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藤小宮物語  作者: トウコ
最終章 結んだ縁と切れた糸(前編)
34/42

其ノ陸 絡んだ糸


※  ※


 はじめに


 諸君らは八坂の森をご存じだろうか。

 Y市の閑静な住宅街の中心部に突如として現れる、鬱蒼と木々が生い茂る森。地元では言わずと知れた怪奇名所である。


 名前の由来は諸説あるが、その昔、森の中に神々の通り道となる八つの道があり、地元の民は通り行く神が土地に災いを残して行かぬようそれぞれの道に酒を供えたという説が有力である。八坂の「さか」は、元は酒という意味から来ていると言われている。


 八坂の森の麓には小さな神社がある。名を八神川(やがみがわ)神社という。森自体は神社の所有地ではなく市の管理地となっているようであるが、名前の由来からしてもこの森が神域なのは明白である。事実、この森に纏わる言い伝えは古くから様々遺されており、特に主要なものは今でもなお世代を超えて語り継がれている。


 しかし、どの地域でも同じことが言えると思うが、残念ながら時間の経過とともに固有の風習や文化は廃れ、土地に根付いた言い伝えは消滅していく一方である。

 本書は、筆者がフィールドワークで採集した八坂の森に纏わる伝承を、なるべく手を加えずそのまま後世に遺すことを目的としている。尚、採集された話のうち類似の形態が複数見られるものは、各話に解説という形で異なる要素や結末を付け加えることとする。



※  ※



 堅苦しい出だしに、自然と緊張感が高まる。

 こんな片田舎にもきちんと土地の歴史を遺しておいてくれる人がいたことに感謝だ。この中に、あの「人ならざるもの」に関することが何か一つでも見つけられると良いのだけれど――いや、ここにあるはずだ。でなければ、僕らは葵の手のひらの上で踊らされただけということになってしまう。


 次のページからは各話の題名と小見出しが簡潔にまとめられていて、八坂の森に棲む物の怪の話や神隠しの噂などが羅列されていた。


「この辺は、あたしたちも知っている話ね」


 逸る気持ちとは反対に、黄ばんだ紙面に書かれている文字は、僕に何の希望ももたらさなかった。どれもこれも子どもの頃に一度は聞いたことがあるような昔話だ。

 もしかして僕らは本当に葵に弄ばれているだけなんじゃないだろうか。きっと葵は今頃、僕らがこうして時間を無駄にして肩を落としている様子を想像してほくそ笑んでいるんじゃないだろうか――

 泥沼化していく思考に飲み込まれかけた時、桃花が「あっ」と声をあげた。


「もしかして、これじゃないかしら?」


 桃花が指さした先には、「第拾話 八坂の森の秘密の祠――悲劇の恋と封じられた怨念――」とのタイトルがついていた。

 それまでは森自体の神秘性や、森に巣食う謎の存在等に焦点が当てられた話がほとんどだったが、そこに書かれていたのはそれまでの話とは少々毛色が異なるように見えた。


「悲劇の、恋……?」


「何だか急に人間臭い話ね」


 そう言いながらも、桃花はさっそく該当のページを開いた。




※  ※




 昔々、この地で巫術(ふじゅつ)をおこなう一族があった。

 その家には代々神通力を持つ娘が産まれ、娘たちは人ならざるものの力を操りこの土地を守護した。

 都で流行り病が蔓延した年、その家に大層美しい娘が産まれた。

 娘には許嫁の男がおり、娘が十七になる年に嫁入りすることになっていた。

 しかし、その娘は屋敷に出入りする絵描きの男に恋をした。

 婚儀の当日、娘は絵描きの男と駆け落ちした。

 残された許嫁の男は、怒り狂い、嘆き悲しみの末に死んだ。

 やがてその男の怒りと憎しみは怨念となり、この土地に災いをもたらした。

 災厄を恐れた人々は、その怨念を八坂の森の奥に封じ、毎年供物を捧げて供養した。


 その怨念は今でも森の奥深くにある祠の中で眠っているというが、その祠がどこにあるのかは誰も知らない。



※  ※




 それはとても短い文章だった。最後の一文字まで読み終えて、僕は静かに顔を上げた。


「――つまり」


 早まる鼓動を抑えながら、僕は慎重に言葉を繋いだ。


「この話が――()()()()()()()()()()()()()()()()だってこと?」


「何だ? どういうことだ? 小宮」


 耳元で一際大きい声を出したのは中里だった。彼は長い首を伸ばし、元々細い目を更に眇めて僕らの肩口から文集の細かい文字を見ていたが、今はその目を限りなく大きく見開いている。

 にわかに興奮した様子の中里とは対照的に、桃花は落ち着き払っていた。


「……でも、この話が事実だという証拠は無いわ。たかが昔話よ? それに、内容だってよくある話じゃない。作者の作り話って可能性の方が高いんじゃないかしら」


 桃花の言い分もよく理解できた。

 たかが昔話――その通りだ。よくある話――もちろん、僕もそう思う。

 だけど、僕は桃花ほど冷静になりきれなかった。葵の言う通り、この昔話は些か()()()()()()()

 薄暗い蛍光灯が、ジジッと音を立てて点滅した。どこから迷い込んだのか、一匹の蛾が吸い寄せられるようにその周辺を飛び回っていた。

 僕は桃花の手元で開かれたままの本の上に、右手の指を滑らせた。


「神通力を持つ娘……その許嫁の男……それから、娘と駆け落ちした絵描きの男……確かに一つ一つは抽象的な表現だ。だけど、僕らが置かれている状況と重ね合わせると、登場人物も、物語の内容も、合致する点が多すぎるとは思わないか? 葵先輩だって、そう思ったから僕らにこの本を読ませたんだろうし……」


 僕はどうにも動きの鈍い頭を無理やり回転させながら、必死で絡んだ糸を解く。蛍光灯にとまった蛾は息を潜めるように静かに頭上で僕らを見守っている。


「その昔、まだ藤のご先祖様が生きていた頃――彼女はあの桔梗と名乗った男の元に嫁ぐはずだった……けれど彼女は桔梗とは別の、絵描きの男に恋をした――先輩の言葉を借りるなら、この男が僕の先祖ということになる――そして婚儀の当日、彼女は絵描きの男と駆け落ちした……ひとり残された桔梗は彼らを恨んで死に、後に怨念となって災いをもたらすようになった……」


――私から藤を奪っておきながら尚も彼女の隣に居座るとは……! 貴様という男はどこまで私を愚弄すれば気が済むのか!


 桔梗の激しく燃え滾るような雄叫びが、耳の奥でこだまする。あれはまさしく怒りと憎しみにまみれた魂の叫びだった。


「……やっぱり、どう考えてもこの話は実話だよ、桃花。作り話だと考える方が不自然だ。藤のご先祖様に『人ならざるもの』と通じる力があったことも、そのご先祖様に許嫁がいたことも、全部事実じゃないか。それに、あの男が僕の描いた絵に酷く敏感になっていたのも、今思えば当然のことだったんだ。何せ、自分の許嫁と駆け落ちした相手が絵描きの男だったんだから……」


「ちょ、ちょっと待ってよ。確かに筋が通っているようにも聞こえるわ。ここに書かれている話が、こみやんの言うように本当にその昔起きた出来事だったとしたら、あの男が藤を連れ戻しに来た理由も、こみやんに呪いをかけた理由も説明がつく……でも、だとしたら、そんな大昔の人がどうして今になって現れるのよ?」


 桃花の疑問は最もだった。

 桔梗は何故、今になって藤を連れ戻しに来たのか。この本の記述によれば、怨念となった彼は森の奥の祠に封じられているはず。それが何故――


「祠――」


「――え?」


 無意識に呟いていた。怪訝そうな目で桃花が僕を見る。中里に至っては、話についていけてずにただぽかんと口を開いたまま突っ立っていた。


「そうだ、祠……」


「祠が、どうしたのよ?」


「桃花、言ってたよな? 森の奥にある祠のもとに行ったことがあるって。だけどその祠はその時既に壊れていたって……」


「あっ……!」


 桃花の顔が一気に青ざめる。どうやら桃花も思い出したようだ。

 藤と桔梗と僕。この三者の関係性にばかり頭が囚われていて、僕はちっとも祠の重要性に気が付かなかった。

 藤の家に代々伝わる災厄も、桔梗の怨念も、どちらも八坂の森の奥にある祠に封じられているとされる。祠が二つ存在するとは考えにくい。とすると、結論は一つしかなかった。


「まさか……じゃあ、あの『人ならざるもの』が、藤の家に代々伝わる<(きた)る災厄>の正体ってこと……?」


 一方では<来る災厄>と呼ばれ、また一方では<八坂の森の主>と呼ばれていたもの。それは蓋を開けてみれば、その昔、許嫁に捨てられた哀れな男の成れの果てに過ぎなかった。


「全ては繋がっていたんだ……考えてみれば、あの男は藤の家にとって厄介な存在だ。一族の娘が駆け落ちという罪を犯したせいで、あの男は怨念となってしまったのだから。もしかしたら、祠に桔梗を封印したのも藤の家の人間かもしれない。だからあの森には近づくなと藤は忠告を受けた……」


 しかし、何らかの原因であの祠の封印は解けてしまった。男の怨念は再び藤を求め、絵描きの男を陥れるために彷徨い始めた――


「……あたしたち、まさに言い伝えられてきた災いに巻き込まれているってことね……」


 愕然とした表情で、桃花は一、二歩後ろへよろめいた。後頭部が中里の肩にぶつかり、桃花はそこでようやく中里の存在を思い出したようだった。


「御免なさい。ちょっと……にわかには信じられないことが起こったものだから」


 取り繕うように桃花はそう言って、中里から離れた。中里は一瞬名残惜しそうにしたが、それはすぐに不満そうな表情に変わった。


「俺だけ置いてけぼりなんてずるいぞ、小宮。一体お前たちは何を調べてるんだ?」


「ええと……これが、話すと長くなるんだ」


 中里に説明するには、この件はあまりにも複雑すぎる。それに、彼が納得するように伝えられる術を僕は持ち合わせていない。


「それでもいい」


 だが中里は食い下がった。


「こんな興味深い話なのに、ひとりだけ仲間外れにされるなんてあんまりだ。それに、協力して欲しいと言ったのはそっちじゃないか。とにかく何があったのか教えてくれよ。俺も何か役に立てるかもしれない」


 彼と真正面から目が合った。中里は思いのほか、真剣な眼差しをしていた。

 虹の絵の件で関わった時は、彼に対してあまり良い印象を持たなかったのが本音だ。

 人ならざる存在に無意識に操られていたとはいえ、妖怪を視たい一心で僕を面倒ごとに巻き込んだ挙句、その記憶をすっかり失くしてしまったのだ。それを僕は少しばかりずるいと思っていた。けれど同時に、彼らとあの時の記憶を共有できなかったことを、やはり少しばかり惜しいとも思っていた。


「――そう言ってくれて嬉しいよ。でも、君を危険に巻き込みたくはないんだ」


 自分の声が心なしか滲んで聞こえた。


「そんなに危ない話なのか?」


「僕らの相手は、いうなれば人ならざる存在だ。僕らはその相手から、ふ……大事な人を取り返さなきゃならない。それがどれだけ危険なことか、君なら分かってくれるはずだ」


 非日常に憧れる彼だからこそ、その境界を越えた先には何の保証も無いこともを理解してくれるはず――だが、僕の想定していた反応と違い、正面に僕を捉えた中里は大きく眉を寄せた。


「小宮、お前――()()()()?」


「え――何が」


 一瞬、問われた意味が理解できなかった。


「何がって、その……」


 中里ははっきりとせず口ごもる。その態度に苛立ちを覚え、僕はぶっきらぼうに返した。


「頭の話? それなら君が思っているより正常だよ。『人ならざるもの』の存在については誰よりも君がよく信じていると思っていたけど、もしかして僕の買いかぶりだったのかな」


「ああ、いや、そういうことじゃなくて……」


 彼の弁解も聞く気にはなれなかった。瞬間的に頭に血が上ったせいか、顔の辺りがぼんやりと熱い。


「彼らには人の(ことわり)が通用しない。常識も、倫理観も、何もかも。あれは全く異なる世界の住人なんだ。だから――」


 急に僕の脳裏にある一つの考えが過り、口を噤んだ。

 人の理が通用しない相手――そう、あれはそういう類のものだ。


「こみやん?」


――お前の探している相手は――()()の方だな。


 藤はあの時、桔梗の本当の許嫁が自分ではなくご先祖様の方だと気付いていた。桔梗もほどなくしてそのことに気付いた様子だった。


――いや、何、大したことではない。少し、()()()には黙っていてもらおうと思ったまでだ。


 藤に向かって何か仕掛けようとしていた桔梗は、平然とそう言ってのけた。あの後桔梗の関心がすぐに僕に移ったせいで有耶無耶になってしまったが、あの時桔梗は藤をどうするつもりだったのか。

 桔梗の本命がご先祖様の方である以上、その器となる藤の存在が彼にとって邪魔になることは想像に難くない。どうしてそのことにもっと早く思い至らなかったのだろう。


「藤が、危ない……」


 呻く僕に「あ? 何言ってんだ?」と中里が突っ込んだが、そんなこと気にしている余裕もなかった。


「桔梗は藤を殺すかもしれない」


 桃花が息を呑んだ。


「今すぐ助けに行かないと……!」


 完全に冷静さを欠いた僕は、どこに行けば良いかなんて考えもしないまま、反射的に出入口に向かって足を踏み出した。


「おい、待て小宮! お前そんな酷い顔色で……!」


 僕の左腕を、背後から中里が強く掴んだ。それがいけなかった。

 掴まれた左腕から脳天まで一気に駆け抜けるような激痛に襲われる。


「いっ、ぁ……っ、!」


「こみやん!」


 全ての音を掻き消すように耳鳴りがして、目の前が暗転した。ぐらりと揺れた身体はそのまま踏みとどまることもできずに傾く。床に倒れ込む直前誰かが身体を支えてくれたのか、加わった衝撃は少なかった。しかし、硬い床に沈んだ身体は自分のものと思えないくらい重たい。


「おい! しっかりしろ――」


 肩を強く揺さぶられているようだが、その感覚は遠く他人事のようだ。


「小宮! 小宮……!」


 ザアザアと砂嵐のような音に搔き消され、その声もやがて聞こえなくなった。

 遠のく意識の中、ただ自分の繰り返す浅い呼吸音だけが五月蠅く最後まで引っ掛かった。








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