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ひとたび問い詰めれば、仁村はあっけなく、涙ながらに白状した。
「うちは子供もいないし、夫が単身赴任しているから、私は母と二人で暮らしているの。ガーデニングが好きな、素敵な母なのよ」
仁村家は共働きで、仁村夫人も日中出かけている為、家には母が一人残されていたという。
「ガーデニングは、寂しい母にとって良い趣味だった。時間と心をかけて植物を育てることって育児と似ているから」
けれど、ある時から、その母に変化が見られるようになったのだという。最初のうちは、夜中に頻繁に起きていたり、スーパーで間違ったものを買ってきてしまったり、新聞を読まなくなってしまったりということだった。
「母は、ボケていたの。痴呆症になってしまっていたの」
きっと私たちが母を一人にしていたから、と仁村はくぐもった声で呟いた。
「今はもう症状もかなり進んでいて、私のことも時々しか思い出してくれない。だけど、病院なんかに入れたくはない。母がこうなってしまったのは私の責任だと思っているから」
母がボケてしまうと、誰も手を入れなくなった庭は瞬く間に荒れ果てることになった。すると、母は、庭を見るたびに、「私の育てた子供はどこ? 貴子はどこ?」などと呟くようになったという。貴子とは、仁村夫人の名前だ。
「何とかしてあげたいと思ったわ。だけど、私たちにも庭の手入れをしていられるような時間はない。うちは二人で働かないとやっていけないから。そうしたら……」
母は、夜な夜などこかへと出かけるようになった。深夜徘徊は、痴呆症の中でも主要な症状の一つだ。仁村夫人は止めようとしたが、母は理性を失った、タガの外れたような強い力でそれを拒んだ。母は、深夜になるとリヤカーを押してどこかへ出かけていく。そうして朝になると……。
「庭に美しい花の鉢があったの。どこかの誰かが丹念に育てた綺麗な花ばかりだったわ。母は、その傍に寄り添って笑っていた。『私の可愛い子供たち』と何度も繰り返し呟きながら……」
いくら止めようとしても云うことを聞かなかったと仁村夫人は項垂れる。母はきっと、荒れ果てた庭を見て、自分が何もかも失ってしまったことに気づいたんだわ。だから、それを少しでも取り返したいと思ったのでしょう、それで誰かから奪うことになったとしても……。
「盗んでしまったことは申し訳ないと思っています。けれど、どうしても、私は母を止めることが出来ない。きっと私は間違っていると思う。罪を重ねていると思います。それでも止められないの。これが――私の親孝行だと思っているから」
親孝行。
鋭希の背がぶるりと震えた。
それは、鋭希が望んでも出来なかったことだったからだ。
鋭希は押し黙る。
何も云えなくなる。
その時、小町が、その肩を強く掴んだ。
頭に血が流れこむ。
自分と相手の姿がはっきりと見えるようになる。
鋭希は自分を取り戻した。
「……お話はわかりましたが……」
かすれた声が出た。
小町が鋭希の腕の中で揺れている。降りたがっているようだ。
鋭希が小町を下ろすと、小町はそのまま庭に向かって駆け出した。
「小町ちゃん、待って!」
鋭希は見た――小町の向かう先を、そこに咲き立つ、ピンクに色づいた可憐なイングリッシュローズを。
「あれは――」
そして鋭希は見た――スローモーションのような映像だった。埋め尽くされた庭を駆ける小町が、力を無くしてくずおれていく様を。
「小町!」
鋭希は駆け寄った。地面に倒れた小町を抱きしめた。小町は目を閉じ、息苦しそうに喘いでいた。どうやら突然に発作が起きて、気絶してしまったらしい。強烈な花の匂いは、感じ易い小町には耐え難いものだったのかもしれない。
「あなたたちの探していたのは、この花なのね」
仁村が、鋭希の前を通り過ぎ、大鉢に入ったままの、ピンク色のイングリッシュローズを持ってきた。
「そうです。その花は、この子にとって、とても大切な――」
鋭希は話した。
話を聴き終えた仁村は、鉢を二人に差し出した。
「お返しします。あなたたちの大切なものを奪ってしまったこと、本当に罪深いことだと思っています。謝っても謝り切れることではないと思います。けれど――けれどね、きっと私とあなたたちの『誰かを大切に思う』ことの気持ちは、『誰かの為に』という気持ちは、きっと同じものだと思うの。
だからどうか、私たちを赦してくれませんか」