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茨薔子は不可能を可能にする   作者: どくだみ
第1株:福山ばら祭
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ブルーローズ・ブルー

「あの、約束って一体?」

「青いバラを紹介すると言っただろう? あれは美しいぞ。興味の有る無しに関わらず、きっと君も魅了される」


 鉛筆騒動のゴタゴタがあって、すっかり頭から抜け落ちていたけど、そういえばそんなことを聞いた覚えがある。青いバラ……見た目は想像出来ても、実際に見るのは今日が初めてだ。どんなものだろうか。


「あれ? でも確か、青いバラを作るのって……」

「不可能である、とされてきたね。何故なら、バラには青の色素が無い。赤色を薄めていく従来の品種改良では、どうやっても青色に到達出来なかったんだ。そのため青バラの花言葉には、『不可能』という意味が含まれていた。だが」


 薔子さんが言葉を区切る。彼女の瞳には紛れもない興奮と、これから口にする事実への悦びが満ち満ちていて、底知れぬバラ愛の一端をそこに垣間見た気がした。


「無理と言われれば実現したくなるのが人間というものだ。青色が無いと分かった研究者たちは、人工的に青を作ろうと考えたのさ。遺伝子組み換え技術を用いてね」


 植物や動物の遺伝子を操作して、人間に都合の良い種を生み出す技術のことだ。スーパーに行くと「遺伝子組み換え大豆は使っていません」みたいな文言をよく見掛ける。何となく、危険そうなイメージだ。


「そういうのって……許されるものなんですか?」

「さあ? 遺伝子操作が叡智の結晶か、それとも神への冒涜かは人によりけりだ。少なくとも議論はあっただろう。いずれにせよ計画は実行に移され、幸いにして成功を収めた」


 薔子さんにとって、過程はどうでもいいのだろう。長らく渇望されてきた青いバラが、人の力によって現実に誕生した。不可能が可能になった。その事実が、きっと重要なのだ。


「……さて、到着したぞ」


 彼女に腕を引かれ、ローズヒルまで戻ってきた。ワクワクを演出するためか、両手で目隠しをされた後、丘の形をした花壇の中腹、南に面した斜面の一角にゆっくりと案内される。


「飽くなき人間の探究心と、夢を叶えた彼らの功績に拍手を送ろうじゃないか。見たまえ青年! これこそは、人々が長らく求め続けた至高の青バラ――」


 視界が一気に明るくなり、僕は思わず息を呑んだ。目の前にある一株の花に、意識が自然と吸い寄せられる。


「品種名、“アプローズ”。花言葉は『奇跡』だ」


 思い描いていたのは、塗りたくったような青。

 けれどそこにあったのは、どこか紫にも似た気品ある青。

 これまで見てきたバラと違い、華々しさを競う意思は感じられず、代わりに凜としたオーラを纏って、悠然と咲き誇っている。

 赤、白、黄色の煌びやかな株が並ぶ中、それは文字通り異色の存在だった。


「どうだい?」

「綺麗です、すごく……」

「そうだろう! 赤や黄色とは一線を画すこの色彩。慎ましさと優雅を兼ね備えた深みある味わい。惚れてしまうよな! ブルーじゃなくてパープルだとほざく輩もいるが、青が無ければ紫は作れん!」


 早口で熱っぽく語り出した。棘の先端を指先で愛撫したかと思えば、堪えきれなくなったかのように顔を近付け、花びらに頬を擦り寄せ始める。

 幸せそうに笑う彼女の瞳は、『奇跡』を冠するバラと同じ青薔薇の青(ブルーローズ・ブルー)

 愛の花を愛する薔子さんの横で、僕は自分が彼女に心惹かれていることに気付いた。


「……薔子さん」

「ん? どうした、神妙な顔になって」

「あの、えっと、僕は」


 衝動的にその先を口走りそうになり、慌てて目線を逸らした矢先。頭を掴まれ、強引に向きを元に戻される。


「私はこっちだ。ちゃんと話す相手を見て話せ」


 至極真っ当な説教を食らい、僕は目を瞬かせる。誤魔化すには遅すぎて、吐くような嘘も出てこない。もはや当たって砕けるしかなかった。


「……薔子さん、僕は」


 僕は、あなたのことを。


「もっと、知りたいんです。だから、教えてくれませんか」


 もちろん分かっている。彼女は凄い人だ。僕ごときで釣り合う訳がない。

 けれど同時に思ってしまったのだ。一期一会でこの縁を閉じるのは、あまりにも惜しいと。

 それにしたって順序というものがあるだろうけど、ゆっくり親しくなるだけの時間は残されていなかった。だから、これはダメ元の告白だ。バラの棘がごとき鋭い一撃で、容赦なく僕を切り捨てていただきたい。


「構わんぞ」

「ですよね。変なこと言ってすみませ――――え?」


 ……聞き間違えかな。 今、普通に了承されたような。


「別に断る理由も無い。君が望むなら、何だって教えてやろうじゃないか」

「え? え? え?」


 自分の耳が信じられない。この人は本気で言っているのか? 本当に、僕は、こんなカッコいい人と。


「嘘でしょ! いいんですか!?」

「いきなり大声を出すな! 君から頼んできたくせに、何だその反応は」


 またしても怒られてしまったけど、そんなのこれっぽっちも気にならないくらい、僕の心は浮き立っていた。回転の遅い脳味噌がようやく処理を終え、ゆっくりと、腹の奥から悦びが沸き上がってくる。間違いない。今日という日は、僕の二十年の人生において最良の一日だ。


「しかし青年、私は驚いたよ!」


 薔子さんが笑いながら僕の肩に手を乗せた。けれど驚いたのは僕の方だ。何しろ――。


「よもや君が、バラに興味を持って(・・・・・・・・・)くれる(・・・)なんてな(・・・・)!」


 ……うん?


「取り敢えず私の家に来なさい。これでもプロのガーデナー、庭の美しさには自信があるんだ。気に入るかは分からないが、知的好奇心はそれなりに満たせると思う。今の時期なら、バラ以外にも様々な花が咲いて――」

「あの……何の話ですか?」

「バラのことが知りたいって、今さっき君が言ったじゃないか」

「……あ」


 痛恨のミス。何が知りたいかを伝えてなかった。そのせいで彼女に勘違いをさせてしまったんだ。そりゃこの人なら、バラについて知りたいって言ったら嬉々として教えてくれるよな……。


「大丈夫か?」

「大丈夫です……」

「では、住所を言うから記憶したまえ。福山市木之庄町(きのしょうちょう)――」


 愚かな過ちに落胆しかけた僕だったけど、当の薔子さんはノリノリな様子だ。よくよく考えてみれば、これは彼女とお近づきになれる絶好の機会なわけで、僕にとってもメリットしかない。

 だったら別にこのままでいいじゃん。

 いや、それでも誤解は解くべきじゃないか?

 脳内で天使がそう主張したけど、最後には悪魔の誘惑が勝った。

 薔子さんだって乗り気だから。自分で自分にそんな言い訳をして、僕はスマホのメモアプリに住所を書き留めるのだった。

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