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藤小宮物語  作者: トウコ
最終章 結んだ縁と切れた糸(前編)
32/42

其ノ肆 遠方からの助言

 夢を見た。

 とても幸せな夢を。

 大事な人と過ごした大切な時間。

 幸せに満ちた、短く儚い記憶。

 目に映る彼女はいつだって綺麗で、いつだって笑っていた。

 その一瞬を、一瞬で終わらせたくなくて筆を握った。

 絵の中の彼女は永遠に微笑みかけてくれた。

 けれど、絵の外の本物の彼女はあっという間にいなくなってしまった。


 それは遠い昔の、僕の――




◇ ◇




「――み――」


 水面の向こう側から、誰かが呼ぶ声がした。


「――き、――みや――」


 僕を呼ぶのは誰だろう。

 もしかして、もう一度彼女が僕を――


「――いい加減起きなさい! 馬鹿こみやん!」


 間近から降って来た怒気を孕んだ声と、腹に落とされた強烈な打撃に、一瞬で夢の内容が霧散した。


「……!」


 何事かと上体を跳ね起こし、混乱する頭のままとにかく周囲の状況を確認する。だがどこにも異常はない。工作台も石膏像も、いつもとまるで変わらない配置で整然と佇んでいる。間違いない。ここは()()()美術室だ。

 隣には目を半眼にして僕を睨む桃花がいた。その右手は拳を握っている。僕の腹に落ちたのは多分、この鉄拳だろう。どうりで痛いわけだ。


「藤が連れ去られたっていうのに、よく呑気に寝ていられるわね!」


 そんなに長い時間床に転がっていたのだろうか。時計を確認しようかと思ったが、桃花の刺すような視線に阻まれて、僕は取り敢えず素直に謝った。


「……ごめん」


 桃花は大きなため息で応えた。何だかとても不機嫌そうな桃花に、僕は恐る恐る尋ねる。


「……何か、怒ってる?」


「別に」


 言葉とは裏腹に、桃花の眉間の皺は深くなっていく。右手の拳はいまだに力が込められている。怒っていないわけがない。目を覚ます前に、もしかして何かまずいことでもしたのだろうか。僕の心情を読んだのか、桃花がぶっきらぼうに言った。


「……別に、こみやんに怒っているわけじゃないわ。悪かったわね、八つ当たりして」


「え……」


「あたしが腹を立てているのは、大事な人を簡単に奪われてしまった、自分の無力さによ」


「桃花……」


「例え相手が『人ならざるもの』だったとしても、あんなにあっさり藤を連れて行かれてしまった自分が許せないの。足止めの一つもできなかったのが、悔しいのよ」


「でも、それは……」


 桃花のせいじゃない――そう言おうとして、やめた。そんな言葉、気休めにもならない。桃花は握っていた拳を開いて、そのまま両手の手の平を顔に押し当てた。


「……もしこのまま、藤を連れ戻せなかったらどうしよう。強制的にあの男と結婚させられて、こっちの世界に戻って来られなくなったら……もう二度と、藤と会えなかったら――どうしよう」


 手の平の中、くぐもった声が不安で揺れている。桃花の気持ちは僕にも痛いほどよく分かった。

 藤がいないということを改めて認識した途端込み上げてくる心細さに、僕自身まだ戸惑っていた。

 このところ「人ならざるもの」の世界に触れても過度に恐怖や不安を抱かなくなっていたのは、藤がいてくれたからだ。彼女が僕らを守ってくれていたからだ。

 藤の力を借りないで、これからどうやって「人ならざるもの」と向き合えば良いのだろう。俯く桃花の小刻みに震える肩を、僕は途方に暮れながら眺めるしかなかった。


「……っ!」


 左手に走った痛みが、僕を現実へと連れ戻した。藤のいない、美術室。代わりに遺されたのは、僕の左手にかけられた呪い。

 みみず腫れのように浮き上がった傷は、手の甲の中心に花のような紋様を描いていた。先程に比べると呪いの広がりは緩やかになっているものの、着実にそれは僕の身体を蝕んでいた。植物が蔦を伸ばし成長していくように、赤い線は皮膚の上を横断していく。


「こみやん、それ……」


 桃花の心配そうな視線が僕の手元に注がれる前に、そっと左手を隠した。自分の身体に巣食う気味の悪いものを、あまり人に見せたくはない。


「大丈夫。見た目ほどじゃないし、さっきより落ち着いているから」


 そう言って笑って見せる。これ以上彼女に心配を掛けたくなくて、僕は早々に話題を元に戻した。


「それよりも今は、藤を助ける方が先決だ。何か策を考えなきゃ」


「そうね……せめてどこに連れて行かれたのかが分かれば良いのだけど。今のところ手掛かりは何もないし、身動きが取れないわね……」


「こうしている間にも藤の身に何かあったら……」


 落ち着かないままぐるりと室内を見渡すが、都合よく解決策が落ちているはずもない。

 窓から差し込む残暑厳しい日差し。毎秒同じ間隔で時を示す掛け時計。描きかけの油絵のキャンバスも、誰かが忘れて行った資料集も、答えを教えてくれるものはなかった。

 苛立ちを募らせる僕に、桃花は「とにかく」と言ってスカートの裾を払いながら立ち上がった。


「ここでぐずぐずしていたって意味がないことだけは確かよ。まずはあたしたちにできることからやっていきましょう」


「僕らにできること……?」


「ええ。敵を倒すには、まず敵のことをよく知るべきでしょう? それは相手が人だろうと、『人ならざるもの』だろうと同じこと。だから、あの男の正体を調べるところから始めましょう。藤を連れて行かれてあたしも気が動転していたけれど、思い返せばあの男の言動には色々と手掛かりが残っていたわ。そこから何とか、藤の居場所に繋がる糸口を探すのよ」


「でも、例え藤の居場所が分かったとしても、『人ならざるもの』相手にどうやって……」


 僕らの前に立ちはだかる最大の壁。それは「人ならざるもの」に対する力が無いということ。

 こればかりはどう足掻いても覆せない厳然たる事実だ。僕らは藤がいなければ何もできない。

 だが、見上げた桃花は何故か自信に満ちた顔をしていた。


「大丈夫、思い出したのよ。あたしたちにはまだ、()()()が残っていることを」


「切り札……?」


 首を傾げると、桃花は強く頷いた。


「目には目を、歯には歯を――()()()()()()()()()()()()()




◇ ◇




 取次ぎを頼んだあと少し待たされてから聞こえた第一声は、先程の桃花とは比べ物にならないほど不機嫌だった。


『一体今何時だと思っているんだ? 時差も考えられないのかい、小宮』


「突然すみません――葵先輩」


 職員室の外、備え付けの公衆電話の受話器を右手に持ちながら、僕は見えない相手に無意識に頭を下げる。反対側からぴったりと耳をくっつけていた桃花が、目線だけで「動かさないで」と訴えてきた。


『君とはもう二度と、言葉を交わすことはないと思ったんだけどね』


 眉間に皺を刻んだ葵の顔が容易に浮かんだ。当然ながら僕からの連絡は歓迎されていない。それでも僕らが頼れるのは、桃花曰くこの「胡散臭い奴」――もとい葵以外はいなかった。

 これまでの経緯を簡潔に説明すると、葵の声はより一層険しくなった。


『――何? それで小宮は藤を簡単に奪われた挙句、まんまと呪いまでかけられて僕に泣きついてきたってわけ? 呆れた』


「……まあ、その通りです」


 受話器越しに、葵の言葉が棘のように突き刺さる。ぐうの音も出なかった。


『もしかして君は僕が喜んで手を差し伸べるとでも思ったのか? だとしたら、とんでもなくお気楽な人間だね』


「……でも、他に頼れる人がいないんです。藤を取り戻すためには先輩の力が必要なんです」


『夏休みに僕が忠告したことを君はもう忘れたのかな。言ったはずだ。奴らと関わるには、対等に渡り合うだけの力が必要だと。だが君は傲慢にも、その力がないくせに奴らの世界に干渉し続けた――藤の庇護を当てにしてね。その結果が、これだ。つまりこれは、君が招いた事態なんだよ』


「……それは」


『少しでもその責任を感じるのなら、まずは自分で何とかするべきだ。他人の助けをあてにする前にね。それに、忠告を無視した君に僕が協力する筋合いがどこにある? 悪いけど、これ以上時間を取らせないでくれ。藤に選ばれた以上、君が自力で彼女を助けに行くべきだろう』


 葵に冷たく突き放され、僕は何も言い返すことができずに唇を引き結んだ。

 僕らにとって、「人ならざるもの」が視える葵は強力な助っ人だ。何としてでも協力を仰がなければならない。だが、僕には彼を説得する言葉が見つからなかった。葵の言う通り、彼が僕らに手を貸す理由は無いのだ。断られることも想定しておくべきだったのに、心のどこかで葵は味方になってくれるだろうと安易に考えていた。


『それじゃあ、幸運を祈るよ――』


「あっ、待っ……」


 電話を切ろうとした葵を引き留めようとした矢先。


「貸して」


 僕では埒が明かないと踏んだのか、桃花が隣から強引に受話器をひったくった。


「もしもし? あんたが葵ね?」


 強い口調の桃花にハラハラしながら、僕は漏れ聞こえる葵の返答を待った。


『――誰?』


 当然の如く警戒する葵に、桃花は素っ気なく切り返す。


「あたしのことなんてどうでも良いのよ。それよりあんた、さっきから聞いてればごちゃごちゃと言い訳ばかりして、藤がどうなってもいいって言うの?」


 葵と直接の面識がないにも関わらず、桃花は強気な態度を崩さない。


「あんた、藤と親しくしていたんでしょう? それに、『人ならざるもの』のこともよく知っているのよね? だったら藤を助ける方法、一つくらい思いつくでしょう。さっさと教えなさいよ」


『君は正気か? 人にものを頼む態度とは思えないね。礼儀を弁えてから出直して来てくれ』


 案の定、葵の機嫌は更に悪くなっていく。今にも電話を切られそうだが、桃花は臆することなく続けた。


「あんたまさか、藤が得体の知れない奴に嫁入りするのを、指を咥えて見ているつもり? もう二度と藤に会えなくても良いっていうわけ? ――ああ、それとも、藤を助け出す自信がないのかしら?」


『その言葉を投げつける相手を間違えていないかい? 藤に選ばれたのは僕じゃなく小宮なんだから、そっくりそのまま隣の男に言ってやるといい』


 桃花のこめかみに血管が浮いた。同時に、掃除機のように目一杯息を吸い込む。嫌な予感がして、僕は咄嗟に耳を塞いだ。


「ああでもないこうでもないって、本当に五月蠅いわね! 好きな女にフラれたからっていつまでも引きずってるんじゃないわよ! 今の藤にはあんたの助けが必要なのよ、分かるでしょう? 知恵がないなら骨の髄から捻り出しなさい! 何も思い出せないなら脳みそ絞ってでも呼び覚ましなさい! 藤があんたにとって大事だっていうなら、その程度のことやってみせなさいよ!」


 廊下じゅうに響き渡る声だった。何なら、校舎全体に響いたかと思うくらいだ。何事かと職員室から教師たちが顔を出してきたので、慌てて僕は場を誤魔化した。

 桃花の怒鳴り声をまともに食らったのかしばらく無言だった葵が、ややあって電話口に戻って来た。


『――まったく、五月蠅いのはどっちだか分かりやしないな』


 そこには呆れと諦めが滲んでいた。どうやら桃花の強引さは葵をも圧倒したようだ。


「もちろん協力してくれるのよね? ノーとは言わせないわよ」


『初めから、選択肢なんてなかっただろう?』


 薄っすらと笑いを含んだ葵の声に、僕は胸を撫で下ろした。葵の協力が得られれば心強いことこの上ない。


『仕方ない、なんせ小宮は自他ともに認める役立たずだからね、少し手を貸そう。言っておくけど、これは貸しだ。いつか君らに返して貰うよ。もちろん、利子付きでね』


「ぐだぐだと前置きの長い男ねえ」


『……待てない女だね、君は。少しは黙って聞けないのかい?』


「桃花、お願いだから」


 せっかく説得に成功したのに、またへそを曲げて電話を切られては困る。小声で嘆願すると、桃花は自身を落ち着けるように深呼吸をしてから「……良いわ、続けて」と続きを促した。


『――それで、君たちが知りたいのは何なのかな』


「今一番知りたいのは、藤がどこにいるのかってことね。そのためには、あの男の正体を知る必要があると思うの」


『ああ――そいつの正体には、心当たりがある』


 葵の簡潔な解答に、僕らは驚いて目を合わせた。桃花が無言で僕に受話器を差し出して来たので、僕は桃花に代わって尋ねる。


「心当たり、あるんですか?」


 受け手が変わったことに興味も示さず、葵はそのまま話を続けた。


『心当たりというよりは、さっき聞いた話から推測した、という方が正しいね。もちろん、僕はそいつに会ったことなんかないけど、そいつが()()()()は分かったよ。聞きたいかい?』


 葵のもったいぶった言い方も、今は気にならなかった。


「教えてください。あの『人ならざるもの』は一体何なんですか?」


 一呼吸置いてから、葵は厳かに告げた。



『そいつの正体は行き過ぎた執着と怨嗟の塊――つまり、怨念だよ』





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