第03話 彩ヶ森の怪人・前編
《開幕》
そこはすべてが反転した世界であった。
有が無に。無が有に。実が虚に。虚が実に。
ありとあらゆるものがひっくり返ったその閉鎖的空間の中で、鎧を身にまとったジョウヤとリンはお互いの主張をかけて一世一代の大立ち回りを繰り広げていた。
『とぅあ!』
『ぬぅっ!』
ジョウヤが巨大な手甲型の武器で殴り掛かれば、リンは大太刀ではっしとソレを受け止め、跳ね返すように振り上げた刀でざっくりとジョウヤの胴を一閃する。ジョウヤの装着した鎧の表面からまるで火薬を炸裂させたような火花が飛び散り、その衝撃でジョウヤは勢いよく後ろ向きに吹っ飛ばされた。
『ぐわ!』
反転世界の地面の上に、ジョウヤは音を立てて尻餅をついた。立ち上がろうとしたその瞬間、ジョウヤの眼前にガチャリという音と共にリンの大太刀が突きつけられた。
『勝負あり、でござるな』
『ぐぬ……分かった、もうやめろ。俺の負けだ……』
『ふむ……』
そう言ってリンが大太刀を脇に下した一瞬を、ジョウヤは見逃さなかった。愚かな。一瞬の油断が命とりなのだ。
『今だ!』
『何っ⁉』
『…………がおー』
ジョウヤが召喚のカードを引き出し、掲げたのが合図だった。それに合わせて何処からともなく怪人メイがフィールドに飛び込んできたかと思うと、油断していたリンの背後に襲い掛かり、その動きを封じてしまった。
必死に抵抗するリンであったが、奮闘もむなしくあっという間にその体はゴロリと地面に転がされてしまっていた。その衝撃で変身が部分的に解除され、悔しそうな表情をしたリンは大太刀で体を支えながら膝立ちになって言った。
『お、おのれ、卑劣なっ……』
『卑劣もオムレツも大好物だぜ、ヒャーハハハハハハ!』
ジョウヤの甲高い、悪役じみた笑い声が閉鎖空間いっぱいに響き渡った。
《閉幕》
* * *
「ちょ、ちょっと真に迫り過ぎじゃない……?」
「いやー、悪役って楽しくてね」
半分冷や汗をかいたような表情になっている愛理に向かって、情也は飛びっきりの笑顔でそう言ってやった。いや、実際やってみるとコレが面白いのだ。溜め込んでいた色々なものから一気に解放されたような気分になることが出来る。
脳内ARを解除したことによってソレまでの反転世界は消失し、代わりに現れたのは床板と小道具の数々に囲まれた演劇部の部室であった。
情也の入部からはや一週間。情也の再三の要求を受けての大掃除が敢行され、部室はどうにかこうにか床で寝転がれるぐらいまでには綺麗になっていた。諸々の大道具小道具はその用途や形状に従って分別・整頓がなされ、その収納場所が容易に把握できるよう配慮がされていた。指導したのは情也である。男のクセに几帳面すぎやしないかと愛理からは言われたのであるが、貴重な先人の遺産を無駄なく活用すべきであるという情也の主張に、他のメンバー全員が賛同してくれたことで実現に至っていた。
「っていうか、どうして芽衣が乱入してくるのよ」
「いや、すまん。俺が合図したら背後から襲い掛かるように、事前に頼んどいたんだ」
「最初に言ったと思うけど、即興劇は一対一が原則なんだからね」
「分かってる、分かってる」
情也たちがやっていたソレは、学生演劇の練習メニューとしては比較的オーソドックスな部類に入る三分間の即興劇であった。最初に簡単な条件のみ指定してあとはアドリブだけで話を広げていくという、演技力と即決力とを養うゲームである。
毎回部員同士の組み合わせを変えてやるため、場合によってはかなりカオスで収拾のつかない事態になるのだが、それもまたひとつの醍醐味である。今回は情也と倫が選ばれていた。
「芽衣もだからね。あんまり悪ふざけしないでよ」
「…………きしゃー」
中腰で怪獣みたいなポーズをとっていた芽衣が、相も変わらず無表情のままに愛理を見て呟いた。いかん、ちょっと可愛いと思ってしまった。自分で頼んでおいてなんだが、まさか彼女もこれほどノリがいいとは思っていなかった。意外と気さくなのか?
一方、不意打ちで敗北した倫は外れてしまった部分の鎧をつけ直しながら、ぷうと不満げに口を尖らせて情也たちのことを見上げていた。
「むぅ~。ズルいでござるよ、情也どの~」
「ごめん、ごめん、驚いた?」
「当たり前でござる。今度からは一対一を所望するでござるよ」
倫がそう言って差し出してきた手をニコニコ笑いながら情也は引っ張り上げ、彼女がその場に立とうとするのを助けた。
この一週間というもの、部室の掃除も含めて何やかんやと行動を共にしたお蔭で、情也は自分でも認めたくはないが演劇部の空気にそれなりに馴染み始めていた。少なくとも、最初に彼女らと出会った時のような壁を現在は感じていない。今思えば、あんな深刻に思い悩む必要さえも最初からなかったのかもしれない。怪傑ラブこと愛理も、情也が入部したことが効いたのか、当初ほどは突っかかって来なくなっていた。
まだ完全に過去を払拭するとまではいかないが、高校に入って環境も変わったことだし、まぁこういう生活もアリかな、程度には確かに思えるようになってきていた。
「そういえば、卑劣って聞いて思い出したんだけどさ、」
愛理が突然そんなことを言った。
「聞いた? 体育館にある女子更衣室で隠しカメラが見つかったんだって」
「うわっ、マジか?」
情也は思わず眉を潜めた。昨今の歪んだ社会情勢を鑑みれば左程特異な出来事ではないのかもしれないが、こうも身近で起こっていたと聞かされると、流石に薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
「私も聞いたよ。先生たちも大騒ぎで、しばらくは更衣室が全部使用禁止なんだって」
「そんなことする奴が、現実にいるんだな……」
「ホント大迷惑よ。大体、どこの誰かも分からないような奴に着替えを見られてたかもしれないだなんて、考えただけでもゾッとしちゃうわ」
「拙者、情也どのになら着替えを見られても構わないでござるよ?」
「待った。お前はサラッと何を言っているんだ」
倫が何かとんでもないことを口走っている横でも、芽衣はやっぱり無言だった。
その時、突然ノックの音がすると同時に、部室のドアがガラリと音を立てて開けられた。一同がそちらに視線を向けると、ドアの向こうから顔を覗かせたのは演劇部顧問の須田教諭であった。彼はやんわりと笑みを湛えた顔で言った。
「もうそろそろ遅いから、皆さんも帰る準備をお願いします」
言われて時計を見てみれば、確かにもう間もなく六時であった。
学生を狙った物騒な事件が多いということもあり、演劇部では当面の完全下校時刻を午後六時と設定していた。高校生ということも考慮すれば少し早すぎる気もしたのだが、そこは女子部員ばかりの演劇部が余り遅くまで活動しているのは部の存続がかかっているにしても安全とはいえない、ということで須田教諭が譲らなかったのである。もうちょっとだけ日が延びてくるまでは待つように、とのお達しであった。
やや過保護な気がしないでもなかったが、生徒の安全面を第一に考えてくれているという事実は部員たちにも素直に尊敬されていた。
一同はその日の練習に区切りをつけると、それぞれ荷物をまとめて帰宅の用意を始めた。
ちなみに倫が鎧を脱ぎ元の制服姿に着替え始める寸前、情也は主に愛理によって問答無用で部室から閉め出される運びとなった。まぁ、これは仕方がない。そんな簡単に生着替えが見られるだなんて、最初から思っていなかったさ。
* * *
「ふーん、それじゃほぼ全員地元民だったんだな」
「そうね、アタシと優子が住んでるのは彩葉一丁目のほうだし……倫も中学は違ったけど、そんなに離れてる訳じゃないのね」
「せ……わたしの、家も、彩葉町の近くで、あの、」
いま拙者って言おうとしたよな絶対。
騎士コスチュームから変身を解いた倫は、いつも通りのオドオドモードであった。本当に、何でここまで人格が変化してしまうのであろうか。もっとも、そういう部分も含めて可愛いのだけれども。
部室を退散した後、情也たち演劇部一同は校舎を出てまっすぐ帰路へと就いていた。今やオレンジ色に染め上げられた背後の校舎の正門前には、二十年前の卒業生たちによって寄贈されたとかいう前衛オブジェのような印象の巨大アーチが鎮座している。ある意味これも、この大して特徴もないような高校の数少ないセールスポイントのひとつだった。
しかし思えば、こんな風にして部員一同で肩を並べて帰宅するのも今日が初めてである。情也が入部してからこっち、毎回誰かに個別の用事があったりして、全員で一斉に帰宅するというのはやっていなかった。久々の感覚だが、まあ悪くはないと思う。
ついでに言っておくとこの一週間、仁には先にお帰り頂いていた。部活終了まで待たせておくのも気が引けたからである。
「しかしまあ、それでいくと大和は羨ましいよな」
「…………何故?」
「だってホラ、お前の住んでる木梢町のほうって、治安も結構いいだろ?」
他の部員たちと違い、芽衣だけは学校の地元から電車で一駅分ほど離れたところにある、木梢町という一種のベッドタウンのような場所に住んでいた。比較的高級な住宅街ということで、当然ながら地域全体の治安も彩葉町などよりは遥かに良好であった。
「…………治安は確かにいい。けれども、それが平穏な生活に繋がっているかどうかという話とは、また別の問題」
「そりゃ、そうかもしれないけどさ。あからさまに物騒な連中ってのは、そういないだろ?」
「…………たとえば?」
「お前らも噂ぐらいは知ってるだろ。最近この辺りに出没する、『殺単』とかっていうヤバい暴走族の話」
殺単。それは近頃、この町の周辺で頻繁に姿を目撃される暴走族の名称だった。
ただし族などといっても集団ではなく、この場合は男の単独犯である。噂によれば蜘蛛と髑髏のマークをシンボルにしているという。
一匹狼の不良、などと聞くと一見カッコイイ印象を抱いてしまいそうになるが、この殺単という男についてはかなり悪質なものであった。なにせ一度標的と定められたならば、何の予告も警告もなしに突然バイクで襲ってきて、金属バットでボコボコにされてしまうというのである。しかも、これが本人の気まぐれでしか行われないならばまだマシな方だったかもしれないが、最近では金を受け取って任意の人物の襲撃さえ請け負っているという。ある種のヤクザの予備軍とさえいえる、ひどく危険で迷惑な存在であった。
「それ、知って、ます。あの、わたしの家の近くにも、出たことが、その、」
「まったく、とんでもない奴ね」
心底憤慨したようにそう言ったのは、ほかでもない愛理であった。
「一体何の権限があって、他人に暴力なんて振るうのかしら」
「……お前がソレを言うか」
「何よ、アタシは関係ないでしょ。アタシは正義を守るために必要不可欠な、最低限の実力を行使してるに過ぎないんだから。それにね、」
「何だよ?」
「アタシは、いまどきサタンとか名乗るほど中二病じゃないわ」
「……怪傑ラブとか名乗ってる女に言われちゃオシマイだな」
「何よ!」
この一連のやり取りを見ていた優子が、また近くでクスクスと笑っていた。恥ずかしいからやめてくれと言うのに。そんなことを繰り返している間にも、情也たち一同は学校を出て最初の交差点へと差し掛かっていた。
「じゃ、俺の家こっちだから」
「え、霧島一人だけそっち?」
「俺向こうの団地に住んでるんだよ」
「つまんないわね、せっかくみんなで一緒に帰れるってなったのに」
現実なんてそんなモンである。
「じゃあ、また明日ね。霧島くん」
「さ、さよう、ならでござ……、あの、情也さん、あの、」
今ござるって言おうとしたよな絶対。
もしかして案外、あの侍口調が気に入っているのだろうか? ……まあいいや。
「そんじゃね、二人とも」
「バイバイ、霧島」
「あばよ」
「…………」
芽衣はやはりこちらを見て黙っているだけだった。でもずっと凝視されたりしていると、思わず何か言いたい事でもあるのかと勘ぐってしまう。
「……えーと、何かな」
「『やーい、ひとりぼっちー』」
「って日野、大和の後ろから声出してんじゃねえよ。大和、違うよな?」
「…………」
「……あのー、大和さん?」
芽衣は何も答えなかった。代わりに、直後に信号が変わったのを見て愛理たちと共に横断歩道の向こう側に行ってしまう。視線だけはずっとこちらを向いているのに、何も答えないという何とも不可思議な行動であった。
ちなみに倫も道路の向こう側から最後までこっちに手を振ってくれていたが、結局愛理に半ば強引に連れていかれてしまっていた。
「あ、あの、ちょっと? おーい……」
遠くへ呼びかけてみるが返事はない。その場に一人ポツンと取り残された情也は、呆気にとられて愛理たちが消えゆくのをただ見守ることしか出来なかった。おのれディケイド。
「……ふん、それがどうした」
愛理たちが完全に行ってしまうと、情也は誰もいないにも関わらず、一人でそう呟いた。別に一人きりで帰ったって何も問題はないさ。
『……お前も素直ではないな。正直に寂しいと言えばよいものを』
「五秒以内に消えないとブッ飛ばすぞ」
『ハァーッハッハッハッハ!』
いつの間にかすぐ傍に立っていたケーリンズバイダーが、またあのウザったい笑い声だけを残して地平線の彼方へと走り去っていった。一体どっから湧いてきやがった、あの野郎は。
慣れない生活で疲れてきているのかもしれない、と情也は思った。あんな訳の分からないものが勝手に出てきてしまうなど、明らかに脳内ARの不調である。演劇部に入ったのは、果たして自分にとって良かったのか悪かったのか。
「……あれ、ジョーヤか?」
「え、仁?」
これまた気付かぬうちに、親友の仁が目の前に立っていた。しかし今度は脳内ARが作り出した幻などではない。情也は通学路の途中にあるコンビニの前までやってきていた。丁度それと同じタイミングで、店内にいた仁が外に出てきたのである。先に帰ってもらっていたハズが、どうやらこのコンビニに立ち寄っていたようだった。
「部活帰りか……他の連中ハ?」
「生憎誰もいないよ。こっち方面に家があるのは、どうも俺だけっぽい」
「そうか。残念だったナ、倫チャンと一緒に帰れなくてヨ」
「それ言うの何度目だよお前」
情也は呆れながらも、仁と合流してそのまま二人して朝来た道を帰っていった。その間、仁が買った唐揚げを二、三個つまませてもらったりもした。
一緒に帰る相手が出来てホッとした、などとは死んでも言うまいと思う情也だった。
* * *
またあくる日のことである。放課後になり部室にやってきた情也たち四人は、最後の一人となった愛理を待ちながらそれぞれ好きに時間を潰していた。本を読む者もいれば、衣装を眺めている者もいる、穏やかなひと時である。そんな場に突如として愛理は駆け込んでくると、一同に対しさもやり切ったかのような晴れやかな表情でこう宣言したのである。
「待たせたわね。さっきようやく、部活コンペで上演する劇の脚本が完成したわ」
「は?」
情也は思わず聞き返していた。脚本が完成? 一体何の話だ。
「だから今度やる劇の脚本を少し前から書いてたんだけど、それがようやく完成したのよ。ホント大変だったわ。ラストを決めるのに少し手間取っちゃったけど、ここはやっぱり王道でいくのがいちば――」
「そうじゃなくてだな、どうして俺らに何の相談もなく勝手に進めてんだよ。せめてテーマやジャンルをどうするかぐらい、ひとこと聞いてくれればよかっただろ」
「だって仕方ないでしょ、上演まで時間もないんだし。次からは意見も聞くことにするけど、とりあえず今回はコレで決定ね」
「コノヤロ」
情也は知らず知らずのうちに悪態をつかされていた。これではまるでワンマンである、
指導者によってワンマン経営される組織というのは、組織の方針がブレにくかったり意思決定までが早かったりと『決断』に関する部分は長けている反面、組織全体が指導者の能力以上のものにはならなかったり、一度でも信頼を失えば組織そのものが空中分解し兼ねないなど、『将来性』に関しては大きく劣っているとされる。
しかも学生の部活動ともなれば会社などとは違って、仮に辞めてみたところで人間関係が多少こじれる以上の実害は発生しえない。その意味で、ワンマン経営と化した部活動というのは非常に危うい存在と言えるのである。
だがこうして目の前に立つ少女の自信満々な表情を見ていると、果たしてそのことを理解しているのかと、小一時間問い詰めてやりたい気分になってくるのだった。それでも、当の本人はどこ吹く風という感じで、
「いいから早く読んでみてよ。それで、感想を聞かせて」
「つまんなかったらどうするつもりだ、まったく」
ブツブツ言いながらも、情也は渋々と渡されたルーズリーフの束に目を通し始めた。手書きにも拘らず綺麗で読みやすい文字になっているあたりは、流石に愛理も女子である。
そんなわけで、愛理が書いたという劇の脚本を読み始めたのであるが、
「……ほぉ」
思わず漏れた第一声はそれだった。
それから読み切ること優先で一部は流し読みしつつも、次々と新しいページに目を移していった。幸い脚本はホチキス止め等がされていなかったので、読み終えたページから順番に倫たちにも回していき、彼女らにもどんどん読んでいってもらった。
「……へぇ~」
「…………ん」
「あの、情也さん、これその、とっても、おも、おも、」
「……あぁ、言いたいことは分かるよ、亜麻乃」
オドオドモードとはいえ、伝えようとしていることは何となく理解出来た。ちなみに倫は数日前から愛理によって、無闇に例の鎧を装着することが禁じられている。
「どうだった?」
「そうだな、率直に言って、」
と、情也は再び自分の手元に戻ってきた二十ページほどの脚本をトントンと端をそろえて整理しながら、ニヤリと笑って言ってやった。
「かなり面白かった。正直ビックリだ」
「でしょ!」
愛理は心底嬉しそうだった。
「自信作だったんだから。気に入ってもらえて良かったわ」
もし仮に気に入られなくても押し通すつもりだったんだろ、とは言わないでおいた。まあ実際面白かった訳だし、結果オーライといったところか。
「しっかし、日野がこんな話を書いてくるとはなぁ」
『戦士サイバーと魔王の城』と題されたその脚本は、ひとことで言い表すならば王道の、しかし、そこかしこにユーモアな空気の溢れる物語であった。
内容を簡単に説明しておくと、昔々あるところにといったナレーションに始まり、一人のお姫様が古城に囚われているのである。そこに巣食うは悪の魔王。恐るべき大魔術の使い手だ。
ある日、田舎の村に住む青年サイバーは、妖精族の長を名乗る謎の女性から魔王の討伐を依頼される。この世界を救えるのはサイバーだけだというのだ。一念発起したサイバーは妖精パワーが込められた伝説の鎧を身にまとい、危険な冒険の末に魔王を打ち滅ぼす。そして、最後はめでたくお姫様と結ばれハッピーエンドを迎えるのだ。
「正直、もっと中二臭い内容かと思ったんだけどな」
「アンタはアタシを何だと思ってるのよ」
怪傑ラブとか名乗ってる時点で、お察しくださいとしか言いようがなかった。まぁ、この脚本も充分中二臭い部類には入るのだが、神話ファンタジーの王道部分をしっかりと抑えていたり、下手に登場人物や専門用語を多くしなかったりで、オリジナル作品といえども一般受けする内容にはなっているだろうという印象だった。少なくとも演じる分には問題ない。たとえどこかで聞いたような話であっても、シンプルなのが一番だった。
「上演時間は何分ぐらいの想定だ?」
「大体だけど、二十分ぐらいかな」
「……まあ無難なところか。あとは配役決めと、それから必要なセットとか小道具なんかも全部リストアップしないとな。面白いけど、やるの大変そうだぞコレ」
「そこは仕方ないわよ。ただ劇をやるだけじゃ意味がないんだもの。インパクトがなきゃ」
ソレに関しては愛理の言うとおりだった。今回の劇を上演する目的はたった一つ、予算の獲得である。それも演劇部と同じように存続が危うい部活動ばかりを集めた中で、特に存続の価値があると認めさせねばらないのだ。これに敗れれば、たとえ規定人数が揃っていようとも事実上の廃部扱いになってしまう。同好会として細々と続ける手も無いではないだろうが、細かな備品が多く広い練習場所も必要な演劇部にとっては部室を召し上げられた時点でジ・エンドである。何としても勝たねばなるまい。
「……それにしても霧島、妙に段取りに詳しいね」
愛理に突然そう言われて、情也はドキッとしてしまった。少し調子に乗り過ぎたようだ。
「ま、まあ劇をやるんだから、そのぐらいの手順は踏むだろうと思ってさ」
「……ふーん。ま、いいけど」
愛理はなおも訝しんでいたが、それ以上は追及しても意味がないと悟ったのか、それから先は何も言わなかった。諦めがよくて助かった。
「じゃ、みんな、とりあえずで良いから、やりたい役を言っていってよ」
そうして愛理は黒板の前に立つと、チョークを取ってメインとなる役柄をすべて書き出していった。今回必要となるのは戦士サイバー、姫、妖精王、そして魔王の約四名である。
本当はあともう一人、サイバーが暮らす村の村人Aというのが出てくるのだが、ソレに関しては愛理による脚本の段階で『妖精王の役者が兼任』と指定されていた。チョイ役でしかないのだし、まあ妥当な判断と言えるだろう。また、戦士サイバー以外には今のところ固有のキャラ名は設定されていなかった。
「うーん、じゃあ私は妖精王にしようかな」
最初にそう言ったのは優子だった。第一希望が妖精王とは、また随分と控えめな選択である。ストーリー上の重要度や、またその大層な名前に反して、妖精王には劇中で殆ど出番がなかったのだ。戦士サイバーに鎧を授けるシーンでさえページ数で言えば精々二、三ページであり、それゆえに村人Aが兼任できるという部分もある。
「私はそんなに目立たなくてもいいから……大和さんは?」
「…………私に希望はない。望まれた仕事をするだけ」
「そ、そう? ならいいけど……霧島くんは?」
「俺はやっぱり、魔王かな。悪役がやってみたい」
「アンタらしいわね。じゃ、アタシは主人公にするわ。正義の剣で一刀両断にしてあげる」
「そりゃどうも」
「亜麻乃さんはどうするの?」
「ん、あ、えと、私は、その、」
すると倫は何を思ったかその顔を赤らめると、制服の裾を引っ張って情也を自分の近くへと呼び寄せた。
「ん? どうした亜麻乃」
情也がそっと耳を近づけると、倫は懸命そうに背伸びをしながらうっかりすると聞き逃してしまいそうなほどか細い声で、ボソボソと自分の希望を情也に告げた。その際、生暖かい吐息が耳だけでなく首すじの方にまでかかってきたので、情也は突然襲ってきたこそばゆい感覚に耐え切れずゾクゾクと半身を震わせた。
いかん、これじゃまるで変態だ。
それはそうと、今しがた倫に言われたことの意味を咀嚼するのに少し時間が必要だった。
「……それ本気か?」
「何よ、どうしたの?」
「えっと……なんか亜麻乃も、魔王の役がやりたいんだとさ」
「「えっ⁉」」
愛理と優子が一斉に驚きの声を上げる。情也も全く同感だった。
この場合、主役をやりたいというのであればまだ理解できる。この間の新歓劇では、倫としても非常に不本意なかたちでのリタイアだったろうからだ。ところがこのタイミングで、それも勇者などとは正反対の悪の魔王を演じたがるというのは、情也たちにとってはどうも事情が測り兼ねるのであった。
「……あ、もしかして、」
「どうしたの、霧島」
「亜麻乃……ちょっと、さっきまで読んでた本出してみ」
「あ、あの、はい」
そう言って倫は慌てて一冊の本を、鞄から取り出し情也に手渡した。情也はそれを丁寧に受け取ると、その表紙を一同の目の前にデンと提示した。
「原因はコレだ」
「『パンドラの魔女とプロメテウスの指輪』……? 何これ?」
「…………少し前に発売したファンタジー小説のひとつ。劇中にヘドラ女王という名前の、悪の大魔女が登場する」
「「あ~……」」
芽衣が代わりに答えてくれ、愛理と優子から妙に納得したような声が上がる。つまりは、そういうことなのだろう。直近で目にした作品に感化され、何かをやりたくなる気持ちというものは非常によく分かる気がした。例えるならば、新しい特撮ヒーローが登場するたびにその変身ポーズを真似したくなるようなものである。倫はいま、読んだばかりの魔女の姿を再現してみたくてたまらないのだろう。
情也は若干苦笑すると同時に、とても微笑ましいという感情を抱くようになった。
「いいよ。亜麻乃が魔王をやりたいっていうのなら、俺は譲る。いいか、日野?」
「まあ霧島がいいって言うならいいけど……倫、ちゃんと責任もって演じられるのよね?」
それを聞いた瞬間、倫は表情をパアッと明るい笑顔に変えたかと思うと、何度も繰り返し懸命に頷いてみせてくれた。
「お二人とも、ありがとうでござる!」
………………久々に聞いたな、ソレ。
しかも、今回は衣装など着ていない完璧に素の状態であった。少しして倫は自分の言ったことに気が付いたのか、その顔を急速に真っ赤にしていくと俯いて、情也の身体の陰に隠れてしまった。うん、全然恥じる必要はないと思うんだ。
とにもかくにも、これで情也は倫に代わってフリーの状態となり、同時にほぼ裏方行きとなることが決定してしまった。現在空席となっている役は『姫』のみであるが、まさか情也が演じる訳にもいかないからだ。「望まれた仕事をする」と口にしていたぐらいだし、おそらくは芽衣がそのポジションを引き継ぐことになるのだろう。
「ま、演技する必要がないなら、それはそれで――」
「こうなったら仕方ないわ……姫はアタシがやるわ。主役は、霧島が代わって頂戴」
「――ってオイ!」
「なによ」
「なによ、じゃねーよ。何故に俺が主役⁉ 普通に大和に姫の役をやってもらえば、それで全部解決だろ⁉」
魔王ならばまだ倒される側だし、振り切って演じることにも抵抗は少なかった。しかし、この間のような非常事態でもない限り、主人公のような大役を拝命することなど冗談でなしに御免被りたかった。
「アタシも最初はそう思ったけどね。でも、アンタと芽衣のどっちに裏方を任せるかで考えたら、間違いなく芽衣の方が早いし正確なのよ。この間の劇のセットだって、修理がメインだったにしても、たった一人で全部仕上げちゃったでしょ」
ソレに関しては、驚くべきことだが事実であった。
演劇部における裏方というものは、学校にもよりけりだが大きく言って五~六つのパートに分けられることが多い。例えば、大道具・小道具・衣装・音響・照明・広報などである。通常はこれらの中から一つを選んで所属し、その仕事のみに専念するというケースが少なくないのだが、愛理率いる彩ヶ森高校演劇部では部員そのものが少ないという事情もあって、部長方針により専従のパートは設けずに、その都度責任者を決めては手の空いた者がそれを手伝っていくという柔軟な形式をとっていた。
なお、演出担当すなわち監督の立場である愛理は、基本的にどのパートにも首を突っ込むこととなる。全体の方針を決め、作品の雰囲気を揃えていくのは彼女の役目なのだ。
話を元に戻すと、前回の劇で芽衣は本来小道具パートとして武器や鎧の修復を行っていたのであるが、早々とその作業を終えた後大道具パートの仕事に移ると、舞台セットの改修に照明のセッティング、そして仕舞いには音楽のセレクトまで一人でやってしまったというのである。そのお陰で愛理たちは、限られた時間の殆どを演技の練習に費やすことが出来たのだそうだ。最初にそれを聞いたときは信じられなかったが、事実ならば八面六臂の大活躍であった。
「……まあ、優秀だってのは事実だけどさ。あんまり一人に負担させるってのも良くないと思うぞ。精神的にキツイだろ」
「それは分かってるわよ。だから今回は、定期的にみんなで手伝う日を作るわ」
「…………私は別に問題ない」
芽衣が近くでボソリと呟くのが聞こえた。
「大体お前な……百歩譲って俺が主人公やるんだとして、姫との滅茶苦茶ベタなラブシーンとかあんじゃねーか。どうすんだよ、コレ?」
「……いいわよ、別に。劇のためなら気にならないし」
「アホか、俺が気にするわ」
「ちょっと、なに意識しちゃってんの? こんなのタダのお芝居でしょ、お芝居」
「演劇部の部長が身も蓋もないこと言ってんじゃねえよ」
「いいのよ! もう、やるの? やらないの? どっち⁉」
何故だかムキになった様子の愛理に詰め寄ってこられた。近い近い。情也はその迫力に、皆が見守る前で思わず後ずさりさせられる羽目になった。
「分かった、やるよ、やればいいんだろ!」
「最初からそう言えば良かったのよ」
愛理はそう言って腕を組むと、ようやく情也の前から引き下がってくれた。クソ、この女はいつもいつも。情也は深くため息をつかされた。
かくして、非常に不本意なかたちながらも、情也は演劇部の命運をかけた劇の一大主役に抜擢されてしまったのである。こんなんで大丈夫か本当に。
* * *
練習は、その後まもなくスタートした。
最初は台本の読み合わせから始まった。愛理が書いてきた脚本を学内のコピー機で人数分複製してもらうと、自分の出番などに印をつけたそれらを手にしながら、ストーリー展開に沿って章ごとに各々の台詞を読み上げていく。まずはじめは物語の流れ、そして台詞の順番などを覚えていくところから始めるのだ。
ある程度回数を重ねて徐々に感情を籠めていけるようになったら、今度は部室の真ん中に全員で立って、簡単な動きを入れながらの練習である。部屋の床を舞台の上だと仮定して、人物の大よその立ち位置や位置関係、それに上手と下手のどちらから登場するかなどを決めていくのだ。ちなみにこの段階ではまだ台本片手に演技をしてもよく、衣装や小道具などは一切ナシの状態である。
こうした練習を開始して、早くも一週間が経過した。
「もう、何度同じこと言わせるのよ。観客から見て右が上手で、左が下手なんだってば」
愛理が少し離れた場所に立っていた倫を叱る。現在やっているのは、情也の演じる主人公サイバーが、倫の演じる魔王と最後の対決をするシーンであった。
「あ、う、あの、ごめんなさい、その、」
「……アホかお前。そんなこと素人に言ったって、すぐに覚えられるワケないだろ」
「だって、もう入部して一ヶ月も経ってるのよ。そろそろ覚えて貰わなくちゃ困るわよ。それに素人っていっても、霧島だってすぐに覚えたでしょ?」
「俺のことなんてどうでも……ああもう、ちょっとそのマジックこっちに寄越せ」
「ちょっと、何する気よ?」
情也は怪訝な顔でいる愛理を無視して、工具棚から取ってきた布製のガムテープを何枚か重ねて二十センチ四方ぐらいの正方形の下地を二枚作ると、それらを部室の床の左右両端にペタリと貼り付け、それぞれに『上手』『下手』と分かりやすいように大きく記入した。ついでに、客席に見立てた廊下側の壁に沿って追加で床にガムテープを貼ると、舞台の縁を示す二メートルぐらいのラインを即興で完成させた。
「これでよし、と」
「ちょっと、なんでワザワザこんなもの作るのよ」
「だから、言ってるだろうが。素人に教えるんだから、このぐらい親切で丁度いーんだよ。最終的にちゃんと覚えられれば同じことだろ。それより早く劇の続きやるぞ」
「勝手に仕切らないでよね。ちょっと倫、本当に本番大丈夫なの?」
愛理が訊ねたのは、どちらかといえば倫の演技に関することであった。台詞の方はなんだかんだで大分覚えられてきている倫だったのだが、なにぶん必死にやっている感が拭いきれていなかった。たとえ台詞や動きが合っていても、常にオドオドとしていたのでは魔王の役が務まるとは正直言い難い。
「はいっ、あのっ、がん、がんばりま、すっ」
その小さな声を全力で絞り出した返事にも、どうも先が思いやられるといった具合の表情を愛理は隠しきれていなかった。早いとこ衣装を決めて着せてやればいいのにと言いそうになったが、情也はあえてその言葉を飲み込んだ。
またすぐに練習は再開し、物語は進んでついにラストシーンとなった。
魔王を撃破した戦士サイバーが、囚われの身となっていた姫と出会う重要な場面である。
仮想の舞台の上手側に座っている愛理に対し、反対の下手側から現れた情也がゆっくりと接近していく。客席から見えるおおよその画ヅラとしては、横スクロール画面上でクッパを撃破したマリオがピーチ姫に近づいていく様を連想すればよい。
……だったのだが、ここにきてまたひとつ新たな問題が持ち上がってきていた。
「『おお……命を賭して魔の王を屠りし偉大なる勇者よ。この私を救いにきてくれたこと、心より感謝いたします。あなたの勇敢なる名前は伝説と共に、人々の間で永遠に語り継がれていくことでしょう』」
「『美しき姫君よ、このサイバーに後代の誉れなど不要で御座います。私が欲しいのは、ただひとつ……姫君の笑顔だけで御座います』」
「『欲の少ない御方……』」
「『姫君……』」
「――カット」
愛理が演技の途中に突然そう宣言して、劇はまたしても一時中断となった。
「ちょっと霧島、どうして毎回そんなに距離取って演技するのよ。特に姫の名前呼んで手を握ってくるところなんて、もっと近づいて来てくれなきゃ駄目でしょ」
「そんなこと言ったってなぁ」
どういう訳だか軽く睨んでくる愛理の視線を受け流しつつも、情也は引きつった作り笑いをようやく崩すことが出来てホッとしていた。正直、目の前のこの少女と対峙しながら優しい王子様の微笑みを維持するのにはかなり無理を要した。これが仮に倫とかであれば、まだ自然と笑うことも出来たのだけれども。
「こう……手を取って情熱的に見つめ合え、なんて言うほど簡単に出来るモンじゃねえよ」
「だから、気にするなって言ってるでしょ。演技よ、演技」
「……大体こういうのって、イケメンがやるから画になるんじゃないのか」
「イケメンに見せてやればいいでしょ。要は心の持ちようなんだから」
愛理にしては珍しくまともなことを言った気がする。
まあ仮にそうなのだとしても、昔から大してモテた訳でもない情也には、そうホイホイと女子の手を握れるような度胸はなかった。以前、道をふさいでいた連中から倫を引き離して連れていくのにさえ、結構な決意が要ったぐらいなのだ。
「それよか日野、今更だがひとつツッコんでもいいか?」
「なによ」
「主人公のサイバーって、ついこの間までは普通の農民だったハズだよな。なのに、なんでこんなナチュラルにキザな台詞が言えたりするんだ?」
「…………」
なぜ黙る。さては考えてなかったな?
「……べ、別にいいでしょ。騎士道精神の持ち主なのよ。だったら本物の騎士みたいな台詞だって言うでしょ」
一見もっともらしいが、微妙に論点がズラされているように感じるのは気のせいだろうか。
「ごめん愛理、実は私もちょっと思ってた」
「優子まで……もう、いいのよ細かいことは。だってこの方がカッコイイでしょ?」
「要は単に、そういう台詞を言わせたいだけなんだな?」
「悪い? 言っとくけどアタシだって、こう見えてか弱い乙女なんだからね。勇敢な騎士や白馬の王子様に憧れることだってあるのよ」
「…………一体どの辺が乙女なんだか」
「だ、だから変なところ見るな、スケベ!」
「だからそういう意味じゃねえっつってんだろ⁉」
最初出会った時のように顔を赤らめて胸を隠すようにした愛理に、情也は慌ててツッコミを入れる。傍から見ても特段小さいという訳ではないと思うのだが、どうしてこんなにコンプレックスみたいにしてるのかが分からなかった。
「俺が言ってるのは、お前の普段の行動のことだ。お前、今度は女子バレー部の連中にまでケンカ売っただろ⁉」
「ケンカ売ったんじゃなくて、叱っただけよ。掃除の時間だっていうのに、芽衣一人に押し付けて自分たちは走り回って遊んでたんだから。小学生の男子じゃないのよ」
「……演劇部も、前の劇じゃ似たような状況じゃなかったのか」
「あ……あれは悪かったってば。だからもう、芽衣一人には押し付けないわよ。ね、芽衣」
「…………問題ない」
相変わらず感情の読みにくい顔だった。もうちょっと好悪の情を表に出してもいいんじゃないのかと情也は思う。図書館で一人勘違いで掃除をしていたことといい、少しこの少女は他人に従順すぎるのではないだろうか。誰かがマネジメントしてやらないと、そのうち大変なことになるような気がしてならない。
「さ、もう一回いまの場面やるわよ。今度はもっと近づきなさいよね、霧島」
こっちも相変わらず話をリセットするのが好きな奴だった。情也はため息をつきながら、元いた立ち位置へと戻っていった。




