第03話 彩ヶ森の怪人・後編
* * *
そうしてまた更に数日が経った頃だろうか。情也は、ガラにもなく愛理が悩んでいる場面に遭遇した。その日は演技練習が一時お休みで、一同は愛理が先日提案した通りにみんなで裏方の手伝いをすることになっていた。ところが音響関係を決める段になって突然、愛理が困った顔をし始めたのである。
「……うーん」
「どうした日野」
「ちょっとね……アタシ昨日、ここにあるCD全部持って帰ったでしょ?」
「ああ、やたらと大荷物だったな」
演劇部の部室には、情也たちより前の代の部員たちが収集したと思われる音楽CDが大量に保管されていた。それも最近のポップスなどではなく、主に昔の映画のサウンドトラックなどが中心である。
学生演劇にて劇伴、すなわちBGMを使用する場合、作曲などを出来る者が滅多にいない関係上、基本的には市販のサウンドトラックなどに収録されている楽曲を使うことが多い。非営利目的の上演であれば著作権法上も問題はないため、ある程度まで代が続いた演劇部であれば、その部室には収集されたCDが数多く堆積するものなのである。
「一度全部、自分で聴いてみようと思ったのよ。ほら、作品全体のイメージをまとめるのは私の役目な訳でしょ。雰囲気に合いそうなの見つけたら、あらかじめピックアップしといた方が、みんなにも意見が聞きやすいと思って」
「まあな」
脚本の件では勝手に事を進められたりして憤慨もしたが、なるほど今回は愛理も全員から意見を聞くことに決めたらしい。そういう方針転換は大歓迎であった。少なくとも反発心は格段に湧きにくくなっただろう。
「それで、ある程度までなら良いのが見つかったんだけど……何ヶ所か、大事な場面なのにどうしても合う音楽の見つからない場所があるのよ」
「ふぅん……どの辺だ?」
「例えばここ。サイバーと魔王の決戦シーンとか」
言われて情也も自分の台本を見てみる。この場面は、主人公と魔王が剣と魔法の大乱戦を繰り広げる、いわばクライマックスのシーンでもあった。一番盛り上がる場面にすることを考えると、選曲に慎重なのも分かる気がする。
試しに情也たちは、愛理が一応選んでみたという曲を片っ端から聞かせて貰うことにした。すると確かにどの曲も、あまり合っているとは言い難いもので、ほかにもそういった場面を挙げていってもらうと、全部で五~六箇所にもなることが分かった。
「どうしよう、今度図書館でも行ってCD探してこようかな……。でもアタシ、ダビングの方法知らないからMDに焼けないのよね」
「そんな面倒なことしなくていいよ。俺もサントラ系なら沢山持ってるから、良さそうなの見つけてCDにまとめて焼いて持ってくるよ。設定いじれば、市販のCDーROMでも再生専用のディスクに変換出来るし」
「へぇ、そんなこと出来るんだ。でも大丈夫? 霧島ってそういうのセンスなさそうだし」
「お前にだけはセンスをとやかく言われたくねえよ。まあ、見とけ。バリエーションだけは豊富だから、何かしら気に入るモンを持ってこられるよ」
情也としては例外的ながら、自信をもってそう宣言したのである。
そしてすぐ次の日。情也は早速、二十前後の楽曲を保存したCDを一枚、部室に持参した。集まった一同の前でプレイヤーのふたを開け、ディスクをセットする。ちなみに部室に存在したプレイヤーはかなり古めかしい仕様のもので、なんと今どきカセットテープの再生機能が付いていた。一体何十年前の備品かとツッコみたい。
それはさておき、トラック一から順繰りと楽曲の再生を始めたのであるが、
「……おー」
「…………む」
「おお~でござ、あの、はい」
思い思いの反応を示す各人。それと倫は、もう遠慮する必要ないんじゃないのかな。
「すっごい、メチャクチャ雰囲気合ってるじゃない!」
最後のトラックまで再生し終えたところで、それまで目を閉じ曲に聴き入っていた愛理が、一同の気持ちを代弁するかのように目を輝かせて言った。他のみんなも概ね同じ意見だったようで、殆どの者が感動したようにうんうんと頷いていた。
「そ、そうか? 気に入ってもらえたならいいんだけど」
流石に情也もここまで反応が良いとは思っていなかった。
「この前の台詞は撤回するわ。霧島、すごくセンスあるじゃない。見直したわ」
「そりゃどうも」
「特にこの、一番最後に入ってた曲が最高だわ。これって多分だけど、例のクライマックスのシーンで流すつもりの曲でしょ。元はファンタジー映画のサントラか何か?」
「まあ、大体そんなところかな」
情也は曖昧な返答に留めておいた。愛理が気に入った楽曲というのは、本当は日本の特撮作品『銀河検事シリーズ』で使われた通称『ビームソードのテーマ』という曲で、いわゆる処刑用BGMというやつだった。元々は敵が襲撃してくる際のテーマ曲だったが、その独特の高揚感ゆえ番組後半からは主人公が必殺技を放つシーンに多用されるようになったという名曲で、今回のクライマックスにはピッタリであった。
もっとも、特撮の楽曲だということを明かすと色々と面倒なことになる予感がしたので、そこら辺は黙っておくことにしていた。まあ曲自体は気に入ってもらえたのだし、左程問題はあるまい。人を満足させるのが真実ばかりとは限らないものなのだ。
「うん、決めた」
「あ?」
「霧島、今回からウチの音響担当に抜擢するわ。芽衣の負担を減らすにもソレが一番よ!」
この展開だけは完璧に予想GUYだった。
こうしてあれやこれやとやっているうちに、中篇劇『戦士サイバーと魔王の首』は着々とその輪郭を浮かび上がらせていった。途中多少の問題はありつつも、比較的良好に事は進んでいると、当時はそう思ってさえいた。今にして思い返せば、新しい環境にあって少々浮かれ気味であったのかもしれない。
しかしこの世の中、そんなスムーズにいく訳がないのだということを、情也たちはその後嫌というほど思い知る羽目になったのである。
* * *
その日は、何日ぶりかの曇り空であった。暗く、重く、冷え冷えとした空気は人間の心にも少なからず影響を与え、自然とそのメンタルを陰鬱とさせる効果をもたらしていた。部室へと向かう途中の情也も、言葉にはしづらいが心にズシリと重しを乗せられたような感覚を味わいつつ、鉛のような足を一歩ずつ一歩ずつ前に押し出していた。
もっとも――それは必ずしも天候の所為だけとは言い切れなかったのであるが。
そして、ただでさえそんな状態であるにもかかわらず、また一段と不快指数を増加させる出来事が、情也のすぐ目の前で展開されていたのであった。
一体どこの、誰の物かは知らない。だがしかし、確実にどこかの誰かの物である教科書やノートを、数名の二年生が廊下の窓からまとめて投げ捨てている現場に遭遇したのである。それはどこからどう見ても『いじめ』の決定的瞬間に相違なかった。まさか自分の所有物を三階の窓から放り投げるバカはおるまいし、第一その連中は、ゲラゲラと下品に笑い転げていた。どうして悪党というのは、皆似たような笑い方しかしないのだろうか。
「ハァ……」
「あ、なんだオメー。なんか文句あんのかよ」
「こいつ、いつも中庭でデカい声出してる連中の仲間じゃね?」
「あぁ、あの騒音部か。なんだよ、見てんじゃねえよ」
しかも、ご丁寧にカラんできてくれていた。すぐ傍でため息をついたのが悪かったのだろうか。また無駄に時間をとられそうなハプニングの襲来に、情也は気だるさを隠しきれずに再びため息をついた。
「ンだよ、言いたいことあんならハッキリ言えよ」
「いや、別に俺は……」
「テメーら、演劇部なんだろ。だったら廊下の隅でコソコソ演技でもしてぐへぇーっ⁉」
突然、ボクサーがサンドバッグを叩くような小気味よい音がして、目の前の二年生が勢いよく廊下の向こう側にぶっ飛んでいった。一瞬何が起きたか分からなかった。
気がつけば、情也のすぐ近くに愛理が片足を高く上げた姿勢のまま立っていた。どうやらさっきの二年生にハイキックを見舞ったらしい。膝丈よりもちょっと短いスカートの裾が、中身が見えるかどうかというぐらいの絶妙な位置に揺れていた。息を呑む情也の目の前で、愛理は二年生たちに向かって凛とした声で言い放った。
「胸クソ悪いことやってんじゃないわよ! 怪傑アタックで廊下のチリにするわよ⁉」
なんだその意味不明な必殺技。あと、チリにしちゃってから言うのもどうかと思う。
とはいえ、助けてもらったこともまた事実である。お礼を言おうと――、
「霧島も霧島よ! こんな奴らにビクビクしてんじゃないわよ!」
――思ったけど、やめた。
憮然とする情也の視界の片隅では、蹴り飛ばされた二年生が再び立ち上がりかけていた。
「テ、テメェこの……」
するとそれを目にした愛理の表情が、何故だか一瞬歪んだように見えた。それを確かめる間もなく、愛理は手の平を口に押し当てると、何か小さなものを飲み込むような動作をした後、たちまち元の顔に戻ってみせた。二年生たちをキッと睨み付け、彼らの元にズンズンと迫っていく愛理の手にはいつの間にか、いつぞやの赤マジックが握られていた。
「まだ反省が足りないようね……ハゲ丸!」
「ヒィィッ⁉」
そこで情也ははじめて気が付いた。愛理がたった今蹴り飛ばしたその二年生は、登校初日に倫を転ばせた挙句愛理に制裁を喰らった、あの坊主頭だったのである。あの時点で充分にロクでもない奴だと思っていたが、どうやら本当にクズ野郎だったらしい。ぶちのめされていい気味だと思った。
愛理に威圧された二年生たちが慌てて逃げていってしまうと、その場に残されたのは情也と愛理だけとなった。不機嫌そうな表情の愛理は踵を返すと、置いてあった鞄を取って再び廊下を歩き出した。今までポカンとしていた情也も、急いで後を追った。
「まったく……今日は色々と話すことがあるんだからね。あんな連中に関わってる暇なんてないんだから、霧島ひとりでもなんとかしなさいよね」
「それよりお前、さっき一体何を飲み込んだんだ?」
「なんだってイイでしょ。勇気が出る一種のクスリみたいなモンよ」
愛理が何やら不穏当なことを口にしていた。まさかとは思うが、世間的に禁止されている品じゃあるまいな。思ったところで口には出せぬまま、情也は愛理の後をついて行った。
「しかし……毎度思うが、お前って演劇向いてないんじゃないのか?」
「なによ、それ」
「ここまで徹底して自分の感情隠さないの見てると、演技にも支障きたすんじゃないかって気がするんだよな。大丈夫なのか、部長として?」
「言っておくけど、部長の座なら渡す気ないわよ」
「そもそも狙ってねえよ」
一千万円積まれたとしても御免こうむりたい。倫と男女交際する権利が付いてくる、とかならば考えてもいいのだが。そんな風に考えていると、ふと愛理が遠い目になって言った。
「たぶんアタシは……霧島が考えてるよりも、ずっと演技派だと思うよ」
「そりゃそうかもな。あんな大勢の前で、怪傑ラブとか名乗れるぐらいだし」
「そういう意味じゃないけど……まあ、いいわよ。気付かれないのが一番なんだし」
そう口にする愛理の目は、どことなく愁いを帯びているように感じられた。普段はただの熱血あるいはバカにしか見えないのに、どうして時たまこういった複雑な表情を浮かべたりするのだろうか。お陰で、愛理という人間にどういった評価を下したらよいものか、毎度の如く分からなくなるのである。情也は、さっきとは違う意味でため息をついた。
「それよりも、今日は決めること多いんだから。モード切り替えてよね」
愛理に言われて気が付いた。二人が立っていたのは、既に部室の目の前であった。
荷物を置いて待機していると倫や優子や芽衣も次々にやってきて、すぐにその日の部活動はスタートした。それと同時に告げられたのは、ひどく急な決定でもあった。
「この前選んだBGM、あれ一回全部ナシにするわ。最初から全部決めなおしね」
「は⁉」
驚いたのは情也だ。劇伴をどうするかについては先日のうちに満場一致で可決した上に、そのほかの音響についても情也に一任すると愛理自身で宣言していたハズである。それが急に全部リセットとは、一体どういう訳なのだろうか。
「急にどうしたの、愛理?」
「た、たしか全部、情也さんに任せる、って、」
「…………」
他の三人も同じ意見だったようで、それぞれが疑問を口にしていた。それに対して愛理は腕を組むと、何故だか情也を軽く睨むようにして言ってきた。
「霧島、アレって全部、特撮か何かの音楽でしょ」
うげ、となった情也に一同の視線が集まる。何故バレたのか。
「ど、どういう、こと、ですか」
「アレ本当は、銀河ナントカっていう特撮ヒーロー番組の曲らしいのよ。昨日パパが観てたテレビの特番で流れて、初めて知ったんだけどね」
「そ、そう、なんですか」
その番組ならば多分情也も、同時刻に視聴していた。今年の始めごろに公開したマスクドケーリンの劇場版に昔の銀河検事が客演したので、その影響で特集が組まれていたのである。しかしまさか、愛理の父親が見ているとは計算外だった、
「……考えてみたら、霧島のセンスを信じたアタシがバカだったのかもね。昨日もなんか、劇の演出の件で妙なこと言ってたし」
「ケンカ売ってんのかお前は……俺だって真面目に考えてきたんだぞ」
愛理の言い方に思わずイラッと来て、情也は不本意ながら少し低い声を出してしまった。
実は先日も、次のような出来事があったばかりなのである。
* * *
「日野、この前お前が悩んでた“主人公と姫が初めて出会うシーン”についてなんだがな」
「霧島が自分から言いに来るなんて珍しいね。何か思いついたの?」
愛理が妙に驚いたような表情をしたのが印象に残っている。その日の情也は珍しく、自ら愛理に対し意見具申を試みていたのだ。元々あまり積極的に参加する気はなかったのだが、どのみち自分が演じるキャラクターである。この際、思ったことは全部提案しておくべきと判断したのだ。
「お前、確か物語の前半あたりで一度主人公と姫を同じ場面に登場させたい、って言ってたよな。思ったんだが、それをいっそ回想シーンにして、主人公のサイバーとお姫様が過去に一度出会ってるってことに出来ないかな」
「……過去の因縁作っちゃうの?」
「うーん、昔サイバーの村を訪れた姫の落し物を、拾ったサイバーが後生大事に持ってた、とかでもいいんだけどさ。『姫と私が出会ったのは運命に相違ありません』なんて言わせたら面白いんじゃないか?」
「……そんなの必要?」
「なんつーか、サイバーの行動がイマイチ理解出来なくてさ。だって考えてもみろよ、つい最近知り合ったばっかりの奴のために、そんなホイホイ自分の命を懸けられるもんなのか、人間って? 正直、このままだと主人公が胡散臭いんだよな」
「胡散臭い⁉」
愛理が愕然とした表情をしていたので、ますます印象に残る羽目になった。言われている意味が全く理解できない、といった趣の顔だった。
「人間が行動するのにはさ、何かそうなっただけの過去とか、理由が必要だと思うんだよ」
「だったらもうあるじゃない。妖精王に導かれて――」
「そういうんじゃなくってさ、もっと個人的な理由だよ。怪物と戦うのは実の親を殺されたからとか。単に『その行動が正しいから』ってだけじゃ、人間って動けないと思うんだよ」
「霧島君、詳しいね」
「……自分でも小説とか書くから、意識するってだけの話だよ」
優子にそう答えると、情也は愛理の反応を待った。これだけ理路整然と説明したのだし、何かしらのアクションはあるだろうと思っていたのだ。
「……で、言いたいことはそれだけなの?」
「……は?」
思いつく限り最悪の応答だった。いやに突き放したような言い方が癪に障ったので、情也も思わずケンカ腰で返してしまっていた。
「つまんないこと気にするぐらいだったら、自分の演技に集中しなさいよね」
「イヤ、演技について考えた結果、こういう疑問が浮かんだってことなんだが……。お前もストーリーに意見が欲しいみたいだったし、コレなら解決策になると思ったんだが」
「少し理屈っぽすぎるのよ。霧島ってホントに男?」
「男も女も関係あるか。不採用なら不採用でいいから、ちゃんと理由言えよ」
真剣に考えてきたことの反動もあってか、情也は若干苛立ちを募らせながらそう訊ねた。それに対する、愛理の返事はこうだった。
「正義のヒーローは、そんな個人的な事情で動いたりはしないのよ。だから却下」
「そうかい」
「考えてみたら、発表まで時間もないんだし……脚本はもう変更ナシでいくわ。OK?」
「はいよ」
情也は諦めたように言って、それっきり全ての議論は打ち切りとなった。情也もその日は大人しく引き下がり、ひたすら劇の練習に没頭した。
だがしかし、その後どことなく部室内の空気が澱んだことを、その日その場にいた誰もが密かに感じ取っていた。というよりは、情也と愛理の間限定で、といったほうが正しいかもしれない。両者間で久々に漂う、名状しがたいギスギスとした空気を倫や優子が察知して、さりげなく言動が抑え気味になっていったのを覚えている。
本日、部室に向かっていた情也が重苦しい空気を感じていたのも、思えばこの時のことが心の内側に引っ掛かっていたのかもしれなかった。
* * *
話は現在へと戻る。愛理は情也の反論に、終始しかめっ面で対応していた。
「だって普通に考えてみてよ。特撮の曲使ってるなんて知られたら、観てる人たちになんて言われるかぐらい、想像つくでしょ?」
「お前の言う“普通”ってのがどのぐらいの範囲を指すのか知らんけどな、一度決めたことを後からアレが駄目、コレが駄目って言い出すのやめろよ。正直やる気が失せるんだよ」
「何言ってんの? 劇の演出担ってるのはアタシなんだから、雰囲気に合わないと思ったらその部分を切るのは当然でしょ」
「昨日みたく、演技やストーリーに関することだったら、別にそれでも仕方ないよ。だけど今回の曲に関することでいえば、明らかにお前も含めた全員が納得して決まったことだろ。それがどうして特撮の曲だったからって、急にNGになるんだよ。真面目に選んできたのがバカみたいだろ」
「だから、真面目に選んできたなら、どうして特撮の曲なんか持ってくるのよ。劇は個人の趣味の場じゃないんだからね」
「脚本の段階で趣味全開のお前が言うんじゃねえよ」
「なによ、いつもいつも理屈っぽいことばっかり言って!」
「お前に理屈がなさすぎるんだよ!」
情也も愛理も、互いにかなり頭に来てしまっていた。両者ともに一歩も譲る気配はなく、さながらスタンガンから突き出た二本の電極の如く、二人の視線と視線の間には激しい音を立てて火花が飛び散っていた。触れたら感電死しそうな勢いだった。
ふと情也は、愛理の後ろの方で倫が芽衣に何やら頼み事のようなことをしている様を目撃した。芽衣は無表情のまま耳打ちされる台詞に聞き入っていたが、やがて無言で頷くと一人で棚の方に向かって歩いていった。何をする気だ、あの二人。
いやそれよりも、情也はまず目の前の分からず屋を説得せねばならなかった。
「大体お前、普段から正義のヒーローがどうとか言ってるくせに、どうして日本の特撮にはそんな拒否反応示すんだよ。怪傑ゾロの仲間みたいなもんじゃねーか」
すると愛理はどういった心境なのか、ひどくブスッとした表情になって言った。
「全然違うわよ。日本のヒーローはみんな、フルフェイスの仮面着けてるでしょ。アタシ、ああいうの嫌いなの。正義のヒーローを名乗るんだったら、もっと堂々としなさいよね」
「……怪傑ゾロも思いっきり仮面着けてた気がするんだがな。俺の目が節穴ってことか?」
「アレぐらいなら別にいいのよ。だって、すぐに正体バレそうでしょ」
「お前ってホントに身も蓋もないな⁉」
「ああもう、うるさいわね!」
愛理がヒステリーを起こしかけたその時、彼女の後ろからハリのある声が聞こえてきた。
「――お言葉ですが愛理どの、先程からの言い分はあまりにも理不尽でござるよ」
「……えっ、倫?」
愛理の声が珍しく裏返った。いつの間にか倫が例の鎧を身に着けて、久方ぶりの侍モードへとチェンジしていた。身に着けるといっても、上半身を覆う鎧のたった一枚だけである。しかも、さっき倫を見た時から十秒ちょっとしか経過していない。その僅かの間に倫の声は凛々しくなり、また目つきは非常に自信に満ち溢れたものへと変わっていた。これには情也も驚きを隠せなかった。
「その鎧、手の届かない位置に置いといたハズなのに……なんで?」
「芽衣どのに手伝ってもらったでござる」
その隣で芽衣が、コクリと小さく頷いていた。なるほど、そういうことだったか。
「それより、さっきの話の続きでござる。確かに、嘘をついたことは良くないでござるよ。ただしそれは、このような先入観を排して曲を選んでほしかったという、情也どのの配慮にほかならぬハズ。実際、曲そのものに関して言えば愛理どのも賛成し、他の誰からも不満は出なかったではござらぬか。特撮であれ何であれ、ジャンルが判明したからといってそれを理由にボツにするのは、あまり公平とは言えないでござるよ」
情也の思っていたことを、倫が代わりに全部言ってくれていた。そもそもこういう場合、マニアックな曲が敬遠されるのは大抵、趣味に走り過ぎて雰囲気に合致しないケースが多々あるからである。今回は曲自体がイメージに合っている上に、特番が放送でもされなければ誰も気付かないようないい意味でマニアックな作品の曲である。使ったところで精々、教師の一部が懐かしさを感じるぐらいのものだろう。
しかし愛理は、それでも納得がいかないようだった。
「な、なんなのよ、倫までそんなこと言って。アタシが決めちゃダメだっていうの……?」
「何を言ってるでござるか、愛理どの。少しらしくないでござるよ」
「ほっといてよ!」
珍しく、愛理が倫相手に声を荒げてみせた。倫は微妙な表情をしたが、すぐに押し黙ってしまった。それからしばらく、嫌な沈黙が流れた。ここまでくると、もはや情也が妥協するほかはなかった。
「……わかったよ。お前が嫌だっていうなら、別に無理して使わなくてもいいよ」
「情也どの、しかし」
「いいんだよ、亜麻乃……。でもな日野、そこまで言うんだったら、今後は曲も演出も全部自分ひとりで決めろよ。せっかく何か提案しても、ちゃんとした理由もなしに否定ばっかりされるんなら、真面目に考える意味ないからな」
「なによ、それ……」
そう言って俯く愛理の肩は、何故か小刻みに震えているようにも見えた。何故この状況下で、彼女のほうが怒りを抑え込むようになっているのだろうか。明らかに、怒っていいのは情也の側のハズである。
ところが愛理は顔を上げると、理屈などお構いなしに情也のことを先程よりもハッキリと睨み付けてきて、言った。少し悔しげな表情をしているようにも見えた。
「部長はアタシなの! アタシの決定が不満なら、もういいから出ていってよ!」
「おま……」
「なによ、文句があるなら言いなさいよ。自分よりも弱い女の子相手にしか強気に出れないクセして。アンタなんか最低よ!」
その一言が決定打だった。
情也の中で今まで感情を抑え込んでいた何かが音を立てて切れ、一気に溢れ出してきた。我慢しきれず、情也は持っていた台本を激しく部室の床に叩きつけた。
「上等だこの野郎!」
情也はソレだけ言うと置いてあった鞄を持って立ち上がり、部室のドアを足で乱暴に蹴り開けて部屋の外に出た。背後から倫や優子が呼び止めるのが聞こえたが、今は何を言われても聞く気にはなれなかった。
「人間なんて、結局この程度なんだな。一瞬でもお前をカッコいいだなんて思った俺がバカだったよ」
「き――」
「人の気も知らないで勝手言いやがって。だから演劇部なんて入りたくなかったんだよ!」
それだけ言い残すと、情也は足早にその場を去っていった。
* * *
――チクショウ。どうしてこんなことになるんだ。
今度こそ上手く行くかもしれないって思えたのに。なんで俺はいつもこうなるんだ。
俺は他人と仲良くなったらいけないのか?
誰かと一緒にいちゃいけないのか?
分かりあったらいけないのか?
一体何なんだ。
俺は――俺は――。
「き、霧島くん、どうしたの⁉」
後ろから不意に声がして、振り返ってみれば何故かそこに優子が立っていた。愛理の尻拭いにでも来たのか? 彼女は情也のことを見つめながら、驚愕に目を見開いていた。
無理もなかった。
自分の親友と怒鳴り合いを繰り広げていた同級生、それもれっきとした男子高校生が。
その直後に階段の隅にうずくまって、声を殺してすすり泣いていたら驚かない方が不自然というものだろう。
情也は泣き顔を見られるのが嫌で顔を背けたりしたが、すぐに優子に傍に駆け寄ってこられてしまった。震える情也の背中にそっと手が添えられ、優しく慰めるようにさすられた。自分は一体何をしているのだろうか。信じて、裏切られての繰り返しだ。情也は、悔しさと気恥ずかしさでその場を今すぐにでも逃げ出したい気分だった。
「大丈夫、大丈夫だよ……ごめんね、愛理が酷いこと言っちゃって」
「……別に。大したことじゃないから」
「うん、分かった」
そんな会話をする間も、優子はずっとやさしく情也を慰め続けてくれていた。それはまるで母親か姉のような包容力を伴っていて、こんな男として情けない姿を見せていることを、一言も非難しないその心遣いが一番ありがたかった。
やがて、溜め込んでいた息を大きく吐き出すと、ようやく情也はこぼれる涙を抑え、立ち上がることが出来た。優子はその名の通り、優しく微笑んでくれていた。そばかすだらけの少女の顔が、不思議と天使の表情のように思えた。
「ありがとう……もう大丈夫だから」
「うん、よかった。今日はもう帰っちゃうの?」
「まあね。こんな顔で部室に戻れないし」
「わかった。皆には私から伝えておくね」
それだけ話すと情也は小さくうなずき、その場を後にした。決して呼び止めようとしない優しさも、また嬉しかった。今度改めてお礼を言おう。
昇降口に辿り着き靴を履き替えていると、そこへ何の偶然か、須田教諭が通りかかった。相も変らず爽やかな笑顔だった。
「おや、霧島くん。もう帰ってしまうんですか?」
「ああ、はい」
「丁度良かった霧島くん、君の入部届のことなんですがもう一度――、」
「――すみません先生。また今度でお願いします」
それだけ言うと情也は、極力須田に顔を見られないようにして足早に昇降口を後にした。
いま演劇部のことを考える気には、死んでもなれそうになかった。
* * *
と、思っていたのだが。
状況が動いたのは、同じ日の夜のことだった。突然、優子から情也の家に電話がかかってきたのである。連絡先教えたっけな、と一瞬訝しんでから、情也はすぐに演劇部の連絡網に家の電話番号を載せていたことを思い出した。若干後悔を覚えつつも、情也は渋々と電話に出たのであった。
「……もしもし」
「あ、霧島くん? 今日大丈夫だった……?」
「大丈夫じゃなかった」
「そう……少しいいかな、愛理のことなんだけど」
「勘弁してくれ。今はアイツのことなんて考えたくもない」
「分かってる。酷いこと言っちゃったもんね。私が代わりに謝ります。だけど、ひとつだけ知っておいてほしいの。愛理がムキになっちゃったのには、訳があるのよ」
「……ま、いいよ。瀬野宮に免じて話だけは聞く」
「ありがとう。あのね……私と愛理は中学で同じ演劇部に入ってたんだけど、そこでも愛理は二年生の終わりから部長やってたのよ」
それは初耳だった。あんな態度で普段から過ごしていたのであれば、さぞかし部員たちには反発されたに違いあるまい。
「愛理はすごく喜んでたわ。『これでやっと、自分が大好きな正義のヒーローが描ける』って。だけど……」
「さしずめ、他の連中から反対されたってところか?」
「ううん、皆はむしろ楽しんでた。愛理自身も、ああ見えて結構信頼されてたしね。だけど酷かったのは……引退した先輩たちだったの」
優子の声が、一段とトーンダウンした。何か、あまり思い出したくないことを思い出しているといった雰囲気だ。情也は、その空気の変化を敏感に察知した。
「……なんかあったってことか」
「うん。部活動ってさ、毎年必ず代替わりするでしょ。三年生が引退したら二年生にバトンタッチして、その人たちが三年生で引退したら、また次の二年生に……っていう」
「まあな。普通はそうだ」
「でもね、私たちの時は違ったの。私たちのひとつ上の先輩たちは……。中学にいる間は、まだ分かるの。でもあの人たちは、卒業して高校生になってからもずっと、私たちの活動に口を挟み続けてきたわ。新入生の歓迎劇はもちろん、三年生が最後に挑む夏の大会の内容に至るまで何もかも……。アドバイスなんていうレベルじゃなかったわ。もう、何もかも全部自分たちで決定しようとするの。最後は打ち上げまで仕切ってたぐらいだから。愛理は部長なのに何も出来なかったわ……あの人たちに決定権を奪われて」
そこまで聞いて、情也は初めて愛理の中学時代を想像することができた。
「まるで日本史に出てくる摂関政治みたいだな」
「院政っていった方が正しいかもね……もちろん愛理だって、何度も自分の意見を出したりしてたわ。だけどそういうのは全部、元部長だった先輩に撥ね退けられてたの。結局、卒業するときまで愛理のやりたい劇はひとつも出来なかったわ。満足してたのは先輩たちだけ。だから、あの子がムキになっちゃうのは、そういう事情があるの」
「ふぅん……そうなのか」
だとすればマニアックな選曲に反発したのも、さしずめその先輩たちが個人の趣味だけで雰囲気の合わない曲ばかりを押し付けたとか、そういうことがあったからだろうか。横暴な卒業生というのは、本当に何処にでもいるようだった。
弱ったな、と情也は思った。以前、サイバーと姫の関係性について上申した際の情也自身の言葉がよみがえった。――人間が行動するのには、そうなっただけの過去とか理由が必要だと思うんだよ――まさかこのタイミングで、言った本人に返ってくるとは思いもしなかった。結局は愛理自身が、そういう人間の典型的な例だったという訳だ。
情也は何度目になるかも分からないため息をひとつ吐くと、仕方なしにこう告げた。
「分かったよ。俺もちょっとイライラしすぎた。日野には明日、俺から謝って仲直りするよ。ソレでいいだろ?」
「うん……ありがと。そのときは私も一緒に行くからね」
「こっちこそ、色々ありがとうよ。じゃあな」
「じゃあね。あ、霧島くん」
電話を切ろうとした瞬間、優子が思い出したように言った。
「今日の泣いてる時の顔、結構可愛かったよ」
「忘れてくださいお願いだから」
そのためなら土下座でも何でもしようと思う情也だった。
* * *
「オマエそれ、絶対後で泣いたりしただろ?」
「ゲッ、なんで分かる」
「ジョーヤは豆腐メンタルすぎるからなぁ。ちょっとは男らしくならないと、この先一人でやってけねーぞ?」
「日野みたいなこと言わないでくれよ頼むから」
翌朝、仁と合流した情也は、面白がってからかう仁の言葉に辟易しつつも、いつも通りに学校への道のりを歩いていた。これから愛理に謝罪することを思うと、若干足が重い。空は未だに曇りのままだった。
「ま、そーいうの聞くとホント、オレは部活入らないで正解だったって思うワ。面倒事はこりごりだからナ」
「まあ、お前は特になぁ……ん?」
情也は彩ヶ森の校門に差し掛かったところで、なにか強烈な違和感のようなものを覚えて立ち止まった。その正体を確かめるべく、一度目を凝らしてあたりの様子を観察する。
やはり間違いない。校門の周囲に警官が何人も立っていた。彼らは常に無線でナニゴトかをやり取りしている。パトカーも大量に停まっていた。もしかして学校で何かあったのだろうか? 妙な胸騒ぎを感じた情也は仁を伴って、急いで校門の中へと入っていった。
教員用玄関の近くまでいくと、そこで生徒たちが大きな人だかりを作っていた。その中に見覚えのある後姿を見つけたので、情也は慌てて駆け寄っていった。
「亜麻乃! 瀬野宮!」
「じょ、情也さん!」
「霧島くん、今来たところ?」
「あぁ……コレ、一体何があったんだ?」
「よく分かんない。聞こえてきた感じだと、例の盗撮犯が捕まったらしいんだけど……」
「マジで⁉」
その時だった。教員用玄関を封鎖していた警官たちが突然動き始め、野次馬化していた生徒たちを下がらせ、前に通り道を作り出した。おそらくこれから、犯人をパトカーまで連行するのであろう。クソ野郎の面を一目拝んでおくべく、情也は人ごみに押し返されつつも、なんとか彼らの頭越しに玄関のところに着目することに成功した。
玄関が解放され、その奥から手錠をかけられた人物が警官に連れ出されてくるのが見えた。
その瞬間、情也の表情が凍り付いた。
「………………えっ?」
そんな馬鹿な。信じられない。
まさかあの人が?
「………………嘘」
優子がボソリと呟くが、情也も全く同じ心境だった。
悪い冗談だと言ってほしかった。
情也たちの担任であり、顧問でもある須田純一が、警察官に手錠をかけられたまま仏頂面でパトカーまで連れていかれていた。そこにもう、あの爽やかな笑顔を見せる、感じのいい先生の面影は微塵も見られなかった。
彼が、盗撮犯? こんなことってあるか。
「……なによ、コレ」
背後からの声に情也らが振り返ると、そこに愕然とした表情で愛理が立ち尽くしていた。昨日とは違う意味で、ワナワナと肩が震えている。
情也や優子が何かを言う前に、愛理は走って須田の元へと近づいていった。途中、警官らによって制止させられるが、それでも近づこうとするのはやめなかった。
「嘘ですよね……ねぇ、先生! 先生ってば!」
愛理が必死にそう叫ぶが、須田は何も答えず若干愛理の方に首を傾けるだけだった。そのまま彼女の目の前を通り過ぎ、やがてパトカーに押し込められそうになった。
「信じてたのに……先生を信じてたのに!」
愛理がやっとの思いでその言葉を絞り出した時、その日初めて須田は立ち止まり、彼女の方を振り返った。キョトンとしている、と言った方が正しいかもしれなかった。
「……そんな、勝手に信頼されてもねぇ」
須田が小馬鹿にしたような口調で、その台詞を発する。愛理の全身から、見る見るうちに力が抜けていくのが分かった。ペタリとその場に座り込んだ愛理の前で、須田を閉じ込めたパトカーが緩やかに発進する。彼女は身動き一つしなかった。
パトカーの後を追おうとする生徒たちを、警官や教師たちが押しとどめる。そこに残されたのはわずかな排気ガスと、茫然とした表情のままの愛理だけだった。その光景はあまりにも救いがたく、居たたまれなかった。
その日、演劇部から顧問がいなくなった。部活コンペ開催まで、あと二週間と少しというそんなタイミングでの出来事であった。




