茨家、邸宅にて
「……え、本当にここ?」
呟いて、僕は目の前の邸宅と、手元の携帯に表示されたマップの座標を交互に見比べた。
ばら祭から、一週間後の日曜日。「七時に来たまえ」という薔子さんからの連絡を受けて、僕はアパートから遥か北方、福山市木之庄町の一角まで自転車を走らせてきた。
徹底した寝坊対策が功を奏し、今回は指定された時刻に遅れることはなかった。だが、よくやった東雲、などと調子に乗っていた矢先、またしても新たな問題が生じる。
家がやけに立派だったのだ。
「やっぱり、ここだよな……」
マップ上で目的地を示す矢印は、間違いなく現在地を指している。標識の文字を何度も確かめて、いよいよ疑いの余地無しと判断した僕は、門の隙間からおそるおそる中の様子を窺う。
――ザ・英国風。一言で言えばそんな感じ。
立派そうなお庭とお洒落な木造の二階建てが見える。敷地全体がつる薔薇の柵で囲まれているのに加え、庭自体も生け垣で区切られているらしく、何があるかはよく分からない。まあ、とっても広いことは確かだ。
『お入りください』
インターホンを押してみると、女性の声で応答があった後に門が開いた。金持ちの気配に緊張しつつも足を踏み入れれば、下の方からふと鳴き声が聞こえて、僕は視線を落とす。
「にゃー」
猫だ。僕の顔を見て、そのまま家の方に歩き始める。案内してくれるのかな、可愛いなあ。
門から玄関まではシンプルに一直線で、グレーの砂利で小綺麗に整えられている。両脇には名前の分からない花々が咲き乱れ、ところどころに横へと逸れる小道もあった。家を取り囲むように、グルリと一周出来るようだ。奥に見えるのはバラのアーチ。……うわ、すげぇ、池まである。
外の景色が隠されていることも相まってか、ここだけ世界がヨーロッパになったようで、オトコノコの冒険心をくすぐられる。キョロキョロと落ち着きなく周囲を見回しながら進んでいると、いつの間にか猫が消え、僕は二階建ての家の前にいた。
「おや、君か」
聞こえた声に振り向けば、玄関横の開けた場所で、トレーニングウェアを着た薔子さんが腕立て伏せをしていた。
「君のことだから遅刻してくると思ったんだが、予想が外れてしまったな」
立ち上がって近付いてくる。前に会った時から思ってたけど、やっぱりこの人、筋肉質だ。とはいえムキムキってわけでもなくて、例えるならヒョウとかピューマみたいな、ネコ科特有のしなやかさを備えた力強さがある。トレーニングでかいた汗が、腹筋の上をうっすらと流れ落ちていく。
この肌色の多い服装はなんだ? 精神衛生上よろしくないんだが。
「おはようございます、薔子さん」
「おはよう。よく来たね。結構かかっただろう」
「距離はともかく、すぐそこの坂がキツかったです。自転車は門の前に停めましたけど、大丈夫ですか?」
「ああ。後で然るべき場所に移しておくよ。取り敢えず入りたまえ」
家の中へと招かれる。玄関を抜けた先には広々とした廊下があり、右手にリビング、左は応接間へと繋がっていた。壁は清潔さを感じる白、床は木の色そのままの穏やかな雰囲気だ。二階へ続く階段の下には、物置と思わしき両開きの扉が取り付けられていて、僕は某ファンタジー小説の主人公の部屋を連想した。
「シャワーを浴びてくる。君はその間……無意味に待たせるのも悪いな。ベロニカ!」
「お呼びでしょうか」
答えて、リビングの方から一人の女性が現れる。茶髪をボブカットに整えた彼女は、外見からして僕と同年代くらいだ。若葉色の瞳と真っ白な肌のおかげで、お伽噺の世界から抜け出してきたんじゃないかと、一瞬錯覚しそうになる。
優雅に一礼する女性の肩に、薔子さんが手を乗せて言った。
「紹介しよう。彼女は私の“お手伝いさん”だ」
「ベロニカ・イングリッシュと申します。以後お見知りおきを、伊吹様」
インターホンから聞こえた声だ。異国然とした姿から流暢な日本語が放たれて、僕は目をパチクリさせた。