きっと少ない。

 このままここで押し問答していたところで、式は着実に進んで行く。彼女はそれを分かっていて、黙って僕をやり過ごそうとしているのだ。

 僕はグイっと目尻を拭った。深く息を吸って、吐く。

 冷静になれ。

 頭の中で繰り返しそう念じながら、淡い光に包まれる虹の先を睨んだ。


 この「向こう」にいる藤を、どうやったら助けられる?


 考えろ。

 僕に何ができる?


 僕にできること――それは、()()()()()しかない。


 僕は白無垢姿の少女に向き直り、告げた。



「――あるかもしれません。藤も、世界も、どちらも救う方法が」




◇ ◇




 ザッザッザッ……


 草を掻き分ける音だけが、辺りに響く。

 どこを切り取っても、鬱蒼と生い茂る草木ばかりが目に入る。


 薄暗く、肌寒い。

 ここは人を不安にさせる空間だ。以前ここに来た時よりも強い焦燥感を抱えながら、桃花は歩を進めた。


「一体、どこまで、行くんですか? 桃花さん」


 後ろを駆け足でついてくる中里に、桃花は振り返りもしないで答えた。


「まだまだ先よ」


「もう結構、長く歩いたのに?」


「つべこべ言わずに着いてきなさい」


 頭上に広がっていた空は、幾重にも重なる木々の枝に覆い隠されて木漏れ日すら差さない。夜のように暗い森の中にいると、まるで時が巻き戻ったような感覚に陥る。


 八坂の森の奥で見た、桔梗を封印していた祠。

 それを元通りにするべく、桃花は深い森に分け入っていた。

 葵との通話後、桃花はしばし逡巡し、別のところへ電話をかけた。その相手こそが今、桃花の後ろにいる中里である。


「それにしても、驚きました。まさか、桃花さんから連絡が来るなんて」


 相変わらず敬語のまま中里は話し掛けてくる。桃花はとっくに被っていた猫を捨てているが、彼は気付きもしない。


「悪かったわね、朝早くから急に呼び出したりなんかして」


「ああいや、気にしないでください。あ、そういえば、小宮、どうなりました?」


 何気なく尋ねられて、桃花は「……そうね」と言葉を濁す。まさか、夜中のうちに家から逃げ出したと正直に言えるわけもない。


「こみやんなら多分、大丈夫よ。それより、あたしが言ったもの、ちゃんと持ってきてくれたんでしょうね?」


「もちろん。部室から、急いで、掻き集めて、来ましたよ」


 文化部らしくひょろりとした背格好の中里は、その見た目に違わず運動が苦手らしい。早足で先を急ぐ桃花の後ろを、息を切らしながら何とか食らいついてくる。その背中には大きなリュックサックを背負っていた。


「とにかく、持って来れるだけ、持ってきましたけど……何に使うんです? こんなもの」


「何にって、本来の用途通りよ」


「え、それって――」


 桃花は後ろを振り返る。




「もちろん――()()よ」








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