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藤小宮物語  作者: トウコ
最終章 結んだ縁と切れた糸(前編)
30/42

其ノ弐 過去の因縁

 聞き間違いではないはずだ。そして、これは夢でもない。


「ちょ、ちょっと待って。藤の中に、もう一人の藤がいるってどういうこと……?」


 さすがの桃花も困惑気味だ。


「人格――というと少し意味合いが異なるな。どちらかというと、藤というもう一人の魂が、私の中に同居しているという方が近いかもしれない。彼女は正真正銘、私の先祖にあたる人だ」


「藤の……ご先祖様?」


 ますます理解が追いつかず、僕は桃花と顔を見合わせた。藤は僕らの反応を承知していたようで、流れるように説明を加えた。


「――私の家は少々特殊でね、今はほとんど廃れてしまったけれど、昔はまじないを生業としていたんだ。その昔、この辺一帯は全て農耕地で、北はこの学校から南は八坂の森まで田んぼや畑がずっと広がっていた。この土地を守護する役目を司っていた私の祖先は、大地が割れれば雨乞いをし、稲が実らなければ豊作祈願をした。そんな家柄のせいか、我が家には代々神通力を宿した娘が産まれた。その当時神通力と呼ばれていたもの――すなわちそれが『人ならざるもの』を視る力。彼女たちは何代にも渡って彼らの力を借りながら、降りかかる災厄からこの土地を護り続けてきたんだ」


 淀みなく紡がれる言葉はまるでどこか遠い世界のおとぎ話のようで、僕はいつの間にか藤の話に惹き込まれていた。


「私の中に宿るもう一人の彼女もまた、『人ならざるもの』を視ることができる娘だった。その彼女の名は――藤。私と同じ名前なのは、もちろん偶然などではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。少しでも彼女との親和性を高め、儀式の成功率を上げるために」


「儀式……?」


「そう、それは私という器に彼女の魂を降ろす儀式。この儀式を行うことは何十年も昔に決まっていたことだった。その目的は、<(きた)る災厄>の阻止。私の祖母は残された言い伝え通りに、私が産まれたその日、彼女の魂を私に降ろす儀式を行った。それ以来十六年、私はずっと彼女とともにあり続けている」


 何かを尋ねることはおろか、音を立てることすら躊躇われた。いつも気の利いた台詞をすぐに言える桃花でさえ、慎重に言葉を選んでいる様子だ。


「……つまり、そのご先祖様の力によって藤は『人ならざるもの』が視えるようになったってこと?」


「正確に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だろう。魂を降臨させる儀式――聞こえは良いが、要するに祖母は産まれたばかりの赤子に『人ならざるもの』をとり憑かせたというだけのこと。まだ素質があるかどうかも知れないうちに、来るかどうかも分からない災厄とやらのためにね」


 藤のご先祖様は、その身に宿った神通力のせいで死後も人の領域を逸脱した存在としてこの世界を彷徨っていた。そんな彼女を、藤の祖母はわざわざ探し出し、藤にとり憑かせたのだという。

 <(きた)る災厄>の阻止という、大いなる目的のために。


「幸か不幸か、私は彼女を拒絶することなく受け入れた。以来ずっと、私は彼女にとり憑かれた状態のままでいる。私が彼らの世界に干渉できるのは、産まれた時から『人ならざるもの』と切っても切れない縁があるからだ」


「……じゃあ、もしそのご先祖様が藤の中からいなくなったら、藤には『人ならざるもの』が視えなくなってしまうのか?」


 僕の疑問に、藤は一瞬虚を突かれた顔をした。


「それは……考えてみたこともなかったな。彼女は最早私の一部だし、私もまた彼女の一部だ。だから、もし彼女が私から離れた時、私の持つ力がどうなるのか――それはその時になってみないと分からないだろう」


 去年の秋、僕は二度「人ならざるもの」にとり憑かれた。僕は体質的に彼らとの相性が悪いというのもあるが、とり憑かれたことによる心身への負荷は相当大きかった。

 それが十六年だ。

 藤はそれだけの間、独りで「人ならざるもの」と向き合ってきたのだ。


「――とにかく、我が家の特殊な事情によって、私は『人ならざるもの』と共存し続けているということを隠さずきちんと伝えておきたかったんだ。この話が二人にどう受け止められるか、それが怖くて今までずっと伝えそびれてきたけれど……」


 語尾が萎んでいく藤に、桃花はつとめて明るく言い放った。


「あのね、藤。あたし、前に言ったわよね? 例え藤がどんな秘密を持っていても、別にあたしたちにとって藤が藤であることに変わりはない。そんな些細なことで藤から離れたり、嫌いになったりなんてしないって。だから大丈夫よ。あたしたちは、ちゃんと受け止めるわ」


 俯き加減だった藤がゆっくりと顔を上げる。それに合わせて彼女の長い髪が肩から流れ落ちた。


「……ありがとう。そう言ってもらえて、心強いよ」


 薄っすらとはにかむ藤に目を奪われていると、彼女は今度、僕に向き直って続けた。


「――それから小宮にはもう一つ、言っておかなければならない。さっきも言ったように、私の中には『人ならざるもの』が存在する。彼女が生き延びるためには、当然、その糧となるものが必要となる――つまりね、小宮。私は初めから、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」


 薄々気付いてはいたが、動揺を隠しきることはできなかった。

 桃花に封印されていた「人ならざるもの」を祓うため、僕の絵を貰い受けると言ったあの時。


――もともと、そのつもりだったんだ。初めからね。


 とても寂しそうに笑う藤に、いくら鈍感な僕でも察した。きっと何か事情があって、藤は僕の絵を求めたのだろうと。


「……そうか。そうなんだね」


「だけど、結局彼女は小宮の絵を一枚も食べることはなかった――文化祭のあの時までは」


「それは……どうして?」


 訝しげに桃花が尋ねる。

 だが、藤も明快な答えを持ち合わせていないようで、「それがよく分からないんだ」と首を横に振った。


「彼女はただ小宮が描く私の――()()()の絵をとても楽しみにしていた。例え自分の力が衰えていこうとも、決して小宮の絵を食べようとはしなかった。それどころか、自らの命を削ってまで小宮の絵を――小宮自身を守ろうとしたんだ」


 何とも妙な話に僕は眉を顰めた。

 これまでずっと僕を守ってくれていたのは藤だと思っていた。しかし、その力は「人ならざるもの」が藤を通じて僕に貸してくれていたのだという。

 会ったこともない「人ならざるもの」――藤のご先祖様が、何故僕を守ろうとするのか。

 絵を食べるためじゃないのなら、一体何が目的なのだろう。


 それとも、僕はどこかで彼女と出会っているのだろうか?

 僕の知らぬ間に。

 どこか、遠い昔に――




◇ ◇




 重苦しい沈黙が、室内を満たしていた。

 僕は僕の絵と藤との関係について、胸中にわだかまる感情の消化に没頭した。藤は憂いを帯びた眼差しで僕と桃花の足元を見つめている。誰も、何も言わなかった。


 しばらくして、美術室前の廊下を誰かが足早に歩いて行った。その足音が完全に遠ざかっていったのを合図に、ようやく桃花が切り出した。


「――ねえ、藤。訊いても良いかしら?」


 桃花は椅子の上で足を組み、頬に手を当てて首を少し傾げた。


「藤のおばあ様は、代々残されてきた言い伝えに従って、藤が産まれた日に儀式を行ったって言ったわよね? そもそも藤の家に言い伝えられてきたその<(きた)る災厄>って具体的に何なの? その災厄の阻止のために、どうして藤にご先祖様をとり憑かせる必要があったのかしら?」


 桃花の率直な疑問に、僕のごちゃごちゃと乱れた思考がピタリとやむ。


――確かにそうだ。


 色々な話を立て続けに聞いたせいで混乱していたが、元を辿れば藤の家に伝わる<(きた)る災厄>という言い伝えが一番の謎なのだ。この災厄とやらが、僕らを取り巻く全てを解き明かす鍵なんじゃないだろうか。

 期待を込めて藤を見たが、彼女の語り口は鈍かった。


「……残念ながら、私は詳しく知らないんだ。祖母は私が幼い頃に亡くなっているから、儀式のことや言い伝えのことなど、直接話を聞く機会はほとんどなくて。両親は祖母と折り合いが悪く『人ならざるもの』も視えない人たちだから、多分、私以上に何も知らないはずだ」


「……そう。じゃあ、その言い伝えの詳細は何も分からないってわけね」


 肩を落とす桃花に、藤は記憶を探りながら「……いや、そうでもない」と付け加えた。


「数年前、一度だけその言い伝えに纏わる話を聞いたことがある。あれは確か、祖母の法要で本家に親戚たちが集まった時のことだ。『人ならざるもの』が視える最後のひとりが、私にこう忠告したんだ――」


――恐ろしい災厄が八坂の森に眠っている。決して近づいてはならぬ。


「八坂の森って……あの?」


 藤は腕を組み替えて頷く。


「ああ。気になって後で八坂の森について調べてみたんだが、確かにあの森には正体不明の何かが封じられているようなんだ。それは人々を脅威に晒す、恐ろしいものらしい」


「それって、例えば子どもが神隠しにあったとか、物の怪が棲んでいるとか、あたしたちがよく耳にする八坂の森の言い伝えとどう違うの? そういうのって、所詮子どもを森に近づかせないための大人の作り話でしょう?」


 八坂の森に纏わる不穏な言い伝えは、この町の子どもたちなら皆知っている。実際僕が小さい頃も、様々な尾ひれがついた話を何通りも聞かされたものだ。


「それが案外そうでもないんだ。森の麓に小さな神社があるだろう? そこの関係者に話を聞いたんだが、あの森の奥には小さな祠があって、何か得体の知れないものを祀っているのは間違いないと言っていた。あそこの神社は古くからの土地神を祀っているが、どうやら森の祠はそれとは全く別の類のようでね。祠の場所も、何が祀られているかも、そこの宮司以外誰も知らないそうだ」


「じゃあ……その祠に封じられているものが、藤の家に伝わる災厄を引き起こす何かってことなのか……?」


 僕の問い掛けに、藤は「断定はできないけどね」と言った。


「その昔、八坂の森の一角は我が家の所有地であったとも聞く。だから、どうにもこの話が言い伝えと全くの無関係とは思えないんだ。ただ、それ以上のことは調べても――」


「あっ……!」


 突如、桃花は藤を遮って声を張り上げた。隣の僕は、驚いて必要以上に肩を震わせた。


「いきなり大声出すなよ、桃花。吃驚するだろ……」


「大事なことを思い出したのよ! どうしてかしら、あたしったら何でこんな重要なこと今まで忘れてたのかしら!」


 桃花はやけに興奮しながら、二、三度椅子の上で跳ねた。


「八坂の森! そうよ、あそこには確かに『何か』が封じられているんだわ! だってあたし、ついこの前、()()()()()()()()()()もの!」


「――何だって?」


 藤が眉根を寄せた。

 桃花は大袈裟な身振り手振りを交えて、ほとんど一息で話し切った。


「あたしの中に封じられていた『人ならざるもの』が目覚め始めてしばらくした頃、あいつは封印を解くための力を求めて八坂の森へと足を踏み入れたの。あたしは自分の意志では身体を動かせなくて、ただただ森の中を彷徨い続けるのを見ているだけだったわ。そうして、どれぐらい時間が経ったのか――ふと気付いたら、あたしは小さな祠の前にいた。苔むした小さな石の祠だった。あいつはあたしにこう言ったの、その祠には<八坂の森の(ぬし)>が封じられているんだって」


「八坂の森の主……?」


「ええ、確かにそう言っていたわ。それは大昔にこの土地を襲った災厄の元凶で、とても怖くて、とても強い――だからそれを食べたら、自分はもっと大きく強くなれるんだって」


 息を吸うのも惜しむように、桃花は更に続ける。


「だけど、結局その森の主には出会えなかった。あの祠はもぬけの殻だったの。あたしの足元にあったのは小さな祠の残骸だった。あの時既に、()()()()()()()()()()()()()()……!」


「まさか、じゃあ――」


――ガタン。


 張りつめた空気が大きく揺れた。瞬間的に眩暈を感じ、僕は目を瞑った。

 空気を揺らしたのは美術室の扉が開いた音だった。


 振り向いた先、入り口に立っていたのは――




「――探したぞ、藤」




 中庭で見かけた、あの人物だった。






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