祭の後に
もはや僕ごときに薔子さんの思考を追い切れないことは明らかだったけど、聞き流すのは違う気がして、僕は彼女に問い掛ける。どうして居場所が分かるのか、と。薔子さんはこちらを一瞥した後、いちいち説明するのが気だるくて仕方ないといった表情を見せたけれど、それでもちゃんと立ち止まって答えてくれた。
「別れ際。少年たちの言葉を思い出してみたまえ。はっさく戦隊がどうのと言っていた筈だ」
「そういえば……」
「はっさく戦隊のショーは、一時からばら公園の特設ステージで行われる。時間は三十分。今の時刻は?」
「っと……一時二十五分。ベストなタイミングです!」
「そういうことだ」
「タイムテーブルを覚えていたんですか!?」
「当たり前だろう。あの程度、事前に把握しておかなくてどうする」
苦笑が漏れた。当たり前の基準は人によって違うと、これほどまでに痛感した日が未だかつてあっただろうか。
「人混みの中とはいえ、小学生が五人も固まっていれば目立つ。放送をかけても聞いているとは限らんしな。この方が確実だ」
それだけ言って薔子さんはまた歩き始めた。僕も慌ててその背中を追いかける。
ばら公園に到着したとき、ショーは既にEDを迎えていた。ヒーローとの写真撮影に赴く一派と、そのまま会場から立ち去ろうとする一派がもみくちゃに混ざり合い、非常に進みづらい状況が出来上がる。「はぐれたら面倒だ」と薔子さんが僕の手を掴んだ。触れ合った箇所から伝わってくる体温に、胸が思わずドキッと撥ねるけど、当の彼女はそれに気付きもせず。
行き場の無い視線をさまよわせていると、人混みの彼方に見覚えのある五人組を見つけた。
「いました!」
「でかしたぞ。おい、そこの少年少女!」
張り上げた声に反応して彼らの動きが止まる。近付いて行けば、「バラのお姉さんだ」「影の薄いお兄さんだ」ほのかにざわめき、顔を見合わせる小学生たち。影が薄いとは失礼な。まあ否定はしないけど……。
いきなり現れた大人たちを前に、一同の中で最も利口そうな女の子が、おそるおそる口を開いた。
「私たちに何か用ですか?」
「落とし物を届けに来た。まーくんはどれだったかな」
問い掛けに応えて、リュックを背負った男の子が進み出る。背の高い薔子さんに気圧されているようだったが、彼女が鉛筆を差し出すと、その顔が目に見えて綻んだ。
「これは少年のだね?」
「……うん!」
良かった。事情を説明する薔子さんを見ながら、僕はホッと胸を撫で降ろした。
「――――という訳なんだよ。災難だったが、どうかカラスを許してあげて欲しい。彼らもまた君と同じ、この鉛筆に魅了された内の一人なのだからね」
「まーくん、カラスといっしょ?」
「うん。生物学上は全くの別物だが、同じ品に価値を見出したという点では、志を共にする同志と言えるだろう」
無駄に婉曲な言い回しだったけど、まーくんなりに理解したようだ。礼儀正しくお辞儀をして、鉛筆を大切そうにリュックに仕舞う。もうなくすことはないだろう。その様子を見ていて、ふと僕はそう思った。
そのまま立ち去ろうとするまーくんを、薔子さんが呼び止めた。
「待つんだ。まだ話は終わっていない」
肩を掴んで振り向かせる。そこで薔子さんはおもむろにしゃがみ込むと、ぎこちない動作で目線をまーくんの高さに合わせた。
「君は最初、友人を犯人だと疑っていたね。だが実際は違った」
まーくんが気まずそうに俯く。それを無視して薔子さんは淡々と続ける。
「君を非難するわけではないよ。誰しも過ちを犯すものだ。だが少年、これだけは覚えておきなさい。罪無き者を悪と断ずるのは、悪だ。冤罪だ」
「……エンザイ?」
「ああ。この世で最も忌むべき事の一つさ」
疑わしきは罰せずだよ。薔子さんがまーくんの頭を撫でて、そのまま優しく送り出す。「ごめんなさい」「しょーがないなぁ」そんなやり取りがあった。この調子なら仲良くするだろう。
帰って行く小学生たちの背中を眺めながら、僕は薔子さんに声をかけた。
「半分くらいですかね」
「何がだ?」
「薔子さんの発言に対するあの子の理解度です」
「すぐには理解出来なくてもいいよ。世の中、分かることばかりじゃない。それを知るのも大切だ」
そう言って薔子さんはウインクを……しようとしたんだと思う。だけど実際は、明らかに両目を瞑っていた。スマートなオーラとは正反対の不器用さに、僕は笑いを堪えきれなかった。
「あははっ! お、お上手ですね……ぶふっ」
「な、なんだと!? 何故笑う! 貴様、何が言いたいッ!」
「何がって……、知ってますか、薔子さん。ウインクって片目だけを閉じるんです。ほら、こんな感じ」
「くっ……。おのれ、ここぞとばかりに……!」
意趣返しも込めて模範を見せると、薔子さんは露骨に悔しがって歯軋りをした。いい歳をした女性がここまでムキになる、その事実がまた可笑しくて、僕は盛大に吹き出す。最終的に、ふてくされた薔子さんに引っぱたかれることで、ようやく落ち着いた。
「痛いです!」
「因果応報だ」
ちょっと笑いすぎたかなと反省しつつ彼女の顔色をうかがえば、そっぽを向いてこそいるものの、本気で怒ってはいない様子が見て取れる。さっきの平手打ちだって、きっと彼女なりの照れ隠しだ。この人を本気で怒らせたら、パーじゃなくてグーが飛んでくると思う。
「……にしても僕、ホッとしました」
「何がだ」
「薔子さんのことです。最初は正直、嫌な人って印象が強かったんですけど、本当に性根のねじ曲がったやつは、わざわざ時間を割いて落とし物を探したりしません。話し方で誤解されがちなだけで、薔子さんは実は、優しい人なんですね」
その瞬間、彼女の顔がスッと強張った。
「優しい? 私が?」
「はい」
ハッキリと頷く。僕を助けてくれた時とか、さっきの小学生たちに対するフォローの仕方を思い返しても、それは明らかだ。チクチクした棘の内側にある善性を、僕は確かにこの目で見て――。
「くくっ……ははははは!」
薔子さんが破顔した。あれ、おかしいな。勇気を出して気恥ずかしいことを伝えたつもりなのに、何だこの反応は。
「傑作だな。もしや君は、私が善意で落とし物を探して回ったとでも言うのか?」
「そ、そうですけど?」
「んなわけないだろう。私の役目はツアーのガイドだ。鉛筆の紛失が発覚した時点で、私は周囲を確認し、運営本部にも問い合わせを行った。十分な責務を果たしており、その後に関しては管轄外だ」
「だったらどうして、鉛筆一本のためにあれだけのことを……」
訊けば、薔子さんはニヤリと唇を歪めた。誰がどう見てもハッキリと分かる、悪いことを企んでいる顔だった。
「タヌキに利用されてばかりは気に食わんのでな。というのも、あの少年の父親はばら祭の実行委員長だが、同時に『茨フラワーパーク』の貴重な出資者でもあるんだ。親バカな爺のこと、息子の宝物を見つけてくれたとなれば、私の好感度はうなぎ登り。しばらくは金を出し続けてくれる」
そこで静かに人差し指を立て、自分の唇に這わせた後、僕の眉間を優しく小突いた。
「内緒だぞ?」
「ひゃ、はいっ……!」
目と鼻の先でそんな風に囁かれては、大人しく首を縦に振るほかない。
この人と敵対してはならないのだと、僕は本能的に理解させられた。
「……ああ、忘れていた。君との約束を果たさねばならないな」
またしても唐突に僕の腕を掴み、緑町公園の方に向けて僕を引っ張りながら、薔子さんが独り言ちた。