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引っ越し祝い  作者: 流星光
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引っ越し祝い

一郎は、奥井さんの新居に、引っ越し祝いにやってきました。


奥井さんの新しい部屋に一歩入った時、一郎は、しまったと思った。

奥井さんが、ミニマリストだったからだ。


白い壁、白い天井、茶色い床をのぞいては、足当たりの巾木にいたるまで白で統一されたワンルームのマンションは、物がほとんどなかった。


一郎が、最初にそれを感じ取ったのは、玄関ドアを入ってすぐのキッチンスペースを横目で見たときだった。


「物が、ない」


シンプルな透明コップと白いマグカップ。

真っ白で清潔そうな布巾の上に、ひと組の白木の箸とスプーンとフォークが、行儀よく並んでいた。


ふた口あるガスレンジの上には、手鍋ひとつと、深底のテフロン加工のフライパンがひとつぶら下がっていた。


一郎は、今日、この家に、引っ越し祝いを買ってきてしまった。


黄色いコーヒーカップ。

マグカップともいう。

バターイエローとでも言うのだろうか。

全身が濃い黄色いで色づけされたカップには、アメリカの人気漫画のキャラクターが、手描き風の線画で描かれていた。


これをあげても、奥井さんは困る。

この部屋には、邪魔になるだけだ。

一郎は、激しく後悔した。


部屋に入ると、白石くんと磯谷さんが、すでに来ていた。

何もない茶色い板張りの上に、そのまま腰を下ろしている。


「いらっしゃーい」


磯谷さんが、自分の部屋でもないのに明るくそう言った。



「さて、何か飲む?」


奥井さんが、そう言って小さな冷蔵庫のドアを開けた。

そして、缶ビールを4つ出した。


あ、いきなりお酒飲むんだと思ったが、一郎は、だまっていた。



今日は、奥井さんの引っ越し祝いということで、奥井さんが会社で仲のいい三人に声をかけた。

とは言っているが、発起人は、おそらく飲み会大好きの磯谷さんではないかと一郎はにらんでいた。


一郎が勤務する会社は部品メーカーで、いろいろな部署がある。

部署を越えての交流もあって、四人は、まったく別の部署なのに、行事があるたび集まるようになった。


白石さんと磯谷さんの間に、何かがあると感じ始めたのは一カ月ほど前だろうか。

四人でいる時に、白石くんが、ふとした瞬間に、磯谷さんの体に触れるようになったのだ。


あ、この二人、つき合い始めたな。

と一郎は感じた。


もう肉体的な関係を結んでしまったのかも知れない。

とも思った。

それは奥井さんも同じであったろう。

一郎と、奥井さんは、そのことに気づかないふりをした。


四人のうち、二人がくっついたことで、残った二人もくっつかなくてはいけない空気になるのだろうか。

一郎は、意識した。

奥井さんも、意識はしているはずだったが、顔に出さないようにしていたようだ。


意識しはじめてから、一郎の、奥井さんを見る目が変わっていった。


首のラインや、鎖骨が浮き出ているあたり、手首、背中、わき、お尻、足首。

奥井さんの体のすべてが、魅力的に見えてきて困った。


奥井さんは、どう思っているのだろうか。


一郎は、今日持ってきた引っ越し祝いが使えることに気づいた。


この部屋にとって余計なものでしかないこの黄色いマグカップを、奥井さんは、どうするだろう。

僕に好意を持ってくれているのならば、捨てずに持っていてくれるはずである。

それだけではなく、日常使いのマグカップとして昇格させるかもしれない。


このカップの行く末を見ることで、奥井さんの気持ちが知れるという寸法だ。


一郎は、ビールをぐびりと胃に落とし込みながら、いいアイディアに自画自賛した。



「あ、そうだ。これ、引っ越し祝い」


いきなり磯部さんが、口を開いた。


「ぼくも」


白石くんも、バッグをごそごそし始めた。


二人とも同じくらいの四角いダンボールの小箱を取り出して、同時に開けた。

中から、一郎が買ってきたものと、ほぼ同じ大きさ同じ形のマグカップが出てきた。

しかも、白石くんのは、真っ赤で、磯谷さんのは、真っ青だった。


「実は、磯谷さんと一緒に選んだんだ」


笑顔の白石くんと磯谷さん。



「くそが!」


一郎は、奥歯をかみしめた。

丁シャツの背中に、汗がじとりとにじんだ。


二つのカップは、まるで一郎の持ってきたカップとセットみたいだった。

赤、青、黄、三色のカップ。

こうなると話は変わってくる。


この、ミニマリストの部屋の中で、ちょっといいアクセントになる可能性がある。


突然のお客さんが来てしまった時のため、とかいって、予備のコーヒーカップとして戸棚の奥に置いておくのも悪くない。


何より、この偶然を奥井さんは喜ぶだろう。

そして、今日の記念に、三つのマグカップを大切にするかも知れない。


一郎の計画は、がらがらどしゃんと崩れた。



一郎は、観念した。

起きてしまったことは、くつがえすことはできない。

一郎は、過去の行動を責められるのが、大嫌いだった。


「どうして、こうしたの?」


と質問されるのは、何よりも腹立たしい。


「そんな事よりも、これからどうするかだろう」


一郎は、気持ちを立て直した。

その間、三秒。


「あ、じゃあ僕も出しちゃおー」


精いっぱいおちゃめに言いながら、一郎はバッグのファスナーを開け、中に手を突っ込んだ。








なかった。



忘れてきた。




家の玄関に。








「ごめん。家に忘れてきたみたい。明日会社でわたすよ」



「えー、うふふ。ドジっ子だねー鈴木くんも」


奥井さんは、今まで見たことがないステキな笑顔を向けた。



「じゃ、これは仕舞っておくねー」


奥井さんは、クローゼットの白い扉を、ぐいと引っ張って開けた。


クローゼットの中は、カラーボックスやダンボールできっちり仕分けされた棚が組まれていて、洋服、寝具、本、写真、ノートPC、電気スタンド、扇風機、ウクレレ、謎の置物など、この部屋のあらゆる物が詰め込まれていた。


奥井さんは、その一番手前に、二人からもらったマグカップを箱ごと、そっと置いた。


奥井さんは、それほどミニマリストという訳でもなかった。

いろいろ雑多な物を、持つ女だった。


「奥井さんのこと、俺はまだ、全然知らないんだよな」


一郎は、ベランダの窓から外を見た。


ベランダの手すりの向こうに、春の、薄い青空が見えた。


「いい休日になった」


一郎は、思った。



(終)


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