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中編

 七歳の誕生日の朝。

 ヴィクトリーヌは突然、自分の前世を思い出した。

 ヴィクトリーヌ・カルパンティエとして誕生する前。自分は『日本』と呼ばれる世界で生きる、一般人だった。

 その『日本』では、ある漫画を読んでいた。

 少女漫画雑誌『ティアラ』に掲載されていた、新人漫画家、月森つきもりいずみの初連載『濡れ衣を着せられたけど、全力で王宮を脱出します! ~悪役令嬢ヴィクトリーヌの王妃日記~』全十巻。

 前世のヴィクトリーヌは小学生の頃、このシリーズを全巻そろえ、何度も読み返していた。

 その知識で、この世界が漫画で読んだ世界であること、今の自分が『~王妃日記~』の主人公『悪役令嬢ヴィクトリーヌ』であることに気づいたのだ。

 気づいた時は混乱した。

 昔の自分は死んでしまったのか、これは漫画の世界なのか、では自分は漫画の中のキャラクターであり、自分の父も母も兄も使用人達もみな、漫画のキャラクターに過ぎないのか。

 しかし、やがて「起きてしまったことは仕方ない」と、あきらめと共に現状を受け容れた。そして怒涛のような興奮に襲われる。

 だってヴィクトリーヌだ、ヴィクトリーヌ!! 『~王妃日記~』の主役ヒロイン!!


「これは神様のご褒美よ。前世がクソみたいな人生だったから、今度は神様がサービスしてくれたんだわ。当然よね」


 前世は散々だった。両親はそれぞれの仕事に没頭し、前世の自分は高校生の時に信じていた彼氏に裏切られて、高校中退。親はドロップアウトした娘をさっさと見放し、生きるために夜の店で働いていたら、二十三歳のある晩、親しくしていた客の一人に刺された。そこで意識も記憶も完全に途切れているから、死んだのだろう。

 自分でもなんのための人生だったのかと、悔しく思う。

 だが今の自分は違う!

 今度は主役! それも上流貴族の令嬢として生まれて、『奇跡の王妃』となることが予定、いや、約束されているヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢だ!!

 銀の髪に白磁の肌、宝石のような紫の瞳と整った顔立ち。レースやリボンを飾った豪華なドレスをとっかえひっかえしながら、何度、鏡に映る己の姿に見惚れたことだろう。

 転生したヴィクトリーヌは、生まれも容姿も才能も前世より上等なものになり、両親と兄には溺愛され、毎日、大勢の使用人にかしずかれている。

 ヴィクトリーヌは俄然、奮い立った。

 漫画では初登場時、ヴィクトリーヌはフェリクス第一王子と婚約しているが、彼とは第一話の冒頭で破局する。

 物語は「ヴィクトリーヌ・カルパンティエ! 貴様との婚約を破棄する!!」という、フェリクスの威勢のいい台詞からスタートするのだ。

 フェリクスは『金髪碧眼、氷のような美貌の持ち主』で『剣と乗馬の才能がある』という設定だが、逆にいえば『それだけ』で、有り体にいうと『王太子という地位にあぐらをかいて努力を怠ってきた、顔だけが取り柄のキャラ』なのである。

 そのため、幼い頃から聡明で、名家の令嬢らしい気品と教養を備えたヴィクトリーヌや、名君と名高い父王に対してコンプレックスを持ち、父親が決めた婚約者を放り出して身分の低い令嬢を寵愛するようになる。

 それがレナ・ブラシェ男爵令嬢。


「自分の結婚相手は、自分で決める!」


 そう言って、フェリクスはこのレナ嬢と結婚し、彼女を次のペールメール王妃にしようと画策する。

 一方、成り上がりの男爵家の娘であるレナ嬢自身も欲と野心にまみれた少女で、自分がペールメール王妃になるため、フェリクスに「ヴィクトリーヌに嫌がらせをされた」と嘘を吹き込み、彼女に籠絡されたフェリクスはレナの言葉を鵜呑みにして、おざなりな調査の末にヴィクトリーヌを公衆の面前で責めて、先の宣言となる。

 原作ではこの時、ヴィクトリーヌは「誤解だ」と反論するのだが、居合わせた貴族達はフェリクス派ばかりで、孤立無援のヴィクトリーヌは『調査』と称して、王宮の一室に閉じ込められてしまう。

 早々と勝利を確信したフェリクスとレナ嬢だが、実はお転婆だったヴィクトリーヌは、フェリクス王子の誤解を解こうと、閉じ込められた部屋の窓から脱出して、ヘンドリック第二王子と鉢合わせる。

 ヘンドリック王子は、品行方正と思っていたヴィクトリーヌの意外な一面に驚きながらも、事情を知ると協力を申し出て、ヴィクトリーヌを兄の部屋まで連れて行こうとする。

 その途中、レナが父親のブラシェ男爵と「うまくいった」と笑いあう姿と会話を目撃し、ヴィクトリーヌとヘンドリックはフェリクスの婚約破棄宣言の真相を知るのだ。

 二人はコレット、サビーナ、ジョゼットといった友人達の助けも得て、見事、ヨハネス二世に真相を伝えて証拠を見せることに成功し、事情を知った国王は「次期国王にふさわしくない」とフェリクス王子に激怒、彼の王子という地位と王位継承権を剥奪、一介の田舎貴族の身分に落としてしまうのだ。

『王子をたぶらかした罪』でレナも王宮から追放、彼女の父親も男爵位を剥奪され、父娘はフェリクスを追って地方へ移る。

 ここまでが一巻。

 二巻以降では、ヴィクトリーヌは新たにヘンドリックの婚約者となる。

 それまでヘンドリックは「おとなしくひかえめな弟王子」と周囲に評価され、フェリクスの影に隠れることも多かったが、『実はフェリクスよりはるかに努力家で、学問も武術も教養もフェリクスを上回る』という設定であり、さらに婚約時には「実は、兄の婚約者であるヴィクトリーヌに密かに恋していた」という真実も明らかになる。

 ヴィクトリーヌはそんな彼との距離をちぢめながら、様々な難題を解決していき、「王妃にふさわしい」と認められ、五巻で晴れてヘンドリックと結婚式を挙げ、王太子妃となる。

 そして八巻から、地方にいたフェリクス、レナ、レナの父親がふたたび暗躍し、ヨハネス二世の急死を機にフェリクスが王位簒奪を狙って挙兵するが、ヴィクトリーヌの活躍によって戦はヘンドリック軍が大勝利を収め、ヘンドリックは王位を継いで、ヴィクトリーヌは王妃となる。

 ヴィクトリーヌは数々の活躍から『奇跡の王妃』と人々に称えられ、生涯、ヘンドリックと幸せに暮らして、物語は完結するのだ―――――

 ヴィクトリーヌはこれらの記憶と情報を片端から密かに記録し、何度も読み返しては、状況が自分の記憶どおりに進んでいることを確認した。

 並行して、王妃に必要な知識や貴婦人としての教養を身につけ、王宮でも評判の令嬢となるよう、努力した。結果が出るとわかっているのだから、努力もし甲斐がある。

 そしてレナ嬢が現れると、フェリクスに接近するよう、裏であれこれ手を回したのだ。


「ところどころ、私の記憶とは違う部分も存在するけど…………でも大筋は漫画どおりだし。きっと大丈夫よね。とにかく、漫画どおりに進むよう、行動すればいいだけよ」


 一人きりの自室でそう己に言い聞かせながら、ヴィクトリーヌは十年間、いずれ訪れる幸せな未来を心待ちにしていたのである。






 大広間は大騒ぎだった。

 以前から問題のあった第一王子が突然、国王に定められた婚約者の令嬢を無実の罪で糾弾したかと思うと、一方的に婚約破棄を宣言。それを見た国王が、第一王子の王位継承権を剥奪して、第二王子に王位を継がせると宣言したのだから、居合わせた貴族達の動揺と興奮は普通ではない。

 貴族達はさっそくヘンドリック王子に群がり、口々に祝いを述べて媚を売りはじめる。

 ヴィクトリーヌもヘンドリックを見た。

 優秀で優しくて誠実な、約束されたヴィクトリーヌの王子様。運命の人。

 貴族達に囲まれた新しい婚約者の姿に胸を熱くしながら、ヴィクトリーヌの頭の隅にふと、疑問が浮かぶ。


(そういえば、今回のエピソードは漫画とはかなり違っていた…………漫画では、いったんヴィクトリーヌは閉じ込められて、ヘンドリック達と一緒に真相解明に乗り出していたのに…………一気に『フェリクスの王位継承権剥奪』『ヘンドリックの王太子決定』『ヘンドリックとの婚約』まで話が進んだわ。まあ、大筋は変わらないから、問題ないかしら? もともとこの婚約破棄自体、漫画では陛下の誕生日パーティーでなくて、学園の卒業パーティーでのエピソードだったし…………)


 実は、漫画ではヴィクトリーヌもフェリクスもヘンドリックも、レナ・ブラシェでさえ、学園に通っていた。王侯貴族が通う特別な学園で、ここで貴族や王族にふさわしい学問や教養を身につけ、立派な貴公子や貴婦人になる、という設定だった。

 ここでフェリクスはレナと出会い、ヴィクトリーヌをないがしろにするようになって、卒業パーティーで婚約破棄を宣言するのである。


(でも確認したら、こちらには学園なんてないって言うし…………お父様もお母様も『すべての王侯貴族の子が一緒くたに学んだりするはずない』って言っていたし…………逆かしら。『学園設定』がなかったから、陛下の誕生日パーティーで代用された、ということ?)


 物思いを、友人達の甲高い声がさえぎる。


「すばらしいですわ! ヴィクトリーヌ様! 王太子妃だなんて!!」


「フェリクス殿下が婚約破棄を言い出した時は、どうなるかと思いましたけれど。やはり、陛下はヴィクトリーヌ様をお見捨てにはなりませんでしたのね!」


「おめでとうございます、ヴィクトリーヌ様!!」


 ヴィクトリーヌもいったん、考えるのをやめた。


(とりあえずはうまくいったんだし、問題が起きたら、その時、考えればいいわ。どうせ、この先の展開はだいたいわかっているし、そのとおりに進んでいけば間違いないわよ)


「ありがとう、コレット、サビーナ、ジョゼット」


 未来の王妃にふさわしい、優雅で寛大な笑みを友人達に返す。

 ふと、フェリクス王子――――元王子と、レナ・ブラシェの姿が視界に入った。

 フェリクスは彫像のような無表情をたもったまま端正な横顔をさらし、レナ嬢は侍従の手を借りて立ったまま、固い表情でフェリクスの背中を見つめている。

 感心したわけではないが、この二人のそんな態度は意外だった。漫画では、自分達の陰謀が明るみに出て立場を失ったと知るや、見苦しく騒いでいたキャラ達なのに。これも漫画との小さな相違点か。

 ヴィクトリーヌが何の気なしにフェリクスの整った横顔を見つめていると、フェリクスはかすかにうなずいた。そのうなずきを見て、ヘンドリック王子――――王太子がうなずいた――――ように見えたのは、錯覚か。

 ヘンドリック王太子は手をあげ、騒いでいた貴族達に静まるよう合図すると、国王に体ごと向き直った。


「陛下。浅学非才の身に至尊の地位を約束していただいたこと、まずは御礼申し上げます。このヘンドリック、身命を賭してペールメールの礎となること、この場で誓います」


 穏やかながらも堂々とした、未来の王にふさわしい態度。

 見ていたヴィクトリーヌは恋人を誇らしく思ったし、ヨハネス二世も「うむ」と満足げにうなずく。


「そのうえで、陛下にお願いがございます。どうか、もう一度。もう一度だけ、兄上の話に耳を傾けてください」


「なに?」


「父上の、兄上に対するお怒りはごもっともです。しかし、兄上の話をすべて聞かずに事を収めては、ペールメール国王として、父として、陛下の名誉が傷つきましょう。どうか、この私に免じて」


「…………ここまできて、なお兄をかばうか。そなたの優しさは美徳ではあるが、欠点でもある。それを早急に学ばねば、そなたへの王位継承も考えざるをえぬぞ」


 ヨハネス二世はため息と共に新王太子に釘を刺し、元王子にむきなおる。


「王太子があそこまで申すのじゃ。聞くだけは聞いてやろう。なんぞ弁解はあるか? フェリクス・トラントゥール」


 小さなどよめきがあがる。

『トラントゥール』はフェリクス王子の母、亡きリディアーヌ王妃の実家の家名である。

 つまりヨハネス二世は暗に「フェリクスは、もう王家の一員ではない」と主張したのだ。「公には息子でさえない」と。

 当の息子は相変わらず氷のような無表情のまま、「では」と国王へ一歩進み出る。


「私の言葉ではなく、別の者の言葉をお聞きください。陛下」


 フェリクスが、大広間の入り口である大扉にむかって合図すると、大扉の横、警備の兵士の隣で待機していた、別のフェリクスの侍従が扉を叩く。

 すると大扉が左右に開かれ、二つの人影が現れた。

 ヴィクトリーヌは彼らの顔に見覚えがあった。

 一人は、カルパンティエ公爵家お抱えの書記係の男。

 もう一人は、同じく公爵家お抱えの使者の男。

 どちらもこざっぱりしたお仕着せに身を包んでいる。


「こちらをご覧ください、陛下」


 フェリクスはパーティー用の礼装の懐から小さな白い物を取り出すと、臣下としての礼を失わない程度に無造作な仕草で、それを国王に渡した。


「レナ・ブラシェ嬢が受けとった、ヴィクトリーヌ・カルパンティエ嬢の茶会の招待状です。こちらは、同じ茶会に招待された別の出席者が受けとった物」


 フェリクスはもう一枚、白い物を取り出し、それもヨハネス二世に手渡す。


「どちらも同じ物ではないか」


「よく、ご覧下さい。その二枚には、茶会の開始時刻が記されておりません。日付のみです」


 ヴィクトリーヌの胸にさざ波が生じる。


「一般に招待状は、主催者自身や、主催者の家が抱える書記係によって綴られたあと、使者の手によって、招待客へ送られます。レナ・ブラシェ男爵令嬢は、この招待状を受けとった際、使者から口頭で時刻を伝えられました。他の令嬢達も同様です」


「それで?」


「一人だけ、異なった時刻を伝えられていたとしたら?」


 フェリクスは書記係を見た。


「この男は、カルパンティエ公爵家お抱えの書記係です。陛下の手にある茶会の招待状も、この者が書きました。そうだな?」


 書記係は緊張しながらも、うなずく。


「はい。お嬢様のお茶会に限らず、カルパンティエ公爵家の名で出される招待状のすべては、私が綴っております」


「その際、時刻は記したか?」


「いいえ。日付のみでした」


「一般に、招待状には日付と時刻の両方を記す。時刻を記さなかったのは、カルパンティエ公爵家の流儀か?」


「いいえ。いつもは時刻も一緒に記します。あの時は、お嬢様が『予定が変わるかもしれないから、時刻は記さなくていい』とおっしゃいました」


「それでは、使者係」


 フェリクスはもう一人の男を見た。


「そなたはこの招待状を、ブラシェ男爵令嬢や他の招待客に届けた。違いないか?」


「はい。招待状に限らず、カルパンティエ公爵家の名で出される文書はすべて、私がお相手に届けております」


「この招待状を届けた際、時刻を令嬢達に伝えた。相違ないか?」


「はい。『二時に』と、お伝えしました」


「そのようなやり方は、いつものことか?」


「いいえ。あの時くらいです」


「では、陛下。もう一人、この場に呼ぶことをお許しください」


 フェリクスが合図すると、ふたたび大広間の大扉が開かれる。

 こちらに向かってくる人物の顔を視認した瞬間、ヴィクトリーヌは心臓をつかまれた気がした。

 すかさずフェリクスから声が飛んでくる。


「この男に覚えがあるだろう、ヴィクトリーヌ」


 書記係や使者と同じ、カルパンティエ公爵家のお仕着せに身を包んだ男が、おどおどとフェリクスの前までやって来る。


「お前のしたことを、陛下に報告しろ」


「お、お嬢様に命じられて、ブラシェ男爵令嬢にだけ、『お茶会の時間は三時に変更されました』と、お伝えました」


 どよめきがあがる。


「お前は、カルパンティエ公爵家で働く者の身内。そうだな?」


「は、はい。兄が、シーツ係をしています。兄に会いに、公爵家に行ったら、令嬢に話しかけられて…………簡単な仕事をしてほしい、と…………」


「その仕事が、時刻の伝言だな?」


「はい。この服も、お嬢様が用意してくださいました」


 周囲のどよめきが大きくなる。ヴィクトリーヌは青ざめ、ヨハネス二世も目をみはる。

 フェリクスは説明した。


「お聞きになられたとおりです、陛下。今の方法なら、意図的にブラシェ男爵令嬢だけ茶会に遅刻させておきながら、招待状に証拠を残さず、書記係や使者に事情を悟らせないまま、招待主である自分は無実を装うことができる。ここ数か月間のブラシェ男爵令嬢に関する悪評はすべて、この方法で仕組まれたものです。他の令嬢達がピンクの小物を持参するよう伝えられる中、ブラシェ男爵令嬢だけは『茶色』と伝えられ、『招待主はユリの花が嫌い』という情報も、ブラシェ男爵令嬢には『ユリが好き』と伝わってしまった。ただ」


 フェリクスはヴィクトリーヌにむきなおった。

 正確には、彼女の背後で身を寄せ合っていた、三人の友人達に。


「この男一人が、偽情報のすべてを伝えたわけではありません。招待主が違うのに使者が同一人物では、ブラシェ男爵家が怪しむ。招待のたび、別の使者を雇っています。そうだろう? コレット・エロワ侯爵令嬢、サビーナ・マルロー伯爵令嬢、ジョゼット・バルニエ侯爵令嬢」


 名を呼ばれた三人が、そろってビクッと肩をふるわせる。


「そなたらが雇った男達からも、証言は得た。なんなら、ここに呼ぼうか?」


 コレット、サビーナ、ジョゼットは真っ青になった。

 フェリクスはさらに追い打ちをかける。


「そもそもブラシェ嬢は男爵令嬢。それも男爵家としても格下の家格だ。そのブラシェ嬢がエロワ侯爵家、マルロー伯爵家、バルニエ侯爵家といった指折りの名家に、これといった理由も人脈もなしに招かれるなど、不自然極まる。ましてやカルパンティエ公爵家など。そなたら、はじめからブラシェ嬢を陥れる予定で、彼女を招待したのだろう」


「違います!!」


 ヴィクトリーヌが否定する。


「すべて、フェリクス殿下のでたらめですわ!! レナ嬢が愛しいから、そのような偽の使者など仕立てて、私のせいにしようとしているのです! 証言なんて、嘘を言うように脅せば、いくらでも出せます!!」


 ヴィクトリーヌは指さしながらフェリクスを糾弾するが、その声には焦りと憤りが含まれている。


「では、先に別の疑惑を解こう。ブラシェ嬢の怪我についてだ」


 フェリクスは大扉横の侍従に三度目の合図をする。

 大扉が開くと二人の男女が姿を現し、国王の御前へと歩み寄ってきた。

 その男女の顔を視認した瞬間、ヴィクトリーヌは足元が崩れ落ちた気になった。

 現れたのは兄だった。バルドゥイーン・カルパンティエ。カルパンティエ公爵にして、カルパンティエ家、現当主。

 兄は緑の礼装に身を包み、赤いドレスを着た少女の手を引いていた。

 その少女の顔を見た者はみな、目をみはり、あるいは瞬きをくりかえす。

 ヨハネス二世でさえ、あ然と言葉を失った。

 兄は恭しく国王にあいさつすると、エスコートしてきた少女を紹介する。少女は恥ずかしそうに緊張した面持ちをしていた。


「陛下。御前に我が家の内情をさらすこと、お許しください。この娘はヴィヴィアンヌ・オーバン。今は亡き我が父が、囲っていた平民の女に産ませた娘です」


「なんと…………!」


 少女はヴィクトリーヌに酷似していた。

 髪の色はヴィヴィアンヌ・オーバンのほうが濃い灰色だったし、ヴィクトリーヌの目が少々吊り上り気味なのに対して、ヴィヴィアンヌはどちらかというと垂れがちだ。しかし、細い顎の線やすっきりと通った鼻筋、花びらのような唇の形はそっくりで、身長も同じくらいで、ほっそりした手足や肩、背中の形もよく似ている。

 並べばわかるが、単独で会えば親しくない者はまず間違える。それほどの類似だった。


「半年前に母親が死んで、我が家を頼って来たので、王都の邸で行儀見習いをさせながら、いずれは嫁ぎ先を見つけてやるつもりでいたのですが…………」


 この場合、『嫁ぎ先』とは『公爵令嬢として嫁に出してやる』という意味ではない。あくまで『行儀見習いの侍女として』相応の相手を見つけてやる、という意味だが、それはさておき。


「賢明な陛下には、もうお分かりかと存じます。先日のシビル王妃様主催の音楽会。ヴィクトリーヌの名で出席していたのは、このヴィヴィアンヌです」


「まさか…………!」と貴族達が声をあげる。

 カルパンティエ公爵は説明を補足する。


「正確には、最初に会場に入って王妃様にご挨拶し、席についたのはヴィクトリーヌです。ですが演奏がはじまると、音楽会の趣向で、照明の大半は消されたと聞いております。夕闇の中でアドリアン・バローの『夕暮れの別れ』と『宵闇』が演奏された、と。ヴィクトリーヌは曲の合間にショールを取りに行くふりをして、侍女に扮していたヴィヴィアンヌと入れ替わったのです」


 愕然と、息を呑む気配が大広間に満ちる。


「会場は暗く、演奏中なら話す必要もない。周囲も音楽に集中して、ショールをかぶった令嬢がヴィクトリーヌでないなどとは想像もしなかったでしょう。あらかじめ、服装も似せていたそうです。そうしてヴィクトリーヌはブラシェ男爵令嬢を階段から突き落とし、曲の終わりを待って再度、ヴィヴィアンヌと入れ替わったのです」


 国王も貴族達も、ヴィクトリーヌ・カルパンティエ自身、呆然と立ち尽くす。


「反論はあるか? ヴィクトリーヌ」


 フェリクスの冷たい青灰色の瞳が、刃の鋭さでヴィクトリーヌを射抜いた。


「あ、あ…………っ!」


 ヴィクトリーヌはふらつく足で、自分を溺愛している兄に歩み寄る。


「ひどいわ、お兄様。私を、妹を陥れるなんて…………!」


「ひどいのは、そなただろう、ヴィクトリーヌ!」


 兄の鋭い声がヴィクトリーヌを刺す。


「そなたは、自分がしたことの意味を理解しているのか!? カルパンティエ公爵家の一員、私の妹、亡き父の一人娘であり、畏れ多くもフェリクス王子殿下の婚約者の身分さえいただいておりながら、このような愚行に走るとは!! 高貴な生まれでありながら、その家の力を用いて行ったことが、はるか格下の家柄の令嬢への嫌がらせとは…………そなたがしたことは、貴婦人としても許されることではない! ブラシェ嬢が、どれほど大変な思いをされたと思っている! まして、階段から突き落とすなど…………一歩間違えば、怪我だけでは済まなかったかもしれないのだぞ!?」


 生まれてはじめて、兄に本気で怒られて、ヴィクトリーヌはふるえあがる。

 バルドゥイーン・カルパンティエはフェリクスとヨハネス二世に頭を下げた。


「お聞きの通りでございます、国王陛下、フェリクス殿下。すべては我が不肖の妹が、友人を巻き込んで行ったこと。ブラシェ嬢にはみじんの責任もございません」


 そして、侍従の手を借りて立つブラシェ嬢にも謝罪する。


「レナ・ブラシェ嬢も、大変申し訳ない。妹の愚行で、貴女の名誉を深く傷つけた。お詫びして済む問題ではないが、足の治療を含めて、できる限りのことをすると約束する。後日、あらためてお詫びに伺いたい」


 すると、渦中の一人であるレナ・ブラシェ男爵令嬢、愛らしいストロベリーブロンドに若草色の瞳の少女が、この日はじめて口を開く。


「バルドゥイーン・カルパンティエ公爵閣下は、ご存じなかったご様子。謝罪は受け容れますので、これ以上のことは、どうぞ父とお話し合いください」


 淡々としていたが、堂々たる物言いだった。

 なお、この頃には事態を知ったエロワ侯爵夫妻、マルロー伯爵夫妻、バルニエ侯爵夫妻が、招待客をかきわけて娘達のもとに駆けつけているが、娘達は親の顔を見ると、さらに顔色を失った。

「あ、あ」と頭を抱えて呻くヴィクトリーヌに、フェリクスが冷徹にとどめを刺す。


「悪巧みを本気で成功させたいならな。金銭は惜しまないことだ、ヴィクトリーヌ。金で動く人間は、金で裏切る。そなたらが雇った者達。こちらが十倍の額を見せたら、すぐに口を割ったぞ」


 ヴィクトリーヌは妖女の形相で偽の使者をにらみつける。

 使者はさっと顔をそむけてちぢこまった。


「さて、陛下」


 フェリクスは国王を見やる。


「これでもまだ、ヴィクトリーヌの主張を信じますか? 嘘をついているのは、ブラシェ男爵令嬢だと。ああ、それと」


 フェリクスは付け足した。


「これも重要なことでした。ブラシェ嬢の名誉のため、私の母、リディアーヌ・トラントゥールの名において誓います。私とブラシェ男爵令嬢の間には、何もない。私達が秘密の恋人だというのは、ヴィクトリーヌが友人達と広めた嘘です。そうすることで、自分達が彼女に嫌がらせをする正当性を得たつもりになっていたのでしょう。私達はお互い、恥知らずな真似をした覚えはありません」


 ヨハネス二世は眉をつりあげ、顔全体を紅潮させて唇をかたく引き結ぶ。


「嘘よっ!!」


 ヴィクトリーヌが甲高く絶叫した。

 全員が彼女に注目する。


「嘘、全部、大嘘!! フェリクスとその女が仕組んだ、罠なのよっ!! おかしいじゃない、私が『ざまぁ』されるなんて!!」


「ヴィクトリーヌ」


「追放されるのは、私じゃない! 身分を剥奪されるのは、私じゃないわ!! 全部、フェリクスとレナのほうよ!! アンタ達が私とヘンドリックに裏工作を暴かれて、王宮を追い出されるんだから!! そう決まってるのに!!」


「つまりそなたは、ブラシェ男爵令嬢を巻き込んで、私を王宮から追い出すことを画策していたと、認めるのだな?」


「画策もなにも、はじめから決まってるの!! アンタは私との婚約を破棄する! だけど私とヘンドリックの活躍で、レナがアンタを騙して王妃になろうとしていたことや、アンタがレナみたいな女に騙される馬鹿王子だったことが暴露されて、王位継承権を失って王宮を追放されるのよ!!」


「面と向かっての『馬鹿』呼ばわりは、さすがに気分が良くないぞ、ヴィクトリーヌ。それで? その計画は誰が考えたものだ?」


「誰も何も、そう決まってるの!! 運命なのよ!!」


 言いきるヴィクトリーヌの形相に、フェリクスもバルドゥイーンもレナも、ヨハネス二世でさえ、正気を疑う視線になるが、ヴィクトリーヌは気づかない。


「そうよ、フェリクスが馬鹿王子で…………レナが悪女のはずなのに…………なんで、アンタはフェリクスを誘惑しないの!?」


 ヴィクトリーヌの鉾先がレナに向く。


「アンタがフェリクスに『ヴィクトリーヌにいじめられている』って嘘を吹き込んで、それを信じたフェリクスが婚約破棄する、そういう運命なのに!! なんで普通に、他の男と結婚しようとしてるのよ!? アンタがそんなだから、私が漫画どおりに進めるために、いろいろ小細工をしなきゃならなかったんじゃない!!」


 首をかしげるレナを指さすヴィクトリーヌに、フェリクスが怪訝そうに確認する。


「事情のすべてはわからないが…………とりあえず、そなたはブラシェ嬢が無実であること、認めるのだな?」


「はあ!?」


「今、自分で言っただろう。ブラシェ嬢は他の男と結婚しようとしていた、俺を誘惑したこともない。それを、さも俺と関係があるように噂を流し、彼女に友人達と嫌がらせを繰り返したのだな?」


「嫌がらせじゃないわ!! 正しい展開を導くためよ!! アンタこそ、なに真面目に調査なんかしているのよ! レナの言葉を疑わずに、ろくに調べないで婚約破棄を宣言する馬鹿王子のくせに!!」


 そう、原作ではフェリクスは「ヴィクトリーヌに嫌がらせされた」というレナの言葉を鵜呑みにして、まともな調査などしていなかった。

 そうと知っていたからこそ、ヴィクトリーヌも裏工作がばれることはないと信じて安心していたのに。

 怒鳴るヴィクトリーヌに、名家の令嬢としての余裕や優雅さは見当らない。彼女の主張に納得、もしくは賛成するものは皆無だったし、レナ嬢からは冷ややかな軽蔑のまなざしが送られていたが、堪えた様子はなかった。


「殿下、ああ殿下。ヘンドリック様」


 ヴィクトリーヌは転がるように、地獄で天使を見出したかのように、王座のそばにいた新王太子のもとへ駆け寄る。


「助けてくださいませ、王太子殿下。フェリクスが、あなたの兄上が私を陥れようとしています。みんなで寄ってたかって私をいじめるんです。私は殿下の婚約者。どうか王太子の愛とご威光で、私を守ってくださいませ。私達、ずっと恋人同士だったではありませんか」


 最後の一言に、その場にいた者はぎょっとしたし、フェリクスも苦々しげに指摘する。


「どうしようもない愚か者だな、ヴィクトリーヌ。それでは自分から、私という婚約者がいながら弟と通じたと告白したことになるぞ。自分の罪を認めるのか?」


「うるさいっ!! 顔だけが取り柄の、無能な馬鹿王子が!!」


 令嬢としての品も洗練された仕草もかなぐり捨てて、ヴィクトリーヌは怒鳴る。


「アンタなんか、国王になれるわけないでしょ!! 王様になるのはヘンドリックよ! 私は、彼と結婚して次の王妃になる。そう決まってるのよ、クソ王子!!」


 公爵令嬢の品の無い言葉遣いに、聞いていた兄も国王も周囲の貴族達も目をむくが、ヴィクトリーヌはかまわずヘンドリックにすがろうとする。

 しかしヘンドリックは彼女を拒絶した。


「近寄らないでください、ヴィクトリーヌ嬢。あなたはとても身勝手な方だ」


「ヘンドリック!?」


「ここに、私があなたからいただいた手紙やカードがあります。すべて、婚約者の弟に送るには不適切な内容のものばかりだ」


「なっ…………!!」


「申し訳ありません、嘘をつきました。兄の婚約者でありながら、弟の私に近づいて、私が王位を継ぐことが確定しているかのように語る、あなたの本心を探るため、あなたの求愛を受け容れたふりをしました。あなたの背後には、三大公爵家の一つがいる。カルパンティエ公爵家が兄の暗殺を計画しているとすれば、手段は選んでおれませんでした」


「ふり…………? じゃ、じゃあ、私を好きだと言ったのは…………」


「すべては、あなたから証拠を得るための偽りです。申し訳ありませんでした」


「だが、おかげでカルパンティエ公爵家そのものは無関係であることが判明した。すべては、ヴィクトリーヌ・カルパンティエの独断だ」


 ヘンドリック王太子の謝罪にフェリクスの断言がつづく。

 バルドゥイーン・カルパンティエ公爵がほっとしたように少し表情をゆるめる。


「非公式とはいえ、陛下がおっしゃったのだから、あなたは私の婚約者だ。ですが、こうなった以上は」


 ヘンドリックは普段、優しい深緑の瞳に確固たる意志の光を宿して、まっすぐにヴィクトリーヌを見つめ返してきた。

「ヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢。あなたとの婚約を破棄します」


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