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藤小宮物語  作者: トウコ
第肆章 宴の終わりを告げる者
26/42

其ノ伍 厄介ものの目覚め

「――ねえ、こみやん。覚えてる? あんたあの時ね、『人ならざるもの』に()()()()()()()()()()()


 あまりにも衝撃的な告白だった。

 最初にとり憑かれた時のことは、朧げにだが記憶に残っている。

 あの時僕にとり憑いた「人ならざるもの」――つまり春奈の友達は、「あの子のために絵を描かなければならない」という強い意志を持っていた。だんだんとその意志に侵食された僕は、あの子が誰なのかも分からないまま、ただその衝動に突き動かされるように筆を握った。

 そうしてがむしゃらに描き続けてできあがった絵は確かに綺麗で、ああ、これであの子も喜んでくれるかな、なんて思ったことは何となく覚えている。


――小宮が無事で良かった。


 だが、記憶の次のページを捲ると、そこにはもう全てが終わったあとの心底安堵した藤の顔。このすっかり記憶が欠落している部分で僕は――


「また、とり憑かれていた……?」


 動揺を隠せない僕とは正反対に、桃花は片手で髪の先を撫でつけながら、何でもないことのように言い放った。


「驚くのはまだ早いわ。その『人ならざるもの』をこみやんから引き剥がす代償として、()()()()()()()()()()()()()()


「――――」


 眩暈がした。

 周囲の音が急速に遠ざかり、胸の鼓動だけが耳につく。不意に、夏休み、葵に突き付けられた言葉が脳裏に蘇った。


――小宮は気付いていたかい? 藤の『人ならざるもの』を視る力がだんだんと弱まっているということを。


 僕は必死で床に足をつけて、止まりそうな呼吸を意識的に繰り返した。


「……つまり、藤の『人ならざるもの』を視る力が弱くなってしまったのは……僕のせいだったってこと……?」


「――まあ、端的に言えば、そういうことね。だから藤は去年の文化祭のこと、こみやんにだけは隠しておきたかったんでしょう。それを言えばきっとこみやんは、一生自分のことを許せなくなるでしょうから」


 桃花はどこか僕の反応を楽しんでいるようだった。


「……あの時藤が危惧していた厄介な『人ならざるもの』。こみやんにとり憑いたのは、まさにそいつだったのよ。そいつはあたしを羽交い絞めにして、パレットナイフを首に突きつけてね、こう言ったの。『こいつの絵を全て渡せ。さもなくばこの娘もろとも食ってやる』ってね」


「…………」


「もちろん最初は藤も断ったわ。こみやんの絵を見ず知らずの『人ならざるもの』に売り渡すことなどできないでしょうからね。でもね、その時そいつはとってもとってもお腹が空いていて、何でもいいからとにかく腹に収めたかった。その衝動を抑えることはもはや少したりともできなかった。早くこのどうしようもない空腹感を満たしてやりたくて仕方がなかった――藤はすぐにそのことに気付いたわ」


「桃花……?」


 異変を感じた僕は口を挟もうとしたが、桃花はその隙きを与えない。


「――だから藤はね、苦肉の策としてその『人ならざるもの』を封印することにしたのよ。こみやんからそいつを祓うだけじゃ、またいつそいつが戻って来るかも分からない。それならそのまま眠らせてしまった方が良い。でもこみやんは何度もとり憑かれているせいで身体に負担の大きい封印に耐えられそうもない。そこで藤はどうしたか――」


 桃花は腰かけていた机からおりて、一歩、二歩、と僕との距離を詰めた。

 僕は無意識に、後ずさる。教卓が背中にトンと当たって、僕の退路を断つ。



「藤はそいつをあたしの中に封印すると決めたの」



 床に散らばった小道具を躊躇いなく踏みつけながら、僕に近づく彼女。その口元は、今にも笑い出しそうなのを堪えるように歪んでいた。


「封印は成功したわ。そいつは無事にあたしの中で眠りについた。でも、封印を維持するために藤は力を使い続けなければならなくなった――可哀想にね。今の藤はもうボロボロよ。彼女の力が衰えてきているせいで、封印もだいぶほつれてきている。あと少し力を付ければ、この封印はあっけなく効力を失うわ」


 ()()()()()()


 これは、桃花じゃない――桃花の中に封印されている「人ならざるもの」だ。


 藤が言っていた封印から目覚めようとしている厄介な存在とは、きっとこの「人ならざるもの」のことだったのだ。

 藤は初めから、何もかも全て知っていたのだ。桃花に起きた異変の理由も、それが去年の文化祭の出来事に起因することも。全て。


 何も知らないのは、僕だけだった。



「――さあ、こみやん。あたしは約束を果たしたわ。だから次は、こみやんの番よ」


「……でも、この話が真実だとは限らない。お前が嘘を吐いている可能性だってある」


「なあに、こみやん。()()()のことが信用ならないっていうの?」


「僕は桃花のことは信用していても、お前のことは信用していない」


「あらそう。それは残念」


 あたかも桃花のように、その「人ならざるもの」は肩を竦めてみせた。自分の正体が既に露見していることにも全く動じない。


「でもね、こみやん。もしあたしが言ったことが嘘だったとして、あんたはそれをどうやって証明するつもり? 自分の記憶もないのに、何が真実かなんてどうやって見極めるの?」


「それは……」


 確かにそうだ。自分の記憶もあてにならない状況で、僕には「人ならざるもの」の話が嘘かどうか判断のしようがない。


「でも安心して。あたしが語ったのは全てこの娘がこの目で見た事実。こみやんがこの娘を信用するというのなら、この話はあんたにとって真実であることは間違いないわ」


 桃花の手がするりと僕の方へ伸びて来る。教卓を背中につけ行き場を失くした僕は、できる限りのけぞった。


「だから、早くあたしの望みを叶えて? もうお腹が空いて仕方がないのよ。これ以上待ちきれないわ。早く、こみやんの絵を食べさせて」


「僕の、絵を……?」


「そうよ。今まで描いてきた絵があるでしょう? それを全部あたしにちょうだい。その絵を食べ尽くしたら、きっと封印を解くことができるわ。そうしたら、あたしはまた自由になれる。ねえ、こみやん。あたしの望みを叶えてくれるって、約束したわよね――」


 桃花の指先が僕に触れようした――その時。


――チリン。


 微かな鈴の音が響いたかと思うと、桃花が反射的に手を引っ込めた。さっき美術室の前で見せたのと同じ、見えない何かに阻まれたような反応だった。

 桃花は僕に届かなかった自分の手を見下ろして、舌打ちした。


「――こんなところにまで結界とは、用意周到ね」


 僕はポケットの上からそっと鈴の存在を確認した。藤がくれたこのお守りの鈴は、普段()()()()()()()()()()()()()。その鈴は、僕に何かを訴えようとする時だけ、自発的に音を奏でる。

 鈴を指先に感じながら、僕は素早く周囲に目を配った。どこかに出口がないか目線だけを動かして探る。

 何の変哲もない教室だが、ここが異空間であることは薄々勘づいていた。消えたのはクラスメイトじゃなく、()()()()()()()()


 悪食として名を馳せるこの「人ならざるもの」が僕の絵を食べるだけで満足するはずがない。絵を食べ尽くしたあと、きっとその手は僕自身にまで伸びてくるはずだ。その前に何としてもここから脱出しなければ。


「――まあ、こんな小細工、あたしにとっては何てことないけれど。でも、残り少ない力を惜しげもなく与えるなんて、余程藤はあんたのことを大事にしているのねえ――それは一体何のためなのかしら?」


 僕の後ろには、どっしりと構えた教卓。目の前には、数十センチの距離に立ちはだかる桃花。まさに背水の陣だ。


「さあ、こみやん。早く絵を出しなさい。ロッカーの中に隠してることぐらい、あたしは知ってるのよ。その気になれば、あんたから鍵を奪うことなんて容易(たやす)いんだから」


 厄介なことにこの「人ならざるもの」は宿主である桃花の記憶を共有しているようだ。僕が鍵を持っていることもお見通しらしい。


「できれば手荒な真似はしたくないわ。ね、だからお願い。その鍵をあたしに渡すだけで良いのよ」


 桃花は猫なで声でそう言う。僕はじっとりと手汗をかくのを感じながら、必死で頭を回転させた。


「こみやんはもう気付いているんでしょう? ここはあたしが作り出した世界の中ってこと。この空間の全てにあたしの力が及んでいるのだから、何をしたって無駄よ」


――そうだ。ここはこの「人ならざるもの」が作り出した空間。なら、これを壊すためには――


「ここから出るにはあたしの言うことを聞くしかないんだから、さっさとその鍵を――」


「嫌だね……!」


 苛立ちを隠さず突き出された手を払いのけ、僕は鈴を教室の後ろの黒板に向かって全力投球した。鈴は紫色の紐で括り付けられた鍵とともに、宙を舞う。


「なっ……!」


 一瞬、桃花の動きが止まった。その隙をついて僕は桃花の横をすり抜け、鈴を追い駆けて走った。


 この空間がこの「人ならざるもの」の力によって構成されているというのなら、鈴が触れた場所には藤の結界が作動するはず――そう、さっき桃花が僕に触れようとした時のように。


 僕の仮説は間違っていなかった。

 黒板に当たった鈴は、小さな音を奏でながらその箇所を歪ませた。そこから波紋が広がるように、一気に壁一面が波打つ。


小賢(こざか)しい……!」


 僕は走りながら落ちて来た鈴を掴み、ぐにゃりと曲がった教室の壁に迷わず飛び込んだ。




◇ ◇




 崩壊していく幻の先に見えたのは、見慣れた美術室だった。


 美術室には何故か、床一面に紙が敷き詰められている。その紙を巻き込んで床を転がりながら、僕はとにかく鈴を手離さないように強く握り締めた。


「逃がすか!」


 凄まじい勢いで迫る「人ならざるもの」の気配。

 立ち上がって逃げようとした僕の襟首が背後から力任せに掴まれた。拘束を解こうと藻掻いて、僕は工作台の角に強く額をぶつけた。


「う、っ……!」


 視界がぶれ、意識が混濁する。

 普段の馬鹿力が「人ならざるもの」の影響で増幅されているのか、僕を床に押しつける桃花の力はその細腕からは想像できないほど強かった。


「駄目よう、こみやん。あたしから逃げようだなんて考えちゃ。ね?」


 僕の背に馬乗りした桃花は、耳元で艶やかに囁いた。


「さあ、鍵を渡しなさい。絵を食べて封印が解けたら、こみやんも解放してあげるから」


「……嘘、言うな……っ!」


「だからね、こみやん。あたしの言うことが嘘かどうか根拠もないのに決めつけたら駄目よ?」


「根拠がなくたって……そんなの、信じられるわけないだろ、っ!」


 後ろからグンと髪の毛を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。僕を見下ろす桃花の目には、普段の桃花とは違う色が浮かんでいた。


「……さっきまでは本当に絵を食べるだけのつもりだったけど――気が変わったわ。絵を食べ尽くしたら、最後にこみやんも食べてあげる。あたしの一部にしてあげる。だからそれまでここで大人しくしていなさい」


 桃花の手がパッと離され、僕は重力に従ってまた床に沈み込んだ。

 桃花は僕の身体をまさぐって、鍵を探し始める。焦りばかりが募った。僕一人では「人ならざるもの」を止めることはできない。どうにか藤が来るまで時間を稼がないと。


「……お前の狙いは僕と僕の絵だけなんだろ? なら、桃花は関係ないはずだ。頼むから、桃花を解放してくれ」


「あたしだって好きでここにいるわけじゃないわ。封印が解けたらここからさっさと出て行くつもりよ。それにこの娘にあたしを封印したのは藤だもの、文句なら藤に言ってくれる?」


 僕のズボンのポケットに手を突っ込みながら、桃花は「無いわねえ」と呟いている。僕の絵が藤の力で守られていることも知っているのか、ロッカー自体を無理に破壊しようという気はないらしい。それとも、まだそれだけの力が戻っていないということなのか。

 一か八か、僕はカマをかけてみた。


「……そんなこと言ってるけど、お前、本当はまだ封印を破るだけの力がないんじゃないのか? 桃花の意志は強いから、乗っ取るのに苦労しただろう。こうして表に出て来て話すのがやっとなんじゃ――、っ!」


 いきなり膝で肺を圧迫され、息が詰まった。


「――ああもう、強情ねえ」


「……っ、……はっ」


 酸素が取り込めずに喘ぐ僕に、冷ややかな声が追い打ちを掛ける。


「無駄な抵抗はみっともないわよ。どれだけ時間を稼いだところで、藤は来ないわ。どうせこみやんには何もできないんだから、大人しく降参しなさい。それとも、いたぶられるのが好きなの? なら、先にちょっと味見しちゃおうかしら」


 ゾワリと鳥肌が立ち、僕は身を固くした。桃花が笑いながら、僕の左手に指を這わせる。


「――ああ、ここに隠していたのね」


 握り締めた左手の中に鍵の存在を嗅ぎ取った桃花は、僕の手の甲に思いっきり爪を立てた。そして爪を研ぐように、赤い線を引っ張る。


「いっ……!」


 痛みに視界が滲み、気が遠くなりそうになったその時だった。




「――そろそろ小宮から手を離してくれないかな」




 沈殿した空気を吹き飛ばすような、凛とした声が響いた。

 声の主は一体どこから現れたのか、美術室の真ん中に立って僕らを見下ろしている。



 それは紛れもなく、藤だった。





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