菊と毒
微に入り細に入り色んなことを教えてもらいながら、道順通りに進んで郷土樹木園にやって来た。
薔子さん曰く、ここには市の花や木、市内に自生する草花といった、福山に縁のある植物が植えられているらしい。モクセイにクスノキ、モミジ、センダン。しょっちゅう街路樹として見掛けるものばかりだ。そのせいか他のコーナーと比べて、ここだけいつもの日常感が強い。
とはいえ薔子さんの解説があるおかげで、いつもの日常も刺激と発見に満ちあふれている。薔子さん八割、僕二割くらいの比率で会話を続けながら歩いていると、ふと、とある花が目に留まった。
放射状に並んだ無数の花弁は、太陽を閉じ込めたような美しい黄色。植物音痴の僕でさえ知っている花だ。
「薔子さん、これって菊ですか?」
「うん。福山市の花だよ」
薔子さんの返事に僕は首を傾げた。福山の花はバラじゃなかったのか?
「得てしてバラの影に隠れがちだがね、実は福山市の花は、バラと菊の二種類が指定されているのだ。国内外での知名度も加味すると、むしろ菊の方がバラより有名かもしれない」
「そうなんですか? 全然そんなイメージ無かったです。バラならまだ分かるんですけど、菊って言われてもなんというか。え、菊? みたいな」
「無理もないよ。菊の栽培が盛んなのは、福山市の中でも極一部。新市町金丸地域のみでの話なのだからね」
「か、金丸……?」
一体どこだ。三原生まれには分からないぞ。
「初耳か。府中市の近くといえば想像がつくかな? かつては新市町として、独立した一つの自治体だった地域だ」
「府中……福山から見て北の方ですね」
行ったことは無い。名前を知っているくらいだ。オブラートに包んだ言い方をすると、凄く自然豊かな場所、というイメージがある。
「山奥の田舎と侮ってはならないよ。最盛期には金丸だけで、菊の全国生産量の七割を占めていたこともあるほどだ。福山が『ばらのまち』なら、新市は『菊の里』といったところだね。今でも毎年十一月になると、町内の常金中学校で『しんいち菊まつり』が開催される」
「……要するに、福山の人がバラに対して抱いているような愛着を、新市の人たちは菊に対して持ってるってことですね」
「おおむねそのような理解で問題無い」
頷く薔子さん。『しんいち菊まつり』とやらは聞いたことが無かったけど、福山でいう『ばら祭』みたいなものだろう。
どこの町にもある、その地域を象徴する存在。それが新市では菊だったという話だ。
※
郷土樹木園を抜けた先、一番最後に一番のキワモノが待っていた。
毒草コーナー。『Dangerous! 身近な毒草!』と明朝体で銘打った看板が、誰の目にも留まる位置にデカデカと立てかけられている。これまでと違い、通路と花壇が簡易的な柵で分かたれ、『触るな』『食べるな』『持ち帰るな』といった注意書きがそこら中に貼られている。
「デンジャラスなんですね」
「笑うな。本当に危険なんだぞ?」
あまりにも過剰な警告に、思わず苦笑いを浮かべた僕に向かって、薔子さんはフンと鼻を鳴らした。植物の一つを指し示し、「よく聞きたまえ」と注目を求めてくる。
「ここに植えられているのはトリカブトだ。毒草の王様みたいな存在だから、君も一度は名を聞いたことがあるだろう」
「ものすごく毒が強いんでしたっけ。ぱっと見、綺麗な花ですけど……」
「見た目は可憐だね。一株ほど引き抜いてすり潰し、料理にでも混ぜ込んで青年に食わせれば、それだけで君はあの世行きだがね」
「えっ」
身体が反射的に強張った。薔子さんの顔を見上げれば、彼女は意地の悪そうな表情で、ゆったりと目を細めてみせる。
「他の山菜と間違えて、実際に食べてしまい、死に至った事例もある。非常に危険な毒草なんだよ。さて次だ」
背中を押され、前に進むよう促された。語られた内容を飲み込む間もないまま、毒草講義が続いていく。
「ナスに似た花を咲かせているこいつは、ハシリドコロと言ってね。根の毒が特に強力だ。新芽がフキノトウにそっくりであることから、時たま誤食が発生している。場合によっては死ぬ」
「そ、そんなに……?」
強い毒を持っているというのか。見た目からは想像がつかないが。
「まだまだあるぞ? あそこに植えているキョウチクトウ、あいつの毒性は凄まじい。有毒成分のオレアンドリンは、青酸カリを上回るほど強烈なものだ。キョウチクトウの葉が家畜の餌に混入し、それを食べた牛が九頭も死亡した事例すらある。株の周りの土壌すら危険だと言われるね。その隣はドクウツギだな。美味しそうな、赤―い実がなっているだろう? あれには即効性の猛毒が含まれていて、摂取後すぐに発症する。痙攣、内出血、呼吸困難ときてジ・エンドだ」
末恐ろしい事実を楽しそうに語っていく。『死』という言葉を立て続けに聞かされ、ともすれば圧倒されそうになるが、いやいや、ちょっと待って欲しい。こいつらがどんな毒を持っていようと、食べなければ何も起きないのだ。下手に怯えることじゃない。
「まったくもう……脅かさないでくださいよ」
「脅かす? 君は分かっていないな。毒草の知識を持っていれば、間違えて食べる可能性は減る。我が身を守ることに繋がるんだぞ?」
「そうかもしれませんけど……仮に知らなかったとしても、普通に生きてれば大丈夫じゃないですか? スーパーでトリカブトが売ってるわけじゃあるまいし」
山菜を採る趣味も僕には無い。そう言うと、薔子さんは驚いたように目を見開いてから、露骨な嘲笑を浮かべて首を横に振った。
「呆れたよ。実に短絡的な思考回路だ」
「た、短絡的?」
「短絡的さ。普通に生きてれば大丈夫……本当にそうだろうか? 毒草を口にする機会は、必ずしも当人の誤食とは限らない」
「……どういう意味ですか」
「言葉通りの意味だとも。例えばだね、君のよく知る人物が、美味しい山菜だと偽って、毒草をお裾分けしてきたとしたら、どうする? 気付けるか? 見破れるか? 仮に私が、ハシリドコロをフキノトウと言って渡したら、君は喜んで天ぷらにしちゃうんじゃないのか?」
ゾクッとなった。薔子さんの言うとおり、彼女から貰った品ならば、疑いもせず嬉々として食べるだろう。それが毒であるとも知らずに。
例えばの話だと頭では分かっている。けれどこの人なら、本当にそんなことが出来てしまいそうな気がする。
トリカブトたちを指差して、薔子さんが続けた。
「彼らと同じさ。可憐な花が、実は猛毒を秘めているように、誰かの笑顔の裏側には、ドス黒い殺意が渦巻いているかもしれない。故意に引き起こされた誤食が、いつか君の身にも降りかかるかもしれないんだ。あるいは殺意を抱くのは、君の方かもしれないね」
宙を滑ってきた指が、僕の眉間に当てられた。そのままズブズブとめり込んで、脳味噌を引っかき回されているような錯覚を覚える。背筋を駆け上がる悪寒。ハスキーボイスの囁きが、まるで催眠術のように、僕の身体をその場に釘付けにする。
震える僕を見下ろして、薔子さんは静かに、そして穏やかに、唇の端を持ち上げた。
「物事の“根っこ”は、いつだって隠れているんだよ。覚えておきたまえ」
「は……ひっ!」
ああ、駄目だ。逃げられない。僕は、この人に殺され――。
「くくっ……はははははは!」
高らかな哄笑で、僕は魔法から解放された。ハッと我に返り、何度か瞬きを繰り返す。目の前では、薔子さんが腹に手を当てて爆笑していた。
「すまない! すまないね! ちょっとした意地悪のつもりだったんだが、まさかここまで怯えてくれるとは!」
「……はぁ!? 薔子さん! ふざけないでくださいよ!」
「なかなか良い反応だったぞ?」
「本当に殺されるかと思ったじゃないですか!」
「この私が? 他人を毒殺? するわけないだろう。バカ言うな」
荒唐無稽もいいとこだ。そう呟く薔子さん。当たり前ではあるのだが、ちゃんと否定してくれて僕はホッとした。
「ですよね。いくら薔子さんでも……良かった」
「致死量を与えても死ななかったりするし、そもそも本当に食べるかも分からない。もしも殺害に失敗すれば、被害者の証言から自動的に犯人が割り出される。そんな不安定な方法で人を殺すものか」
「へ?」
「死した事実すら明るみにならない、そんな手段が理想的だ。どう殺すかよりも、殺した後どうするかの方が重要だろうね」
前言撤回。話がズレてただけだった。前に会った時も、その前もそう。いつだってこの人は、思考回路が僕のそれと根本的に異なっているのだ。
「どうしてあなたという人は! 言うこと為すこと悉く悪趣味なんですか!」
「失礼な! 私はいつだって至極真面目だ!」
「その方が余計に悪趣味ですよ!」
狂人は、自分の狂気を自覚しないという。まさに典型例だ。




