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悪役令嬢は悪役令嬢です  作者: オレンジ方解石


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前編

「ヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢。そなたとの婚約を破棄する」


 ペールメール王国、第一王子フェリクスは冷ややかな声で高らかに宣言した。

 その彼の背後に立つ、白いドレスにストロベリーブロンドの少女。

 ヴィクトリーヌは持っていた扇を口の高さまで上げ、強くにぎりしめた。

 この時が来るのはわかっていた。

 だってフェリクス王子はヴィクトリーヌ(わたし)を愛していないのだから――――






 この日。ペールメール王宮には、名君の誉れ高い国王ヨハネス二世の生誕を祝う大パーティーのため、国中の貴族が集まっていた。

 十七歳のヴィクトリーヌも、会場となる大広間で友人達と談笑しながらパーティーの開催を待つ。

 友人達は口をそろえてヴィクトリーヌのドレスを称えてきた。


「ヴィクトリーヌ様のドレスの本当にすばらしいこと! なんて深い赤かしら」


「国王陛下の贈り物と聞きましたが、シビル王妃様もリディアーヌ前王妃様も、これほどの品物はお持ちではありませんでしたわ」


「まさに『ペールメールの銀の薔薇』たるヴィクトリーヌ様にふさわしい逸品ですわ」


 コレット・エロワ侯爵令嬢、サビーナ・マルロー伯爵令嬢、ジョゼット・バルニエ侯爵令嬢。いつもの気心知れた彼女らの目にも、今夜のヴィクトリーヌの華麗な装いは格別だった。

 周囲の男達もヴィクトリーヌが第一王子の婚約者と知りながら、熱い視線をむけてくる。

 高価な染料を大量に用いて染めた深い赤色は、ヴィクトリーヌの月光のような髪も、紫水晶アメジストのような瞳も、白磁の肌も、すべてこれ以上ないほど美しく引き立てていたが、当のヴィクトリーヌの内心はけっこう冷めていた。


(見た目はたしかにきれいだけど…………着ているほうは、重くて苦しくて動きにくいのよね、このドレス。襟まわりはレースでいっぱいだし、袖は大きくふくらませて二段重ねだし、コルセットはきついし、なにより裾よ! 床を五十センチは引きずっているじゃない! もうこれ、スカートというより雑巾でしょ、床掃除してるわよ。そもそも私、この赤、そんなに好きじゃないし。陛下が「絶対に似合う」とおっしゃった贈り物だから、そんなこと言えないけど…………)


 これに、瞳の色に合わせた紫水晶と真珠のネックレスや、同じモチーフの髪飾りを着けているのだ。

 ヴィクトリーヌはため息をこらえて重さに耐える。友人達の話題がドレスから近況へ移る。


「それにしても、無事に陛下の誕生祝いを開催できてなによりでしたわ。最近は、やれ、どこどこの地方で飢饉だの不漁だの、暗い噂ばかりで」


「そうそう。ドミナシオン王国とも、また雲行きが怪しいようで…………」


「こういう時こそ明るい行事ですわよね。気分が晴れますもの」


「ところでヴィクトリーヌ様。カルパンティエ公爵のお姿が見えませんが…………」


 友人達が、ギラギラした目をヴィクトリーヌにむけてきた。

 二年前に当時のカルパンティエ公爵だったヴィクトリーヌの父が亡くなり、現在は兄バルドゥイーンが父の爵位と当主の座を継いで、カルパンティエ公爵を名乗っている。

 妹同様、銀の髪に紫の瞳が美しいこの二十一歳の兄は、今、ペールメール王宮でもっとも独身女性の関心を集めている青年だろう。

 ヴィクトリーヌの友人達もその一部なのだが、最近のヴィクトリーヌには別の意見がある。


(だって…………ねぇ? お母様一筋と思われていたお父様に、まさかの、平民の女が産んだ隠し子よ? その息子のお兄さまも、もしや…………とか、考えてしまうじゃない)


 むろん、そんな家庭の事情は暴露できないから、ヴィクトリーヌは令嬢然としたすまし顔で、当たり障りない事実だけを述べる。


「少し遅れるとおっしゃっていたわ。人と会う予定があるのですって」


 その時だった。

 ざわっ、と大広間の入り口近くから招待客のどよめきが広がり、きらびやかに着飾った貴公子、貴婦人達の壁を二手に割って、長身の青年が姿を現す。

 銀にちかい金の髪、『北海のような』と形容される切れ長の青灰色の瞳。銀糸を刺繍した紺の衣装は王子としてはやや地味だが、けして粗末な代物ではなく、むしろ落ち着いたデザインが気品を感じさせる。まだ二十歳の若さだが、天上の神々にも匹敵しそうな冷艶な美貌の持ち主だった。


「フェリクス殿下!? その娘は…………」


 周囲の貴族達の中から驚きと動揺の声があがり、ヴィクトリーヌの友人達も「まあ」と非難と抗議の声をあげる。

 ヴィクトリーヌの前までやって来たフェリクス王子は、両腕にしっかりと一人の少女を抱えていた。


「レナ・ブラシェ男爵令嬢ですわ。あの成金男爵の」


「フェリクス王子と懇意というのは本当だったのか」


「婚約者のいる殿方にとりいるなんて…………金で爵位を買った方の娘は、やることが違いますこと。我が家の世間知らずな娘には、とてもとても」


 好奇と敵意に満ちた、貴族達のひそひそ話が聞こえる。

 レナ・ブラシェ。ブラシェ男爵の一人娘。十七歳。

 ストロベリーブロンドのふわふわした髪に、ぱっちりした若草色の瞳が印象的な、愛らしい少女だ。ヴィクトリーヌのような風格や華麗さには欠けるが、見るからに清純可憐な雰囲気は、男に「守ってやりたい」という気を起こさせる。

 彼女のことはヴィクトリーヌも知っていた。

 サビーナの誕生パーティーで彼女の苦手なユリの花束と香水を贈り物に持参し、ジョゼットが「次のお茶会は、なにかピンクの品物を持ち寄りましょう。茶色は駄目ですわ、私が嫌いだから」と提案すれば、茶色の布製の小物入れを持って来た令嬢だ。

 ヴィクトリーヌが招待したお茶会にも、大幅に遅刻してきた。

『礼儀知らずの成り上がりの娘』。それがペールメール王宮におけるレナ・ブラシェ嬢の評価。


「そもそも男爵令嬢といっても、ブラシェ男爵は商人から成り上がった、一代限りの男爵。男爵の兄弟や息子に爵位が継がれることはありません。令嬢は、ヴィクトリーヌ様からお声をかけていただいただけでも、ありがたく思うべき身分なのに、よりにもよって婚約者である殿下にとりいるなんて」


 貴族達がささやき合う。

 ヴィクトリーヌも王子とレナ嬢の登場に眉をひそめたが、それは、彼らの見せつけるようなポーズに対してだけではない。

 王子に抱えられているせいでよく見えないが、レナ嬢の細い首を飾る大粒の緑柱石エメラルドのネックレス。


(あれはひょっとして…………『森妖精ドリアードの魂』?)


『森妖精の魂』とは昔、国王ヨハネス二世が結婚の祝いにリディアーヌ前王妃に贈ったネックレスで、金貨何百枚分もの価値がある、フェリクス王子にとっても亡き母親の形見の品だ。

 ヴィクトリーヌもはじめて目にした時は『森妖精の魂』という名にふさわしい、鮮やかな緑の輝きに目を奪われたものだ。


(将来、自分の妻となる女性に贈る品だと言っていたのに…………)


 その大事なネックレスを、一介の男爵令嬢、『成金』と揶揄される家の娘が堂々と身につけて公式の場に出ている。それも、王子の腕に抱かれる格好で。

 その事実が、フェリクス王子の答えを表しているのだろう。

 ヴィクトリーヌは理解したが、あえて令嬢らしく優雅なほほ笑みを浮かべた。


「久しぶりだな、ヴィクトリーヌ。息災そうでなにより」


「お久しぶりにございます、フェリクス殿下。殿下こそ、お元気そうで何よりにございます」


 ヴィクトリーヌが名門公爵家の令嬢として優雅に一礼すると、フェリクス王子はさっそく本題を切り出してきた。他愛ない世間話を交わしてから用件に入るという、王侯貴族の日常的な作法を、この王子が守ることはほとんどない。


「レナ・ブラシェ嬢が怪我をした」


 フェリクス王子が心もち腕をあげ、少女を見せつけるようにする。


「左足の骨を折った。他にも数カ所、ひどい打ち身がある。おかげでこのとおり、歩くのにも支障がある」


(あ、それでお姫様抱っこしていたのね)


 ヴィクトリーヌは納得しかけたが、即座に訂正する。

 いくら歩けないといっても、王子が直々に抱えてくる必要はない。侍従でも護衛官でも、任せられる相手はいくらでもいる。

 あえて抱きかかえて来たところに、王子からの悪意を感じるのは自分だけだろうか。


「レナ嬢は突き落とされたと証言している。ヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢に、階段の上から突然、突き落とされた、と。階段の踊り場まで転げ落ちたレナ嬢のもとに、犯人はわざわざ降りてきて顔を見せ、『身の程をわきまえなさい』『フェリクス殿下に二度と近づかないで』と笑った、と証言している」


「殿下。それはあまりにも…………」


 さすがに口をはさもうとした友人達を「いいのよ」と制して、ヴィクトリーヌはフェリクス王子へと一歩進み出る。


「殿下。その件は、すでにお話ししたはずです。ブラシェ嬢のお怪我はお気の毒ですが、私が押したというのは、とんでもない濡れ衣です。ブラシェ嬢が怪我をなさったのは、先日のシビル王妃様が開かれた音楽会の夕べ。音楽会の間、私がずっと会場におりましたことは、殿下も国王陛下も、ご覧になっておられたはずです」


「うんうん」とヴィクトリーヌの友人達はもちろん、見守っていた招待客の十数名も一緒にうなずく。ヴィクトリーヌの周囲にいる客達は、王宮でも上流に入る貴族達ばかり。問題の音楽会でも、ヴィクトリーヌに近い席に座っていたのだ。


「たしかに私は、音楽会で二度、席を立ちました。ですがそれは、肌寒くなったので、会場の外で待機する侍女のもとへショールを取りに行っただけですし、二度目も、喉が渇いたので侍女から飲み物をうけとっただけです。どちらもすぐに、席に戻っています。嘘だとおっしゃるなら、ここにいる方々にもお訊ねください」


 ヴィクトリーヌは周囲を示して、己の婚約者に主張する。


「ブラシェ嬢が怪我をされた階段は、王宮の西棟。庭園に建つ音楽ホールとは正反対の位置とうかがっております。あの短時間では、とうてい往復はかないません。実際に侍女を走らせて実験したと、聞いておりますのよ?」


「うんうん」と招待客達はいっそう大きくうなずく。


「そもそも、仮に、私がブラシェ嬢に嫌がらせをするとして。わざわざ、自分で手を下したりなどいたしません。侍女にでもやらせますわ」


 ヴィクトリーヌがわざとらしい高慢な表情を見せると、周囲からも失笑があがった。ヴィクトリーヌに同意する笑いだ。

 王国でも五本の指に入る高貴な貴婦人であるヴィクトリーヌは、着替え一つにも侍女の手を借りるのが当然の身分だ。嫌がらせに直接、手を下すなんて、発覚すればもっとも危険な役を、自ら好んで演じるはずがない。


「では、質問を変える。レナ・ブラシェ嬢は今回の怪我とは別に、そなたからはたびたび嫌がらせを受けてきたと証言している。正確には、そなたと、そなたのとり巻きの令嬢達からだ。茶会や誕生会に招待された際に一人だけ違った時間や、贈り物に関する注意を伝えられ、結果、レナ嬢は遅刻したり、相手の苦手な物を贈ったりして責められ、恥をかかされた、と」


「それも誤解です」


 ヴィクトリーヌは淡々と弁解した。


「招待状はすべて同じ物を送っています。内容も、すべて同一ですわ。お疑いでしたら、我が家の書記係にお訊ねください。すべて同じ物を作成したと証言するはずです。お望みなら、ここにいる私の友人達にも、私の送った招待状を提出してもらいましょう。レナ嬢が受けとられた招待状と、比較なさってください」


 言って、うしろをふりかえる。


「よろしいかしら? コレット、サビーナ、ジョゼット」


「もちろんですわ、ヴィクトリーヌ様」


 友人達がそろってうなずく。


「いただいた招待状はすべて保管しております。いつでも提出できますわ。それでヴィクトリーヌ様の、いえ、私達の無実が証明できるのでしたら」


「ありがとう、三人とも」


 堂々とした令嬢達の態度に、成り行きを見守っていた招待客達の空気も、令嬢達の味方になってくる。


「…………なるほど。つまりそなたは、あくまで自分は無実、無関係だと主張するのだな? すべて、レナ嬢の誤解だと」


「はじめから、そう申しております。私には覚えのないことです」


「その言葉、撤回する気はないな?」


「何故、その必要があるのです?」


 すると、フェリクス王子はレナ嬢をおろした。そばにひかえていた護衛官の一人に彼女を預けると、侍従がさっと椅子を差し出す。「歩くのにも支障がある」というのは誇張ではないようで、自分の足で立ったレナ嬢は、護衛官の腕を借りて椅子に腰かけるだけでも危なっかしい足取りだった。

 フェリクス王子はヴィクトリーヌの顔を見つめ、一回、ため息をつく。


「そなたが自分から罪を認めるなら、穏便に済ますつもりもあった。そなたのことを女性として愛したかと問われれば、自信はない。だが、そなたの能力や人柄は信用していたし、ペールメール王妃にふさわしい人材だとは認めていた。昔の私は、そなたに恥じぬ夫なろうと決意していたが…………」


(それって、他の令嬢を抱えてきた人が言う台詞?)


 ヴィクトリーヌは内心でツッコむが、フェリクス王子にはむろん、伝わらない。


「だが、そなたがここまで罪を認めぬなら、私も遠慮しない。お別れだ、ヴィクトリーヌ」


(え? え? ちょっと待って。この人、あれだけ反論されて、まだ本気で自分の判断は間違っていないと信じているの? それは、毎日、勉強を放り出して下町で遊び呆けているのは聞いていたし、顔だけが取り柄と知ってはいたけれど…………)


 フェリクスは一瞬、悲しげなまなざしを見せ、すぐに冷厳な表情に戻る。


「ヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢。そなたとの婚約は破棄する」


 ペールメール王国、第一王子フェリクスは冷ややかな声で高らかに宣言した。






 ヴィクトリーヌは持っていた扇を口の高さまで上げて、強くにぎりしめた。

 この時が来るのは、わかっていた。

 だってフェリクス王子はヴィクトリーヌを愛していないのだから。

 そしてヴィクトリーヌもまた――――


「まさか、本気で?」


「ご乱心なされたか、フェリクス殿下」


 周囲の動揺の声が聞こえてくる。

 わかっていた展開とはいえ、ヴィクトリーヌもさすがに平静ではいられなかった。扇を口の高さまで上げて唇の動きを隠し、速くなる鼓動をなだめながら、あくまで公爵令嬢らしい落ち着いた優雅な態度をたもった。


「殿下。ご冗談は困ります。私はたしかに、殿下と婚約させていただいておりますが、そもそもこの縁談は、殿下のお父上であらせられる国王陛下の意向を我が父が受けて、定められたもの。私や殿下の一存でどうこうできるものではございません。どうしてもとおっしゃるなら、まず、陛下を説得なさってくださいませ。陛下が婚約の破棄を認められれば、私も従いましょう」


「認めるわけがない」


 誰かが言った。

 王族に限らず、貴族の結婚は親の意向がほとんどだ。稀に、当人が公衆の面前で婚約の破棄を宣言するケースもあるが、大事な縁談であればあるほど、親になだめすかされ、もしくは脅されて結婚させられるものだ。

 仮に破棄できたとすれば、それは宣言された側の家が「こんな侮辱は断固、許さん!」と激怒した場合であって、その場合でも宣言した側は新しい縁談を見つけるのがぐんと難しくなる。「同じ目に遭いたくない」と周囲が逃げるからだ。

 まして王族と上流貴族の結婚となれば、確実に国の政治が絡んでいる。当人の意志や気持ち一つでなんて、絶対に破棄できない。


「いや。認めよう」


 重厚な声が割り込んできた。

 その場にいた全員が、いっせいに声のしたほうを見やる。


「国王陛下!!」


 王冠をかぶり、毛皮のマントをはおったペールメール国王、ヨハネス二世が王座の前に立っていた。

 シビル王妃と第二王子、ヘンドリックもそろっている。

 金髪碧眼の兄、フェリクスに対し、弟のヘンドリックは鋼のような黒髪と深緑の瞳をした、優しげな面差しの少年だった。ヴィクトリーヌより二歳年上の十八歳である。

 ちなみに、シビル王妃は『後妻』ではない。ペールメール国は一夫一妻制だが、国王は王統を維持する義務があるため、いくつかの条件を満たした場合に限って、二人目の王妃――――『側妃』を持つことを許されている。

 つまり、正式にはリディアーヌ王妃が『正妃』、シビル王妃は『側妃』なのだが、リディアーヌ王妃は亡くなっているため、事実上、シビル王妃は正妃の扱いをうけていた。

 そのシビル王妃が産んだのが、ヘンドリック第二王子である。


「これは父上。ちょうどよい時においでになられました」


 フェリクス王子は国王へと体ごと向きなおる。


「馬鹿者!!」


 若い頃は政務に戦場に、と辣腕をふるった国王の一喝が響いた。


「この愚か者が!! カルパンティエ公爵令嬢との結婚は、大臣達との数回に及ぶ会議を経てさだめられた、重要な政略! そなたの下らぬ一存でひっくり返せるはずがなかろう! 増長もたいがいにせい!!」


 居合わせた貴族達が、自分が叱られたかのように首をすくめる。


「そなたの近年の態度は目に余ると思うておったが…………よもや、これほどの愚か者であったとは。そなたが家庭教師を放り出して日々、王宮の外での遊行に耽っていること、余が知らぬとでも思うたか!!」


 フェリクス王子は肩をすくめた。


「王宮の外にも学びはあります。むしろ机上の空論などより、はるかに学び甲斐がある」


「たわけ!!」


 怒鳴る父親に、息子は真剣なまなざしで言い募る。


「陛下。私は根拠なく、婚約を破棄すると言っているのではありません。相応の理由があります。ヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢は、ペールメール王妃にふさわしくない」


「そなたの秘密の恋人に嫌がらせをしたからか? 怪我をさせたからか? みな、そなたとその娘の妄言であろう!!」


「これは心外。レナ・ブラシェ嬢は見ての通り、間違いなく怪我を負っている。それを『妄言』とおっしゃられるのか」


「怪我はしておっても、それがカルパンティエ公爵令嬢の責任である証拠がない!! その証拠の無さを『妄言』と申しておるのじゃ!!」


「陛下。臣下が見ております、どうぞ落ち着きあそばして…………」


 シビル王妃が夫をなだめようとしたが、ヨハネス二世は妻の白い手を払った。


「そなたがそれほど婚約を破棄したければ、破棄してやろう!! カルパンティエ公爵令嬢は、そなたにはもったいなさすぎる、優れた令嬢じゃ!! だが、その娘との結婚があるとも思うなよ!! よい機会じゃ、そなたの王位継承権は剥奪する! 臣籍に下り、一介の地方貴族として、みじめに生涯を終えるがいい!!」


 この日一番のどよめきが大広間に満ちた。


「臣籍降下…………フェリクス殿下が…………?」


「なんと、ずいぶん厳しい処分を…………」


 貴族達が顔を見合わせ、口々に語り合う。


「フェリクス殿下、すぐに国王陛下に謝罪を」


 そんな声も聞こえたが、フェリクスは動かない。彼の背後のブラシェ男爵令嬢は、国王の登場と同時に侍従の手を借りて立ち上がっていたが、彼女も愛らしい顔を青白くこわばらせている。

 ペールメール国王は横を向いた。


「ヘンドリック」


 呼ばれた黒髪の少年は驚きを顔に浮かべ、貴族達からも「おお」と声があがる。


「余の心は決まった。次期ペールメール国王はそなたじゃ、ヘンドリック。今、この時より王太子を名乗ることを許す」


「お待ちください、父上。どうか、兄上の言い分をもう少し…………」


「よい。そなたの兄には愛想が尽きた。余の後継は、そなたじゃ。一足早いが、これを譲ろう」


 ヨハネス二世は自分のベルトをさぐり、下げていた長剣を鞘ごと掲げる。

 大粒の紅玉ルビーがはめ込まれたそれは、実戦には向かない装飾過剰な代物だったが、ペールメール国王に代々受け継がれる宝剣だった。

 王冠と共に、この剣を持つ者がペールメール国王を名乗るのだ。


「陛下…………」


 ヘンドリック王子はいったん、気遣わしげに兄を見やり、けれど自分の視線に兄の意志も父の意志も変える力がないことを悟ると、父王の前に進み出て膝をつく。


「――――慎んでお受けします」


 ペールメール王国第二王子は恭しく両手を差し出して宝剣を受けとり、ヘンドリック王子はヘンドリック王太子となる。


「おおっ」と、またたく間にどよめきと興奮が大広間に広がった。


「こちらに来るがよい、ヴィクトリーヌ」


 ヨハネス二世は満足げな表情を浮かべて、ヴィクトリーヌを手招きする。


「フェリクスとの婚約は解消されたが、カルパンティエ公爵家は我が国にとって、なくてはならぬ存在。幸い、ヘンドリックはまだ縁談が決まっておらぬ。今より、そなたは王太子の婚約者を名乗るがよい」


「まああ! ヴィクトリーヌ様!!」


 友人達の歓声が聞こえた。

 ヴィクトリーヌは早鐘を打つ心臓をなだめながら、令嬢らしい優雅な所作で頭を下げる。


「慎んでお受けいたします…………と、申し上げたいのですが。どうぞ陛下、縁談の件はカルパンティエ公爵に、我が兄にお伝えくださいませ」


「うむ、そうであったな。そなたの兄は、どこにいる?」


 きょろきょろと招待客を見渡す国王の様子を盗み見ながら。

 ヴィクトリーヌは心の中で勝利の歓声をあげていた。

 この時が来るのは、わかっていた。

 だって、フェリクス王子はヴィクトリーヌを愛していないのだから。

 そしてヴィクトリーヌもまた、フェリクスを愛したことはなかった。

 というより、愛せるはずがない。

 身分の低い恋人に心変わりして、自分を捨てるとわかっている、顔だけが取り柄の無能な男なんて。王子の身分があっても御免だ。王子なら、もっと優秀で優しくて、なによりヴィクトリーヌだけを一途に愛してくれる人がいる。

 ヴィクトリーヌはそっと、国王の隣へ視線を向ける。

 ヘンドリック王太子は、はや「ヘンドリック王太子、万歳」と騒ぎ出した貴族達へ、困ったような笑顔を見せていたが、ヴィクトリーヌの視線に気づくと、そっとうなずいてきた。

 その視線にこめられた熱情。

 そう。ヴィクトリーヌとヘンドリックこそ、本当の、本物の恋人同士だった。

 ヴィクトリーヌはフェリクスと結婚する気はなかった。はじめからヘンドリックと結ばれるつもりだった。

 無能なフェリクスが王位継承権を失うのは、既定路線。彼はこのあと、欲と野心から王子をたぶらかした馬鹿女、ブラシェ男爵令嬢と共に国外追放の憂き目に遭う。

 ヴィクトリーヌはヘンドリックと結婚してペールメール王太子妃となり、このあとに起きる様々な難題を解決して、ヘンドリックという名君を支えて国中から愛された『奇跡の王妃』として、歴史に名を残すのだ。

 この時が来るのは、わかっていた。

 何故なら自分は、七歳の誕生日に前世を思い出したから。

 これは漫画の世界。

 前世で何度も読んだ少女漫画『濡れ衣を着せられたけれど、全力で王宮を脱出します! ~悪役令嬢ヴィクトリーヌの王妃日記~』の世界の中。

 ペールメール王国三大公爵家が一つ、カルパンティエ公爵家の一人娘ヴィクトリーヌ・カルパンティエは、異世界から転生してきた稀有な存在――――転生者だった。


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