発見
巣作りに適した場所。
地上の外敵から身を守り、なおかつ空へのアクセスがしやすい位置。すなわち、木や屋根の上といった高所だ。
山に住むカラスは、もっぱら背の高い樹木を好むそうだけど、緑の少ない都会では、電柱の上やソーラーパネルの下にも巣を作ることがあるらしい。藁とか木の枝、場合によってはハンガーや犬の毛まで素材にするそうだ。ちなみに全部、薔子さんの受け売りだ。
カラスが鉛筆を持ち去ったであろう場所は、緑町公園ローズヒル。周囲を見渡せば、公園内の道に沿って常緑樹が植えられている。その外にはコンビニ、コインランドリー、チェーンのファミレスにホームセンターと、地方都市らしい風景がどこまでも続く。
調べる範囲が限られているとはいえ、候補地は無数にありそうだ。本当に見つけられるのか……?
「ふむ、公園外には無さそうだな。建物の屋根に巣を作れば、空の敵から無防備になる。かと言って軒下では、地面から近すぎて逆に危険だ。私ならそんな場所で卵は生まん」
「となると、やっぱり木の上でしょうか」
「だろうね。空からも地上からも身を隠せるし、他の場所と比べて人通りも少ない。巣の材料や餌も豊富にある。条件は揃っているよ」
レモン味のソフトクリーム(二つ目)を片手に、薔子さんが歩き出す。相変わらず迷いの無い足取りだ。僕も急いで彼女の背中を追う。そのまま僕たちは、両脇をイチョウの木に囲まれた、公園内の小道へと入っていった。
イチョウと聞くと、黄色い葉っぱや銀杏を思い浮かべがちだけど、あのように色付くのは秋だけの話だ。五月の今、イチョウの葉は他の木と同じ柔らかな薄緑色をしている。
秋のイチョウは美しいけれど、個人的には緑の葉っぱも、生命力に満ちている感じがして素敵だと思う。それを何気なく薔子さんに言うと、彼女は手頃な木から葉を一枚もいで、僕の眼前に突き出してきた。
「緑が濃いのは『クロロフィル』、すなわち葉緑素の量が多いということだ。つまり、それだけ光合成が盛んに行われている。活動の活発さを生命力と言い換えるなら、君の感性は正しく的を射たものだね。だがこれが秋になると、クロロフィルが分解されてカロテロイドという色素が表に出て来る。カロテロイドは青い光を吸収し、赤い光を透過するから、結果として私たちの目には、葉っぱが黄色く見えてくるわけだ」
植物のこととなると即座に食らい付いてくる薔子さん。分かりやすい人だ。歯に衣着せぬ彼女の物言いも、自分の感情に素直なだけなのかもしれない。性格がどうこういうんじゃなくて。
薔子さんから葉っぱを受け取って歩くかたわら、僕はおもむろに頭上を仰いだ。両側から張り出してきた枝が、アーチのように僕たちの上を覆っている。道に降り注ぐ木漏れ日は、風に合わせて不規則に揺らぎ、どことなく幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「……これだけ生い茂っていると、巣があっても見逃してしまいそうですね」
「そうだろうか? 鳥の巣は至る所にある。君の目が悪いだけだ」
「あ、はい……」
貴女は口が悪そうですね。ケッ。
「あそこを見たまえ」
ソフトクリームを食べ終えた薔子さんは、唐突に僕の肩を掴むと、艶やかな指で樹冠の一点を指差した。
「どこですか?」
「根元から数えて二つ目の枝分かれだ。あったぞ」
「……え、あ、ホントだ!」
指を頼りに目を凝らすと、ちょうど薔子さんの言った辺りに、まさしく『巣』といった形の巣が、確かに見つかった。
「分かるか? 巣の外壁にチラホラ水色の部分があるだろう。おそらくあれは、どこかからくすねたハンガーが素材として使われているんだ。カラスの巣である可能性が高い」
「なるほど……!」
思わず感嘆のため息が漏れた。だだっ広い公園の中で、小っさな鳥の巣に辿り着けるわけない。……実のところ、そう思っていたんだけど。薔子さんはいとも容易く、僕の想像を裏切ってみせた。なんて人だ。
僕もこうしてはいられない。この人には到底敵わないとしても、不肖東雲伊吹、少しでも役に立たなければ!
「僕、登って確かめてきますよ!」
「正気か?」
「正気です!」
幸いにも、巣のある場所はさして高くない。頑丈そうな枝を掴み、腕の力で身体を持ち上げていく。これでも生まれは三原の田舎、昔から自然と隣り合わせで生きてきたのだ。巣を覗ける位置に来るまで、時間はかからなかった。
「危ないぞ」
「大丈夫です、木登りなら子どもの頃に何度も……うわっ!?」
その時だ。枝葉の影から黒い塊が飛び出して来て、僕の顔にぶつかった。
不意の出来事だったので、僕は反射的に半身を仰け反らせてしまう。バランスを崩した身体がフワリと宙に投げ出された。マズイ。咄嗟に枝を掴もうとするも時既に遅く、伸ばした手は虚しく空振りを繰り返す。地面に叩きつけられる自分の姿を幻視して、僕はギュッと目を瞑った。
しかしいつまで経っても、予想した衝撃がやってこない。
「あ、あれ……?」
恐る恐る瞼を持ち上げる。眼前にあるのは、凜々しく整った薔子さんの顔。その両腕は僕の背に回され、無様に落下してきた僕を、いわゆるお姫様抱っこの形で支えていた。
「大丈夫か? だから危ないと言ったじゃないか」
「しょ、薔子さ……ッ!!」
「やはり君は性急な男だな。受け止める準備をしておいて正解だった」
彼女の溜息には露骨な呆れが滲み出ていて、僕は胸がズキンとなった。死ぬかもしれなかったという恐怖の名残と、公衆の面前でこんな格好をしている恥ずかしさが合わさって、心臓の鼓動が急速に加速する。全身が、火の付いたように熱い。
「繁殖期の巣に近付けば親鳥の攻撃を受ける。落ち着いて考えれば分かるだろう」
そう言って顎で頭上を示す。一刻も早く薔子さんから目を逸らす必要があったので、僕は彼女に従い視線を移した。ちょうど僕たちの真上辺り、一匹のカラスが枝に留まって、敵意に満ちた眼差しでこちらを見下ろしていた。
「脅かしてすまないね。君たちに危害を加えるつもりは無いんだ」
伝わらないであろう謝罪を送ってから、薔子さんは促すようにして僕を立ち上がらせた。何度か深呼吸をして、乱れまくった心を強引に平常へと戻す。落ち着くまでに十数秒はかかった。
「あの……えっと、その。ありがとう、ございました」
「鉛筆は?」
「多分、無かった気がします」
攻撃されたせいでちゃんとは見れなかったけど、それでも光る物があれば気付けた筈だ。薔子さんは「そうか」と頷いてから、何の脈絡もなく木の根元に膝を付いた。落ち葉をかき分け、土の表面に指を走らせる。今度は何をしてるんだ?
「薔子さん?」
「カラスは土の中に物を隠す習性がある。巣の近辺とは限らないが、もしかしたら……」
瞬間、薔子さんの指がピタリと止まった。僕にはさっぱり分からないが、何かを察知したようだ。手が汚れるのも気にせずに無言で土を掘り返していく。そして……。
「ビンゴだな」
記憶にあるのと寸分違わぬ、まーくんのキラキラ鉛筆を、穴の中から取りだした。
「うっそだぁ……」
今日だけで何度、言葉を失ったことだろう。
「どうして、埋まってる場所が」
「ただの観察だよ。あそこだけ、他と比べて土の柔らかさが違った。だからピンと来たんだ」
さも当然のような口調で薔子さんが返す。理屈ではそれで分かるのかもしれないが、僕が同じ事をしようとしても多分無理だ。根本的に見ている世界が違うのだろう。
「自然は雄弁さ。君がその声を聞けないだけで」
「なんかもう……お手上げです」
「対抗心でも燃やしていたのか?」
「……ほんの少し」
「相手が悪かったな、青年」
くっくっく、と喉を震わせて笑う。それから彼女は腕時計を見て、またしても唐突に歩き始めた。一声くらいかけてくれたっていいのに。
「薔子さん!」
「頃合いだ。鉛筆を届けに行くぞ」
「でも、本部は逆方向ですよ?」
「子どもらがいそうな場所は分かる。直接、手渡せばいい」