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終章 強さは愛だ

 情也がようやく学校に復帰できたのは、それから二日後の朝のことであった。部活コンペの本番当日である。

 病院には実質一泊しかしていないことになるが、これは元々三日間の入院予定だったのを情也が担当医に頼み込んで、何とか一日に縮めてもらったからである。担当医が学生演劇に理解のある人物で心底良かったと思う。せっかく出場のチャンスを守ったのに、本番を欠席して不戦敗なんてことになったらシャレにならないのだ。

 二年B組の教室に入ってすぐ、情也は男女関係なくクラスメイトから熱烈な歓迎ムードで迎えられた。大勢が情也を取り囲み、口々にあの夜の出来事を称えにやってくる。そもそも須田の一件で演劇部に散々ひどい態度をとっていた連中が今になって急に手のひらを反してきたのは浅ましいとしか言いようがなかったが、特に村岡は笑えた。お前、あれだけ演劇部を悪く言っていたのに、どうして今更擁護派に回っているんだ? いい加減自重しろと言いたかった。


 しかしまあ正直のところ、そんな連中が何をヌカそうが情也にとってはどうでもいいことなのである。自分が今話すべき相手は、このクラスではたった一人だった。情也は人ごみをかき分けると、一直線に彼女の机へと向かっていった。

 それまで自分の椅子に座ってぼんやり外を眺めていた愛理が、ハッとなってこちらを振り向いた。すぐ傍に立っていた優子が情也に何か言おうとしたが、愛理との様子を見て何かを感じたのか、その場は一歩下がって視界から外れていった。

 情也と愛理は距離は離れたままながらも、長いこと二人だけで見つめ合っていた。周囲の雑音が殆ど聞こえなくなるぐらいまで、お互いの存在だけに注目し合いながら。


    * * *


 放課後になって一旦部室に向かってみると、そこで丁度倫と出くわすことが出来た。実際は一日しか空いていないのに、何故か何年も会っていなかったような感じがした。

 倫は情也の姿を見るなり涙腺を緩ませると、顔をしわくちゃにしながら情也の元へと駆け寄ってきて制服に縋り付いた。情也の無事を泣いてまで喜んでくれるその姿を見て、情也はますます倫のことが愛おしくなった。

 頭を撫でて落ち着くよう言い聞かせていたところ、芽衣までが部室にやってきて言った。

「…………あなたの行動は称賛に値すると思う」

 変わらぬ無表情のまま見つめてくる芽衣だったが、彼女がそう言うのならきっとそうなのだろうと思う。あまりお世辞を言うタイプではなさそうだから。

 情也は軽く芽衣に礼を言うと、まだ泣いている倫のことをなだめて言った。

「泣いてる場合じゃないぞ、倫。これから本番なんだ。大魔女ヘドリューマって確か、涙を流すと魔力が消えちゃうんだろ? 戦えなくなるぞ」

「は……はいっ……あの……頑張ります……っ」

 倫は素直にそう答えると、両手でぐしぐしと目元をこすって懸命に涙を止めにかかった。

 そうだ、これからが、本番なのだ。


    * * *


 学生講堂のステージ裏に向かうと、既にセットは半分ほどが倉庫から運び込まれていた。驚いたことに、仁が自ら手伝いに来てくれていた。今朝の登校では一緒になれなかったので知らなかったが、情也の負傷を知って自ら愛理に協力を申し出たのだという。

 なんと頼もしい親友だろう。やはりこの男は信用に値する、と再認識した情也だった。

 そのうち愛理や優子も小道具を運んでこっちにやってきて、それからすぐに劇に出る者は暗幕の裏などを使って衣装の着用を開始した。愛理は姫、優子は妖精王と村人(前者の衣装の上に後者の衣装を被せるようにして見えなくするのだ)、倫は大魔女ヘドリューマ、そして情也は勇者サイバーである。サイバーの衣装は登場当初の村人ルックと、中盤以降その上に着る鎧とで二種類用意されていた。


 普通にしていれば問題ないとはいえ若干の心配もあったので、情也は勇者の鎧を装着すると倫を相手に軽い立ち回りの練習をし、体に痛みが走らないかどうかを調べて回ってみた。本当は万全の状態で参加すべきだが、他にやる人間がいないのでどうしようもない。

 怪我をした身体でも鎧自体は難なく着こなすことができ、重さで動きが鈍るということもなかった。ただ軸足である右足に残る鈍い痛みだけは如何ともし難く、あまり激しい動きは出来なさそうということが分かった。そこで倫と相談の末、決戦シーンの立ち回りは倫の方にアクティブに動いてもらうこととなった。彼女には感謝してもし足りない。

 一方そのころ、例の純白ドレスに身を包んだ愛理も、暗幕の裏から姿を現してきていた。ポニーテールをヒーロー型からヒロイン型に変形させ、スカート部分の端をつまんで静々とこちらに歩み寄ってくる様子は本物のお姫様のようだった。


「……今日はアタシが、情也に助け出してもらう番だね」

「ああ、そうだな」

「えへへ、なんてね。一昨日だって、アタシひとりじゃ勝てなかったもんね」

「よせやい」

 情也と愛理は、互いに照れくさそうに笑いあった。実際、あの出来事を思い出すと未だにちょっと顔が熱くなる。感情に任せて、かなり恥ずかしいことも叫んでしまったし。

 でもまあ。

 たまにはそういうのもいいかもしれないと思った。


 やがて徐々に、部活コンペに参加するほかの団体も四十人ばかりがステージ裏に集まってきてひしめき合い、二年の学年主任と手伝いの生徒会役員が連れ立って現れると、いよいよ本番の開始が目前となった。「正々堂々と勝負に挑みましょう」などという学年主任の言葉を聞いて実に白々しいものだと思ったが、あえて口には出さずに情也と愛理は無言で顔を合わせ合い、お互いしっかりと頷きあった。言葉にしなくても分かっていた。自分たちがすべきことはたったひとつなのだ。

 こうして存続がかかった部活動たちの、生き残りを懸けた戦いが始まった。トップ発表は約二十年の歴史があるという落語研究会。ステージの真ん中に座布団を並べ、大喜利らしきことをやっていた。最初から随分な強敵である。

 続いてステージに上がったのは軽音楽部。いつぞやのアニメでやっていたような、明るくキラキラとした雰囲気の演奏を四曲ほど披露した。こちらも負けず劣らず強敵だった。

 その後も次々と少数精鋭の部活動がステージに上がっては下り、二時間ばかりが経過したころ、生徒会の人間が情也たちの元にやってきて言った。


「もうまもなく演劇部の出番です。皆さん、スタンバイをお願いします」

 それを聞いた情也たちは顔を上げると、ステージ裏の隅っこの方で輪になって集まった。演劇部はまさかのトリである。情也の硬い表情を見て取ったのか、愛理が話しかけてきた。

 情也は薄暗闇の中に立っていた。

「……緊張してる?」

「そりゃそうだ」

 大怪我をしてまで掴み取ったこの後の上演に、全ての運命が懸かっているのである。緊張しない方が不自然というものだった。厚手の布一枚隔てた向こう側からは、ずっと観客たちの発する静かながらも重い空気が伝わってくるし。

 すると愛理はそっと情也の手を取ってきて、その表面を優しげに指でなぞると描いた文字をしっかり握らせてきた。勿論『Z』の一文字である。情也はそれをジッと見つめてから、パクンと口に入れて飲み込んだ。

「……勇気出た?」

「ああ、最高にブレイブな気分だ」

 情也と愛理はニカッと笑いあった。


 やがて前の部の発表が終わると、一同は手に手に大道具や小道具を抱えてステージ上へと向かい、速攻で所定の位置に配置を完了した。終わり次第、人物たちも待機場所へ。愛理は舞台のど真ん中、情也は上手側の暗幕裏、倫と優子は下手側で、芽衣は放送器具と照明装置のボックスだ。仁は情也と一緒に上手側に来ていた。

 情也はいよいよ腹を決めて、上がる寸前の暗幕を見つめた。さあ、ショータイムだ。

「ただいまより演劇部発表『勇者サイバーと魔王の城』の上演を開始します」

 生徒会によるアナウンスが流れる。直後に巨大なブザーが鳴り響き、芽衣のスイッチ操作でステージと客席を仕切っていた幕が音を立てて、ゆっくりと上昇していった。

 銀河さえも守り抜けそうな銀色の甲冑(かっちゅう)に身を包んだ情也は、ステージ上でひとり佇む愛理の姿を、息を殺して見守った。幕が完全に上がり切ると、情也のセレクトしたファンタジー系統の神秘的な音楽が流れ始めた。やがてスポットライトが点灯し、薄暗闇の中にドレスを着た愛理の姿が浮かび上がった。観客席がしぃんと静まり返る中、愛理はすっと片手を目の前に掲げると、幸せを願う姫となってこう言った。


「『我がこの城に囚われて幾数年……大魔女の力は日に日に増すばかりです。嗚呼……いつか夢見し、我が心の勇者よ。貴方が現れるのはいつのことぞ。早く、早く、我が囚われの心を救いたまえ』」

ここから先は、情也たちも完全に登場人物だった。


    * * *


「『サイバーよ、今こそ私の与えた魔法を使うのです!』」

 舞台上で優子演じる妖精王が、情也演じるサイバーの背後から叫んだ。そこは初めて戦闘に臨んだサイバーが、鎧に宿った魔法力を試そうとする場面だった。妖精王は大きめの水色のローブのようなものを身に纏っており、さながら一部ディズニー映画に登場する典型的なおばさん魔法使いのようである。

 サイバーをからかいに来たという体で舞台袖に立った、倫演じる大魔女ヘドリューマに剣を突きつけ、サイバーは大声で魔法の呪文を唱えた。

 その瞬間、何やらマヌケな効果音が鳴り響いたかと思うと、少し遅れて大魔女が凄まじい高笑いを始めた。サイバーが呆気にとられてそれを見守っていると、背後で妖精王が自慢げに胸を張って言った。


「『どうです? 大魔女もひれ伏す素晴らしい威力でしょう!』」

「『何の役に立つんだよ⁉』」

 サイバーが大げさに憤ると、客席から笑い声が上がった。妖精の魔法だから人を喜ばせる効果しかない、という設定である。ギャグを正当化するための手段なのだが、これはこれでアリだと思う。

 やがて場面は進み、勇者と大魔女の決戦シーンとなった。大魔女が大げさに両腕を広げ、サイバーのみならず観客席で観ている人々までもを威嚇して叫んだ。

「『見るがいい、愚民ども! 覚悟おし、サイバー坊や!』」

「『望むところだっ!』」

 サイバーが応じ、ダイナミックなポーズをとって剣を構えた。それに合わせるかのようにお待ちかねの『ビームソードのテーマ』が流れ始め、一大決戦の幕が上がる。事前の打ち合わせ通り、現状あまり激しい動きのできないサイバーに代わって大魔女がアクティブに動き回ることで戦闘の激しさは演出された。サイバーは決まった範囲を少しずつ動くだけだが、常に程よいタイミングで大魔女が剣の間合いに飛び込んで来てくれるので、サイバーはそれを迎え撃つだけでよかった。

 そうして四十秒ほど戦うと、次第に曲調が変化し始め、クライマックスが近づいたことを示唆した。今だ、と舞台上で二人の動きがシンクロする。大魔女がワザと突き出してきた杖をサイバーが剣で跳ね上げると、大魔女はよたよたと後退して弱った演技をした。この機を逃さずサイバーは客席の方を向くと、手にした剣を斜め上に一気に振り上げた。


「『とどめだ!』」

 その瞬間、世にも美しい光景が現出した。剣を振り上げたサイバーの背後があっという間にまばゆいばかりの茜色に染まり、逆光によって舞台上に立つサイバーが巨大なシルエットとなって浮かび上がったのである。

 これは芽衣が照明を操作したことでもたらされた場面だった。サイバーの掛け声と曲調の変化を見計らい、このタイミングで舞台裏のホリゾントを一気に点灯させたのである。他の照明装置は事前に少しずつフェードアウトさせてあったため、そのとき客席から見た舞台上には暗闇の中にオレンジ色のホリゾントだけが煌々と輝き、シルエットと化したサイバーがまるで太陽を背負ったかのように見えていた。特撮好きの情也たちだからこそ思いついた、必殺の太陽剣である。

 観客たちが息を呑んで見守る中、サイバーは大きく振りかぶった剣を雄叫びと共に、客席目掛けて袈裟懸けに振り下ろした。


「『サイバー・フラァァァァァァァァァァァッシュ!』」

 それを受けて、左斜め後ろにいた大魔女がワザとらしく斬られた動作をし、

「『きえええええええええええっ!』」

 と凄まじい悲鳴を上げながら、ステージ中央を横切って下手側に退場していった。

 …………相変わらず物凄い演技力だった。真に迫り過ぎてちょっと怖い。

 とにかくこうして、平和を乱す悪の大魔女は滅びたのである。

 全てのセットが舞台袖に下げられ、今やステージ上に残っているのはたったひとつの椅子のみとなった。そこにポツンと、愛理演じる姫が一人で寂しげに座している。ここは、姫が囚われている部屋という設定なのだ。大魔女を打ち倒したサイバーは、静かにその部屋へと入っていった。姫がハッとしたように顔を上げ、こちらを見つめる。


「『勇者さま!』」

「『姫!』」

 二人はどちらからともなく近づき、手と手を取って互いに見つめ合った。

「『お待ちしておりました……私の勇者さま』」

「『姫……なんというお姿に。今までよく一人で耐えましたね』」

「『勇者さまのことを思えば、苦しくは御座いませんでしたわ』」

 見つめあう二人の背後に美しい旋律が流れ始め、再びステージ全体がホリゾントを使ったシルエット状態へと変わっていく。ドラマチックなエンディングだった。あとは暗幕が下がり切れば終幕である。情也は人知れずホッと胸をなでおろしていた。

 そのときである。


「……情也」

 突然、愛理が二人にしか聞こえないような小さな声で話しかけてきた。ここでアドリブを差し挟む余地はなかったので、情也はちょっとだけ違和感を覚えつつも構わずに見つめ合う演技を継続した。

 ところが愛理は情也の手を握る自分の手にぎゅっと力を籠めると、

「……ありがとね」

 そう言った。情也はすぐにそれが、劇とは無関係に発された愛理の本心からの言葉であると気が付いた。今更何を、と思った瞬間、それは始まっていた。愛理が急にぐっと背伸びをしたかと思うと、次第に情也に顔を近づけてきたのである。情也は目を見張った。

 この状況、決して動くわけにはいかなかった。このシルエットを崩せば劇のエンディングが台無しになるからである。だけど愛理ははた目には決して分からないぐらいのスピードでゆっくりと、自らのシルエットを情也のものに重ならせた。


 しめった吐息を間近に感じたときは、もう既に手遅れであった。愛理の濡れそぼった唇が情也のソレに押し当てられ、情也は息をすることが出来なくなった。

 脳がとろけるかと思うような口づけだった。愛理が持つ太陽の温もりが、唇を通じて情也へと伝わってくる。下半身から力が抜けそうになるのを、情也はなんとか気力を振り絞ってその場に立ち続けた。

 はた目から見ればそれは、ただ単にシルエットが重なったようにしか見えなかった。一瞬だけドキッとした者も、すぐにそれは劇の演出の一環だと思ったようだった。

 しかしそれは紛れもない、愛理自身の本心の吐露であった。強くて優しい、不器用な少女の最大限の告白。公然の場に出現した、最高級の秘密の空間でのキス。

 幕が完全に閉じきるまで、二人のシルエットはずっと重なり合ったまま離れなかった。

 それはまるで永遠に思えるほど長い時間だった。


 数日後、学校からの正式な通達により、演劇部の存続が決定した。


(終幕)

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