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藤小宮物語  作者: トウコ
第参章 真夏の白昼夢、花火の旋律
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其ノ陸 花火が告げる別れ

 学校の正門から大通りを真っ直ぐ南下していくと、住宅地の真ん中に突如として森が現れる。昼間でも薄暗く鬱蒼と木々が茂るその森は、子どもが神隠しにあったとか、物の怪が棲んでいるとか、様々な言い伝えが残っていた。

 八坂(やさか)の森と呼ばれるその森の麓には小さな古い神社が(やしろ)を構えており、夏祭りは毎年その神社の境内で行われていた。


 十八時過ぎ、既に神社周辺は集まった近隣住民でごった返していた。

 学校を飛び出してから走り続けて来たが、さすがにこの人混みの中を同じように走り抜けることは難しい。僕は一旦石畳の隅に立ち止まって息を整えた。ずっと走ってきたせいか、額から滴るほどの汗が流れた。

 日が傾き、辺りはようやく薄暗くなってきた。露店と同じように鳥居から境内に向かって伸びる二列の提灯が、順次灯り始める。


「どこだ……?」


 僕はざわめきに逆らうように周囲を見渡した。浴衣で走り回る子ども、祭りの法被を着て奔走する大人、制服姿の学生も散見される。見慣れた制服を捉えては振り返ってみるが、藤も葵も見当たらない。

 人の波に押される形で、僕は境内へと歩を進める。雑踏の中、しきりに目を凝らしてはそれらしき人物の後姿を探しているうちに、(やぐら)の上で太鼓の音がドーンと響いた。盆踊りが始まった。


「わ……」


 急に人の流れが変わる。

 前の人の背中にあわやぶつかりそうになった時、背後から襟首をグイッと掴まれ強引に露店の裏に引っ張り込まれた。


「おっそい! 一体どこほっつき歩いてたの!」


 その声の主が誰であるかは、すぐに分かった。桃の花をあしらった浴衣に身を包み、頭に花飾りのついた簪をさした桃花が、腰に手を当てて立っていた。

 馬子にも衣裳とはこのことか。いつもより慎ましやかな雰囲気の桃花からは、裸足で脛を蹴ってくるような野蛮さは微塵も感じられない。


「待ち合わせの時間と場所、ちゃんと伝えたでしょう。遅れるなら遅れるって連絡入れなさいよ。昨日のメールにも返信なかったし、あんたまさか携帯失くしたとか言うんじゃないでしょうね」


 ここぞとばかりに大声で説教を始める桃花に、僕はやおら手を伸ばす。そして、彼女の薄い頬の肉を――思いっきり抓んだ。


「いっひゃい! ひょっと、なにすんのひょ!」


「うん、本物だ……」


 ホッとして僕が手を離すと、桃花は容赦なく僕の肩を殴った。


「ちょっとあんた、いきなり何なの? 頭おかしくなったんじゃないの?」


「いや、頭が正常なことを確かめたんだ……それより桃花、藤を見なかったか? ここに来てるはずなんだけど」


「藤には会ってないわよ? どうせ今日は別行動だもの」


「……そっか。じゃあやっぱり、この中から地道に探すしか……」


 ちょうど盆踊りの曲の切れ目になり、人のざわめきだけが夜空に昇っていく。地元住民の大半が集うこの場所で、果たして彼女たちを見つけることができるのだろうか。

 気後れしている僕の袖を、桃花が横から引っ張った。


「ところでこみやん、今日は夏祭り本番よ」


「え? うん、そうだね」


「そうだね、じゃないわよ。藤のデートの相手、ちゃんと掴んできたんでしょうね」


「ああ……」


 今まさにその人物に会いに行こうとしていることは伏せて、僕は掻い摘んで葵のことを説明した。


「やっぱり、約束の相手は男だったのね……!」


 桃花はハンカチを噛むような悔しそうな表情をした。


「ああ藤……あんなチャラチャラした男にたぶらかされて可哀想に……」


「え、桃花、葵先輩を知ってるの?」


「知ってるも何も、校内ではちょっとした有名人よ? まあいくら顔が良くて才能があっても、あたしはあんなナルシストで背の低い男は願い下げだけどね」


「……そうなんだ」


 酷い言われようだが、確かにお互い我の強い桃花と葵では相性が悪そうではある。


「ではこみやん、任務達成のご褒美にあたしが藤を見つけてあげましょう」


 桃花はいとも簡単にそう言ってのけた。


「この中から? どうやって……」


「まあまあ、見てなさいって」


 面食らう僕に和柄の巾着袋を押し付けると、桃花は拝殿の階段を駆け上り、敷地全体が見える場所に立った。そして、すうっと息を吸い込み、目を閉じる。ほんの数秒後桃花は長く息を吐き切り、また階段を駆け下りてくるや否や、僕に向かってピースサインを突き出した。


「分かったわよ、藤の居場所。拝殿の裏手にある、八坂の森に通じる道の近くね」


「……え、何で分かるの?」


「桃花様標準装備、藤レーダー」


 本気とも冗談ともつかない顔で、桃花は一房だけ跳ね上がった頭頂部の髪を指さした。


「……なんだ、それ」


 思わず噴き出した僕を見て、桃花が眉を寄せた。


「ちょっとこみやん……暗くてよく分からなかったけど、あんた――」


 桃花の声は櫓の方から突如あがった歓声によってかき消され、僕の耳には届かなかった。




  ◇  ◇




 下駄を履いている桃花を走らせるわけにもいかないので、僕は先に彼女が示した場所へと向かった。

 賑やかな神社の中心部を離れるにつれ、人の姿もまばらになってくる。神社から八坂の森へと直通している小道の手前に、人影が二つ。藤と葵だ。


「小宮、どうしてここに……」


 こちらに気付いた藤は驚いて顔を上げた。

 彼女の声を聞いたのも、その凛とした佇まいを目にするのも、何だかとても久しぶりに思えた。そしてその隣に立つのは――今度こそ、()()()葵だ。


「――へえ」


 葵は小脇に紙束を抱えて、幻影と同じ色素の薄い大きな瞳で僕を見ていた。


「一応、あそこから出て来られたんだね。誰かの手助けがあったのかもしれないけれど」


 藤の隣に並ぶと、一層葵の小柄さが強調される。しかし、その存在感の強さは藤に引けを取らない。むしろこの状況に戸惑っている藤の方が、葵の雰囲気にのまれているようだった。


「初めまして――と言うべきですか、葵先輩」


「僕は随分前から君のことを知っているけどね」


「そうみたいですね」


 僕はクロッキー帳を掲げてみせた。それだけで僕の意図するところを掴んだ葵は、大きく口端を持ち上げた。


「おや、気付かれてしまったようだね」


「一体いつ、ここに契約書を忍ばせたんですか?」


「それは君の想像に任せるよ」


 葵は余裕な態度を崩すことなく、僕の質問を躱す。隣の藤だけが、状況を飲み込めずに葵と僕と交互に視線をやっていた。


「先輩は僕のことを試したいと言っていましたよね。藤の隣に立つのに相応しい人間であるか、見極めたいと。そのためだけに『人ならざるもの』を使って、僕を幻の世界に閉じ込めた」


「葵、君は……!」


「ああ、そうだね」


 葵は淡々と頷く。


「それで、分かりましたか? 僕が藤の隣に立つ資格があるかどうか」


 真正面に捉えた葵は、暗がりの中でも分かるほどに不敵な笑みを浮かべていた。


「うん、分かったよ。やっぱり君は、藤には相応しくない」


「……それは、何故?」


「『人ならざるもの』を視る力がない以上、君は彼女に守られるだけの、ただのお荷物にしかならない。それは君自身が一番良く分かったはずだ。今回のような目に遭っても、君は自分の身一つすら守ることができないのだと言うことを。そんな足手まといなら、いない方がマシだと思わないかい?」


 そう言われて梅雨時の虹の絵を巡る事件が脳裏に浮かんだ。

 あの時確かに僕は、自分の無力さを痛感した。絵を元通りにしたのも、オカルト研究部員たちを救ったのも藤だった。僕ひとりでは、何もできなかったのだ。


「良いかい、小宮。『人ならざるもの』はね、人の(ことわり)の埒外にあるものなんだ。僕らが当たり前だと思っている価値観や理屈なんて通用しない。必要なのは、奴らと対等に渡り合う力だけだ。だがその力を持つ者は、同時に他者を巻き込まないという責任も負わなければならない。君はその責任を藤だけに押し付けて、のうのうと彼女の庇護下にいるつもりかな?」


「……僕は、……」


 葵の言うことは、逐一正論で僕の中の惨めさを助長した。

 ただのお荷物だと、足手まといだと、そんなこと他人に言われなくたって僕が一番よく分かっている。そんなこと、藤と出会ってからずっと感じ続けて来たことだ。

 それでも――


「――僕らは『人ならざるもの』を介してだけ繋がっているわけじゃない――確かに『人ならざるもの』が視えない僕と藤の間に、どうしても越えられない壁があるのは分かっています。だけど僕らはそれ以前に、同じ学校の生徒で、同じ部活動の仲間なんです。ただのひとりの人間として、僕はこれからも藤と同じ時間を共有したい。同じ景色を見たい。それだけじゃ、理由になりませんか?」


 葵は癖のある髪を手で撫でつけながら僕の話を聞いていたが、やがて隣の藤を見上げて言った。


「――さて、小宮はこう言っているが、藤の見解を聞こうか」


「……葵」


 彼女の長い髪が風に靡く。その背後で、漆黒の森がざわめいた。

 藤は少しの間躊躇うように視線を彷徨わせた後、足を踏み出した。僕の隣に立って、今度は葵と向き合う。


「私も、小宮と同意見だ。私が誰と時間を過ごすかは私自身が決めることだし、その決定に『人ならざるもの』は一切関係ない。それに、大切だと思う人は見返りなどなくたって必ず私が守る。それだけの話だ」


「……藤」


 見上げた藤の横顔は、ちょうど月明かりに照らされてその輪郭をあらわにした。

 そのあまりにも浮世離れした美しさに、僕は目が眩んだ。



「――ぷ、はは」



 場違いな笑い声が響いた。目の前で葵が腹を抱えて笑っている。

 突然のことに困惑した僕と藤は、お互い顔を見合わせた。


「――やれやれ」


 ひとしきり大笑いした後、目尻にたまった涙を拭いながら葵は近づいてきた。


「いやあ、面白いものが見れて良かったよ」


「せ、先輩……?」


「ゲームはこれで終わり。君の勝ちだ、小宮。ほら、そのクロッキー帳を貸してくれ」


 僕が恐々とその手にクロッキー帳を預けると、葵は書き込まれた五線譜を掲げた。


「さあ、これで契約は終了だ。あるべき場所へお帰り」


 その一言で、紙面に刻まれていた音符が瞬く間に消えた。葵の楽譜を、「人ならざるもの」が()()()()()。心なしか身体が軽くなったような気もする。


「退屈しのぎの遊び相手としては十分だったよ、小宮。藤の本音も知れたことだし、これで心置きなく出立できそうだ」


「えっと……」


「ああ、言っておくけど、これまでのことを謝りはしないよ。例え藤が君といることを選択したとしても、僕は君を認めたわけじゃあないからね。そこは履き違えないように。ただ、これだけは訂正しておこう」


 葵は用済みになったクロッキー帳を僕に放り投げた。



「君の描く絵は、素晴らしい。それだけは、悔しいけれど僕も認めざるを得ない」



「先輩……」


 葵は大きく伸びをすると、「ああ、そうだ」と手に持っていた紙束を藤に渡した。


「これは僕から藤へ送る曲だ。しばらく会うこともないだろうからね、何かの足しにしてくれ」


「葵……」


「なんせ君の隣に立つ男は、自他ともに認める役立たずだ。いくら力があったところで足りないだろうからね」


「……ありがとう、葵」


 藤はフッと笑みを零した。今日出会ってから初めて見せた笑顔だった。


 どうやら僕は文字通り葵に踊らされていたようだ。

 退屈しのぎの遊び相手。葵にとって僕は、絶好の玩具だったというわけだ。

 まるで就寝前の子どものように大あくびをしている葵に、僕は問い掛けた。


「――先輩、一つ訊いていいですか?」


「何かな?」


「どうして『人ならざるもの』は先輩の楽譜を食べるんですか?」


「ああ、それはね――」


 葵は事も無げに答えた。



「僕の作る曲は美しいからだよ」



 そこには、疑う余地のない自信があった。



「なんたって僕は、一流のピアニストになる人間だからね」



 葵の背後で、大きな音が響いた。直後、雲一つない晴天の夜空に、パッと大輪が咲いて散った。


「――花火だ」


「ああ、もうこんな時間か。名残惜しいけれど、僕はもう行くよ。最後に、藤の顔が見られて良かった」


 葵はどことなく清々しさを伴いながら、こちらの返事も待たずに背を向けた。

 カランコロン、下駄の鳴る音が聞こえる。その音とは反対の方へ、葵は振り返ることもなく歩いて行った。


「――すまなかった、小宮。葵が変なことに巻き込んだみたいで」


 葵の姿を見送った後、藤は僕に頭を下げた。


「頭を上げてくれ。藤のせいじゃないだろう」


 ここ連日張りつめていた緊張が解け、ドッと疲労感が押し寄せた。思わずよろめきかけた身体を、なんとか残った力で支える。


「……大丈夫か? 小宮。どこか怪我したりしていないか?」


 藤の頭上で花火が散る。遠くで歓声が上がった。


「うん、大丈夫だよ」


 言いながら流れ落ちる汗を拭う。夜になって気温が下がり、少し風も吹いているはずなのに、吹き出る汗が止まらない。


「でも……」


 食い下がる藤を窘めるように、僕は笑ってみせようとした。しかし、何故かうまく力が入らず、ぐらりと揺れた視界に戸惑う。


「あ……れ……?」


「小宮?」


 カランコロン、下駄の音が近づく。


「こみやん!」


 桃花の声がした。と思うと同時に、僕の身体はゆっくりと傾いた。

 耳鳴りがして、二人の声が急激に遠ざかる。

 思い出したように痛み始めた頭が、全ての思考を放棄した。



 瞼が落ちる寸前、僕は夜空に一際大きな花が咲いたのを見た。





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